名古屋から帰ったばかりなのになぜに「金沢」?とお思いのことでしょうが…実は、このシリーズもう一回更新を予定をしていたはずなのに昨年11月29日の更新今さら金沢その4「ぴちぴちと名前倒れ」 以降、本日まで、大奥職場その他のどたばたで、すーっかり更新を忘れてしまっていたのです。
そういうわけで、「名古屋」日記アップの前に「今さら(本当に今さらになったな…)金沢シリーズ最終回」を更新したいと思います
あまりに時間が経過しているので補足を…がーこ、昨年八月、28年ぶりの中学校の同窓会に出席するため、三年ぶりで金沢へ帰省しました。その時の日記がこの今さら金沢シリーズです
では本編に…。
本日のタイトル「故郷は遠きにありて想うもの…」は、「がーこ」の故郷出身の詩人「室生犀星の詩」の一節です。
本文の一部抜粋は↓
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
なんか悲しい詩ですよね…でも、「がーこ」にもなんとなくこの意味がわかるんですよ約24年前、書けませんが「のっぴきならない事情」があって、郷里を「捨てた」も同然で後にした「がーこ」です。
あれから現在まで、特に結婚するまでの間は、本当に誰一人頼れる人もなく、この「大阪」でのたうちまわりながらも生きてきました。
捨ててしまったからには、たとえ大阪で「乞食」になりさがろうとも、二度と再び、「金沢」へ戻り住み暮らすことはあるまいと、心に決めていましたから。
でも、きれいさっぱり「金沢」のことを忘れていたかというと、それがそうでもなかった…百貨店でたまにみかける「加賀百万石金沢展」みたいな食べ物系「催事」を見ると「ふらふらぁーっと」立ち寄り
「圓八」(えんぱち)の「あんころ」(大丸系催事にのみ出店していましたが、現在はなし)
「小出」の「ふくさ」(こちらも現在、類似品のお店の出店が多い)
などの「郷里の味」を買い求めては「故郷を想う」日々を過ごしていました
そして、どうしても現地へ行かなくては「食べられない」「買えない」
「駅そば」の「白山そば」や、
「竹内」の「みそまんじゅう」などを「なつかしみ」ながら、「故郷を想い一人涙していた」がーこなのでありまーっす
今回、28年ぶりの同窓会へ出席してみて感じたのは、「やはり、がーこにとって金沢は遠きにありて想うもの」になってしまったのだなぁ~という「現実」地元に暮らし続けている「同級生」とは、なんとなく「壁」を感じちゃったんだよな…まぁ、これはもうどうにもならんことですけどね。また、そう感じたからと言って、24年前の自分の選択を「間違い」だとは思っていません。
あの時、その選択をしていなければ、いまここでこうして「生きていた」かどうかさえ怪しいものなのですから。(詳細は書けぬ…)
でも、出席してみて良かったと思っています。四十数年も生きてきたら、何らかの、「紆余曲折」はあの場にいた全員が「経験」しているはず…でも、「がーこ」も含めてあの場所に来られたということは、少なくとも「今は、皆、陽のあたる道を歩いているのだ」と思いますから。それが確かめられただけでも、「がーこ」はうれしかったです
現在ではがーこが「金沢」を後にした日の「駅舎」も何もかもが「新築」されてしまって「金沢駅」には「あの日」の面影はありません…ただ、あの日「がーこ」の出発を見送ってくれた「郵太郎」↓だけは場所を変えて「駅」に残っていました
(これは「加賀人形の郵太郎」ポストです。旧国鉄金沢駅時代の切符売り場近くに設置されていたこの郵太郎、当時待ち合わせの目印でもありました)現在は写真のとおり自動券売機近くの百番街というところへの連絡通路付近に移設されています。
今もってなおというか現在のほうが、ひしひしと「故郷は遠きにありて想うもの」と感じるこの「がーこ」の心情を「郵太郎」は、あの日の「がーこ」の心情とともに理解してくれていると勝手に思っておこうと思います?
というわけで、いささか強引でかなり長いですが、これで昨年よりひっぱりました「いまさら金沢シリーズ・完結」となります
次回はいよいよ「どえりやぁ名古屋シリーズ」公開を予定しております
そういうわけで、「名古屋」日記アップの前に「今さら(本当に今さらになったな…)金沢シリーズ最終回」を更新したいと思います
あまりに時間が経過しているので補足を…がーこ、昨年八月、28年ぶりの中学校の同窓会に出席するため、三年ぶりで金沢へ帰省しました。その時の日記がこの今さら金沢シリーズです
では本編に…。
本日のタイトル「故郷は遠きにありて想うもの…」は、「がーこ」の故郷出身の詩人「室生犀星の詩」の一節です。
本文の一部抜粋は↓
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
なんか悲しい詩ですよね…でも、「がーこ」にもなんとなくこの意味がわかるんですよ約24年前、書けませんが「のっぴきならない事情」があって、郷里を「捨てた」も同然で後にした「がーこ」です。
あれから現在まで、特に結婚するまでの間は、本当に誰一人頼れる人もなく、この「大阪」でのたうちまわりながらも生きてきました。
捨ててしまったからには、たとえ大阪で「乞食」になりさがろうとも、二度と再び、「金沢」へ戻り住み暮らすことはあるまいと、心に決めていましたから。
でも、きれいさっぱり「金沢」のことを忘れていたかというと、それがそうでもなかった…百貨店でたまにみかける「加賀百万石金沢展」みたいな食べ物系「催事」を見ると「ふらふらぁーっと」立ち寄り
「圓八」(えんぱち)の「あんころ」(大丸系催事にのみ出店していましたが、現在はなし)
「小出」の「ふくさ」(こちらも現在、類似品のお店の出店が多い)
などの「郷里の味」を買い求めては「故郷を想う」日々を過ごしていました
そして、どうしても現地へ行かなくては「食べられない」「買えない」
「駅そば」の「白山そば」や、
「竹内」の「みそまんじゅう」などを「なつかしみ」ながら、「故郷を想い一人涙していた」がーこなのでありまーっす
今回、28年ぶりの同窓会へ出席してみて感じたのは、「やはり、がーこにとって金沢は遠きにありて想うもの」になってしまったのだなぁ~という「現実」地元に暮らし続けている「同級生」とは、なんとなく「壁」を感じちゃったんだよな…まぁ、これはもうどうにもならんことですけどね。また、そう感じたからと言って、24年前の自分の選択を「間違い」だとは思っていません。
あの時、その選択をしていなければ、いまここでこうして「生きていた」かどうかさえ怪しいものなのですから。(詳細は書けぬ…)
でも、出席してみて良かったと思っています。四十数年も生きてきたら、何らかの、「紆余曲折」はあの場にいた全員が「経験」しているはず…でも、「がーこ」も含めてあの場所に来られたということは、少なくとも「今は、皆、陽のあたる道を歩いているのだ」と思いますから。それが確かめられただけでも、「がーこ」はうれしかったです
現在ではがーこが「金沢」を後にした日の「駅舎」も何もかもが「新築」されてしまって「金沢駅」には「あの日」の面影はありません…ただ、あの日「がーこ」の出発を見送ってくれた「郵太郎」↓だけは場所を変えて「駅」に残っていました
(これは「加賀人形の郵太郎」ポストです。旧国鉄金沢駅時代の切符売り場近くに設置されていたこの郵太郎、当時待ち合わせの目印でもありました)現在は写真のとおり自動券売機近くの百番街というところへの連絡通路付近に移設されています。
今もってなおというか現在のほうが、ひしひしと「故郷は遠きにありて想うもの」と感じるこの「がーこ」の心情を「郵太郎」は、あの日の「がーこ」の心情とともに理解してくれていると勝手に思っておこうと思います?
というわけで、いささか強引でかなり長いですが、これで昨年よりひっぱりました「いまさら金沢シリーズ・完結」となります
次回はいよいよ「どえりやぁ名古屋シリーズ」公開を予定しております