帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

生と死

2005年08月30日 | 僕という人間 その他

健康診断の結果が送られてきました。
少し不安ながら結果を見ると、全て正常、極めて健康とのお墨付き。
前年、前々年の数値をみてみると、中性脂肪からコレステロールまで、
どんどんと下がり、理想的数値にまで移動。
思えば、ウインドサーフィンを始めた頃から、これらの数値がいきなり下がり始め、同時に血圧も低血圧気味から正常値へ。

この数年の間、熱一つ出さず、毎日元気に過ごせているのも、ウインドのおかげ?
これから成人病が出るであろう年齢になるにしたがい、なぜか極めて健康体になると言う、医師も首をかしげる不思議な現象がここに有ります。
人にとって自然という存在は、切っても切り離せない物であり。
自然のなかの一つの存在として生きているのだと、この結果をみると思います。
争っても決して勝つ事の出来ない自然ですが、自然と共に歩む事は可能。
自然と同期し、自然に守ってもらい、自然に健康体をもらう。

精神的な成長は人間としての高度な思考を植えつけるだけでは完成せず。
もしそれが未完成で、今ひとつであったとしても、スクールの訓練を通じて
それが完成されていく。
自然の力の偉大さを感じずにはいられないのです。


マダガスカル

2005年08月29日 | Weblog

家内が映画のただ券をたくさんもらったので、夕方から見に行きました。
娘とその友達二人も一緒です。
私は他にもやることがあったのですが、せっかくの夏休みですから。
と言う事で見に行きました。

タイトルはマダガスカル。

なかなかおもしろい映画で、最近の”ニモ”とかの映画よりおもしろかったです。
特に4匹のペンギンには笑いが止まらず、こらえるのが大変でした。
設定も含めて、何故シマウマなのか、何故カバなのか、等を含めて、アメリカ文化を理解していないと分かり難い部分もあるのですが、内容的にはテーマを一つに絞ってあり、よい映画でした。

もし見ることがありましたら、差別、飽食、夢、現実、大衆、勇気、薬物、戦争を頭にいれてそれぞれのキャラクターがどのような役割をになっているのか考えてみてください。
普通に見るよりおもしろいと思います。


無風

2005年08月28日 | ウインドサーフィン 

西に高気圧、東に台風の低気圧という事で、西高東低の風を期待しての
三浦でしたが、私たちが出た頃には落ちてしまいました。
娘はTEARSのレベルアップスクールで、おじさんたちと混ざり練習。
私は家内に教えながら、日干しになっていました。
国枝プロに教わりながら、だんだんと美味くなる娘のジャイブを見るたびに、
不思議な感覚に襲われます。
来年は、娘に教わるようになってしまうかもしれない・・・・という焦りと言うか、なんか寂しいような不思議な感覚です。
息子が一番ひどかったときに、娘までおかしくなり始めたのは、私にもはっきりと分かりました。
家族がおかしくなり始めているのに、それを看過する父親の姿勢は、さらに家族を不幸にします。
父親として動かなければならないときがあるのなら、どのような事をしてもやらねばならないのは男の仕事です。
そして、それに対して、得体の知れない空論を振りかざす事なく、協力してくれた家内がいたからこそ、今の家庭がある。
仕事をしていく上での男女平等は当たり前、しかし、子供を育てる事は、人を育てると言う事、そうであるなら、それはもっとも動物的であり、本能的な事。
そこに不自然な平等論を持ち込んだり、思想を持ち込むは子供にとって百害あって一理なし。
家庭の安定はやはり父親を中心にまわるものだからです。
これを読んで不愉快になった


台風

2005年08月27日 | ダッジキャンピングカー メンテナンス

又後ろから追突されました。
今日は知り合いが来月結婚するので、古い家具やら、すてる物やら、新しい家具の運び込みやらで、手伝いに行き。
その帰りでした。
信号待ちをしていたら、ドスンという音と共に衝撃。
ありゃーと言いながら後ろに行くと、追突したボンゴバンの前がグシャ。
こちらはドアが内側に曲がる損害で、追突したのはタイヤキャリヤの上からでした。
20メートルくらい先に交番があり、そのまま手続き。
ぶつけた車はレンタカー会社の車で、ぶつけたアンちゃんは、唇ピアス、逆立った金髪、耳に大きな蜘蛛のピアスの20の青年。
格好からするとどうかな?と思っていたら、やたら素直で、警察官の厳しい言葉にもハイハイと返事がよく。
私から見ていて少し可愛そうに感じるくらいでした。
何でも引越しをしていたとの事で、新し家まですぐそこのところだったのです。
本当なら、引越しも終わり、同情していた仲間と打ち上げでもするところでしょうが、多分ブルーの気分で過ごすことになると思います。

車を運転している限り、避けて通れないのが事故。
彼の見かけとは反対の、きちんとした私に対しての謝罪、そして自分の過失を認めたこと。
男としては本当に大切な事です。
どんな仕事をしているのかとおもったら、若者向けの最新衣服を売っている店で、働いている、言わば営業さん。
なるほどね・・・・・
きちんとしているわけだ。


青い目の新兵

2005年08月25日 | 僕という人間 その他
このところ苦労しています。
というのは、まだ二十歳の金髪娘、陽気で素直なのは良いのですが。
きちんと人の話を聞いていません。
上からは場合によって、はり倒しても良いと許可をいただいてはいますが、「そんなこと出来るわけないでしょうが!」
彼ら(彼女ら)と接していて一番困るのは、男らしさ、女らしさをとても求めることです。 男は常に男らしさを目指し、女は許される範囲内でめいっぱい女らしさを追求します。 
そして彼らは、私に日本人の男としての、日本人としての姿勢を求めます。
職場を離れ、若者のいる町を歩くと、男と女が中性化している日本の現状を目の当たりにしては、うんざりします。
日本で一般的に言われている男女平等が、外見から始まり、精神的な物まで同一にすることなら、それはいったいどこの国を手本にしているのだと、怒りに似た気持ちを覚えます。
ちなみに日本では、男の子も女の子も”さん”をつけて呼ぼうという動きがあるようですが、この自由の国では、男の上司は”サー”をつけ、女の上司には”マム”をつけています。間違っても同一にしよう等とは考えもしないのです。 当然に間違えると大変なことになります。
世界でもっとも平等、そして世界最強と言われているこの国の軍隊ですが、女は女らしく、男は男らしくが当たり前。
日本の国で起きているジェンダーフリーとは、いったいどこの国をモデルとしているのでしょうか?
 

ストラップ

2005年08月22日 | ウインドサーフィン 

そういえば、週末の三浦で、愛用しているボードのストラップが吹っ飛んでしまいました。
ウインドサーフィンは、ストラップに両足を入れることで完全な安定を得る事ができる乗り物ですが。
当然に暴れるボードを抑える為にも使用されます。
私自身が下手なのも有るかもしれませんが、セイルパワーがオーバー気味になると、ボードが浮き上がり始めて、ジョイント部分を中心として、めくれかえるような動きをしはじめます。
簡単に体を吹き飛ばすのがセイルパワーですから、そのままにしていると、ボードもろとも吹っ飛ばされます。
その場合、マスト加重をとり、浮き上がりをおさえて安定させるのですが、
人間、欲がありますので、さらに加速してスピードを得ようという気が起きます。
特に、バイク乗りの血が騒ぐ、とばかりにアドレナリンが前進を巡り、心臓がバクバク大好きの私ですから。
それでさえボードが暴れているのに、さらにセイルを立ててフルパワーで加速しようとします。
マストを立てれば立てるほど、セイルのパワーは、ジョイント部分から、ブームをつかんでいる腕に移動し始めますから、体をもっていかれそうになるのを、ストラップに入れた足と、腰で受け止め、その力を前に蹴り込むようにして進行方向のパワーに変換します。
海面が固くなり、波の山と山の頂点を飛ぶように走る速度に達し、全身が感覚器官になったような、独特のプレーニングの世界に入ります。
ウォー!と叫びにもならないような声をあげたそのときでした、「ぶち!」という音がして、「アレー!」と言う間もなく海の中。
怪我は有りませんでしたが、何がおきたかのか解らず、少し離れたボードまで泳いでいくと。
なんとストラップを止めているビスがパワー負けして、飛んでいました。
その場で、浜まで戻りましたが。
「何が起きるかわからんなー」という思いが頭を駆け巡ります。
そういえば、この青いボード、私が一番始めに激安で購入し、常に練習の時に私と共にありました。 いつも私が悪口を言っているので、ヘソを曲げたのかもしれません。 
そういえば、あるウインドサーファーがおもしろい事を教えてくれました。
今、自分の乗っているボードの悪口が言えるようになったときは、そのボードはその人にとっての寿命が来たのだと。
この意味は、悪口が言えるということは、それだけそのボードの癖がわかってきているということ、乗り込むからこそ見えてくるボードの癖、そしてそれは同時に、次のレベルに上がる事が出来ますよーというボードからのサインなのだと。

しかし、まだジャイブが不完全で、貧乏な私には、終わられては困まります!
つるつるになった表面に、クリアーを拭きつけ、ノンスリップの粉を振り掛け、デルリンのストラップの位置を変え、まだまだ「乗るぞー!」


中部スラローム

2005年08月22日 | ウインドサーフィン 

帰宅した息子から、楽しい話をたくさん聞きました。
息子にとっては、ウインドで過ごした約二週間は、とても良い思い出になったようです。
そういえば、帰宅予定日をいきなり変更して出たレースですが、結果は今ひとつだったようです。
息子は最上級のスペシャルクラスにエントリー、根元プロも参加するクラスです。
当日は天候が非常に不安定で、風がどうなるか予測がつかないレース。
知り合いが9.0で出たらどうだと勧めてくれたそうですが。
息子がセレクトしたのは7.5。 理由はあとで説明します。
スラローム選手権は三大会を通じて戦いを繰り広げるレースですが、息子の参加は、今回だけの単発参加。 そのため、優勝を狙って大きな賭けに出たようです。 息子のセレクトしたサイズのセイルでは、風が上がりすぎれば他の選手は、セイルサイズオーバーとなって走るのが難しくなり、息子に有利。
風が上がらなければ、逆に息子は圧倒的にふりです。
そしてレース開始、残念なことに天は見方してくれませんでした。

トップは、息子が以前スクールいたときに行われた、ブルームカップランキング戦で、半年間にわたり息子とはげしい戦いを繰り広げた、大ベテラン(伊豆丸さん他)が勝利を収めました。
息子は「普段自分が使っている道具だったら・・・・」と、帰宅してから何回か言ってました。 相当悔しかったのでしょう・・・・・
道具の進化は激しく、見かけこそ同じ様に見えても、一年遅れのセイルではレースにほぼ勝てなくなるという程の絶対的事実存在します。 特にスペシャルクラスになれば、プロも混ざってのレーサー集団の集まりですから、小さな差が大きな差になるのです。
息子はボードこそ、その知り合いから特別の計らいで最新型を使わしてもらいましたが、セイルはスクールにあるもの。 となれば、同じセイルサイズで戦う事は圧倒的に不利で、初めから勝てない事は解っています。 その為、少しでもそのハンディを埋めるには、普通の方法では通用せず、自分に有利な条件(ある風域だけを集中して狙う)を設定し、それだけに集中しなければ、その差を埋めることはできません。
ウインドサーフィンはそれほどシビアなのです。

結果として賭けに破れたとはいえ、もし息子の読みどうりに風が強風に変わっていたなら、セイルの性能差によるハンディは無くならないにせよ、ほぼ同等にまで近づきます。 
戦いは結果が全てではありますが、例え勝てない状態で有ったとしても、自分で全てを判断して作戦を立て、いざ戦いの時になれば、つべこべ言わずに腹を決めて最後まで戦い抜く事。 それはとても大切なことなのです。
同年齢のときの私には、今の息子のような決断力と、腹をくくる精神力はありませんでした。 
そこまで成長してくれた息子に、大変な嬉しさを覚えます。

今回のレースは、息子にとって、青春時代の熱い思い出になる事でしょう・・・・・


スーパー8

2005年08月21日 | ウインドサーフィン 
さあ、今年もスーパー8がきました。
浜に集まっているのは、日本中のキッズクラスのスクールから選抜された、言わばウインドのエリート達。
大阪から参加してきている子達もいます。
ことしは中学生と高校生の参加がいませんでした、小学生だけの戦いです。
娘のライバルは、今年の7月31日に中里プロが開いたウインドサマーキャンプのエキスパートクラスで、戦った大滝君(ショップSEVEN SEAS)ですが。
このときは58名の戦いでしたが、1レースで進めていたために、大滝君2位、娘は3位でした。 
気温が高い上に風も余り無く、暑くてまいったのを覚えています。
今回のスーパー8では、子供のウインドサーファーを育成している逗子会館が、強豪を送り出してきています、また中には専門のインストラクター同伴で来ている子もいます。
私の手離れて、現在(国枝プロ、香村プロ)のコーチの元でのトレーニング。
TEARSの名にかけて負けるわけにはいきません。
レースは小学低学年と高学年に別けて、男女混合で行われました。
かなり風もつよく、しかも風がシフトするという難しい条件でしたが。
もっと風が強くなればハーネスをかけてプレーニングできる娘には、圧倒的に有利です。
小学低学年の第一ヒートが終了、次に娘の第一ヒートがきます。
周りの子達は道具もそれなりで、体格もよく、私は不安になります。
ライバル大滝君は、セイルサイズ4.8と180Lのボードです。対して娘は3.4のセイルと、100Lの板、もちろんハーネスをつけています。
果たして・・・・
ホーンが鳴り響き、なんとすぐに落ちたのは娘?、隣の男の子がコントロールできずに風上にのぼり気味になったのを、自分が落ちて行かせるという?訳のわからない事をして一番ビリからの出だし。
これは駄目だ‐ーと思っていたら、そのままブローを捕まえてフル加速、
あっという間に大滝君の背後を追撃。
マークを回り、ジャイブをし、そのまま追撃。
しかしセイルサイズの差は埋まらず、残念2位。
次のレースでは、伏兵だった大阪の女の子、マユちゃんが大健闘、娘と順位が入れ替わる、デッドヒートになりました。
この子は小学2年の時からウインドをしている子で、とても可愛い子です。 とにかく、追い込みが美味く、常に最後の直線で娘と競争になります。
順位はヒート事に、総合で2位、3位と交互に入れ替わる激戦で、午前の部は終了しました。
しかし、精鋭を出してきている、逗子会館、さすがに強いです。
小学低学年は逗子会館一色です。
昼御飯を食べ、昼休みの間、娘は他の子達と、砂浜で砂城を作ってずっとあそんでいます。
なんかこちらは眠くなり、シートに寝転ぶと、うとうと・・・
アナウンスがレース再会を告げ、午後の部スタートとなりました。
「他の子を蹴散らしていけ!」と娘に声をかけ、スタート。
やはりセイルサイズと体格の差はいかんともしがたく、追い上げるも、大滝君にはかないませんでした。
結果は総合で大滝君1位、娘は大阪の子と同点で2位、ただし表彰は男女別で行われるので、女子の部門でまいちゃんと一緒に表彰台で1位でした。
昨年に続き、今年も優勝。 運がいいというかなんというか・・・・・
帰りの車の中で、家内の携帯電話で、TEARSに電話、山田プロに結果を報告。
「すごく喜んでくれた」と娘は言ってました。
そういえば、息子ですが、合宿を延長して、今日の中部スラローム選手権に出たはずですが。
帰宅して天気予報をみたら、関西方面は雨。
中止になったのかな・・・・・・・・・
 

国枝プロ

2005年08月20日 | ウインドサーフィン 

蒸し暑さに悩まされながら、多少睡眠不足での起床。
外はもう風が吹いています。
食事後、みんなでTARSへ、セイルと開くと、みんなでどうやって修理するかをきめて、スタッフのタメガイさんと中村さんが、特殊なテープを出して修理してくれました。 ガラス繊維が入ってるとても丈夫なテープです。
30分ほどで修理も終わり、その後しばらくお話をさせていただきました。
娘はみんなから、昨日の件も含めて誉められていました。
今日は午後12時からLU(レベルアップスクール)があり、それに参加して、明日のスーパー8に備えて練習しましょうとの事でした。
今日は私も出ます、道具を運び、セットします。
12時からのLUの練習があるため、そうそうに食事。
そのあと浜にでて、コーチにお願いをしました。
今日のコーチは国枝プロ。ニコニコしながら娘を呼んでいます。
他にも大人の生徒が5人くらいいて、事情が飲み込めない模様。
家内と私と、娘の顔を交互に見回し、あれ?あれ?・という表情。
無理もありません、大人のコースに10歳の子供が一人だけ出ているのですから。
今日は娘の面倒を見る必要が無いので、私は思いっきりプレーニングを楽しみます。 家内もかなり上手になって時々ブローで落ちながらも走っています。
娘は、国枝プロから始終アドバイスをもらい、浜に上がり砂に図を書いてもらって説明を受けたり、娘の道具にのって直接綺麗なジャイブのやり方を教わったり、しています。
大人のセイラーにまざり、マークを航海する娘。 変な光景といえば変な光景。
そういえば、やはり風が一時強くなり、なかなか浜辺から離れられないで下に流されたのを、国枝プロが運んできてくれた事も有りました。
しかし、運んでもらっているそのすぐ横で、水に飛び込んで遊んでる娘。
「何をやっているんだー」、と
家内とわらってしまいましたが。まだ子供である事を再度認識します。
途中で気づいた事があるのですが、国枝プロは上記のとき以外は決して、ボードを運ぶ事はありません。 他にも娘がどんなに重かろうが、持ち方が悪くてセイルに裏風が入り込みマストで叩かれようが絶対に助けません。 
何度か浜でレクチャーを受ける為にボードを浜まであげたときもまた、浜から海に出るときも、そうです。 全てに於いて必要以外のときは、黙ってみているだけです。 他の子供用ウインドサーフィンスクールとは全く異なって大人と同じとみなして扱っています。
子供だからと甘やかす事の無い、プロとしての厳しさがそこにあるのです。
夕方になり、約3時間のスクールは終了。
娘に聞いたところ、浜にいた多くのセイラー達から、又、沖で走っていたセイラーの人達が平走しながら、「頑張れよ!」、「うまいね!」という言葉をかけて頂いたようです。 週末に続けてきている人も多く、昨日の流された事も知っている人もたくさんおり、それにも負けずに今日も出ている娘が珍しかったのだと思います。  娘はたくさんの人が声をかけてくれたことが、とても嬉しかったと後で言ってました。
広い三浦の浜に、子供は娘だけですから。 目立つのでしょう・・・・・
皆さんありがとうございました。

夕方道具をかたずけ、再びお礼を言いに、TEARSへ、ここでもみんなから誉められ、「明日のレースがんばってこいよ!」、と言っていただきました。 
本当にありがとうございます。

トレーラーに荷物を積み込み、今晩宿泊予定の逗子湾を目指します。
行く途中の車の中では、娘が将来なりたいという獣医の話をしました。

逗子湾はウインドサーフィンで有名ですが、駐車場が少なく、また家の大型車が入るところが余り無いのです。
そのため、昨年止めた駐車場の入り口のところに今夜は泊まる事にしました。
おやすみなさーい!


命がけのウインドサーフィン

2005年08月19日 | ウインドサーフィン 
朝9時半に家を出て、三浦についたのは午後1時半、渋滞は珍しい事ではありませんが。 しかし・・・・・・
到着後、早速セイルを張り、海に出ます。
ただ今日は娘と家内の道具のみで私の道具は出してません。
とにかくジャイブの成功率を高めない事には、スーパー8では勝てませんので、とにかく練習あるのみです。
何故か夏には珍しく、風があり、スピードは5-8mくらいでしょうか。
何度か沖と浜辺を往復し、果敢にもジャイブに挑みますが失敗、失敗又失敗。
ジャイブはウインドサーフィンの基本的ターンの一つですが、非常に難しく、
とにかく練習をし、私たちのようにサンデーセイラーでは取得するまで何年もかかるのは普通です。
セイルサイズは3.4ですが、体重が私の半分ですから、体重換算でセイルさいずは7近くにあたります。
周りのセイラーは5.5-7.0くらいを使用していますから。
走れない事は無いのですが、風が非常にガスティーで、ブローが入ったかと思うと次の瞬間抜けて全く無いに等しくなったり、走りずらい状態です。
他のセイラーもかなり苦労しているようです。
時間も夕方になり、さてそろそろ終わりにという所で、家内がお父さんと競争したらというので、私は家内の道具、を借りて、沖まで、ミニレース。
よーいドンで出たのはいいのですが、なんと私はスタート直後に落ちてしまい。
あわてて、再スタート、娘は早い早い、全く追いつきません。
とにかく風が不安定で、プレーニングまで行く前に風が落ちます。
体重半分の娘は同じ風でもいきなり加速し引き離していきます。 かなり沖まで来てしまい、そろそろ戻らないと危険な為に、大声でターンを指示、戻ろうとした時です、
突然10mオーバーのブローが連続して続き、他のセイラーがばたばたと倒れます、さらに私も5.0のセイルをコントロールするのが難しいほど、強風に変ってしまいました。 強烈な不安が頭をよぎります、やはりというか、娘はセイルをコントロールしきれなくなっています。
三浦はサイドクロスの風ですから、必ず浜には着きますが、沖までの距離を考えると、このまま流されると2,3キロ先の浜までは間違いなく流されます。
また所々にテトラポットの堤防が堤防があり、そこに巻き込まれると大怪我する事は間違いありません。
やばいという気持ちであせりますが、ウインドサーフィンは基本的に一人の乗り物、誰かが助けてくれるわけではありません。 自分しか頼る事は出来ないのを私も一人のセイラーですから嫌というほど解っています。 
娘の力をひたすら信じ、娘との距離が開かないように、私も同じように流されながら、娘を見守る事しか出来ません。
途中で、ベテランセイラーの人達が何人か、娘の近くまで来て、周回を始めました。 誰かが危険になれば、それを助けに他のセイラーが集まってくる。
ウインドサーフィンだけの持つ連帯感の特徴です。
心配して、見守ってくれているのですね。
娘はなんどもセイルを倒され、そのたびに水の中に叩き込まれ、それでもセイルをあげては、岸に向かって走ります。
体中に恐怖走っているのが少し離れたところにいる私にもわかります。
もう少しで岸までというところに来て、最悪の状態となりました。
娘のたどり着くであろう先にはテトラポット・・・・・
あそこに打ち付けられたら、ただではすみません。
風が強いせいで波もかなり高くなってきていますから、こちらもあせって先回りする為に、少しはなれたところに向かいます。
そのときテトラポットの上を他のセイラーが娘のほうにむかって渡っています。 先ほどの見守ってくれていたセイラーの一人でした。
丁度娘がテトラポットに着くのと同時に、そのセイラーも娘の所に着きました。
私は大急ぎで浜にボードをつけ、泳いでテトラポットに向かいます。
堤防の先端にたどり着くと、波が強く、登るのが非常に危険です。
先ほど助けにきってくれたセイラーもすでに足を切り、あちらこちらから血が出ています。 娘に先に戻れと言い、浜辺でテトラポットの上を渡らせます。
表情が恐怖で凍りつき、震えているのが解ります。
こわがって、歩けないでいるのを、私は「死にたいのか!」と怒鳴りつけます。
私も何とか登れるところを見つけ、波のタイミングを見はからい、テトラの上に上がると、さきに助けに来てくれたセイラーと話をして、ボードとセイルは風下の海に投げ込みその先の砂浜まで流す事にしました。
私が海に飛び込み、というか波で足元をさらわれ、落ちたので、そのまま投げ込まれたボードとセイルを引っ張り泳いで浜に上げました。
砂浜にあわててきた家内、娘、私の三人は何度も何度もお礼を言いました。
その方は、三浦にある艇庫”すずひろ”の店長さん、の鈴木さんという方です。
http://homepage2.nifty.com/suzuhiro/
 一緒にいた他のセイラーの方が教えてくれました。
とにかく危険を顧みず助けてくれた事にはひたすら感謝するしかありませんでした。 ほんとうにありがとうございました。
ボードとテトラで破れたセイルをあげ、3人でぼとぼと元の浜辺場でもどりましたが。
途中で山田プロがいて、声をかけてくれました、突然の強風で事故が無いか見守りに浜まで出ていたのです。
もちろん娘の流されていたのを知っていて、始めから終わりまで見守っていてくれたそうです。
何か有ればすぐにレスキュー艇を出して、救出に向かうウインドサーフィンシヨップの山田、香村、国枝の3プロと店のスタッフ、ためがいさんと中村さん。
このすぐ後、マストが折れたセイラーを救出する為に出動していました。
それぞれのシヨップの人達が安全を常に見守る、この津久井浜は、とても素晴らしいところです。
道具を全部方ずけ、TEARSに破れたセイルの修理の話で伺いました。
明後日のスーパー8までの修理は不可能との事、でも店で何とかしてあげるから、セイルを乾かしてあした朝、もう一度来てくださいといっていただきました。

風が涼しくなり、今日は津久井浜に泊まります。 駐車場からバーべキューの道具を浜に運び、家族だけでの焼肉。
浜辺の前に大きく上がった月と、そのつきの明かりが照らしだす。
輝く海を見ながら、今日の反省と、明日の話をして、過ごしました。
しかし、危なかった・・・・・・
 

青空

2005年08月19日 | ウインドサーフィン 

透き通るような青空です。
今日は休暇をもらいました。
21日行われるスーパー8(18歳以下の青少年を対象に行われるウインドサーフィンレース)にでるために、今日から三浦でミニ合宿です。
昨年はそれなりの成績だった娘ですが、今年はどうでしょうか?
運の良いことに風が期待できそうですが。
まだジャイブの失敗率が高く、なんとか成功率を高めなければなりません。
最低でも7月31日に参加した、中里プロのウインドキャンプでのレース成績くらいは欲しいのが親の欲目というか、わがままというか、何というか・・・・・
この3日間は、MRCのレベルアップコースに参加しているとき意外は、私と常にくっついて過ごさなければならない、甘ったれの娘。
直に訪れるはずの反抗期、彼女がどう変化していくのかは、親の私にもわかりません。 見えるようで、見えないのが親という立場だからです。

そんなわけで、多分月曜日まで日記はお休みです。


娘を穴に埋める

2005年08月18日 | 研究-教育・育児

今朝のニュースで流れていた、9歳の娘を躾といい、首まで地面に埋めていたという事件。
ニュース報道ですから、おもしろくなければいけませんので、どこまで本当のことを伝えているかはわかりませんが。
やっていたという事については、とりあえず事実のようです。
約束を守らなかったから暴力、言う事を聞かないから暴力、そしてそれが問題になると、「躾だった」と言う。
子供を育てる事は、人を育てるという事。
自分の思うとおりにならないからと、”鬱積された、自分の感情の捌け口”として、躾の名目で施される暴力。
履き違えてならないのは、身体に物理的攻撃を加えただけで、子供の心がよくなること等絶対にありえないということ。
人間は馬鹿ではありません、それは子供とて全く同じ。 ましてや、大人と異なり、素直な心のままで、しかも全力で開いた状態(無防備)で、それを受け止めるようになっているのが子供。
叱るという事一つを取っても、それを受け止める子供は、五感から始まり、もてる全ての感覚をふるに稼動させて、叱る側の気持ちを読み取ろうとします。
故に、叱る側の心に空白有れば、子供には空白のみ伝わるに留まり、本当の気持ちがこもれば、子供にも本当の気持ちが伝わります。
時折、「自分は子供をおさないころから、厳しく育ててきた。」、なのに「子供が窃盗を繰り返すようになってしまった・・・」そういうお母さん、お父さんがおられますが。
その厳しさ、本当に子供の幸せを考えて、しかも心を込めての厳しさだったのか、もう一度考えてみる必要があるかと思います。
まず自分ありき、この可愛い自分の、体裁の為の厳しさではなかったか? 人前で、”自分の子供はこんなにうまく躾られているのだ”と、見せる為の厳しさではなかったか?

これではいくら厳しく育てたところで、人として一番重要な部分である。
愛情を育てる事にならず、形だけの厳しさは、常に親の本当の姿(人)を求めていた、と考える必要があると私は思うのです。 
自分が不快感を覚えたら、そのまま包みかくさず、子供を叱れという言葉の意味は。
人(親)としての感情(心)をそのまま伝えよという意味で、まず子供があり、そしてそれを見守る親がいる、極めて単純だけど、一番自然でシンプルな姿に帰結しているのだと、私は思うのです。

自分が不快感をおぼえたらの、不快感は、なんら子供と関係の無いところで、引き起こされるストレスや、抑圧等。 単に自分自身の行動と、考え方の誤りから引き起こされる、不快感を、子供を思う為の不快感と勘違いしたり、摩り替えて引き起こされる不快感ではないのだと。


御巣高山

2005年08月17日 | 僕という人間 その他

この季節になると、かならずと云ってよいほど、テレビ等で御巣高山に墜落した、飛行機事故の追悼報道が流れます。 

この報道を聞くたびに、私にはどうしても忘れられない友人との出来事を思い出します。

事故当時、私は軍の施設の外注仕事を引き受けていた会社で働いていましたが、まだぺいぺい。

仕事の何たるかもよく理解しておらず、責任感も無いような年齢でした。 

最も、生意気にも結婚はしておりまして、丁度このときは夏休みをもらい、小笠原諸島の父島に家内と遊びに行ってたのですが、夕方、民宿で食事中にJALの事故報道を聞いたのです。

自分のことだけで忙しい年齢でも有りましたから、気にはなっていたのですが、
報道で伝わるのを受け止めるだけの範囲でしかなかったのです。

そんな私に、あらゆる面で考えさせられる出来事がありました。

夏休みが終わり、まだバカンス気分で職場に戻り、届ける書類と土産話をもって、友人のいる軍の事務所を訪れたのですが。

顔を出した私を見て、彼が突然つかつかと歩み寄り、「なんで日本政府はGOをださなかったんだ!」とかなり激しい口調で言われました。


私は何の事か分からず、あたふたしましたが、続けて彼が言ったのは。
「この基地内の全ての兵が緊急展開する為に準備を行い、全ての飛行機、空挺チーム、ヘリはエンジンをかけ、後は出るだけだったんだ!

日本中に散らばる全ての基地が支援をする為に動き出し、総力をあげて事故に遭われた人達を助けようとしていたのに、なぜGOといってくれなかったのだ?」、

「我々はこの国の人達の為に来ているのに、なぜ、助けようとするとお前達の国はいつもNOというのだ?」と激しく言い寄られました。


10歳年上の青い目をもつ友人は、それを言い切ると少し落ち着き、再度こういいました「人の命を救うのに、国も法律もない、互いの気持ちだけでいいじゃないか?」、「我々は戦争をする為だけに存在しているのではない」、「私には、この国のそう言うところが理解できない」と。

それが御巣高山の事故のことを言っていたのだと気づいたのは、其のすぐ後でした。 

日本人の友達が私しかいなかった彼には、怒りをぶつけるところが無く、私に向いてしまったのだと思います。

人の命より、省庁の縄張りだ、プライドだ、法律がどうのこうのだとかという言わば表面的なことだけに固執し、一番肝心な事がなおざりになるという体質。 

教育問題でも常に人のせいで、誰かが解決してくれると思っている体質。 20年も前と今、何ら変ってない事を痛感させられます。

あの時GOがでて、全米軍が救出に向かっていたなら。 軍のレーダーは墜落地点を間違いなく補足していたはずですから、15分もかからずに医療チームが展開できていたはずなのです。 

また故障して迷走する飛行機を追跡して戦闘機がサポートをおこなう事も出来たはず。
最終的に数十人、いやもっと多くの人命が救われたかもしれない・・・。

小物が大きな顔をして支配しているこの国、もしあの時大物が長としていたなら、管轄省庁の長が別の人間だったら。
後で問題になる事等恐れず、人の命を一番として選択していたらと私は思うのです。


現在、その彼は日本人の奥さんをもらい、本国の田舎に帰り、広大な農場を経営しています。
彼には同じ透き通るような青い目の娘さんがおり。
一度たずねたとき、「将来俺の息子の嫁にどうだ?」と冗談を言ったのを思い出します。
私の若き日の思い出のひとつです。


息子は?

2005年08月16日 | Weblog

さて、木崎湖の合宿から帰って、もう2週間が過ぎました。
息子は7日から再び合宿へ行ってます。
え!再入校ですかって?   「違いますよー!」 (^▽^)/

規律の有る生活を自ら望んで行ったのです。 昨年の夏休み、無駄に時間を過ごしてしまった事(というか、それが普通の高校生なんだけど)が、彼自身の中に余りよい記憶として残っていなかった様です。
よく行く三浦海岸も、多くのセイラーが訪れますが、息子ほどの年齢で走っている子はいません。
MRCの香村プロ(本当に素晴らしい方です、いつもありがとうございます)が眼をかけてくださっていますが、やはり、自分と同じくらいの年齢の子達と走るほうが楽しいようです。

息子はウインドだけが出来る夏休みを送りたかったようですが、こちらも仕事がありますし、思うようには行きません。

大学生になれば、出来るバイトの範囲も広がりますし、車の免許も有りますから、今より格段に行動範囲がひろがりますのでそれも可能かと思います(元非行少年で、下手に行動力がある分、多分一夏帰ってこないだろうなー・・・)が、今はまだ無理です。


息子は合宿生活をしていた時の方が、毎日が充実していたとよく言います。
脱走する子が多い厳しさが、彼には平気なようで、 私は時折不思議な気持ちになります。

今年、高校二年、一年飛ばして大学受験に挑む? 彼にとって、自分自身を再度引き締めなおすという目的も含んでの合宿生活。

卒業生として、今いる子供達に先輩としてよい影響をもたらしてくれることを、親として願わずにはいられません。