野に還る

ペンタックスをザックに
野山に花や鳥、虫たちを追う。
身を土に返すまでのほんの一時
さあ野遊びの時間の始まりだ。

道東釧路・根室紀行1

2016-05-16 09:31:39 | 旅行

 4泊5日の旅程で道東を巡ってきた。今回はその一回目、着いた日の午後、釧路市街の散策。

空港からバスで50分やっと駅前についた。先ずはホテルを目指し歩く。

工事中のビルはNTTドコモビル。

景気のいいのはどこへ行っても情報通信関連の業界だけのようだ。

 

駅のすぐ近くなのにこちらはシャッターの閉まった店子の多い建物。

 

 C58(シゴハチ)を展示してある幸町公園。このC58は昭和18年から47年まで

根室本線や釧網本線で活躍した機関車。

 

釧路新聞社の建物

 

その隣のビルに「しまや染色」の看板を見つけた。幟、暖簾、旗、

タオルなどの染色を主な仕事とする会社らしい。

 

この辺は釧路の官庁街、ホテルにチェックインし、荷物だけおいて再び歩き始める。

すぐ見えてきたのがフィッシャーマンズワーフMOOという建物。

簡単に言うと物販や飲食を一か所に集めた観光施設だ。

 

斜め横から

 

隣接するのはEGGという「全天候型緑地」が売りのガラス張りの建物。

入ってみたが利用者はいなかった。

 

釧路の名所の一つ幣舞(ぬさまい)橋を渡る。この橋は北海道3大名橋の一つなのだそうだ。

因みにヌサマイとはアイヌ語のヌサオマイで祭壇のあるところ

聖地を意味する言葉らしい。

 

 橋を渡った先にある花時計。この日は花は無かったが、私の帰る前の日に

今年一回目の花が植えられたらしい。その上には幣舞公園がある。

 

 ロータリーを右折して100mほど行くと、啄木が明治41年当時に勤めていた

港文館(旧釧路新聞の建物を再現したもの)が見えてきた。

 啄木はこの後上司(主筆)への不満と東京への憧れにより、

わずか2か月余で釧路を離れることになる。

 

 女性二人で重いテントを軽々と畳んでいた。北海道を支える力かな…。

 

啄木の歌碑が点在する南大通りに入った。数人の男たちが忙しそうにしている。

 

漁師たちが合同で漁の無事を祈る船「魂の日」の準備をしているようだ。

詳細については以下の漁協ブログに書かれていたので参考まで。

 

 啄木ゆめ公園。歌碑には「さいはての駅に降り立ち雪明り 

さびしき町に歩み入りにき」とある。この近辺には27もの歌碑があり、

啄木滞在が僅か76日間なのを思うとその多さに驚かせられる。

 

東京ではなかなかお目に架かれない銃砲工作所。

 

 現在日本で唯一採炭されている釧路コールマイン(旧太平洋炭鉱)ー釧路石炭の販売店。

 

 米町ふるさと館。100年以上も前の木造民家で

入りたかったのだが閉館中で中には入れなかった。

 

展望塔のある米町公園

 

 釧路港を眺めた後、再び南大通りを下る。時計のある建物は珍しくはないが……

 

 振り返ると裏にも時計がある。が、どういうわけかどちらも

正しい時刻(17時16分)とは無縁だ。

 

 「理髪」の言葉が懐かしいし、建物の雰囲気もいい。

 

 釧路川の畔まで戻ってきた。ここは釧路川の左岸、幣舞橋と久寿里橋の中間地点。

 

だいぶ日が傾いてきて、暫く立ち止まっていると寒さを覚えるほどだ。

向こうの赤い橋が久寿里橋。

 

カラスの場所をカモメが奪った。

 

暫く風に吹かれていたらみるみるうちに日が暮れてきた。

 この日嬉しいことに、EGGの建物の上に吉兆の印の彩雲が現れた。

 

 

 だれが決めたか定かではないが、釧路幣舞橋の夕景は世界三大夕日の一つなのだそうだ。

私が今回利用したHISのツアーパンフレットにもその記載があった。

 

 

この日は少し雲が多いのが残念。

 

 

日の沈む地点がやや西北に寄っているのも惜しい。

ここから橋の向こうに沈む夕日を見るためには、9月頃でないとならない。

 

橋の上にある四季の像、左が夏で右が秋。

 

橋の下の地下通路を潜り抜ける。

 

 

 手前のカモはキンクロハジロ。関東ではとうに冬鳥として旅立って行ったはずだが、

ここ釧路港では留鳥として居るのだろうか。

 

 

陽も落ち切ったようだ、橋にも街灯が点いた。

 

 春の像

 

 道東初日も暮れようとしている。気が付けば随分と夜気が体に凍みる。

体調を崩さぬうちに宿に帰るとしよう。

 

 長々と失礼しました、この辺で。