旅行客を迎える街だからだろうか、エレベーターに乗っていると「何階ですか?」こう、訊ねられた。
それもひとりは年下の女性で、OL風。 もうひとりはやはり年下の男性だった。それぞれ声掛けられた場所は違ったけれど、
そんな風に市民が声を東京でかけるだろうか・・・。 私にはとても新鮮だった。
そしてこちらも相手によって変わっているのに気付く。街を歩きながら行き先を訊ねる。その応え方は
とても優しく、こちらも「ありがとう」をゆっくりと丁寧に返している。 二度も放っているのだから、
心地良いコミュニケーションを心底味わっているのだろう。
以前、古書展で上村松園の「晴日」というのを手に入れた。その絵について、こう記している。
ーあの頃の京の町の人たちのもの静かで、心の優しかったこと・・・今の人に、もの静かをもとめるのは無理なのかもしれない。が、
優しさだけは取り返して貰いたいものと思う。 1941年 「晴日」-
そういえば、独身の頃に出かけて京都の女性に誘われて、四条河原町で夕食を一緒に食べたこともあった。当時のホテルを車窓から見かけた。
歴史遺産があるから育まれる心遣いもあるのかもしれない。仏教文化の下地もあるでしょう。
私が町で見かけたご婦人は、かなり闊達に日常茶飯事を通る声で話していた。やはり、女性のうっ憤ばらしは、どこもかわりませんね。
高台寺では、若いフランス人の取材に通訳を従えて説明をしている男性がいた。茶室を造った当人だそうで、
敷地の竹・小さな墓碑・石等を説明し、フランス人の聞きかじりの日本文化に理解できるように応えていた。
「一緒に行きましょう」その男性が声をかけ、私は一行と同じく彼のお話に同行していた。
室生寺でも同じようにひとり女性が見学をしていたけれど、この時季にひとりで家を離れられる同年代の事情を考えれば、
男性の配慮のように、何やら「人の声かけ」を促す気配も感じさせるのかもしれない。
(実際のところ、人の混雑がなくて、見学にはうってつけの時季だと知りました。)
東京ほど変化の度合いが速くないのも、せかされない「はんなりモード」に通じているのかもしれない、と思った。
歩きのお伴にお弁当を薦めます。たくさん歩いて「湯豆腐」看板には、実際、味覚が満足できません。
観光地辺りでは、お決まりの食事です。季節がら、「ああ韓国料理」と思ったものです。