帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

岡崎城

2009年03月30日 | 旅行等

娘を合宿へ送った帰り、丁度帰路途中にある岡崎城を見物しました。

後ろにトレーラーを牽引しているので駐車料金はやはりバス料金。

ただ、公営であるためにやたら高いというほどでもなかったので停めさせてもらいました。

入ったはいいがトレーラの切り返しに苦労しているのをみた係りの人、特別扱い?で一番良いところに誘導してくれまして、こちらとしてはとても感謝です。

さて、入って早々に家内が向かったのは名物の味噌田楽。

味のほうですが美味いというか? 濃い目の味噌ソース?をかけたコンニャクというほうが正確というか(笑)。

さて、岡崎城ですが、丁度桜の花が7部咲きくらいでとても綺麗。

そんな中でまず向かったのは資料館。

徳川家の歴史にまつわる資料資料などが展示されてましたが、実のところ僕は徳川家康という人物が好きでない事もあって今ひとつ。

ただ、武田家と家康にまつわる不思議な関係はテレビ番組じゃありませんが、家康が信玄の息子の一人であっただろうという僕の思いは膨らむばかりなわけですが、

そうした根拠となる歴史上の逸話は三方原の戦いからはじまって多々あり、ここでその根拠と出来事、理由等を逐一説明していると際限ないのでよしますが、一つだけ例をあげるとするなら、家康がやたらと固執した血筋、すなわち源氏のながれそのものは本来の徳川家とは何ら関係なく、徳川家は単なる多少大きめな豪族程度の存在でしかなかったわけです。

さらに家康そのもの出身という面における明確性においてはじつのところこの資料館でさえもうやむやにしていて、こうした豪族が力を得るための後ろ盾としては苦渋を飲まされている近隣(今川等)ではない、少し離れて当時直接敵対することのなかった名門武田家の血が入った人間を国主にしようとすることが近隣との関係(国策?)という面ではとしては非常に重要なわけです。

しかし当時の世の中は戦国時代、その流れの中で出世の秘密というものはあやふやにされねばならなかったわけですが(ただし本人は知っていたはずです)、当然のことながら今川に人質として組み込まれた以上は武田の血を引く等とはけして言葉にする事かないませんから、彼がこうした諸本の拘束から逃れる頃になれば自分がその血筋であったという事を求めるは極自然なことであり、しかしながら別の側面として大国になればなるほどそうした事を口にする事ははばかれなくなるのは今も昔も変わらない現実なのですね。

そうした一つの流れが、その家康が膨大な財を投げ打って源氏の血筋を購入する形をとり、さらにそれそのものは彼がけして口にする事が許されなかった武田の甲斐源氏と同一の源流そのものであった。

父の遺産?でもある甲州統治を命がけで信長から譲り受け、敵対し滅ぼした(本来は憎むだけの相手)はずの武田勝頼最後の地である天目算で当時としては信じられないほど壮大な再葬儀を行い、おまけに定期的な慰霊行事を行うために同じく膨大な建設費をはたいて寺を建立、伝統と歴史のある(戦すると必ず負ける)三河流兵法指南を国から叩き出し騎馬突撃を中心にした(井伊直正等)甲州流に全て改めた、彼が歩んだ数奇な人生の裏にあったこうした別の部分を考えると、信長亡き後の家康のとった行動にある数々の謎というものが全てつながってくるわけです。

さて、そんな家康の資料館をテクテク見て歩いたわけですが、歴史の事になると、とんと疎い家内はどんどん先に行ってしまいます。

もっともすでに時刻は4時半、あまりゆっくりもしていられないので、すぐに岡崎城へと向かいます。

この城自体は当時のものが残っているはずはなく、再建築されたものですが、

まあこんな風に建っていたのだというイメージ的なものは良く分かります(笑)

城の中も資料の展示があり、つらつら見て歩きますが、僕自身は展示されている刀や甲冑、槍などというものより、基礎を構成している苔むした石垣や、空堀、水堀等を見るほうが好きで、なぜならそうした地味な部分に当時の技術力や防禦に対する考え方などがたくさん詰め込まれているからなのですね。

10万石といわれた岡崎城ですが、ほぼ同程度の石高である上田城(真田家)とはだいぶ異なり、地味ながら完全に大群と戦うに有利なように城下町まで戦略都市として造られている上田城とは大きくことなり、「これで敵勢から防禦できるの?」というのが僕の本音。

実際問題、防御性は低く、どちらかというと関所みたいな意味合いのほうが強かったのではないかと思っています。

さて約2時間ばかりの岡崎城めぐりでしたが、いくつも敷地内に余計なものがありました。

一つは花時計、違和感感じる銅像、電話ボックス、そして仕掛け時計。

見ているのは面白くてよいのですが、なんかこうした発想ってどうなんでしょうかね?

(^^)

 

 

 


今年の乗り始め

2009年03月29日 | ウインドサーフィン 
今年最初のウインドは河和の海。
セイルはGTX7.5にウィザード115Lのボードという組み合わせ。
午後から出て始めはひよひよでしたが途中からオーバーになるくらいまで風も上がり楽しい1日でした。

次は12日でしょうかね・・・


胎児を私刑(集団で虐殺)する会

2009年03月28日 | 研究-教育・育児
Yahoo!のニュースからですが、”褒めて育てる”とこうした子達が出来るという良い参考です。

僕が行なっている、難しい子達を抱えた生の現場から有られるデータを基にした教育研究では、

褒めて育てたことで将来確実に発する最大の問題として、「自分の思うとおりにならないのは全て他人せいだ」という考え方を持つ子が当たり前のように育つということが明確に解っています。

本来なら、幼少期に正しく叱られることで育つはずの”ストレス耐性”と”自己感情を制御してそれを正しい方向へ生かすエネルギーへ転換する能力”は幼少期からの繰り返された経験を基に反抗期の到来をもって完成されるように出来ており、

それは褒めて育てる事で、本来なら親という温かい存在が繰り出す”叱る”と言う厳しい愛情理解の経験を通して学ぶ人の心の奥深さを学ばずに(壊されてしまう)育つことを意味してもいるわけです。

すなわち親を含めた他人の感情というものを、あくまで表面的に得られた情報でしか考えられないという人間の出現そのものでも有って、

現実に”褒めて育てる教育”の広がりとぴったりと比例しながら親殺し、引きこもり、自分勝手な殺人が増えいます。

皆さんは、これでも”叱るより褒めろ!”なんていう教育を正しいと思いますでしょうか?




中1が担任「流産させる会」…給食にミョウバン、いす細工
3月28日12時48分配信 読売新聞


 愛知県半田市の市立中学校で、1年生の男子生徒11人が、担任で妊娠中の女性教諭を「流産させる会」をつくり、この女性教諭の給食に異物を混ぜるなど悪質な嫌がらせを繰り返していたことが28日、わかった。

 同市教育委員会によると、嫌がらせを受けたのは30歳代の女性教諭で、当時は妊娠5か月~6か月。11人の生徒は席替えに対する不満や、部活動で注意されたことの腹いせに、1月末頃から、チョークの粉などを女性教諭の車に付けたり、いすの背もたれのネジを緩めて転倒させようとしたりするなどしていた。

 2月4日には、殺菌や食品添加物などに使われるミョウバンを、理科の実験の際に持ち帰り、教諭の給食のミートソースに混入。女性教諭は気付かずに食べたが異常はなかった。嫌がらせを見かねた生徒たちが、別の教諭に知らせて発覚。同校は同月下旬、関与した生徒と保護者を呼んで注意した。生徒は反省の態度を示しているという。女性教諭は4月から産休に入る予定。

最終更新:3月28日12時48分

何じゃこりゃ?(エンジニアってのは)

2009年03月24日 | Weblog
写真にある得体の知れない物、「何じゃこりゃ?」と普通の人は
思うかも知れません。

でもこれ、きちんと理論計算されて造られた物です。

じつはこれ、昨日のWBCの試合をテレビで見るために同じ職場で働く
もう1人の日本人技術者(先輩で親友)が電卓片手にパパパっと計算設計して、
その辺に転がっていた廃銅線と角材であっという間に作り上げてしまった
テレビ用高性能アンテナなのですね。

私の職場には日本とは周波数帯の異なるテレビしかなく、さらにテレビ用アンテナもケーブルもありません。

「無いなら作れ!」というのは砲爆にさらされる若者を育てているところなら当たり前の考え方。

生き残るためには「これがない、あれがない、これが壊れた」と涙ぐんで等いられないわけで、
最後に頼りになるのは自分の知識と経験なのですね。

そんでもってWBC見ても良いかとボスに尋ねたら、「俺たちだって国がそのために休んで、
スーパーボウル見るのが当たり前(アメリカではこれが普通)なのに、なんでそんなこといちいち聞くんだ?」、
と特別許可&温かい御言葉。 

「そんじゃ」とありがたくこのアンテナで映し出されたWBC見つつ仕事をした1日でした。

何か捨てるのがもったいないような・・・・




バースディーケーキ

2009年03月23日 | Weblog
今日は息子の彼女の誕生日、そんでもってバースディーケーキでお祝い。
もっと早く言ってくれれば(息子がです)きちんとした食事の用意もしたんだけれど・・・・・とは家内。

「あまり大げさになっても」と息子は考えたのだと思いますが、そんな我が子が付き合う娘なら我が子と全く同じですから、遠慮なんてしなくてもいいのですがね。

 (^^)

そういえばうちの娘が「安室奈美恵に似ているな~♪」なんて言ってましたが、そういわれてみれば確かに。




ウインドサーフィンは命がけ?

2009年03月20日 | Weblog
なんでもそうですが、安全だから、危険性はないからという言葉を使いたがるスポーツというものがあります。
皆さんもニュースですでにごらんになっているかと思いますが、3月14日、鎌倉材木座海岸で一人のウインドサーファーが亡くなりました、その一月ほど前はプロが大会中の事故で命を落としかけました。

僕はあらゆるスポーツの中で一番危険性の高いのがウインドサーフィンだと思っています。
その理由の一部を後で述べますが、クライミングやスクーバダイビングも危険性は有るものの、そんなものに比べたらウインドは遥かに危ない。

微風&波無し海面でよちよち乗っている頃は怖いとか危ないとかはさほど感じませんが、プレーニング可能な風域ともなれば、普通の人でも時速50km近い速度で海面をぶっ飛んでいくわけです。
生身の体がむき出しでその速度で走る事を想像してもらえれば分かるかと思いますが、
いくら相手は風と水といえ、吹っ飛ばされた際の衝撃というものは凄まじく、ましてや鋼鉄並みの硬さをもつカーボンマストやボードに体をぶつければどんなことになるかは言わずとも解るものです。
更に刻一刻と変化し続ける自然の力は全く予測不可能であり、荒波はいくらウエットスーツを付けてようがお構い無しに体を水中に引きずり込もうとするし、便りのボードとセイルは一度体を離れればどんどん押し流されて離れていく。
そこに来て「私は根性入ってます!」と言いたげにまだ凍える水温の海に出れば、あっという間に人の命など失われるのですね。

そもそも、どんなスポーツでも危険性はあるけれど、いざというときに“怖いから”、“疲れたから”、“痛いから”と座ったり寝ている事など全く許されないウインドサーフィンというのは非常に危険なスポーツなのです。

ウインドの道具は強大な風の力を人が扱いやすくするために極限まで軽量化されているために
マストはすぐ折れるし、セイルも簡単に破ける、ボードとセイルを結び付けているジョイントのゴムの寿命は本当に材質を考慮しているのかと思うほど短く、複雑な構造の道具は全てにおいてどれか一つでも不測の事態がおきれば即航行不可能になる。

僕が秋から春にかけて乗らないのは、その危険性ゆえのもので、娘も大会等のレスキューが万全な環境と判断できない以外は出させません。
夏でも、娘が出るときに海面が荒れていれば「二度と帰ってこないかもしれない」と思わされるスポーツ、それがウインドサーフィンなのです。
死んでしまっては何の意味も無い、自分の力量の半分で楽しめるくらい限界とする、その気持ちこそが勇気なのだと娘には話していますが・・・・

20℃

2009年03月18日 | Weblog

日中の外気温が20℃を超えると、いきなり気持ちが高揚するような、幸せになるような感覚におそわれます。

16℃でもそれなりですが、20℃というのは特別。

バイク通勤の僕にとっては、この温度が冬と春を明らかにわける基準点のような認識としてあるのですね。

20℃を越えるとまず手袋が不要になり、スロットルのわずかな動きや、エンジンの振動、ブレーキの脈動のようなものが一気に開放された様に伝わってきます。

なぜかこの感覚が同じバイクに乗るという行動に明らかに違う感覚をもたらしてくれるわけですが、

特に今日のように暖かい南風が伴うと、さらに全身の毛が逆立つような独特のものを覚え、ボードで海面を飛ぶように走るあのプレーニングに近い感覚に包まれます。


そろそろトレーラーのカバーをはずしてセイルを載せるか!
なんて思わず考えてしまいますが、
シーズン到来まであと少し、まったくウインドに乗れなかった昨年のリベンジよろしく今年は乗るぜ!

でかい親父 (麻生総理の書籍を読んで)

2009年03月17日 | Weblog
それが麻生太郎の 「とてつもない日本」 を読んだ感想です。

親父といっても実の親父であるはずは有りませんから、この国の総理の椅子に座る人間の表現としてです。

書籍全体にちりばめられた前向きな思想と、不要に難しい言葉を一切排除して書き上げられた内容には、同時に多少の事でゆるぐ事の無い心の強さも文面に現れています。

最低の支持率だ、いつ解散するんだと、日夜マスコミが発信する ねつぞう&先導、そしてそれにのせられた脳天気な大多数に叩かれながらも、なぜ彼が総理として踏みとどまっているのか?という明確な理由がこの本の中にあります。

売れているからとミーハー的に購入した本ではありますが、日本という国を良い面悪い面の一切をひっくるめて守り次世代へ繋いで行こうというこのでっかい親父の言葉に飲み込まれてしまったというのが感想です。

何かしらいちゃもん付け、自分は頭がいいんだと言いたげに自己宣伝絡みの感想を書く人がいますが、そういった気等はさらさら有りませんので、そのまま思った事を書いています。

一冊680円、新潮社から出ていますので、ぜひ読んでみてください。

麻生太郎著 「とてつもない日本」

第一章  アジアの実践的先駆者
第二章  日本のそこ力
第三章  高齢化を讃える
第四章  「格差感」に騙されてないか
第五章  地方は生き返る
第六章  外交の見取り図
第七章  新たなアジア主義


こんな挨拶って・・・???

2009年03月15日 | Weblog
今日は挨拶に関してこんな事が有りました。

シリーズ第三戦に参加の為、僕と娘は三浦へ行ったのですが、特に娘と同じくらいの年齢の子達の親とはよく顔をあわせます。

いろんな子がいますが、ウインドサーフィンをやっている子供自体の数が少ない事から自然に親同士が知り合う様になるのですが、問題が起きたのはその一人の子の親。

*以前にレースで娘と競い合った事のある子ですが、さすがに男の子ですので身長の素晴らしい伸びと筋力の発達にシンクロしながら上達し、今ではかなりのレベルに到達しています。
「頼もしいなあ」と思っていつも見ていたのですが、その子がこのところのレースでミスや失格等になる事が多く、まあ年齢的に反抗期ということもあるし、嫌になる事もあるだろうし、でもやがてそれを乗り越えていってくれると僕は思っています。

さて娘の道具セッテイングが取り合えず終わったので一度クルマへ戻ろうとしたところ、丁度堤防のところにその子の父親がいました。
無視して通り過ぎるような事はしませんので「おはようございます」と普通に挨拶をしたのですが、まあ、それだけで通り過ぎるのも無愛想に感じたので(そのくらいの付き合いです)、すぐ傍にいた息子さんに「合格おめでとう!」と言いたい事もあり、

「高校受験どうでした?」(^^) と挨拶の後に続けて聞いたのです。

*ちなみにその子がすでに高校へ受かっていた事は別の方からの話ですでに知っていました。
もし受かっていなければ失礼になるので、当然にこうした話はしませんから。

すると、「え? なに? どういういみですか?」 (――)

と非常に嫌な表情をしていいます。

胸の中:「え?」俺なんか問題発言した?と思いながら、

「息子さんそうでしたよね?」(^^)と聞きなおします。

胸の中:あれ違ったかなー? おかしいなー? なんて思いつつ

「いやあ、別に近所の高校へ普通に受かりましたけど、それがなにか?」(――)

胸の中: はあ~?なんでこんな態度なの、しかも無愛想な顔+さっきより更に嫌な言いまわしになっています。

この時点で僕の頭の中は何か失礼が有ったのではないか?と全力で回転し始めますが、これでは間が持たない・・・、そこでちらりと息子さんを見て、

「そうですか、良かったですね」(^^;) と切り出してみるものの、

「あ、そうですか」(――)
と言うなり他を向いて近くの人と会話開始。

僕は一瞬頭が真っ白になったまましばし無言

「・・・・・・・」(^^;) はっはは、はーられ ほーられ 訳分からないぞい?

あたりがしらけて完全に間がもたなくなった僕ですが、すぐ近くにいて後ろ向きに座っていた息子さんに視線をずらし、

「それはよかったね、めでたい」「頑張ったね・・・・」と言ったものの、この言葉を発している間も相変わらず親は別の方向を向いて会話、母親も後ろ向きで振り返りもしない、同じく息子も振り返りもしない。

「聞こえないの?」 (^^;)と思いつつ、

すでにこの時点で続く言葉が出ないほど腹の中が煮えくり返り状態になり、さすがに自分でも何を言い出すか分からない程にまでなったことからなんとか心を落ち着けて

「レース頑張ってね!(^^;)と最期に声をかけてその場を退散しました。

胸の中: (ーー”)爆怒

話したくないなら別にこちらも無理強いすることは出来ませんので、そのままそこを離れるしかないのですよね。

その後「何か間違いがあったのではないか?」「失礼な事があったのではないか?」(ーー?)

と煮えくり返る怒りをひたすら抑えて考えますが、とんと理由が分からない・・・・

実はこれほどに腹が立つのはこの一部始終のやりとりのすぐ傍に自分の娘がいたのです。

これが自分だけならここまで腹も立つことも無かったでしょう。
ただ相手も家の娘は知っていますし、それに気がつかないはず等は無く、単なる挨拶でしかも一部始終を見ている娘の前でこうした恥をかかせるという事そのものが、親としては例えようの無い屈辱に思えるのですが間違っていますかね?

ちなみに同じく今年受験だったもう一人の子の親とも全く同じ挨拶で始まりましたが何ら問題も無く、互いにとても気持ち良いものでした。

風無しでレース待ち状態の半日、昼飯食っても全く腹の虫が収まらない僕ですが、
その朝の挨拶後に奥さんから何か言われたのか、それとも自分でなにか気付いたのかは知りませんが、向うから数回声をかけてきたものの嫌々という感じ丸出しで(僕もバカではありませんからそんな事くらいすぐにわかります)、とりあえず大人ですから気持ちを抑えつつ“ニコヤカ”に礼儀相応の応対はしました。

向こうはどう思っているかはしりませんが。

起きた事はたったこれだけの事。

ですが今回の一件でこの家族に対する私の考え方は180°変わりましたので、以降こちら側から一言たりとも声をかけるつもりはありません。

“二度と”こうした“不愉快な気持ち”になりたくありませんから、

これを読んで皆さんはどう思われますでしょうか? やはり僕が間違っていますかね?(2度目)

(^^)

一つ僕から言わせてもらえるとするなら、生きていれば色々な事があるのが人生。

上記の場面でまず考えられる事は、息子さんがレースに絡んだ何かで叱られていた可能性で、私と悠長に話をする余裕など無かったということでしょうか?

ただ、いつどんなときでも事情を知らない相手はあくまでも無垢ですから、自分が苛立っていようが機嫌悪かろうが、それに任せて平然と無礼かつ失礼な態度をとるような真似は、その人間自身がろくな者ではないということを自ら立証するようなもの。

ましてや単なる挨拶をしているだけの相手に激怒させるような態度を平然と取る事を息子の前で平然と行えるということそのものは、将来その子が何か自分の気に入らないことがあれば周りの全く無関係な人間達にも同じ事を平然とやるのだという事を、親自身がダイレクトに教えているのだという事なのですね。

いくらウインドが上手かろうが人間性がくずならどうしょうも無い・・・。

同じ親としてその子の将来が心配になるのですが、まあ、二度とこちらから挨拶はしませんので、

そういうこと 「終」

雨のち晴れ、中学校は卒業式

2009年03月14日 | Weblog
今日は中学校の卒業式ですね、昨夜からの爆低気圧通過にともなう大雨&爆風、
そして温かい春風と雨の卒業式ですが、終わる頃には太陽も顔を出してきます。

一生のなかでも、最も恥ずかしいのがこの頃。
自分の中学時代を思い出すなら赤面することばかりで、もし今自分がタイムマシン
でその時代に飛んでいくことが出来たのなら、自分と面を付き合わせて張り倒して
やりたい・・・・

なにより甘ったれていた自分の姿というのが許せない。

自分で自分をどついてりゃ世話無いわけですが、実際に後悔していることもあり、
もし許されるなら、”当時”の先生に頭を下げて謝りたいと思うのですね。

若さはバカさと僕は言ってますが、大人達が甘えさせてくれるのは、
この中学時代までのことであり、高校に入れば色々な面で厳しくなる。

行動の制約は大人になるに従い無くなるけど問われる責任も重くなる。

今年卒業する中学生達、「頑張れ!」

話は変って、音楽祭からずっと吹奏楽部で部活?を続けていた娘ですが、
今日の演奏が最期になるようで。

いよいよ4月から3年生になるんだけど、大丈夫なのかな・・・・

とてつもない日本

2009年03月13日 | Weblog
麻生総理の書いた本だそうで、結構面白いらしいという話が出て思わず注文してしまいました。

マスコミが際限なく繰り返すねつぞうと情報操作で異常なほど短期間で指導者がコロコロ替わることの続いているこの国。

他の先進国はどう見ているのでしょうか? あ~恥ずかしい(^^;)

麻生総理もそのねつぞう攻撃に呑まれてあやうく総理の座から排除?されそうになっていたわけですが、
思いの外しぶとくて(笑)、というか生命力旺盛な大蛇みたいに平然と職務遂行してくれた御陰でだんだん効果が出始めようとしています。

人間が何かをなすに1年やそこらで結果など出るはずもなく、最低数年は必要なわけで、しかも我慢するという事を忘れてしまった
国民相手にやっているのですからその苦労は並大抵のものではないでしょう。

そんなわけですが、本が届いたら読んで感想なんかを書いてみたいと思います。

定期整備

2009年03月12日 | バイク
なんか低速時の吹け上が方に違和感を感じ始めた家のバイク。

そこで春の定期整備なる物をやってみました。

なんで定期なのか?というなら、構造的に前のバイクより遙かにシビアであることが分かっている事とパワーもその分出ていますから、
以前より多くメンテナンスをやらないと性能維持が出来ないと思った事から来ています。

前のバイクは空冷で大雑把、よく言えばおおらか、悪く言えば鈍感なバイクだったわけですが、今回はそういった物ではない・・・

今までKawasakiのバイクに乗ったことが無かったので、昨年の秋から「どんなもんだろうか?」と思いつつ跨ってきたわけです。

ところが、これが思いの外良いバイクで、これまで乗ったバイクの中では「一番良いのではないか?」なんて思わせてくれる程です。

もともとこのZX11は乗りやすさで定評のあるマシンでしたが、実際にポジションから始まり燃費や取り回し、低速の安定性や粘り、
扱いやすさと走行フィーリングが非常に良い。

ただ、こうした乗った際の感覚はともかくも整備性は最悪(笑)でして(だった)、プラグを交換するのさえも外装全部取っ払ったりするような
騒ぎで、もっともオーソドックスな整備は一度にまとめてやっつけてしまえばいいわけでして、そう考えれば対して苦にはならないのですが・・・

今回やったのはプラグの交換とキャブレターの水抜き、エアフィルターの洗浄と取付けですが、約一時間の作業。

まだ日の暮れるのが早いので結構焦った (^^)(笑)

終了後のテスト走行で、いきなり吹け上がりから始まって加速間の違いのを感じさせてくれたこのバイクですが。

やっぱり良いバイクです。

久々に太陽

2009年03月10日 | Weblog
朝の雨もあがり、10時ころから暖かい?北風が入っています。
3月に入って以来ずっと天候が優れず、晴れてもなんか今ひとつだったのですが、
今日は別。
こんなに暖かかったのか・・・・・なんて思わせられるほど。
春はすぐそこまで、というかもう春は来ている、写真は昨日撮影した小さな春です。

花粉症に特効薬?

2009年03月09日 | Weblog
バイクに乗って大気中の花粉を浄化しまくっている僕ですが、このところとても元気。

というのはいつもの目薬(アルガード)がどこにあるか分からなくて、仕方なしに薬局で購入したのが結構調子よい。

朝起き立てすぐ、出勤直後、昼、帰宅後、寝る前に点眼していますが、多少の鼻むずむずはともかくとして症状が明らかに緩和されています。

名前はザジテンALで値段は1500円位しますが、この花粉の症状が和らぐなら5000円でも高いとは思わない僕、使った結果では「結構やすいな」なんて思ったりしていますが、

たまたま体質に合ったのか、とにかく結構いいです。

開花予想は25日と言ってますが、なんかそんな感じがしないですね・・・・
芽がまだ小さくて、本当にあと二週間くらいで咲くのだろうか?と疑問視してしまいます。
様子をみて写真をアップします。

身を呈した小沢代表?

2009年03月08日 | Weblog
西松建設の違法献金事件で、自分の公設秘書が逮捕された民主党の小沢代表ですが、この事件に関して僕はいささか報道とは違った考え方をしています。

いうなれば今回の事件は出来レース、初めからシナリオが作成されていて、それをこの時期に計画通り実行させたのではないか?と考えています。

逮捕された公設秘書ですが、現在は容疑ということで明確に違法なのかどうかという事はわかりません、政治資金規正法そのものが完全なザル法であり、方法により黒を白にすることも可能であることから今後の展開としては起訴にもならずに最終的にはうやむやとなって終わるのではないかと思うのです。

逮捕された秘書も犯罪にならねばだれも文句を言えませんし、逆に疑惑をかけられた被害者として、経験を積んだ優れた能力を持つ者として、新たに安定した行き先を斡旋されていくか、もしくはそのまま現在の地位に復帰するか?と見ています。

それ以前に日本人の得意技である「過ぎたことは忘れた!」よろしく、3ヶ月も経てば「なんだっけそれ?」なんてなる。(^^)

その道のプロというものはけして馬鹿ではなく、緻密な計算に基づきギリギリの線で法律を抜けていく事ができるかを問われるものですし、検挙根拠がザル法であれば裁く側にとっては非常に難しいということも相乗し、逆に言えばこの公設秘書はマスコミのさらし者になることに耐える覚悟のある腹のすわった人間であるともいえるので、グレーな部分を要求されるところが多々ある現実社会ではこうした人材というのは引く手あまたなのです。

今回の出来事が初めからストリーのある物であると踏んでいる理由ですが、それは問題発覚後の小沢氏の動きにあり、公設秘書が逮捕されるということは自分の基盤を壊される(さまざまな裏表がすべて表にされていくに等しい)ことですから、本来ならもう少し表情や行動等に動揺が出てもおかしくはありません。

しかし、今回のことはまったくそうした乱れというものが小沢氏に無いところに「おかしいなこれは?」と疑問をもつわけで、マスコミに対する答弁もあらかじめ計算しつくされたような回答になっており、唐突に起きた事件のはずがあまりにも上手すぎる・・・・。

以前、民主党の政権運営能力にみずから疑問を投げかけたことのある小沢氏ですが、実のところ現在もまだそうした考えが心のそこにあり、麻生内閣の支持率低下にともない現実に選挙が行われて野党から与党になるようなことがあれば、それはこれまで自民党の政策に「私たちならかならずこう出来る」と言い続けて来たことを間違いなく実行できねばならない事を求められるということであり、それが出来ねばほぼ間違いなく来るのは党の信頼低下と最終的崩壊なのですね。

これは以前一度だけ政権を取り、その後に崩壊した社会党とまったく同じ運命をたどることになるわけで、民主党は自民党の対抗的存在として存立して初めて意味をなしうるわけで、適度な議員数で自民党の足をうまく引っ張り続けることが民主党としては安定した経営となる。

自民党時代にこの国の防衛力の貧弱さをを理解しきっていた彼が日本の防衛は第7艦隊だけで十分と発言するあたりから「どうも変だぞ・・・」と思い始めていたわけですが・・・・

民主党の代表でありながら、次の選挙はやはり自民が政権を取ってもらわねばならない。

表に見えない裏世界の駆け引きという物は何処にでもあるものですが、さて今の政治はどうなのでしょうかね? (^^)