この季節になると、かならずと云ってよいほど、テレビ等で御巣高山に墜落した、飛行機事故の追悼報道が流れます。
この報道を聞くたびに、私にはどうしても忘れられない友人との出来事を思い出します。
事故当時、私は軍の施設の外注仕事を引き受けていた会社で働いていましたが、まだぺいぺい。
仕事の何たるかもよく理解しておらず、責任感も無いような年齢でした。
最も、生意気にも結婚はしておりまして、丁度このときは夏休みをもらい、小笠原諸島の父島に家内と遊びに行ってたのですが、夕方、民宿で食事中にJALの事故報道を聞いたのです。
自分のことだけで忙しい年齢でも有りましたから、気にはなっていたのですが、
報道で伝わるのを受け止めるだけの範囲でしかなかったのです。
そんな私に、あらゆる面で考えさせられる出来事がありました。
夏休みが終わり、まだバカンス気分で職場に戻り、届ける書類と土産話をもって、友人のいる軍の事務所を訪れたのですが。
顔を出した私を見て、彼が突然つかつかと歩み寄り、「なんで日本政府はGOをださなかったんだ!」とかなり激しい口調で言われました。
私は何の事か分からず、あたふたしましたが、続けて彼が言ったのは。
「この基地内の全ての兵が緊急展開する為に準備を行い、全ての飛行機、空挺チーム、ヘリはエンジンをかけ、後は出るだけだったんだ!
日本中に散らばる全ての基地が支援をする為に動き出し、総力をあげて事故に遭われた人達を助けようとしていたのに、なぜGOといってくれなかったのだ?」、
「我々はこの国の人達の為に来ているのに、なぜ、助けようとするとお前達の国はいつもNOというのだ?」と激しく言い寄られました。
10歳年上の青い目をもつ友人は、それを言い切ると少し落ち着き、再度こういいました「人の命を救うのに、国も法律もない、互いの気持ちだけでいいじゃないか?」、「我々は戦争をする為だけに存在しているのではない」、「私には、この国のそう言うところが理解できない」と。
それが御巣高山の事故のことを言っていたのだと気づいたのは、其のすぐ後でした。
日本人の友達が私しかいなかった彼には、怒りをぶつけるところが無く、私に向いてしまったのだと思います。
人の命より、省庁の縄張りだ、プライドだ、法律がどうのこうのだとかという言わば表面的なことだけに固執し、一番肝心な事がなおざりになるという体質。
教育問題でも常に人のせいで、誰かが解決してくれると思っている体質。 20年も前と今、何ら変ってない事を痛感させられます。
あの時GOがでて、全米軍が救出に向かっていたなら。 軍のレーダーは墜落地点を間違いなく補足していたはずですから、15分もかからずに医療チームが展開できていたはずなのです。
また故障して迷走する飛行機を追跡して戦闘機がサポートをおこなう事も出来たはず。
最終的に数十人、いやもっと多くの人命が救われたかもしれない・・・。
小物が大きな顔をして支配しているこの国、もしあの時大物が長としていたなら、管轄省庁の長が別の人間だったら。
後で問題になる事等恐れず、人の命を一番として選択していたらと私は思うのです。
現在、その彼は日本人の奥さんをもらい、本国の田舎に帰り、広大な農場を経営しています。
彼には同じ透き通るような青い目の娘さんがおり。
一度たずねたとき、「将来俺の息子の嫁にどうだ?」と冗談を言ったのを思い出します。
私の若き日の思い出のひとつです。