帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

娘を穴に埋める

2005年08月18日 | 研究-教育・育児

今朝のニュースで流れていた、9歳の娘を躾といい、首まで地面に埋めていたという事件。
ニュース報道ですから、おもしろくなければいけませんので、どこまで本当のことを伝えているかはわかりませんが。
やっていたという事については、とりあえず事実のようです。
約束を守らなかったから暴力、言う事を聞かないから暴力、そしてそれが問題になると、「躾だった」と言う。
子供を育てる事は、人を育てるという事。
自分の思うとおりにならないからと、”鬱積された、自分の感情の捌け口”として、躾の名目で施される暴力。
履き違えてならないのは、身体に物理的攻撃を加えただけで、子供の心がよくなること等絶対にありえないということ。
人間は馬鹿ではありません、それは子供とて全く同じ。 ましてや、大人と異なり、素直な心のままで、しかも全力で開いた状態(無防備)で、それを受け止めるようになっているのが子供。
叱るという事一つを取っても、それを受け止める子供は、五感から始まり、もてる全ての感覚をふるに稼動させて、叱る側の気持ちを読み取ろうとします。
故に、叱る側の心に空白有れば、子供には空白のみ伝わるに留まり、本当の気持ちがこもれば、子供にも本当の気持ちが伝わります。
時折、「自分は子供をおさないころから、厳しく育ててきた。」、なのに「子供が窃盗を繰り返すようになってしまった・・・」そういうお母さん、お父さんがおられますが。
その厳しさ、本当に子供の幸せを考えて、しかも心を込めての厳しさだったのか、もう一度考えてみる必要があるかと思います。
まず自分ありき、この可愛い自分の、体裁の為の厳しさではなかったか? 人前で、”自分の子供はこんなにうまく躾られているのだ”と、見せる為の厳しさではなかったか?

これではいくら厳しく育てたところで、人として一番重要な部分である。
愛情を育てる事にならず、形だけの厳しさは、常に親の本当の姿(人)を求めていた、と考える必要があると私は思うのです。 
自分が不快感を覚えたら、そのまま包みかくさず、子供を叱れという言葉の意味は。
人(親)としての感情(心)をそのまま伝えよという意味で、まず子供があり、そしてそれを見守る親がいる、極めて単純だけど、一番自然でシンプルな姿に帰結しているのだと、私は思うのです。

自分が不快感をおぼえたらの、不快感は、なんら子供と関係の無いところで、引き起こされるストレスや、抑圧等。 単に自分自身の行動と、考え方の誤りから引き起こされる、不快感を、子供を思う為の不快感と勘違いしたり、摩り替えて引き起こされる不快感ではないのだと。