帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

春の訪れと水の香り

2006年01月31日 | Weblog

今朝、玄関を出た瞬間、水の香りを感じました。
季節が春に移行し、乾ききった空気の中に湿気が混ざることにより、感じ取れる匂いです。
ほんの少し高くなった気温に、土の匂いが混じるような、それでいて刺すような冷気をはらんだ不思議な香りと言えばよいでしょうか・・・・
同じような香りのなかで一番強烈なのは夕立の前に起きるものですが、その香りはまどろっこしいのに対して、この春を前にした香りは、体にエネルギーを与えてくれるような感覚をもたらしてくれます。
私は今までに喫煙をしたことが無い為か、匂いと言うものに非常に敏感です。
山には山、海には海、雪には雪、霜柱が太陽の滅でとけて上がる水蒸気にも香りがあり、それぞれの本当にわずかながら違いを感じます。
「馬鹿じゃないの?」と言われれば「そうかもしれない」と答えますが。
自分だけなのかな????


行ってらっしゃい!

2006年01月24日 | 研究-教育・育児

今日の朝はやけに寒かったです。
バイクに乗って5分もすると手先が凍るほど冷たくなりました。
そんな朝でしたが、娘の「行ってらっしゃい!」という言葉が心に
暖かさをくれます。
一般的な世の中の常識からすれば、私はまるで明治時代の親父、しかも体罰親父です。 一例を挙げれば、約束や、決められた時間を守れなければバシン! 、教えたことをきちんとやらなければバシ!、 叱っているときに口答えでもしようものならバシり!。
ほかの子が許されているからと聞いても許可せず、家の手伝いは当たり前であり、小遣いも最低限しか与えず、それ以上を要求する時には必ず、何かの作業(たとえば普段より大きな作業や、仕事など)をさせ、それが最後まで出来なければあげません。

とにかく我慢、忍耐、努力をさせ、脳幹論を中心として育て、今の世の中の子育て方とはまったく異なる育て方をしてきましたわけです。

そんな娘ですが、誰に強制されたわけでもないのに、朝5時半には起きて来て、一緒に朝食を食べます。 玄関を出て、バイクのエンジンを始動して出発する時には、外に出てきて見送ってくれます。
今日はマイナス3度の気温(山に近いために寒いのです)で、家に入りなさいと言うのに、ずっと傍に立っていました。
将来は獣医になるという夢を持つ娘、私はいつも、バックミラーに写る姿に、幸せな未来を願わずにはいられないのです。


ウォシュレット

2006年01月21日 | 増築&リフォーム、DIY、手作り等 古い日記

洗浄装置付便座は、一般的にウォシュレットと呼ばれて認識されていますが、今日はその取り付けをしました。
場所は家内の実家、義理母の家です。
丁度、年賀の挨拶と親睦を兼ねて身内があつまり鍋をやろうということだったので、ちょうどそれにあわせての工事です。
台数は2台で、まず一階から始めます。
水道の元栓を締め、バルブを分解し、補助器具をとりつけて配管します。
古い便座をはずしてピカピカの新品を乗せ、裏のねじを締めていきます。
その時、便器全体を抱きしめるような格好なるので、「便器に愛はあるのだろうか?」なんて、意味のない事を考えながら取り付けます。
次はリモコン、これは色々と考慮しました。
一番使用する回数が多いはずの義理母ですが、それなりの年の為、目が見えにくくなった場合を考えて、近くで見ることが出来て、さらには操作しやすいようにと、リモコン式を選択しました。 また、機能もやたら複雑だったらよいと言うものではないので(特にお年よりは複雑な機能を持っていると使う気を失くします)、とにかく簡単で、基本機能が優れていて、性能が良いものでなくてはなりません。
また、トイレの風通しが今ひとつために、消臭装置は絶対に必要。
それもフィルターの交換等、不要なメンテナンスがいらないものでなければなりません。 さらに付け加えるなら、一流メーカであって、もちろん安いもの。
他人の物なのに、やたらとこだわるのが私の性格なのです。
工事中に一箇所手を切りましたが、無事終了。 ヨッシャー!!
早速調整と試運転をして見ます(実際にです・・・・はは・・・)
しかし、最近のものはとにかくすごい。
家にある単なる洗浄機能がついただけの安物とは全く違います。
無駄な電力消費を抑えるためコントロールがすごくて、電気の消費が桁違いに小さく、運転時以外はほとんど電気を使いません。
たとえば便座ですが、普段は低音、人が座るとセンサーが感知して、適温まで一気に上昇させます。
またこれはノズルから出る水も同じで、そのためにタンクがなく、したがって保温と言う無駄もないわけです。
なんだかんだで、安物とでは電気代で圧倒的な差が出てしまいます。
実際に使用してみて結構驚いたのは、交換の必要がない触媒式消臭装置でして、性能はいかほどに?と思っていたのですが、結果は驚異的でした(試験済み・・・・・(^^;)V)、何でも99脱臭(99%)とのことです。
ほかにも、信じられないほど簡単にばらして掃除できるつくりになっていたり(想定外)、一番不衛生になりやすいノズルは高価なステンレスを使用することにより、抗菌と殺菌(ステンレスの持つ特徴です)を持たせています(これは結構気になる人が多いために、今回はそれも念頭において選びました。)

まあ、なんだかんだとやたら書いてきましたが、要は基本に忠実、でも性能が良くて、余計な機能のないものを取り付けました。
自分のポリシーそのままに選んでますねー、ガハハ!


しかし、日本における代表的?テクノロジーの表現方法のひとつでもある洗浄装置付便座ですが、この国の国民性が実によく現れている物のひとつです。

たかが、トイレ、されどトイレ。
日本人て、徹底的にこだわるなー・・・・・・


そんなもんです

2006年01月19日 | Weblog

さて、友達が怖いといってた娘。
「友達と深くつきあわずに、表面だけのつきあいにしようかな、傷つくのが嫌だから・・・・」なんて事も、その時は言ってましたが。
私と話をした翌日、そして昨日、ひょうひょうとしています
問題の友達とも美味くやっているようで、とりあえず一段落といったところでしょうか?
親に出来る事は、ヒントを与えるに留まり、それから先は子供自身が自分で解決していくしかありません。
そのためには必要なことは、問題に突き当たっているときには親に甘えさせず、普段から我慢をさせ、親に甘えない姿勢で前を歩いていく姿勢をつけさせねばならない。

本当の意味での「子供の目線に立つ」のとは、親のレベルを子供の高さに落として、あれこれ先回りしてやってやることではなく、親は親としての高い目線のまま、しかしながら、子供が何を考え、何を欲しているのかを自分の経験を元にして”親自身が良く考える事”である。
いま、世の中の教育でありふれている子供の目線にたってというのは私からずれば大きな誤りで、親が自分自身を子供のレベルにまで落としてしまってます。 親を子供のレベルにまで下げてしまっているのですね。
たとえば子供が近所の駄菓子やから万引きしたとします。
そんな子供にどう接するか? 本来なら体罰も含めてかなり厳しく接する必要があります。 悪は悪だからです。
ところが謝った目線に立つと、子供にはそれをした理由があるのだから、それを子供の目線に立って考えなければならないといって、あれこれと先回りしてご機嫌をとったり、親の愛情が不足しているだの、何か理由が有るだのとやりますが、一番肝心な事が抜けてしまってます。
其れは万引きが絶対悪で有るということです。
今のように子供の目線に立つなどとやっていると、このがぼけていってしまい。
子供は理由が有れば万引きして良いのだという考え持つと共に、悪いことをしたのに叱られない、親は自分の事を本当思っていてくれてるのだろうか?
という、不安の心を植え付けることになります。
それが幾度も蓄積されることで、子供は不透明な親の心のまま成長をしてしまいます。 なぜなら万引きをした子供自身はそれが悪いことであるのを百も承知でやっているからです。
万引がわかったら、大きな雷鳴と共にがつんと全身に受ける衝撃が無ければ、
子供はそれが悪い言であると認識することはありません。
子供にとって親は常に高い位置にある存在である必要があり、自分を引き上げてくれる存在でもあり、尊敬されるべき存在でもなければならないはず。

わたしが普段から、この目線にたって子供を育てるという言葉が大嫌いなのはここにあるのです。
前回の書き込みはあえてこの目線にたってというのを使わせてもらいました。
しかし、謝った解釈が存在し続けるうちは、私はこの目線にたった教育とやらを批判し続けるつもりです。
なぜなら、人間は元来自分にだらしのない生き物です。
同じ言葉を聞いても、自分に厳しくなることできちんと理解できるはずが、ほとんどの人間は、自分にとって都合の良い方向にしか解釈しません。
自分によりより方向でしか物事を考えないからです。
ほめて育てる、子供の目線に立って、叱らない教育、その何れもが本来持つ意味を歪め、親の都合良い怠慢を正当化する為の合い言葉として利用されています。
いい加減にこの言葉は無くなってもらいたいです。


毎土曜日の朝

2006年01月19日 | 研究-教育・育児

「よーいドン!」、そして「キャー!」と始まる、おなじみの光景です。
家は共働きのために、掃除は土曜日の朝にまとめて行います。
いつも競争になる部分があり、そのときにあわせるかのように娘から仕掛けてきます。
娘はトイレ掃除、私はリビングの掃除機がけです。
なんだ、まったくやることが違うのに、何で競争なの?と思われるかもしれませんが、この二つはきちんとやると、ほぼ時間が同じになります。
たまたま家の大きさからそうなったのだと思います。
いつから競争がはじまったかは、分りませんが、なぜかほとんど同じくらいの時間で終了したことがたくさんあることから、いつのまにやらレースになってしまっているのです。
どちらも手を抜けば早くできます、しかし、手を抜けばすぐにそれが分り、叱られることを娘は知っています。
何度も繰り返しているのだから、経験のある大人と、経験を重ねている途中の子供では、やがて子供のほうが早くなります、
ですから結果はどちらが勝つかというのは、分りきっているのです。

しかし、なぜかいつも引き分け。 こちらの進行具合を見ながら、トイレ掃除に項目に、自分でプラスアルファを盛り込んだりして自分の作業を調整しています。
ジャッジは娘ですから、自分勝とうと思えば、必ず自分の勝ちですが、自分の早いときは、
必ず「あ!やりのこしたことがある・・・」と言って、必ず終わりの時間をそろえてきます。
そして「同着!」と言って喜んでいます。
真冬の朝に全開の窓、決してお湯を使わせない雑巾洗い。
しかも一番嫌な仕事であるはずのトイレ掃除。
嫌なことが平気になり、単調な作業の中にゲーム性を持たせる。
相手を不快にさせることなく、最後にはみんなで気持ちよい朝を・・・

人として豊かな感情を持つ子に育ってくれているなとは、思いますが、
あー・・・やがて来る一番難しい反抗期。
あまり考えたくはありません。 相変わらず軟弱な父親です。


漢字

2006年01月17日 | 雑記 修理等

このホームページを読まれている方のほとんどが、???と、感じられることが多々あるかと思います。
実は、私は句読点の使い方が下手でして、おまけに漢字が大の苦手なのです。
これは小学校の頃からで、句読点を一切無視して勝手に文章を自分で区切りながら読んでしまうことが多いのです。 単に自分の都合よいところで区切ってしまう、というきわめて困った癖がぬけません・・・・(^^)
さらに、漢字を良く間違えまして、特に最近は自分で筆を持つこと等なく、すべてPCを使用していますので、変換の際に候補でずらっと出てくる漢字を見ると、目が回ります。
句読点と同じで、そのときの気分や文の中に別の意味などを持たせたいときに、本来の使用方法とはまったく関係なく、その漢字を平気で当てはめてしまいます。
・・・・・・(^^;)
始末に終えないというか、まあ私自身の思考がそんな感じで回ってまして(おいおい)。
ですから、このHPを読んでいただいている方には、なんじゃこれは?と思われるようなこともあるかもしれませんが。
お許しください。
あと誤字、脱字等、一向に構わないのも私でして。
あまりにもひどいもの以外は、修正をしません。
これには意味がありまして、あまりにもそのあたりにこだわると、文そのものをつくる事に嫌気が差してくるということがあります。
本来、自分の意思伝達手段としての文字の中で、特に漢字なるものは、
人々が単純な漢字を勝手に組み合わせて、ひとつの意味を持たせたものが、その地方や、人々に便利なものとして受け入れられ。
それが広まることで、共通の漢字として認識される?といった成り立ちが自然なものでして(ここでも自分勝手な理論ですねー、ははは)。
ただ、それでは、めちゃめちゃになってしまうために、規則性を持たせ、分類し、一覧としたのが、現在の漢字ですが。
本来は、自由な創造から生まれたものが漢字なのです(無理やり正当化ー!)。
ゆえに、普段の仕事や生活ならともかく、自分の持つHPくらいは、なんら力をいれずに行きたいと考えています。
物事を長く忍耐強く続けるには、自分のペースで、自分自身が楽しめなければ、継続はできません。
見栄をはり立派に文を書いて、すぐに嫌になってしまうか。
それとも、自分という人間そのもので文を書くか。
私は後者を選びたいですね。


ゴン

2006年01月16日 | 研究-教育・育児

ゴンという漫画をご存知でしょうか?
この漫画には一切言葉はありません、擬音もありません。
やたらと手の込んだ自然の絵を背景にして、なぜか主人公のちび恐竜がほかのさまざまな動物たちと、これまたさまざまな事をします。
読む側は描かれている絵の中から、そこに展開されるストーリーと感情を読み取りながら読み進めていることになります。
いわば、大まかな話は作者が、そして細かなことは読む側が想像をしながら解釈するという、不思議な漫画です。
この漫画を息子が2冊ほど古本屋で買ってきました。
「懐かしいー!」といいながら読んでました。
そのうち娘が読み始め、その面白さにケラケラと笑っていました。
そんな本ですが、???ということが有りました。
娘はその本が面白いので、友達の家に遊びに行くときに持って行き、それを読ませたそうです。
ところがその反応は「なにが面白いのか理解できない・・・・」という友達の言葉だったのです。
いくら説明しても、いくら絵の中に描かれている隠れメッセージを話しても、
まったく分らない。
そういう反応だったそうです。 そして言葉が書かれている漫画じゃないと面白くないと言い始めたらしいです。
娘のその友達は私も知っています、勉強が出来て、頭がよく、もちろん娘より跡に始めたそろばんの級が、すでに2ランクくらい上まで行ってます。
まあ、大人から見れば勉強が良く出来る自慢の子といえばよいでしょうか。
しかし、最近娘の口から出始めたさまざまな友達関係の話を聞いていると、
どうも、その子にかき回されることが多く、だんだんと友達が離れ始めているらしい・・・・・ということが見えてしまうのです。
どんなかと書くと長いので、端的に言うなら、自分勝手ということでしょうか。
自分の言葉や態度、考えで周りの友達が嫌な思いをしていても、それがわからないのです。
そのために、自分が都合悪くなるとすぐに他人のせいにします。
家の娘に対して、怒り出すようなことをしたり言ったとしても、娘の表情からそれが読み取れない、相手の感情が分らないみたいなのです。
そのくせ、自分が少しでも傷づくとふてくされたり、パニックになったり。
娘は今年小学6年生ですから、このくらいなれば、感情の変化を顔の動きひとつから読み取ることが出来るようになってなければなりません。
「親が子供を叱って育てると、親の顔ばかり見る子になってしまう」、というおかしな理論がまかり通り、甘やかし放題の現代教育。
人の感情が表情から読むことが出来ない、それが他人の怒りや悲しみなど、自分と相手をつなげ、あるときはシンクロし、あるときは距離を置く。
それがうまく出来る人間であるからこそ、将来、人とうまく接していける。
言葉だけではない、人のあらわすもうひとつのメッセージ、それが表情なのです。
親に叱られる、親の顔を見る、そこに現れる、人としての感情。
それを繰り返し学ぶことは、基礎を育てることでもあり、とても大切なことなのです。
これをしておかないと、学校の先生から叱られた時に、先生が何を言わんとしているのかがまったく理解できなかったりすることになります。
先生の気持ちが、まったく逆に伝わる。
言葉の中にあらわれないメッセージは、その表情に現れることが多々あります。
引きこもりという言葉=親とのコミュニケーション(叱られ)不足。
私はそれも原因のひとつと考えています。



ゴン

2006年01月16日 | 研究-教育・育児

ゴンという漫画をご存知でしょうか?
この漫画には一切言葉はありません、擬音もありません。
やたらと手の込んだ自然の絵を背景にして、なぜか主人公のちび恐竜がほかのさまざまな動物たちと、これまたさまざまな事をします。
読む側は描かれている絵の中から、そこに展開されるストーリーと感情を読み取りながら読み進めていることになります。
いわば、大まかな話は作者が、そして細かなことは読む側が想像をしながら解釈するという、不思議な漫画です。
この漫画を息子が2冊ほど古本屋で買ってきました。
「懐かしいー!」といいながら読んでました。
そのうち娘が読み始め、その面白さにケラケラと笑っていました。
そんな本ですが、???ということが有りました。
娘はその本が面白いので、友達の家に遊びに行くときに持って行き、それを読ませたそうです。
ところがその反応は「なにが面白いのか理解できない・・・・」という友達の言葉だったのです。
いくら説明しても、いくら絵の中に描かれている隠れメッセージを話しても、
まったく分らない。
そういう反応だったそうです。 そして言葉が書かれている漫画じゃないと面白くないと言い始めたらしいです。
娘のその友達は私も知っています、勉強が出来て、頭がよく、もちろん娘より跡に始めたそろばんの級が、すでに2ランクくらい上まで行ってます。
まあ、大人から見れば勉強が良く出来る自慢の子といえばよいでしょうか。
しかし、最近娘の口から出始めたさまざまな友達関係の話を聞いていると、
どうも、その子にかき回されることが多く、だんだんと友達が離れ始めているらしい・・・・・ということが見えてしまうのです。
どんなかと書くと長いので、端的に言うなら、自分勝手ということでしょうか。
自分の言葉や態度、考えで周りの友達が嫌な思いをしていても、それがわからないのです。
そのために、自分が都合悪くなるとすぐに他人のせいにします。
家の娘に対して、怒り出すようなことをしたり言ったとしても、娘の表情からそれが読み取れない、相手の感情が分らないみたいなのです。
そのくせ、自分が少しでも傷づくとふてくされたり、パニックになったり。
娘は今年小学6年生ですから、このくらいなれば、感情の変化を顔の動きひとつから読み取ることが出来るようになってなければなりません。
「親が子供を叱って育てると、親の顔ばかり見る子になってしまう」、というおかしな理論がまかり通り、甘やかし放題の現代教育。
人の感情が表情から読むことが出来ない、それが他人の怒りや悲しみなど、自分と相手をつなげ、あるときはシンクロし、あるときは距離を置く。
それがうまく出来る人間であるからこそ、将来、人とうまく接していける。
言葉だけではない、人のあらわすもうひとつのメッセージ、それが表情なのです。
親に叱られる、親の顔を見る、そこに現れる、人としての感情。
それを繰り返し学ぶことは、基礎を育てることでもあり、とても大切なことなのです。
これをしておかないと、学校の先生から叱られた時に、先生が何を言わんとしているのかがまったく理解できなかったりすることになります。
先生の気持ちが、まったく逆に伝わる。
言葉の中にあらわれないメッセージは、その表情に現れることが多々あります。
引きこもりという言葉=親とのコミュニケーション(叱られ)不足。
私はそれも原因のひとつと考えています。



2006年01月14日 | Weblog

なんか知れませんが、今日はやたらと暖かいです。
おまけに風もそこそこに吹いていまして。
こんな日は、体がぞくぞくします。
「春よ来い!」とばかりに、ウインドの道具を出したくなりましたが。
いかんせん、まだ一月も半ば。
暖かくなってくるまで、まだ一月。
ウインドが出来る季節になるまでは、二月ほど早いのです。
春一番の風の中、早くプレーニングしたいとぞくぞくする私でした。


ダウンデイ

2006年01月13日 | Weblog

この言葉は日本ではほとんど聞かれることの無い言葉です。
ただ、私も含め、アメリカ文化に身を浸したことのある方はわかるかと思います。
日本の社会と異なり、アメリカには、このダウンディという考え方があり、
普段全力で仕事をしている社員に対して、雇う側が感謝の気持ちとして雇用される側に送る物で。
たいていは、祭日前後にもたらされます。
1月の16日は祭日のため、その前の金曜日に最高責任者の指示の元で休みをもらえます。
そうすることで、金曜気から月曜日まで連続した4日間の休日となり、
別名ファミリーディと変名されて、お父さんのお母さんは、家族と共に過ごす時間として与えられる。
まあ、アメリカ文化ならではの洒落た休暇となるのです。
日本では奴隷的に会社に奉仕することに対して、会社側からの何らの気配りはありません。
下手すると、休日にも出てきて働くことが忠誠の証だとばかりに考えている人間があたりまえの様に存在しているのがこの国のすがたです。
それがいいことなのか、悪いことなのかは別として、そうして企業の側から労働者に歩みよるのが、アメリカという国の一つの姿です。
そんなわけで、今日は職場に誰も来ません。
私ともう一人の日本人だけが、仕事をしています。
文化の違いと、理解の違い、理解の仕方により悪くも良くもなる、解釈。
このダウンディ。
日本社会に浸透することもあるのだろうか?なんて考えてしまいます。


ドライブシャフト

2006年01月12日 | 

年末から発生し始めたドライブシャフトからの異音があまりにもひどくなったので、修理工場に持ち込みました。
シボレーではありません、家内がメインに使っている。
軽自動車です。
軽の場合、フロントドライブで、しかも左右でドライブシャフトの長さが違います。おまけにステアリングにより左右に振られるために、どうしてもガタがきます。
早い車で4万キロくらい、うちの車は11万キロで発生しました。
このまま走行できなくもないのですが、乗り心地と、ハンドルを切ったときに発生するカタカタカタという音が心臓に良くないので。
修理に出しました。
本当は自分でやりたかったのですが、うちにはリフトがありません。
ハンドジャッキかけて、命かけてやるようなものでもないので。
素直に工場へ持ち込みます。
ただ、いつものことですが、知識があるかないかで、相手の対応が異なってくるのは世の常識。
こちらがまったくの素人であれば、工場の言いなりの値段でのさぎょう。
知っていれば、使う工具から、作業時間まで知ってますので。
それをさりげなく出します。
「自分で出来るけど、面倒だから・・・」なんて感じで話をすすめ。
ついでにブレーキパッドの交換もさせて。
格安でいっちょあがりー!でした。
ところで、今回出した工場は家の近所の工場で、これまで出していたところとは異なります。
普段出しているところは車で15分ほど走らなければならなかったので、今回は横着して近所に出しました。
あ!最近見かける格安車検ですが、私から言わせてもらうとやめたほうが良いです。
あの手のところは、法規改正後に筍のように乱立しましたが、ブレーキ周りをあけて点検をすることはほとんどありません。
そのために、必ず事故を起こします。
私も自分で整備できるためにユーザー車検なるものを受けようと思うことはあります。
ただ、自分で車検をおこなうと、自分の車であるがゆえの甘えというのが必ずおきます。 他人の目と、自分の目ではまったく異なります。
さらに、きちんとしたリフトもない状態での下回りの作業ほど、命の危険をともなうものはありません。
事故を起こせば、その責任から逃れることはできません。
格安車検は、これまでと異なり、整備の責任をすべて、ユーザーに負担させる事を軸にした法律改正の元で行われています。
私は死にたくありませんから、きちんとした工場に入れてます。


スタック

2006年01月09日 | ダッジキャンピングカー メンテナンス

昨日の馬鹿混みスキー場の状況から、今日はやめようということになりました。
その代わりに秘湯と呼ばれる温泉があるそうで、そこに行くことにしました。
大きな道を外れると、車一段分くらいの幅の道路になります。
あー雪が解けていない・・・・
とここでやめておけばよかったのに、それでもやってしまうのが私の性格。
緩やかな上り坂ですが、まだ滑らず。
ただ危険なためにチェーンをつけました。
しかし、土曜日から宿泊先、やスキー所などで何かとよく手伝う息子です。
かなりまずいなーという感覚を持ちながらもあと駐車場まで10m
ところが”ズル!”という、あの独特の嫌な感覚が来ました。
再度ミラーでみると「あー!」両タイヤがしっかり雪にはまっています。
昨年夏の木崎湖以来の悪夢再来、カビーン!!!!
車の重量は4トン、一番最後の登りで、下の踏み固められた雪が重さに耐え切れずに壊れてしまったのです。
こりゃーブルドザーを呼んでこなきゃならんかーと青ざめます。
積載してあったスコップを取り出し、車の周りの雪を堀作業しやすくしてくれる息子。 よしよし
私は万一のときのすべり防止用で持ってきた、もう一組の古いチエンを雪面にひいてトラクションをかけます。
50cmほど動いてまた動かなくなり。
再びスコップでタイヤ周りを掘ってはチェンと繰り返すこと約2時間。
やっと脱出できました。
駐車場に入ると、みんながいっせいに安堵します。
この脱出で、車に巻いていたチェンが破損しました。
古いチェンは長さが合わないもののために使えません。

車につんである2台の道具箱から、ハンマーやら何やらを取り出して、即修理に取り掛かります(私は修理から始まって人に頼ることが嫌いで、このように状況に応じて、一通りの整備が出来る量の工具を積み込むなど、あらかじめ対策をしておくことが多いのです。。
何でこんなことしているのだろう?なんて考えながらも修理。
とりあえず応急処置を済ませると、今回は温泉に入らずにこのまま下ることにしました。
太陽の熱で雪面全体がゆるくなると、同じようなトラブルが起きるためです。
途中でスリップすることが何回もありましたが、何とか下れました。
あー悪夢のひと時でした。


スノーボード

2006年01月08日 | Weblog

親戚と一緒にスキーに行ってきました。
私はスキー、息子と娘はスノーボードです。
娘は昨年一回やっています。
息子は今回初挑戦。
スノーボードの道具は高価なため、もちろん安物と中古の組み合わせです。
ボードは3000円の中古品。 ビンディングとブーツは安物ですがステップインの新品です。
しかし、この新品、あまりにも値段が安すぎて何か?????
そんなわけで、スキー場につきまして。
時間が時間だったため、先に昼を済ませて、午後からのスクールに二人とも入ってもらうことにしました。
私は親戚の数人と幾度か滑り降り、何回目かで、スクールをやっているところに行って見ましたが。
なんか息子の様子が変です。
ブーツがビンディングにうまく入らないのです。
ただ、ステップイン方式は慣れるまでいれずらいと聞いていましたので。
慣れれば問題ないやとばかりにきにもしませんでした。
約2時間のスクールが終了。
帰ってきた息子に話を聞くと、2時間のスクールで、練習(30mくらいの緩やかなスロープで練習します)できたのはなんと5回だけ。 ほかのみんなが練習できているのに息子だけほとんど出来なかったのです。
ほとんどブーツが入らず、悪戦苦闘していたとの事でした。
スキースクールのコーチの話では、何でも、この方式のステップインは不良品で、とにかく扱いづらく現在日本の代理店もつぶれて無くなってしまっているとの事。 道理で安いはず(安いからと半ば強引に進めた私の責任ですね)です・・・・・・・
スクールから帰って以来、自分の思うようにならないことがあっても、決してふてくされたりしない息子が言うのだから、本当に扱いづらいのです。
一応一度くらいは上から滑らなくてはとばかりに、気の進まない息子と、娘を連れていきなり中級へあがります。
娘は一応昨年やっていますので、ある程度はできます。
問題は息子。 案の定、リフトから降りて、ブーツがビンディングに入りません。 悪戦苦闘すること15分。 やっとはまります。
私が少し下に滑り降りていましたので、息子は上で、親戚の二人にてつだってもらって3人がかりで装着です。 
さてスキースクールでは、ほとんど練習できなかった息子、22度の角度のスロープをいきなり初めから降ります。
案の定しりもち、またしりもちの連続。
「いきなりは無理かー・・・・」なんて思っていたら、ややもして走り出します。
ここまで約3分、少しふらつきながら、もバランスをとりやがて緩やかに方向転換に挑戦し始めました。
途中から板をストレートに向けて降り始め、スピードを落とすためにバック、フロント両方向(すいません名前をしりません)でのスラロームをしては時々出来、時々バランスを崩します。
やがて下に到着。
この時点で5分、スノーボードの基本的走りはすべて出来るようになってました。
これを一部始終みていた私は、正直なとこころ開いた口がふさがりません。
ほとんどスクールで練習出来ず、一回目の滑走で、ほとんど出来てしまうことなどあるのだろうか・・・・・・
以前、ウインドをやっている人間は、あっという間にスノーボードも出来てしまうという話を聞いたことは有りますが、実際に目の前で見ると、本当にすごいです(正直な感想)。
「もう一度やれば、スノーボードは出来るな、つまんねー!」と笑いながら話す息子(生意気だぞー!笑)。
ただ、もうこのビンディングは勘弁してくれとのことで、今日はここまででしたいとのこと。 娘はすでにおにいちゃんに負けてしまいました、なんか悔しそうです。
すでに駐車場までのバスが馬鹿混みし始めており、回数券がもったいないので私たちはあと二回ほど滑って終わりました。
しかし、目の前で展開された、一部始終。 驚くほどの上達は、ウインドから培ったものとはいえ、ある種の感動を覚えさせられました。
帰りに息子から話を聞いたところ、スクールのコーチからやたらと気に入られて良くしてくれたそうです。
俺もスノボーやろうかな・・・・
 


整理

2006年01月06日 | Weblog

正月最後の一日になってしまいました。
何か特別な事をするわけはありませんが、やらねばと思っていた収納オーバー? になりつつある娘の個人コーナー(私は娘に部屋をまだ与えていません)を
整理させました、さすがに狭く感じましたから・・・

ちなみに個部屋ですが、子供がまだ自分の持ち物を管理できない状態で部屋そのものを渡してしまうことは、そこにだらしなさの全てが集約されやすくなりますから、いうなれば汚ギャルを親が養成している事と同様になってしまいます。
自分の持ち物は自分で完全管理し、いつ親が見ても二重丸をあげられるくらいに整頓されている状態が続かなければ、部屋を与えないという私の考えを娘へは当然に伝えてあります。 
また第二次反抗期に当然発生する親とのすれ違いに対し、逃げ場を与えているようなものであって(これは上の子から経験的に学びました)、そうした観点で娘には18歳過ぎまで与えるつもりはありません。
それ以外にも女の子の小部屋はさまざまな問題をもたらす事が多いことから、出来るなら持たせないままで行きたいのですが、やがてはそうもいかなくなるでしょうね・・・・

そんな厳しい我が家ですから、こうしたポリシーは収納だけに留まらず、あらゆるところに及んでいるわけですが、そのひとつとして家ではスリッパという物を一切使用しません。
家は全てフローリング床で畳みの部屋というものが無いわけですが、ゆえに一日中、はだしや靴下で過ごすことを当然としており、それは自然に衛生状態を維持する事を目的としています。 部屋が汚れていれば、はだしで3歩も歩けば足裏に証拠が残ります。また独特の感覚が足裏から伝わってきます。
ゆえに一日中はだしであっても、なんら不愉快を感じないように保たれてなければならないということです。
スリッパを履く事は、床の汚れから自分を切り離す事と考えてますから、いつでもどこでもごろんと昼寝できる綺麗さでなければ私自身(^^;)が気に入らないわけです。

今回の、娘コーナー模様替えは、別に散らかっていたわけではありませんが、本能的に蓄積するのが(これがゴミ屋敷のような家にしてしまう原因です)女性ですから、必ず不要物が溜まっているはずです。
まずはその本能差を娘に説明、後は黙って分別用の袋を娘に渡して任せます。
私はというと、二階にあがり、掃除機と雑巾をもって本棚やらCDラックやらから、聞かなくなったCDやカセットテープを片っ端からゴミ袋に投げ込んでいきます。 当然にいらなくなった古い本もどんどん棄てます。

というのは、娘のコーナーを大きくする=収納は家にあるものの移動で済まし買い増しは絶対にしない=部屋をわずかでも狭くしない=整理整頓の大原則。

としています、普通は物が増えると収納を買い増しするものですが、それだと無駄に出費するだけに留まらず次々に収納が増えていき、最後には収集が付かなくなる事があります。
それが我慢ならならないくらい嫌いなわたしですから、まずは整理して無駄な物を棄てる事でそれを防ぐわけです。
また、買い増しするとどうしても積み上げる為に、収納がどんどん上へ伸び、それにより目の高さにまで収納が及んで圧迫されるのも嫌なことから、我が家で腰より高い収納(タンス等)は全て、専用収納部屋を建築時に作ってそこに入れて有ります、あと高さのある家具はキッチンの食器棚くらいでしょうかね・・・

さて、元々物が納まっていたわけですから、本当なら上と下で収納(カラーボックスなど)を換えれば済んでしまいますが、同時に不要物を棄てれば当然に空きが出来ますので、その分収納スペースは増えます、こうした方法にて家は整理をしています。
さて、二階の整理が完了し大きな収納を下へおろして、反対にそれまであった小さいカラーボックスなどを上へと移動します。
私と娘に挟まれるようにして暇していた家内には収納棚を効率的に生かす最終兵器である適切なサイズのカゴを買いに行かせました。
娘が中身を移し変えるまでに手持ち無沙汰となった私は大工具箱やら日曜大工セット等を清掃・点検・片付けしましたが、結局全部終わるまで朝の8時から13時までの5時間ずっとやってました。 
さて、収納に余裕の出た娘専用コーナー、片付け状態は前と変りはありませんが収納できるスペースは確実に増えています。
「どう思う?」と聞いてみると、娘は反抗的な顔にやたらと満足そうな表情を浮かべながら私のお腹にパンチを入れてきました。
本当に自分の娘は可愛いものです。
そして昼食、午後から娘は遊びに行き、私は暇を持て余してビス類を入れた箱を分別しましたが、釘やら木ネジ、ビスやらなにやらが溜まってものすごい量。
当然に折れたボルトやさびたネジなどゴミも凄い。
初めは少しずつチクチクやってましたが、次第に面倒になり、最後には「ダー!」っと棄ててしまいました。 これで後悔するんだよなーいつも
 (――;)


実家

2006年01月05日 | Weblog

昼頃に車へ工具やら野菜やらを積んで家内の実家へ向かいます。
付いて早々に、私は二階に上って少しだけ大工仕事、そのあいだ家内と娘は下で親戚の子達と騒いでます。
毎年恒例の正月行事みたいなもので、家内の兄弟姉妹とその子供達が集まり正月を祝うわけですが、今年は義理姉方のほうが忙しく、長女は参加しませんでしたし、義理姉とその旦那は夜に子供たちを迎えに来るだけで精一杯だった感じです。
一方家の息子は親と別行動で時間をずらして夕方電車で到着、今日は息子が運転してくれるので家内ともども羽目をはずして結構飲んでしまいました。
気が付いたときは家に到着していたという感じで一日が終わってました、
楽しかった・・・・