帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

PV GReeeeN 遥か

2010年01月31日 | Weblog
PV GReeeeN 遥か


もうじき卒業の季節がやってきますね、可愛いわが子の姿を残そうと、親はみんな最新のテクノロジーを注ぎ込んだカメラを手にします。

どの家庭にもある普通の話ですが、今日はGReeeeNの遥かに絡めて話をしてみます。

結構有名な曲、そして有名なPVですからすでに皆さん知っているかと思いますが、

この曲に合わせた?プロモ映像のなかには古い8mm映写機が出てきます。

父親ってこうした存在なのでは?と自分は思うわけです。

僕が子供だった頃、まだ8mm撮影機、そして映写機は現役でした、動かない写真とは異なり、家族の皆が動きのある映像として残る。

それに不思議な憧れ(うちは貧乏でしたから買えませんでしたけど)をもっていたことが今でも鮮明な記憶となって残っています。

自分が技術系の道へと進んだのも、当時の真空管をはじめとした、いかにも命を感じさせてくれるこれらの物たちの存在があったわけです。

当時の映写機は、「カシャカシャカシャ・・・」とその音はあくまでも軽くて、でも精密で
重量は重く、がっしりとした躯体に動作中のランプ排熱、

やたらと頑固だったわけです。


僕はそれに憧れを持って成長しました。

やがて自分が成長し、親になって初めて手にしたのはフィルムを使わないVHCビデオカメラそしてデッキ。

当然にうちの子たちが僕とともに見てきたのはでかくて重いそれらではなく、軽くて遥かに性能のよいそれらです。

この子達が成長し、結婚して子を撮影するのは、さらに軽くて美しい絵がとれる高性能ディジタルカメラになるわけですが、

でも・・・・、いくら技術が進んでもけして変わらないものがある。

それが家族と、それを結ぶ心。

映像機器の歴史は人の歴史、すなわち心をどう忠実に再現するかという歴史でもあり。

それはフィルムとランプであろうがディジタルメモリーであろうが、過去から未来まで変わる事がない。

僕にとっての親父はまさに武骨な8mmであり、息子にとってぼくのイメージはおそらくコンパクトビデオ。

孫にとって父(息子)はメモリーカードになるのだろうけど、

このプロモに出てくる親父さんの姿はまさに一昔前の男で日本人。

けして息子に敗北しない、でも心の中は常に自分を越え、徹底的に打ち負かしていく事を望んでいる。

僕もそんな心意気を親から受け継いでいるだろうか?とこのPVを見て思う。

そんな僕に育てられた息子も、やがては自分の子に僕と同じ思いを抱くのだろうけれど、

それは親父が持っていたものと変わらないだろう。

時代の変化とともにひっそりと姿をけしていった8mm映写機、その重くて不器用な姿の中に、いまでも変わることなき人の心は未来に向かって続けるのだと、そう思うのです・・・






バッテリーあがり

2010年01月27日 | Weblog
久々に車通勤とばかりエンジンをかけようとしたら、「れれ?」

あがっている・・・・(--;)「おおお・・・」



そういえばこの車を購入した際、チェックした車検証の中にバッテリの保障証が入っていたのを思い出した。

購入日が2006年の夏になっていたが、ということは約3年半で寿命が尽きたということ。

たいてい4年というバッテリーの寿命を考えれば仕方のないこと。

動かないのなら仕方なく、車からバイクに変更して通勤したけど、帰宅後新しいバッテリーを購入。

といってもうちの車クラスだと車屋で2万5千円くらい、ホームセンターで1万8千円前後、と財布が常にさびしい僕に払えるはずもなく、

「ここは当然ヤフオクでしょ!」 (^^)b 「ピ!」


早速調べると有りましたね~5800円という破格新品バッテリーが、当然ユアサやGSなんていう一流ブランドじゃない、得体のしれない輸入ブランド。

「信頼性はどうかって?」 ハイ、こうした得体のしれないバッテリーは以前からバイクに積まれて現在も問題なく動いているというのが自分の経験している事実。

普通の感覚だと2万5千円で4年か、5800円で1年かという感じだと思いますが、今までの経験からこんなバッテリーでもほぼ間違いなく3年は持つことがわかっている、

時折ある初期不良品に引っかからない限り、性能的にも日本製と変わりないなら僕はこちらをつかいます。







輝きと終焉

2010年01月24日 | Weblog
22日に行われた入試、特に問題なくそれに通過(合格)して上機嫌の娘。

入試会場で早速4人の友達が出来たとかで、「早く行きたい!」なんて騒いでいます。

「いいよな~」 (^^) と悩みなんか無かった自分の青春時代を思い出しますが、

春到来ということです。


ところがもう一方、23日の早朝に突然の電話、自分が幼かったころに大変かわいがってくれた伯父さんが亡くなったとの連絡。

骨のガンで2年間闘い、弱くなった骨が折れる痛みとの闘いで迎えた最後は大量の痛み止め
投与によって眠るようだったとのことでした。

化粧された顔を見た僕は、忘れていたはずの思い出がいっせいに頭の中に噴出して駆け巡り、予想外の涙を見せてしまいました。

大人になってからほとんど交流はありませんでした、うちの娘の顔をも知らない事から、一緒に行って送らせていただきました。

梅のはなが咲き始める季節、人生の輝きと終焉、すぐそこまで来ている春はいろいろな思いを僕にもたらしてくれたようです。





冬から春の節目

2010年01月20日 | バイク
毎日バイクで通勤をしていると、季節の節目というものをよく感じます。

とくに冬から春への変化というのは、本当に解りやすく、

年明けから16日までがとにかく最悪の寒さで、指は血が通わなくなるし、
全身冷え切るし・・・・と何といっても年末からこの日までが一番つらい。


ところが不思議な事に、この16日を境として突然気温が上がるのですね。

この前後が明確な境となって、以降春の足音が聞こえてくる。

朝バイクを出して深呼吸を一つすると、大気の中に含まれている水の香りが感じられ、
同時に胸一杯に広がる不思議な感覚。

これを感じると「いよいよ春だな・・・」となるわけです。

さて、次に節目が来るのはその10日後の26日。

この日を境に朝のキーンとした張りつめが薄らぎ、寒いけど、なんか違うぞ・・・

という感じになる。

実際、この26日頃を境として三寒四温が開始され、以降、雪の痕跡を時々残しつつ一気に

春めきながら桜の季節へと走っていくわけだが、

その途中で春一番が訪れ、冬将軍が撤退すると大気中に有った水の香りは温かい大地の香り
へと変化。

それと同時にあらゆる緑が夏を目指していっせいに芽吹く。

こうした変化の季節を肌で感じつつ通勤するわけですが、こうした物を感じられるのは
やはりバイクという体がむき出しの乗り物がもたらしてくれる恩恵でもある訳だけど、

自然の厳しさを感じられるからこそ、自然の優しさも感じられる。

人である自分がそう感じることを、動物達も同じように感じ取っているのだろうか?

なんて、オレンジと青の境目に光る朝の星達を見て思うのです。



僕の好きな曲 作曲はベートーベン 「Sailinng my life」

2010年01月18日 | Weblog
【PV】 平原綾香&藤澤ノリマサ 『Sailing my life』 (Movie Version)



今日は僕の好きな曲を一つ・・・

僕の人生を変えてくれた海に感謝!  でも、こう書くときっとキザでとんでもなく嫌なやつだ!なんてみんな思うでしょうね。

実際たいしたこと無い人間です、僕なんて (^^)へへ 


今日は歌詞を聴いて、一人の父親として娘を育ててきた思い出の言葉を思い出しながらこの曲を解釈してみました。

歌詞は聞き取ったものを基にしていますが、この曲はお父さんと息子もしくは娘との何気ない、でもとても大切な言葉が基になっていると僕は思っています。

なぜなら、自分を左右する選択を迫られたとき、そこにあったのが常に親の思いだった、という自分の体験を基本としています。

皆さんはこの曲を聴いてどう思われるでしょうか・・・






Sailing My Life
(子の言葉:生きる事って何?)

旅の途中
(子の言葉:生きるってどういうこと?)。

僕が生まれた訳を教えて
(子の言葉:人って何? 命って何?)。



深い海の底で 数え切れない 鼓動が聞こえる。 
(父親の言葉:人の命は理屈じゃない、すべては可能性から生まれるのだよ)。

たった一つの奇跡 この命がある。 
(父親の言葉:たった一つの愛、それがおまえに命をさずけたのだよ)。



ねえ、 この先には何が待っているだろう?
(子の言葉:ねえお父さん、僕(私)はこれからどう生きていくの?)



終わりを恐れないで、苦しいときほど 信じることさ。
(父親の言葉:未来を恐れないでおくれ、どんな時代でもお前はお父さんとお母さんの愛の力で生まれてきたのだと、自分を信じるんだ・・・)



瑠色の水平線、あの向こうにも海は続いている。
(父親の言葉:美しい未来も、けして避けられない困難、苦しみは必ず有る、人生とはそうしたものだ) 



ほんの小さな、迷いにとらわれるには、この時間は短すぎるから。
(子の言葉:小さな事で悩んだり、くじけてはいけないんだね、生きていることに感謝して、毎日の幸せをを大切にするという事だよね・・・・
父親の言葉:その通りだ。)



Sailing My life (生きる事って?)

陽は昇るよ
(どんな時(時代)でも希望は常にあるから)

僕の描いた夢へ漕ぎだそう
(自分を信じて生きてゆけばいいんだね・・・)

悲しみにくじけないで。
(どんなつらいことが遭ってもくじけず)

いつか全てがきっと解るから・・・
(子の言葉:僕もやがては人を愛することを知るのだね・・・
(父親の言葉:お前もやがて親となり、愛する子に命を教えるのだから)

僕のかわりどこにもいないから。
(子の言葉:世界でたった一つの尊いもの、それが命なんだね)
(親の言葉:世界でたった一つの尊いもの、それがお前なのだから)

Sailing my life



ブログ記事削除の件

2010年01月16日 | 僕という人間 その他
この日記は基本的に政治に絡んだ事は出来る限り書かないようにしています。

ただ、最近はそうも言ってられない事が多く、わりと題材として取り上げてはいますが

ポリシーを完全に変えるまで至ってはいない為、書いたとしても有る程度時間が経過後に、

削除する事にしました。


受験勉強が無いって幸せ?それとも・・・

2010年01月15日 | 研究-教育・育児
この時期、あせって勉強しているのが受験生。

娘の中学も多分に漏れずに大変な様子で、そのなかで一人だけのほほんとしているのが家の娘。

進学希望の高校は私立校であり、成績は推薦より上にある他、校長推薦やらこれまでのスポーツ実績等のおかげですでに内定?(確定)と言ってよい状況。

犯罪等、よほどの事でもやらない限りはOUTにならないわけですが、娘の受験は”自分の希望する物がそこにあるか?”という事を基本とし、

有名校であるとか偏差値が高いとかという事とは全く無縁で、進路は自分で全て調べて一人で決めました。

普通なら少しでも良いところへ(レベルの高いところ?)に入ろうとするわけですが、そうした事には一切流されず、自分の目で見て、

そこの生徒や先生と直に話をして、文化祭や学校開放日に幾度も足を運んで決めたそうです。

思えば「大好きなウインドが出来なくなるから」と、学年でたった一人だけ部活に入らなかった中学一年生時代。

さらに、ほとんどの子達が塾へ通う中で、家の娘だけは自分でやるのだと言っていた・・・

当然はじめの成績は惨憺たるもので、ビリから数える方が早い(笑)、ただ、数学に関しては最も重要な部分に関して僕が徹底して叩き込んだので悪くは無かった。

部活をやるのが普通という風潮の中、どちらかというとつまはじきにされた毎日、試験テクニックを教えてくれる塾の恩恵も受けない娘にとっては、この一年間は大変だったようです。

やがて2年生となり、この頃から多くの子達は入学当初の緊張感をなくして、いわゆる中弛みとなります。

部活を辞める子達がだんだん出始め(親の計略?によって刷り込まれえた”部活は楽しい”と言う受験目的の効力が当然に切れ始めます。 注:本当に好きな子もいます)、ついで無理矢理勉強させられている子達(前述と同じく親の洗脳効力が薄れる)も出始めます。
いわゆる塾へ通うが全く頭に入らない状態が起きてくる。

一方、家の娘は?といえば、自分なりの勉強方法はいまだ確立できず、運良く?他の子達が落ちてきたおかげで?中くらいまで自然に上昇(再笑)。

ただ、僕自身、娘が勉強している姿を見るのは試験前のほんの一時だけで、普段は遊びまくりの毎日。

「ホッホッホッホ」、「マロまろも全く同じじゃったぞ~!」(^^)V ピース!

そして最終学年である3年生、なぜか知らんが勉強している姿を見る時間が増え、その一方で相変わらず”部活クソ食らえ!”の我が娘。

ただ、塾に通わなかったこの3年間にそれなりの苦しさをを経験した事が自分なりの勉強法を確立させたようで、特に2学期の勉強は半端じゃなかった。

成績は一気に上位に入るまで上昇、特に数学と国語、英語の伸びは過去2年間の遅れを一気に取り戻す物で、それはすべて自分の目で見て決めた学校に入りるという目標有ってこそのもの。

部活はやらずとも、小学校から積み重ねてきたウインドの実績はトロフィーの山。

部活をやらなかったと言うだけで、どちらかというと阻害されていた感じのある娘も、初めから最後までやり通した結果というのはやはり絶対であり、それがすっかり先生方を味方につけることになりました。

そしてここに来て、娘が選んだのは少し変わった私立高校、偏差値的には普通より少し上くらい、ただ半端じゃない数の大学から指定校推薦を受ける、これまた嘘のように大学進学率の高い、

でも非常に普通が通用しない?という極めて異色の高校。

「なんでここなんだ?」と聞くも、「勉強重視ではないから」と答える娘。

「ふーん・・・」と僕は思うけれど、どこへ行こうが全く関係ない僕にとって、それ以上は話が続かない。

「俺にとっちや関係ね~事!」ただ、学費だけは何としてでも出す。


そんな変わった我が愛娘ですが、たった今縄跳びで数千回の自主トレに向かった。

誰にやれと言われた訳でもなく、自分が必要と思えばやる癖がある?

幼い頃からほとんど褒めた事が無く、叱る事は当たり前、そして幾度もくらわしたビンタ。

でも、いかに自分が忙しくとも娘が話しかけてきた時は、最後まで話につきあった・・・。


今年の春には高校一年生。

この先の数年間をもって基本的人格は完成を迎える、「親としてその難しい時間にどうつきあえるだろうか?」

そう自問自答する自分も今、ここにある。

特別ではなく、あくまでも普通の子であってもらいたい・・・・





そう僕は願う。






一人々・・・・

2010年01月15日 | Weblog
自分の仕事はそれなりに多くの人達と接します。

そのなかで何が一番嫌かというなら、人が亡くなった話です。

今回も自分の知っている人で、といっても人生の先輩であり、定年までまだ3年もあった。

原因は心筋梗塞で、週末まで元気だったとのこと・・・・

「人の命ってなんだろう?」 そう考えてしまうことが最近多い。

職場関係だけでこの3年間に3人、それ以外では幾人も、運良く助かった人もいて、

年齢が増していくという事は人を見送る機会が増えるという事そのものであり、

死ぬ事なんて考えもしなかった時代に戻りたい・・・・なんて久々に思う僕でした。


風邪をひいていた?

2010年01月15日 | Weblog
水曜日の夜中2時半頃に起きた僕、喉が焼けるような痛さで、「やられた!」と思わけですが、とりあず朝まで寝ようと布団の中で何度も寝返り。

そこにきてさらに、何とも言えない胸焼けのようなというか・・・・

結局目が覚めてしまって下のリビングへと降り、ノドヌールスプレーなる物をシュッシュ!

さすがにバイクはやばそうなので今日は車で通勤ですが、
結局喉の痛みはほとんど治まらず夕飯後早々の就寝。

ところがその日の夜、というか時は木曜ですが3時ころ腹痛で起床、簡単に言うと下痢がひどく、不幸な事にそれは丸一日続きまして、かわりに喉の痛みは収束していた。

この後一日何回もトイレに行かされる・・・・。

昨晩は「明日こそ元気になれ」と願いを込めて寝たわけですが、起床時にはほぼ90%復活、それが自分でも分かる。

「おっしゃー!」と気合いをいれて、でも一応怖いので今日も車。

*本音:水道管が凍結しかかった位寒かったのでメゲタ (^^;)へへ

喉OK!、お腹OK!、体調OK!の一日ですが、なんか目がかゆくてくしゃみが出る。

「オイオイこれって花粉症か~?」 (ーー)

ってまだ早すぎるか  (^^)

OSインストールで修理完了

2010年01月09日 | Weblog
今日は休みなので、当然朝から作業。
まずCHECKDISKでハードディスクを調べると、問題はない。

しばらく考えて、ハードディスクのコネクタ部分に問題はない事はすでに確認済みですから、後はOSをインストールして様子を見てみる事に決定。

そこで「どうせやるなら」とWindows7をインストールしてみる事にしました。

作業する事数時間・・・

さて起動された画面からデバイスマネージャをみると、二つばかり!マークが付いている、たぶん一つはSCSI関連で、もう一つはモデム?不明。

別に使わない物なのでこれが動作せずとも全く困らないので、この二つは無視します。

アップデートを全て完了してもう一度デバイスを確認するとやはり!が二ついている、その状態でさらにあらゆるテストすること数時間。

エラーどころか快調そのもの(^^)

これで、全作業完了となりましたが、このまま認証する訳にはいかないので新たにOSを入手し、その他必要ソフト入れれば全て完了です。

 「よかった~!」(^^)V


昨日の続き(ジャンク再生)

2010年01月08日 | Weblog
何故か夜中の2時半に目が覚め、それから眠れないので、昨日の続きをやる事にした。

キーが取れてしまった部分をよく見ると機械式のパンタグラフ部品が一部欠けている。

出来る限り修理にお金をかけないのがポリシーなのですが、修理が難しいのでヤフオクを見ると新品で5000円くらい。  

げげ!高い  (00;)

しかし、この中古パソコンの元持ち主はほとんどキーボードに触らない人だったようで、ほぼ新品。

そこで何とか直そうとキーボード本体に細工を加えました。

方法は簡単、パンタグラフ部品を押さえている金具をラジオペンチで90度横に折り曲げて無理矢理押さえてしまうという方法。

当然に取り付けは無理矢理行いますので、これでプラスチックのパンタグラフが折れれば完全に5000円は要りようとなります。

「おりゃ!」とか言いつつ精密ドライバとペンチ、&指で押さえ込みながらやると
ぱちんと音がして固定完了。

上からキーを乗せて押すとこれまたパチンと音がして固定された。

そのあと、しばらくキーをたたき続けて使用に支障ない事確認。

運良く取れていたキーがほとんど使わない物であった為にこれで万が一壊れれば今度は本当に交換となります。

次はガタガタのヒンジ部分ですが、これはディスプレイ部をばらさねば直らない。

この作業が嫌なわけですが、何とか取り外して分解すると、なんと欠陥構造。

簡単に言うと、フレームとヒンジをつなぐ部分に金属部品が使われており、それがスポット溶接されており、ヒンジの番いそのものがディスプレイが勝手に閉まらないようにかなり動きが固いために、この溶接部分にストレスが加わり折れてしまったわけです。

原因が分かれば簡単な物で、これをそっくり交換すればよいのだけど、構造が構造だからまたすぐに壊れるのは容易に分かる。

そこで、多少格好は悪いが、この溶接部分をしっかりしたネジで固定してしまえば良いわけで、もしネジが折れても交換すれば済む事。

さてこの時点ですでに朝ご飯。

その後、ばらした部品をもって職場に到着した僕、昼休みをまってボール盤とタップ片手にねじ切り完了。 その辺にあったネジを使用してあっさり修理完了となりました。


さて帰宅後、本体とディスプレイ部を接続してカバー類など含めてすべてくみ上げ完了となりました。

後はエラー連発を何とかしなくては・・・・

ジャンクパソコン再生、その2 Dual Core

2010年01月07日 | Weblog
よせばいいのに、またまた買ってしまったジャンク(破損&不動品)

一度味を占めると何度でも快感を得たくなる物でして・・・・(^^;)汗

今度の獲物?はDellのInsparon 6400 Dual CoreのT5500を乗せるそれなりのスペックノート。

店内に有ったのは値段25000円で不具合多数と記載されていた。

まず、ヒンジ部が壊れてガタガタ、開けるとガキッ!てな感じでディスプレイ部がへなへなして今にも根本から折れそう。

さらにDVD書き込み機能をもつドライブが完全に死んでいるとなっている。

電源を入れると立ち上がるが、エラー連発で、留めにキーの一つが壊れて取れている。

「これで修理できねば25000円が飛んでしまう・・・・」

実は家内が職場で使用しているパソコンがすでに時代遅れの物(PⅢ800)となりつつあり、ディスクトップ機でもある事から何かトラブルがあると自宅に持ち帰るのを嫌がりこちらが行かされてしまう事これまで幾多あり。

本人も自宅に持ち帰って仕事したい時もあるという事が多かったのですが、まだ正常に機能している限りは出来るだけ使ってもらっていたわけですが、

新品など買えませんから、中古で出来るだけ最新のスペックに近い物を手に入れなければならず、それがたまたま今回見つかった。

「そろそろ考えねば」なんてですが、正直なところ、それをいい訳にこのボロを衝動買いしてしまいました。

自宅に持ち帰って早速ばらしていたところ、少し遅れて家内が帰宅、普段からごそごそ何かやっている僕の姿に見慣れてはいるものの、いつもよりコソコソやっているのせいか、

視線が厳しい。 (^^;)再び汗

「愛する妻よおまえの為だ!」なんてよく分からない事を頭で考えつつノートパソコンをすっかり分解バラバラに。

出来る限り清掃を加えてまずは基盤を調べるが焼けやプリント配線クラック等は見つからない。

買うときにBIOSを確認していたので、これで一応マザーボードは大丈夫と推定。

さて、不動となっているドライブの問題ですが、基盤には問題が見あたらない、「うむむ????」 (ーー;)

これってもしかして?と、ドライブの差し込まれるコネクタ部分を清掃して本体組み直し、ドライブ自体の差し込みも綺麗に清掃、全体を仮組みしてもう一度起動させるとBIOSできちんと認識している。

「オオー!ラッキー!」単に接続部が汚れていただけの話でした。

さて次はおかしなエラー連発のOSですが、相変わらずエラー出しまくり。

と、この時点で眠くなり、明日の課題として今日の作業は終わり。



世界一弱っちい日本の男(すわってオシッコだと)

2010年01月06日 | 研究-教育・育児
昨年の秋頃の話しになりますが、テレビ番組を見ていた娘が突然怒り出した。

近くでパソコン画面を見ていた僕は「なんだ? なんだ?」となったわけですが、
その内容というのが、

“日本の男”は小便するとき座ってやるというもの。

何でも、世界の中で女性と同じように便座に座ってやるのは、

世界広といえども”唯一日本だけのオリジナル文化”だそうだ。

全員というわけではないそうだが、ほぼ40%?(本当か?)の男は家では座ってするとのことで、

この話で娘が多少切れ状態なわけですが、結構激しい口調で「おかしいんじゃないの?」と言っていた。

そこで、「男がおかしいのか?」、「それを強制する女性(妻)がおかしいのか?」と聞いてみたところ。

結構はっきりと答えが返ってきた、ただ他の話もあって長いので要約すると。

・小便自体にばい菌はいない。(これは以前僕が娘に教えました、常識だと思いますが)

・ポツリヌス菌だ何だの事は、不衛生な状態を放置しておくから起こる(保険の授業より)。

・トレイは当然に汚れるものであり、だからこそこまめに掃除ところである。

・女性がトイレ掃除するのは至極当然?の事であり、単なる怠慢(汚いという意識自体が根本的におかしい)を基に、
性差を無視して男性(特に夫)にごり押しするは、甘えを通り越して日本の恥。

・怠慢中心のゴリ押しになぜ男性が平然と従うのか?それそのものがもっとおかしい。

ということらしい・・・。

他には用を足した後、便座を降ろそうが上げようが、蓋を閉めようがしまいが、そんな事どうでも良い事とも言っていた。

面白そうだったので僕もそこから先を見ていたのですが、この番組ではさらにおかしなことをやらかしていた。

本来タイル張りでバスルームと一体の部屋に設置するヨーロッパやアメリカで使用される便器(海外に行った経験のある方は分かるかと思います)を実験材料として使っていたのですが、

陶器製の丸い外周部分に飛び撥ねを見るための紙をのせて、さらに不自然に水面を高い状態にして、しかも陶器と水面の丁度境の処に水を噴射している(陶器面に出来るだけ垂直)、

「とうぜん撥ねるわな~こりゃ。」  (--”)

結果、「ほらみたことか!いかに小便が飛び散っているか見てみろ!」という演出ですが、いうなれば“やらせ”実験をテレビで垂れ流していたわけだ。

その結果はみごと紙の上に飛び跳ね後が残り、ほらこれだけトイレが汚れるのだと番組は証明?。

当然ですが、この実験をみていた僕と娘は思いっきりしらけてしまった。


”すこし頭の良い人間”ならすぐにこんなものは“やらせ”だと分かるのですが、何も考えずに見ているとそういう物なのとなってしまうだろう。

日本の家庭で使用されている洋式便器はTOTOやINAX等を代表としたメーカですが、こうした国内メーカーは非常に優れた設計と実験を繰り返しており、普通の人間が普通に小便をしても周辺に飛び散らないように深さや内部傾斜の角度、水面の高さきちんと設計されています。

問題なのはこうしたメーカの苦労と設計者をバカにするような捏造データを公的電波に乗せて放映していること。

しかしながらも、撥ねたところでそれがなんなのだ?と僕は思うわけですが、

実際にこうした国内の優秀メーカと異なり、ヨーロッパ製の便器は本来の設置場所を多くはバス室と一体の部屋に設置されることを前提にしてあり、汚れればジャバジャバと水をかけて全体を丸洗いする事から日本と根本的に設計視点が違っている。

そうした点からさほ飛び撥ねを気にしていないし、トイレとして個室に設置する場合にはきちんとそれようのものを使います。

こうしたやらせ&捏造番組放映して男を小便で座らせ、世界中の笑いものにすることでテレビ局は何が楽しいのか自分にはさっぱりわかりません。

ちなみに家では、息子も僕も絶対に座って小便はしません。

強制されれば多分大暴れします。 それで離婚になっても後悔は全くしないでしょう。

そんな“くだらない”女性を伴侶にして一生をすごす気など毛頭有りませんから。

以前のWEB日記から継続してこのブログを読んでくれている人は知っていると思いますが、僕の家庭では昔からトイレ掃除が娘の仕事となっています。

最低でも必ず週に一度は家族全員で家の掃除をしますが、特に土曜日の朝が多く、当然のことですが、娘がとりかかる少し前には僕や息子がトイレを使用しています。

その娘からの言葉が、冒頭に書いたものです。

ちなみに「小便直後に撥ね後がたくさん有る?」と聞くと「見たことないけど」とあっさり言い切ります。

常に便器周りをきれいにしていると、陶器面は常につるつるの状態で、便座を上げて用を足しているわけだから飛び散ればすぐに分かるとの事、残念ながら家のトイレはテレビの実験とは大きく異なるようだ。

常に掃除をしている娘はテレビの”やらせ”に気が付いて切れていたわけですが、

ほかにこんな事も言っていた、「今までそうした痕はあったかもしれないけど、それならきれいに掃除をすればよいだけの事」、
「男性が立ってやろうがなんら問題にもならず、掃除すればよいだけの事!」と。

トイレ掃除を娘の仕事にしたのは僕、掃除の仕方を教えたのも僕、長年の使用でどうしてもついてしまう水面の境やその下に付く水垢をクレンザー付けたスポンジで直接手を突っ込み洗う事を教えたりしましたが、

何でもそうですが、使用すれば車だろうが、トイレだろうか汚れるのは当たり前。

はじめは娘も掃除を嫌がったのは間違いないけれど、
人間の成長というのは嫌な事を乗り越えてそれをどう前向きの姿勢へと転換できるかにあると僕は思っている。

こうした家の教育を受けてきた娘にとってトイレ掃除は苦でもなんでもないものであり、部屋の掃除機かけと全く同じ事らしい。

ちなみにこうした要求を平然とする女性のキッチンを見てみたい、当然の事ながら性差を無視して無理やり強制するくらいだから、そうとう自分を律しているだろうからシンクの隅から隅まで常にぴかぴかに磨き上げられているだろうし、換気扇もぴかぴかで、よもや排水溝の屑籠にごみなんか一切溜まったりなどしていないはずだ。

肉や魚等の生ものはじめ食べ残しゴミまで扱うキッチンはトイレなんぞより数千倍不衛生で恐ろしい環境であり、トイレの座り強制してキッチンに食べ物かすなんか付いているようでは、本末転倒だ。

まあ、やらせ実験の悪質さにも驚いたが、座ってやらされている男性の多さにもあきれる、

立つか座るかという“たかが”の事だけど、こうした事を一つ一つ崩していけば、父親も母親という考えもなくなり、男性女性という考えもなくなって、最後に残るのはやたら女性化した男(女性は本能の問題で男性化しません)だらけの、世界一弱っちい国に成り下がるということ。

いやそれでさえ中国の新聞に日本の男性はブラジャーを着けていると大きく報道されている今の日本。

男らしさ、女らしさを非常に重視する欧米の若者に普段接している自分からみると、渋谷あたりを歩く若い男の子がオカマとゲイばかりに見えるのは幻だろうか?


デジカメが見つかった & 太陽黒点と寒波

2010年01月04日 | Weblog
書き忘れていたのですが、このブログで愛用のデジカメを無くした話をしたと思います。

ところが無くしたと思い込んでいたカメラが出てきました。 (^^)V

というか、一緒にいた他の人が、ぽつんと取り残されていたカメラを見つけて、知り合いまで届けてくれたのですね。

ほっと安心しましたが、内心はハイビジョン動画撮影可能なデジカメを手に入れるチャンス(こうでもないと家内の許可が降りませんから)とも考えていたので、少し残念な気もしないではない・・・・・(^^;)

とりあえず面倒な?携帯カメラ撮影とはおさらばになりましたので、すなおに良かったと喜びましょう。

話は変わりますが、この冬は暖かいと言われてますが、本当にそうなのでしょうか?

バイクで通勤する自分にとってこの季節は歯を食いしばるのが普通、ところが今年はその日数が確かに少ない。

地球寒冷化の特徴は一年を通して気温が平均化しながら全体の温度が下がっていくわけですが、

2002年頃から地球気温の上昇は停止し、それどころか2005年を一時的ピークとして以降は劇的に下がり続けています。

その直接の原因は太陽活動ですが、この太陽さんが元気なくなると地球全体を覆う大気の気象活動も弱くなるために

冬が冬らしくなくなり、夏が夏らしくなくなる、

一年を通した気温の変化にメリハリがなくなって、しかしながら全体を通してみると平均気温が低下していく事になる。

その太陽活動の力強さを特に精密な機械を使わずとも見れるのが太陽黒点ですが、ここに来て多少活発化を始めています。

面白いのはこの活動の変化が気象の変化として自分の周りで感じる事が出来るということ(常にでははりません)、黒点活動の変化から数日ずれて気温の変化が起きているのを実感するという事が現実的に可能です。

特にこうした著しい活動低下のときは分かりやすいわけですが、先ほども書いた太陽黒点が増えると冬は冬らしくなり冷え込むし夏は夏らしくやたらと暑くなるというのを頭に置き、気温の変化をみてみると面白い事が分かります。

ここ一月くらいで簡単な例をあげますが、昨年(2009)の12月で活発だったのは18日頃からで20-23日頃が活動のピーク(黒点約42個)、実際このピークから少し遅れて日本含め全世界を寒波が襲っています。

雪が無くて困っていたスキー場には恵みの雪でした。
黒点が長い期間無いに等しかったわけですから、少しでも増えると大きな変化を起こす事はとうぜんですが、皆さんはクリスマス前後寒く有りませんでしたでしょうか?

その後に黒点活動は弱まって当然に気温が上昇し、暖かい日々が続きましたが、再び年を明けてから今日に掛けて活発化しています。

太陽活動変化の気象への小影響は数日後に、大影響は数年遅れて来ますが、この活発化の影響は明日、もしくは明後日あたりに出始めるはず。

これが当たるかどうかは分かりませんが(というか当然当たると本人は思っていますが)、太陽活動からすればほんの些細な変化で地球の気候や気温というのは本当に大きく左右される。

人間の出したCO2で地球気温が上がり続けているのではなく、温暖化は単なる太陽活動そのものをトレースしながら19世紀後半より気温が上がり続けてきたわけです。

ちなみにここ最近で太陽黒点の数が減ったのは1940年頃から70年頃、このときにはそれと全く合致した期間中、黒点の数は減少していました。

ただ、その時には2008年夏からから2009年の秋までのような一月に黒点が数個しか出ないという様な異常な状態では無かった・・・

ついこの間まで、京都会議だ、COPだと騒いでましたがすが、そんなもの地球温暖化とは何の関係もなく、温暖化は太陽活動そのものでしかないということ。

地球に最大の影響を与えている太陽という要素を除外して気温変動予測をしている変更政治団体IPCCの言っている事が、此処に来てまったく予想はずれになっているという事実を、どのくらいの人たちが知っているのでしょうかね・・・・