帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

イタリア語 とボヤキ

2024年05月07日 | 研究-教育・育児

この日記で、何度か紹介したことのあるギフテッドの男の子ですが、

昨日久しぶりにその子の父親と有ったら、すこしボヤいていた。  ン~~~~~

「どしたん???」と聞くと、 息子に”イタリア語→日本語&日本語→イタリア語” の辞書を買わされた?、

いや買った?とかで、価格が6000円オーバーとのこと。

「あららら!」  そりゃ高い・・・・

 

今年の春から、そのギフテッドは中学一年生になったわけですが、すでに中三までの英語は終わってしまっていて、

以前からイタリア語をチョロチョロトスマホで勉強していたらしいのですが、”本格的にやりたい”とかなんとかで、ねだられたらしい。

でもって、少ないお父さんの小遣いからの出費。 ブァハハハ!!(爆笑)

 

一日5分の英語勉強を小学6年生の春から自発的に初め、それだけしかやってないのに能力テストは当然満点。

他の科目も全く勉強せずにほぼ満点。

 

「全然、物足りないからイタリア語やる~~~~!」ということらしのですが、この子は運動面ではサッカーをやっていて、東京都のT1チームでがんばっている。

 

生まれて間もない頃、この子の持つ能力に気がついたのは僕だけど、2人の両親は特別な教育等は一切受けさせずに、

普通の子供と同じように、普通に学校に行って、普通に成長させて来ている。

 

特別教育など、”単なる親の自己満足”で有り、また、うちの子はコレコレだからと”他者への自慢ネタ”でしかない、

極めてそんな物はくだらない業である事を、よく理解しているからだけど、そうした親の愛情を受け、心の豊かな子に育ってるのは見ていて判る。

 

ちなみに、この子と話をしたり、一緒に過ごしていると、精神的な年齢は中学1年生では無く、18才くらいに感じられ、ただ、そうは言えどもやはりその年齢は、その年齢の子供の姿であり、特異的な吐出部分は有れども、きちんと普通の中学一年生に成長しているわけだ。

 

アメリカ等では、ギフテッドの子だと判ると、すぐに特別教育受けさせ、飛び級で大学生になったりして、

ところがそうした物は、初めは良いが、やがて精神的にも、人間的にも壊れる者達が非常に多い。

 

きちっと”普通”の成長(他の子達との普通の生活環境や友達関係)という過程を踏まないで先を走る事は、何一つよいことなど無い。

 

人は普通に育つ事こそが、最大の幸せなのだから。

 


お腹の子、 男の子かな? 女の子かな?

2023年12月27日 | 研究-教育・育児

家に帰宅したら、 娘と婿殿が、何かの写真を見ながら笑顔で話している。

なんだ? と除き込むと、 今お腹にいる胎児の、エコー写真。

 

目が有り、鼻があり、口も、手も足も、有る。 うん!人間だ。

当然の事だけど、5枚ほど有る写真の一枚は顔がよく分るもので、 もう一枚はボヘミアンラブソティみたいだな~ 

爆笑。

 

先生が写真を撮った時、偶々胎児の顔の下の方からだったので、そうなったらしいのですが、その写真とか見て、

皆で大笑い。

 

娘の話ではやたらと元気で良く動く子らしく、 その話を聞きながら、この子の小さかった時を思い出す僕。

他の子より躯が小さくて、でも走るのが達者。

運動会とかでは皆の代表となって、色々な種目で何度も走らされていたな~~・・・ 

 

活発で、穏やかで、でも性格的にかなり強く、でも嫌われることも無くて、皆から好かれていた。

 

小学校2年生くらいから包丁を持たせ、僕が側で調理の仕方を直接教え初め、味付けの基本、工夫の仕方もだけど、

細い指でジャガイモを持って皮を剥く姿、人参をイチョウ切りするときなんかは、怖い・・・・

思わず僕がやってしまおうか?と、口から出そうになる言葉を強引に飲みこみ、気持ち抑えてひたすら見守った。

 

頂きます、ご馳走様でした等の、基本的物事の考え方の基礎は当然として、トイレ清掃等は家では娘が担当。

武士の娘のように・・・・ 、が当時の口癖だった僕。

 

小学校3年生くらいからウインドサーフィンを教え始め、週末になると何時も海で過ごした。

台風の様な風の中でも・・・

ウインドの数々の大会で、常にメダルを独占し、やがて子供の頃から習っていたメキシコ民族舞踊の他に、フラをやり始めた娘。

中学生の後半くらいからかな? 世界で戦いたいといって、ウインドサーフィンだけではなくて、ヨットも始めて、

小柄な娘には、ウインドで世界と戦うには難しすぎるんです。

最後に出たウインドの全国大会では、世界大会に出る日本代表の女の子に挑み、圧倒的な差を付けてテープを切ったなんて事も。

高校に進学すると、 クラスのリーダー的な存在となり、文化祭や音楽祭では皆を率い、同時にヨットの研鑽を積んで願い通りに世界大会へ。

日本代表の一人として参加し、女子で世界第2位、男女総合でも5位という成績をおさめた。

高校生時代には、芸プロがうるさくて、渋谷あたりに娘が出かけると、何枚も名刺とか・・・・ 当然、そんな世界は、OUTなのが僕の当時の対応でした。

なつかしい。 

高校を卒業して大学に進学すると、 短大から4年制に編入、 この二つの大学の教育課程で幼稚園から高校生までの教員資格を全て取得、そして卒業。

就職はせず、アルバイトしながらフラの教室を先生から受け継ぎ、 やがて問題を持つ子達が共同生活をする施設の職員となり、同時に学童教室職員等を次々と経験。

彼氏が出来て早々に、僕の元に連れてきて紹介したその彼氏が、今の旦那だ。

 

やがて、これまでの経歴と経験、そして実績が評価され、某自治体の教員に特別採用。

今年の春から先生となって、子供達に勉強を教える毎日を送っている。

 

何で特別採用なのか?というなら、担当した学年の子達はかなりすさんでいて、その原因はモンスターペアレント。

担当した先生の8人が次々と心を病んで病休に入ってしまい、とうとう最後に誰も教える人が居なくなってしまったという危機的状況。

著しい勉強の遅れと、当然出来ているはずの九九すら満足に出来ない、というある意味最悪の学年へ送り込まれた。

 

案の定、モンスターのモンスターぶりは凄まじく、 娘にも3つの円形脱毛症が起きるほど。

ただ、海と太陽と南風、そして北風で鍛え上げられて来た物がそこで役にたったのか?は解らないけど、

やって来たモンスターと向かい合う時は、絶対に目をそらさない対応の仕方、どんな時も冷静で丁寧な対応、さらに廻りの先生の応援や支援のおかげでクレームが激減。

 

授業は、”常に自分で考えさせる”教育を行い、かなり厳しい授業と、子供達をしっかり叱るという教育を実行。

たった半年の間に、最低だった国語の成績が、クラス全員が80点以上を取るほどにまでアップ、九九の遅れ等もあっという間に取り返した。

 

そんな先生だけど、授業が終わると、どっと子供達が机の処に来て放してくれず、次の授業の準備に遅れが出るほどらしい。

そうなんだ~ なはははは!  と娘の”困ったな~話?”を聞きながら笑う僕。

 

学校で生徒やモンスターと接して一番苦しかった時に結婚し、子供を授かり、もうすぐお腹の子は5ヶ月ほどになろうとしている。

 

娘は変った一面が有り、幼い頃から戸塚ヨットスクールに春休み、冬休み、夏休みと自分で行き、校長先生はじめとしてコーチ達にずっと可愛がられてきた。

長い年月を掛けて、その目で直接見てきた様々な姿や教育は、今の学校にそのまま生かされているようだ。

 

長く務めていた、問題のある子達が親と離れて過ごす公的施設では、 交代制寮母として、夕飯、朝ご飯、そしてある時は子供達の相談相手となり、ある時は友達のようにして時を過ごした。 

 

そんな、娘の人生の集大成の一つの結果として今の姿が有る。

 

来年の夏前に産まれてくる、その新しい命にどう向かい合っていくのだろうか?と、思う僕。

 

息子も娘も、始終間違いだらけの育て方をしてきた僕で有りながら、きちんと二人とも自分の人生を歩んで行ってくれているという事に、ひたすら感謝しか無い    翔です。

 

この曲を娘に送ります。

 


イタリア語

2023年10月13日 | 研究-教育・育児

以前、論文(その子の書いた)で紹介したギフテッドですが、最近又話を聞きましたので、紹介します。

 

両親はその能力を知っていても、ごく普通の子として育てるという考えを今も貫いています。

 

人より優れた能力が有るからと、変に特別な教育を受けさせたりしても、それは対面的に”子供の将来ウンウンという建前”を語りながら、詰まるところ自分の為だったりする。

いくら学校の成績が良くても、世の中に出て屑人間で有ることが表面化する輩はワンサカいて、 始末に負えないのが それに自分自身を浸しきってしまい、

一向に自分を省みることはしない奴。

 

何つ~のは、珍しくも何とも無い。

頭は確かに悪くないんだけどね~、なんせゴミなので使い物にならない。

 

逆に、勉強は出来ずとも、非常に優れた人間性で多くの人に慕われ、尊敬される者もいる。

 

能力は、単に個性の一つでしか無く、 一番重要なのはそれを”どの方向でどう使うか?”という、”人となり”にかかっているわけだ。

 

で、話を戻しますが、その子が修学旅行に行った際に、外人を見つけると誰彼構わず話しかけ、 \(・_・) オイオイ

まあ、大抵は英語を話す方たちだったらしいですが、 とうとう求めている国の人と遭遇。 

 

で普通にその方たちと会話している? ギフテッドの姿を見て他の生徒達は唖然。 

なんと、その子が話していたのはイタリア語なんです。

 

親に話を聞いたら、特に何かを習わせているわけでは無く勝手に覚え始め、日本語テキストなんか家に有るはずもないので、どうやっているのかと思ったら。

 

イタリア語を覚えるのに、まず英語を覚え、その英語を使ってイタリア語の単語の意味や文法の基礎、会話を覚えてるとのこと。

 

確かに、インターネットが当たり前のこの時代、 幾らでも単語の発音は覚えられるし、 会話もネットで簡単に聞ける。

 

その子は、その子なりの覚え方をしているわけですが、小学生で、まだ学校で英語を習ってもいないのに、自発的に勉強して、 そして得られた語学力でイタリア語を学ぶ。

しかも普通に会話できるレベルとかで、 なんつ~か、ある意味恐ろしい。    爆冷汗が出る翔

 

そう言っている自分も、なんにも勉強せずして英語を使う仕事をしているわけだが、さすがにラテン語までははやろうとは思わん。

 

何故イタリア語なのか?というとラテン語の一番基礎的な物という事も有るらしく、いかにもサッカー好きの少年らしい。

 

聞くと、全く勉強せず、塾にいかなくても学校の成績は常にトップクラス。

時折2年生からの算数の教科書を捲ってチラ見?している位が彼の勉強、とは親の話。

 

まあ、自分がよく知る子なので、 たくさん遊び、たくさん喧嘩して、たくさん虐めたり、虐められたりしてもらいたい。

人間性こそが、将来豊かに人生を歩むことの出来る、最大の基礎なのだから。

 

 

 

 

 


おばあちゃん の 特製味噌

2020年07月24日 | 研究-教育・育児

娘が、幼き頃からずっと食べ続けてきた味噌。

それは全て、 おばあちゃん(僕の母)が造った物でした。

 

他にも梅干しを初めとして、そうした物は家の食卓にいつもあった訳ですが、

最近、「おばあちゃんの特製味噌の造り方と 梅干しの造り方を覚えたい」と娘が言い始めた。

 

そんなこともあり、今日は娘を連れて実家に行ってきました。

 

以前なら、当たり前の様にもらっていたはずの味噌。

ところが、 おばあちゃんが年を取るにつれて、その量が徐々に減って来たことに気づいて、特に最近は時々しか僕が持って帰ってこない事も知っていました。

”買った味噌は本当に美味しく無い!” とは娘の口癖で、 これは梅干しも全く同様。

 

家の母親だけの秘伝を注ぎ込んで熟成された味噌の味は、 商品として店頭に陳列してる大量生産品とは全く違い、

また、味噌専門店の上物でさえもその味は超える事は絶対に出来ない、と僕も思っています。

 

さらに、梅干しに至っては、 いわゆる高級品と言われるどんな物も不味くて駄目。

これは、娘もそうですし、 僕自身も母親の漬けた物を食べてきている関係もあります。

最悪なのは、梅干し専門店で売られている”価格の高い梅干し”ほど、なぜか?糞不味くなるという不思議。

 

その梅干しも、だんだんと造る量が減ってきて、 

初めて”おばあちゃんの老い”という物を現実的に感じ始めた娘が ”おばあちゃんが造る味噌の味をそのまま受け継ぎたい” と思ったようです。

 

今日は休みという事も有るのか?それとも事故渋滞か? 高速道路の大渋滞が発生していて、

途中から下の道を走ったりしてなんとか9時には到着。

朝ご飯を用意してくれていたので、まずは親父とお袋あわせて4人での朝食。

 

一休みして、 10時頃から味噌を造り始めましたけど、 前日の間に大豆を洗って水につけておいてくれたので、 それを圧力鍋にいれて、

弱火で蒸していきます。

*僕がまだ中学生だった頃から使い続けてきた 圧力鍋がまだ使われている事に正直驚いた僕 OH!!

それに材料を入れ、おばあちゃんの教えるとおりの火力を教わる娘。

圧力鍋を使うことで調理時間の大幅短縮と、大豆から出るエキス(旨み成分)を効率的に引き出せるとのことです。

蒸している間に準備を進めていく娘と おばあちゃん ですけど、

今回は”生”麹が無かったらしくて、 代わりに乾燥麹を使用しますが、 それを塩と 混ぜ合わせていく時に秘伝がプラス・・・・・

混ぜあわせが完了すると、 その頃には圧力鍋が沸騰し始めてバルブから蒸気が出始めますが、

これからが大変、 片時も目を離さずに、 バルブの動きにあわせて火力を常時調整。

 

これに失敗すると 味が半減してしまうとは おばあちゃん。 そうなんだ・・・・

 

そろそろかな?という時間になると、一度鍋を冷まして蓋を開けて、一つ二つつまみ出しては娘の手の平にひらに載せてます。

大豆の堅さを教えてくれるわけですが、 少し堅かったらしくて、もう一度火にかけて再びバルブを見ながら煮込みます。

 

もう一度蓋を開けるとジャスト。

この大豆の堅さを覚えて! と教わる娘&僕。 

 

一粒を指先で‘潰してみましたけど、この段階では堅さは判りましたが、意味がよく分からないな~~~~ 

 

圧力鍋からザルに大豆を移すと、ザルの下にはエキスをたっぷり含んだ汁がボウルで受け止められています。

 

冷めるまで待つ間に他の作業の開始。

 

適度に冷めたところで、その大豆を丈夫なビニール袋に入れて潰し、ここでさらに秘伝の追加をされてから、

ボウルに移し、少しずつ麹を混ぜ込んでいきます。

 

この段階で、やっと大豆の堅さの意味が解りました。

 

す~っとマメが潰れていくんですね、 そして少しだけ 大豆がそのまま姿になるように潰して行くのがこれまた美味しさの秘密。

堅すぎでも駄目、柔らかすぎでグチュグチュでも駄目。

 

美味しい堅さというのがあるのだと、初めて解りました。

そして最終的な堅さは、エキス汁で調整してと・・・・、 

十分混ぜ合わさって、そして適度な堅さが出たら、 味噌樽に移します。

 

鏡餅みたいに形成をしていきますが、潰し方とエア抜きの方法にこつがあるらしくて、娘は真剣に教わっていました。

 

形が形成できたら、 ラップを落とし込んで最後のエア抜きと、パッキン作業をしてとりあえずは完成。

こで、全作業は終了です。

娘が教わりながらということもありますが、なんだかんだと出来るまで約3時間ほど掛りました。

 

最後に落とし蓋を載せ、錘をその上から置き、外蓋をして、その上からさらにビニールのでかい袋をかぶせて紐で密封します。

 

この季節だと、 麹の発酵が早いので早ければ2月で天地返しをして、 そのあと少し置けば食べれるようになることのこと。

できる限り半年は置いて熟成させる方が良いようです。

 

10月頃には、 娘の味噌の味となって家の食卓に上がってくる事と思います。

 

さて、お昼を作る時間が無かったこともあり、 近くのスーパー弁当でランチ。

 

その後僕は 家の敷地の清掃と片付け、そして整理。

あっというまに午後も3時半を回り、 もう帰らねばなりません。

 

90歳近い母親は そんな年齢とは思えないほど元気で、 ただ、これって孫が自分の味を受け継ぎたいという事から来る元気。

大抵は16時頃に昼寝?する母親ですので、 朝から全力で動いていたからかなり疲れているはずです。

 

「もう帰るの?」 と言っていた娘ですけど、 帰りの車の中で、その事を説明したら納得していました。

 

今回の味噌の量は4KG   年末にもう一回造り方をお復習い的に教わりたいと言ってましたが、その時は秘伝の‘梅干しの漬け方も習うようです。

 

 

 

 

 

 

 


木崎湖

2017年08月05日 | 研究-教育・育児

木曜日朝の2時に起床。

メールチェックや各種手配を済ませて3時過ぎには出発して、現地に着いたのは8時少し前でした。

なんで木崎湖なのか?というなら、 毎年此処で行われている戸塚ヨットスクールの臨時補助コーチとして、これまで毎年参加をしてきたからなのですね。

ここ7~8年くらいは、キッズの方が盛んに成り、その手伝いの方がメインになっていたのですが、昨年は不参加でした。

今年も参加予定は無かったのですが、 コーチの方々、皆さんには親しくさせてもらっていますが、その一人から電話があり、急遽応援参加という事になりました。

 

どんなキャンプなのか?というのを、ここですこしですが紹介させてもらいます。

今回は2~12歳くらいまでの子供(男女合計27人)とスタッフやら何やらで、40人以上がほぼ1週間のテント生活を送ります。

食事は、施設の生徒とスタッフの共同作業で提供され、 僕は子供達のウインド訓練を受け持つだけなのですが、SUPボードや大きなサーフィンボードでパドリングしては湖面に浮かぶ子供達に操作を教えたり、レスキューをします。

セイルの操作がまだまともに出来ない、特に小学生以下の子供達はどうしても風下に流されるので、それをすくっては風上にパドリングで運んで”落とす”

ひたすら一日がその繰り返しで、ただ、運ぶ度に少しずつ子供達の成長が見えるという楽しい一面もあります。

「子供達は逞しいな・・・・」と感じるのは、 親と離れ、廻りが見ず知らずの人間という空間に放り込まれて、初めはひたすらベソべソするし、少しの事でも泣き出すのですが、それが変化する。

それまではずっと親の保護下にあり、廻りも顔なじみの友達ばかりだった世界に居たわけですから、それも当然事なんですが、それが変化する。

進歩というやつです。

たった1週間程度の短い時間では有れど、そこで積まれた経験はその先の人生に少なからず影響してくる勉強でも有り、

それは完全に親依存だけで成長するのと、 時々親から離れて依存の無い処で、自分を確立させねばならないところで過ごしてくるのでは、 小学校高学年から先の自立に対する基礎訓練という意味合いに置いて、とても重要なのですね。

 

これは言葉では無く、理屈でも無く、 ごく自然で感覚的な物として備わるという方が正解かと思います。

 

このキャンプでは、ウインドサーフィン訓練がメインで行われて、 2~3歳の子は ボードに立つバランス訓練。

それ以上の子は、それぞれのサイズのセイルとボードを与えられて、”嫌でも”乗る訓練をさせられることになります。

親が居れば、泣き叫べば根負けして中断させてしまうのが親心だし、それが当然とも言えるのですが、 他人の集合体でもあるキャンプではそうした甘えによる泣き落としは一切通用しません。

ある道は、ひたすらボードの上で自ら訓練に励むことだけです。

不思議なことにですね、 そこに大きな成長の鍵がある。

 

多くの方は、「泣くな-!!」、 「セイルを上げろ!」、 「前を向け! 下を向くな!」、 「きちんと やれ!!」 そう朝から夕方まで怒鳴られる訳ですから、 子供が傷ついてひねくれてしまうのではないか?と

そう考える方が多く居ます。

 

私も初めはそう思っていたのですけど、不思議なことが100%起きるんですね、現実に。

 

子供達の中で何年もキャンプに参加している上級生の走る姿(やってきているので当然です)を見ていた泣き虫達の中から、その姿を追うように練習し始める子が必ず出てきます。

すると、そこに能力の差が生まれる。

ここに正しい競争心が芽生えてきて、上手になり始めた他の子の姿をみて、逃げ一辺倒だったはずの子が、自ら進んでだんだんとやり始める。

後からやり始めても、先に始めた子が油断している間に上手になる子が出てきて、

先のステップにすすんでいた子は、後から来たその子の姿をみて、焦り心が起きることから、なおいっそう真剣にやるようになる。

ウインドサーフィンは勉強とは違い姿に全ての結果がでますので、子供でもすぐに判るんです。

コーチ達は、逃げ姿勢だけの時は”ひたすら厳しい言葉”を浴びせますが、 自ら練習し始めた子、競争心(向上心)が芽生えた子には、そうした言葉は一切不要なので、段々と練習している湖面が静かになってきます。

当たり前ですが、自ら前向きになった子供達は、正しい競争心で行動しているわけですから、しかる必要は一切無いし、それ以前に”泣き言”というのが自然に消滅するんです。

 

これが人の持つ正しい本能で有り、心の成長の原動力となるもの。

そしてこの経験が大人になるまでのあいだ、 目の前に現れる苦しい事に立ち向かうための基礎力となって備わる。

このキャンプではウインドサーフィン意外に、ヨーガと朝の体操、及び筋力トレーニングが行われて、

ヨーガは柔軟力を培うと同時に、筋力トレーニングも兼ねていて、そこでもやはり多くの子供達が泣きます。

子供とはいえど、昔とは違って、今の子供達は外遊びが極端に少ないことから体が硬く、肥満傾向にあります。

本来なら自然の中で遊ぶことで、その二つが備わるのですが、ゲームや習い事などで、

常に不十分。

実際に、なんでこんなことができないのだろう?と見ている僕は多々感じます。

 

朝の始まりに行われる一時は、ヨーガとはいえ、体をひねったりねじったりですから、 痛いし苦しいしで、必ず逃げが入る。

それはやっている姿にすぐ現れるので、すかさずそこをピシャリとやられる。

「泣きまくりますよ、 特に何の我慢もしてきていない子ほど・・・・」

 

ところが、これも初めのうちだけ、本来、体の柔らかい子供は割とすぐに出来る様になってきて、最後の方は殆どの子が泣かなくなります。

ただ、苦しいので狡したり、適当にサボろうとする子が必ず出てきて、そうした姿が見えるとやはりドカンと叱られる。

 

こうして、1週間をすごすのですけどね、顔つきが変わるんです、初めから見ていると。

今回は実質後半の2日間だけのコーチ参加でしたので、そこまでの変化は感じ取れませんでしたけど、

キャンプ前の表情は容易に想像つきます。

 

そうそう、他にもこのキャンプで面白いのが、 食事。

これ嫌い、 あれ食べられない、 気持ち悪い、 食欲無い、 不味い。

初めはそんな子ばかりです。

毎日好きな物だけたべて、おやつ食べて、そんな生活だけだったのが、スタッフの造る料理しか目の前には並ばない。

嫌なら食べなくても結構! ただし、それが何日つづけられるのか?ですが、

最後には競うように食べて、お代わりで奪い合う姿にまで変化する。

 

どんなものでも、運動して食べるものに不味い物などありはしない。

特にウインドサーフィンは体力消耗が激しいので、なおさらお腹が空く。

訓練終了から夕飯までの自由時間は、これまた親しくなった友達同士で色々な遊びをする楽しい時間ですから、はしったり飛んだり、時には喧嘩も・・・・おっとと。

 

一日中動いているので、当然と言えば当然のことですが、その当然が今の社会には消失してしまっているんです。

 

僕は木曜の朝から、訓練で二日間、 土曜日は撤収の手伝い。

合計3日間でしたけど、 やはり戸塚ヨットスクールは凄いなと・・・・

 

そう思う一時でした。

 


フラガール 〜 虹を 〜

2017年06月21日 | 研究-教育・育児

大雨の今日

帰宅したら、晴々とした顔のわが娘。

 

「どうしたん?」と聞いたら、特養老人介護施設で”フラ”を踊って来たとか。 たった一人で・・・

認知症のご老人達と、それを介護する多くのスタッフの為の、細やかなボランティア活動とのこと。

ご老人たちは誰一人徘徊することもなく、皆ニコニコしながら座って見てくれていたそうです。

 

利益だけがひたすら優先される今の世の中で、

「人は利益じゃないんだよ! 自己満足でもないしね! 思いは誰の為と特定する事無く、届くとも届かずとも、出来るだけ多くの人にね・・・・」

そう教えながら、 海で揉んで育ててしまった。

 

波と、ウインドサーフィンと、ヨット、娘には”ひたすら繰り返す苦しさだけ”の時間だったはず。

 

僕自身、そんな育て方をして「後悔は無いのか?」と、もし聞かれれば、全く無いとは思わない。

少なくとも、何某かのエゴがたぶん自分には有っただろうし、それを否定する事もできない。

 

ただ、意味が有るとか無いとか、そうした尺度の先に存在する物を知ってもらいたい、 それだけは真実。

 

我が子でありながら、解らない部分の多い我が子でもある。

 

苦しさに泣いていた、あの幼い瞳に浮ぶ涙を、親指で拭ったあの一瞬が繋げる過去と今。

 

ただひたすら、”この子に永久の幸せを!”と無言で願う、

どれだけ繰り返してきたであろう・・・

 

 

そんな育てられ方をした娘の思いを、”今や物を考える事すらままならない人生の大先輩達”は楽しんでくれたであろうか? 

そして、その人生の先輩達を介護する全ての職員(様)に、ほんの細やかでも、安らげるひと時をもたらす事は出来たであろうか?

 

そう、僕は思うんです。

 

 

 

フラガール 〜 虹を 〜


7月の半ばに引き渡し

2016年06月18日 | 研究-教育・育児

だそうです。

建物を取り巻いていた足場と、囲いが取り外された写真を昨日撮って来ましたが、とてもシンプルな外観

「いいな~新築の家は・・・・・」 

引っ越しは業者を頼まず(無駄ですから)、僕がレンタカー屋でトラックを手配。

一家2代が総出で土曜日にあらかた終わらせて(これは息子と話して決めました)、翌日曜日は細かい物と+エアコン取り付け(移設一つと、新設一つ)を僕がします。

真空ポンプ持っているので、取り付け工事代等の無駄な費用を払う必要なんかありませんから。

 

奥行き約8m、幅約8m位の、庭と駐車スペース。

庭は将来、もう一台分の車スペースに簡単にできますが、引き渡し後すぐにやるのかな~?

中を見たくなりましたが、鍵がかかってる為に、外から覗いただけでした。 

特段息子に連絡して見に来たわけでもありませんので。

 

しかし・・・・・・・7月半ばと言えば、一番暑い最中だよな~ 

現場見つつ、引っ越し終わったら缶ビールくらい飲ませろよな~! なんて、一人で勝手に思っている翔でした 

 


高校のプチ先生

2016年06月15日 | 研究-教育・育児

教育実習生として、6月の初めから私立高校に通っている家の娘。

 

昨日、某私立学校から教員としての採用に関してのお誘いらしき物があり、これで二校目だそうだ。

 

国大の受験に落ち、一時は「働く!」(高額な”私大学費を払う親を心配して)とまで言っていたのを、「”遊ぶために”大学へ行け!」と

背中を押したのは僕だ。

 

そこで娘が考えたのは、教育学部のある短大が併設されている体育系大学。

セイルの付いた乗り物の、日本代表選手団の一人として世界大会に望んで、運良く?銀メダルだった事もあるだろうけど、学校推薦と併せてほぼ無試験?にて通過。

 

まずは短大の教育学部を卒業することで、 幼稚園と小学校教員の免許を取得、

 

成績が良かったこともあるけど、4年制大学への編入は当たり前のように通過したので、現在は中学校と高等学校の教員免許を取得するための実習中というわけだ。

 

普通は4年間で全種類の免状を取得することが絶対に出来ないことから、卒業後はどちらかにしか行くことが出来ない。

国立大学に落ちた怨念なのか?までは僕には解らないけど、ピンチというか逆境というか?を逆チャンスとして、あえて教員免許の全種類習得という方法に出た。

 

私立学校は幼稚園から高等学校(大学含む)までの一貫教育をしているところが有り、そうした学校にとっては、全種類の免許をもつ先生というのは必要なものらしい。

 

教員の青田刈り?なんていうのが有るのかは知らないけれど、実習で教壇に立つ娘の姿や生徒に取り囲まれている様子等、

なにがしかの評価のデータ共有という物が学校同士で有るのかな~?? 

 

来年の春になれば嫌でも世の中に出ていかねばならない我が子だけど、 帰宅した娘に「どうだ?学校は?」と聞くと、毎日色々と生じる問題に対して立ち向かう先輩先生達の姿は、単に生徒だった立場で見ていた世界とは全く違う物だと言う。

 

立ち位置変れば、視点も変るわけで、知らなかった事を知り、学校経営という全体を見渡しての考え方、同時に教員として生徒と接する

難しさと楽しさ、教育の面白さというものに触れながら様々な事を学んでいるらしい。

 

卒業後にどんな人生を歩んでいくのかは僕には分からない、ただ一つ言えるのは、人様の迷惑になるような生き方だけはするなと・・・・

それが僕の子育てのど真ん中に有って、絶対に揺るがない物でもある。

「21歳の青春、 頑張れや~~~!」   ウンウン

 

 

 


決まった

2016年06月09日 | 研究-教育・育児

との連絡が、夕方ありました。

「おめでとう! 、これからが大変だよ。頑張れ!」 とそれだけ伝えて携帯を切った。

 

6時半頃に娘と家内が帰宅した途端、見に行く~!というので、現場に連れてった。

建て売りながら偶然?にも息子希望にピタリの間取りだったのが決め手となった様で、

LDKが16畳と狭いのが少し不満だったようだけど、キッチン後方に儲けられている6畳間がでかいパントリーとして使える。

そのおかげで部屋全体に余計な物を置かなくて良いので、実質的には20畳的位の広さだ。

 

夏には引っ越しとなる予定。

又お手伝いするけど、 今度はトラック借りないとな~・・・・・

 


家を持つ?

2016年06月08日 | 研究-教育・育児

帰宅後、風呂に入ってビールなんぞを飲んでいたら、息子一家がやって来た。 

今日はジムだったので、特段美味いぞい!!

 

あらかじめ電話をもらっていたので、「あいよっ!」と助手席に乗り込むと、10分ほど離れた場所に移動。

以前から物件探しをしていたのは知っていて、今回は”ほぼそれに決めているらしい?”のですが、思った以上に良い。

 

約50坪の敷地に、南向き総二階の築面積は約115~120㎡(5LDK)くらい。

6m四方の、庭(車一台分)と駐車スペース(大型車2台可)がある。

 

南側10m先に住宅建物が有り、敷地南西から北西の角までは7m幅の住宅地内道路に面している(遊びに来た人が自宅敷地の一部をまたいで駐めれば、十分な通行を確保しながら車3台はいける)。

北は公園で、敷地が直に面しているので、庭が不要(笑)、北東 と 南東に住宅が有るけど、東と 南南東 は畑となっていて見通しが良い。

 

南東除くと全方位、隣地建物との距離が最低7m以上有るわけで、風通しも良く、太陽光は真冬でも十分にリビングへ燦々と射し込むので、十分すぎるくらい?

いや、贅沢だろ  爆笑。

 

まだ20代の後半に入ったくらいの年齢で東京都内に家を持つのは、僕の時代では考えられなかった・・・・

 

僕の息子は中学時代に半端なく荒れて、すさまじい反抗期から深夜徘徊含めて非行友達と徒党を組んでは色々と問題起こした、いわゆる不良少年だった。

うむむ

親(僕)と 学校(教師)を半端なく毛嫌いして、中学卒業を待たずに家を離れ、ほぼ一年間マリンスポーツ(ウインドサーフィン等)をして過ごした後に、戻ってくると”意を決して?”私立高校へ進学。

大学を卒業して、やはり? ほぼ一年間近く就職浪人?した後に親方日の丸の職業へと就いた。

ほぼ同時にウルトラ美人の嫁さんと結婚して、子供も授かり、ここにきて家庭がさらに安定してきた事もあるのだと思うけど、家を持ちたいという方向に気持ちが向いている様だ。

 

最終的にそこに決まるのかどうか?は息子夫婦次第の話であって、「どう思うこの物件?」と現地見せられた僕は、そのまま感想を述べて、思うがまま話すだけ。   

それ以外には何も言わないんです 

例え我が子であっても、一度結婚して家庭を持てば、それは完全に独立で有り、自立した(他人)存在としての視点から尊重しなければならないから。

 

家も一つの縁物だから、はたしてどうなるのやら・・・

 

しかし、学年一番下から常に片手指の本数以内の成績だった息子だったのに・・・・・、人生とはまか不思議なものだな~と 思う。

 ニコニコ二コ

 

 

 

 


入学おめでとう!

2015年04月03日 | 研究-教育・育児

3月無事短大を卒業した我が娘、   卒業証書や教員免許状を見せに来てニコニコ。 

早速家族でお祝をして、話は次の大学3年生への編入話。

僕?の大好物の分厚いステーキを食べながら2年間の思い出話をする娘。

しかし・・・・・・ すでに内定が決まって春から仕事に就くはずだった友達が、単位を落として卒業できなくなった話や、

専門学校からディズニーランドに採用が決まった友達から聞かされた暗い契約仕事(ディズニーは有名なブラック職業です)の現実。

、もう仕事が始まっている友達の話など・・・・・

 

いろいろな人生が此処にもあるな~ と・・・・・・酔っ払い親父は思っていたわけですが・・・・

 

あれからあっと今に時間は過ぎて、もう入学式。

 

その前の説明会に行ってきた娘は「大変だ~!」の一言。

4年かけて取るはずの単位の多くをこれからの2年間の間に取らねばならない、 重なる部分は多々あるけど、 専門分野の方は

普通の倍時間をカリキュラムに入れなければならず、「大丈夫なんかいな?」と心配になる。

 

さすがに疲れたのか、珍しくスーツ姿でリビングにコロリとなっていたけど、 このところ「保育園の先生もいいな~」とか言っていて、

小中と 問題親(精神的異常者とクレイマー)がやたらと多い昨今、教壇に立つ事にすこし後ろ向きにな気持ちになっているようです。

 

まあ、自分の人生は自分で選ぶ物、後悔しない人生を歩んでもらえれば、親としては何も言うことはありません。  まあ、頑張れや!(爆)

 

 


もう二十歳

2014年08月30日 | 研究-教育・育児

いつまでも子供だと思っていたけど、もうすぐ二十歳になります。

来年は成人式・・・・・ ・・・・か~・・・・・・・

 

昨日某所で行われた フラダンスの発表会の写真をアップ。

習っているところは初心者から上級者までそれぞれのグループが有って、

ほぼインストラクターレベルの娘ですが、まだ若すぎるが故に、その立場にはまだなれない。

かなり有名らしいですが、 僕にはなんのことやらさっぱり解らん世界っです。 

 

そういえばモデルの仕事に飽きたのかしらんけど、全くやってないな~最近。 (笑)

 

 

 

 

 

 


思い出と共に、娘の教育実習が終了

2014年06月27日 | 研究-教育・育児

約一月に渡って行われた娘の教育実習ですが、本日無事に終了しました。 お疲れ!

最後の日の夜には、 十数名の先輩先生方が集まり、わざわざ慰労会まで開いていただいた(もちろん娘は飲酒していませんよ)。

そこでは一月間の苦労(有ったのかいな?)へのねぎらい、及び 未来への励ましをたくさんもらったそうです。 

そして生徒達の手紙を綴じ込んだ分厚い本?や、 授業中の写真を沢山綴じ込んだ先生達の手作りのプレゼントまでいただいたそうで、本当に良くしてもらったのだと・・・・・・爆涙

 

娘を育ててきた一人の父親としては、唯々感謝の言葉しか出てきません。

人として何が大切か?は、特に女の子であるという面から、 誰からも愛される人間性を持っていなければならない、そう思いつつこれまで育ててきた。

「武士の娘のようにあれ」を基本とし、 幼い頃から外が真っ白の霜で覆われた真冬の早朝に窓を全開のまま、一切お湯等を使わさずに、冷たい真水で床の雑巾がけ、トイレ掃除 等々をさせた。

整理整頓を教え、料理も僕がね・・・

もちろん僕も 全く同じ条件で一緒に掃除していますよ、手本でなければなりませんから。

 

勉強よりも、自然の怖さと力の恐ろしさを学ばせ、同時にそのすばらしさと優しさも身をもって体験させてきたし、 人間性という面の厳しさとしては、体罰も平然と行使しました。

言葉で諭すことは幼少期までで、 ある程度成長したら いきなり叱りつけることも多々・・・

他人の心を深く読み込む能力は、叱られた時にその理由を自分で考える訓練(習慣)を繰り返すから育つんです。

 

僕からすれば まだまだヒヨコでしかない我が娘、時々甘ったれたる19才の乙女。 

この秋にはいよいよ成人となりますが、 はたしてどんな人生を歩んでいくのか?

 

親の仕事は 自分の子供が当たり前のように(何ら労せず)社会に適合できる様、 無理矢理に型へはめて育てることが仕事。    ただし自分でそれを破る力も育てなくてはならない。

その為には 大いに叱り 大いに褒める。 それが大切だと思っています。 

 

なんか、 大きくなるのは嬉しいですけど、 さみし~な~ と思うこともあります。

な~に、 家族全員がそれぞれが幸せになりつつ、 少しずつバラバラ(巣立つ)になっていく事、それが子育ての本質ですから・・・・・ 

 

 


2才9ヶ月

2014年06月24日 | 研究-教育・育児

時々家に遊びに来る息子夫婦、 近いので気軽に来れるという事もあります。

そのたびに孫の、いや人間という生き物の成長には驚かされるわけですが、

人ならではの知能発達は著しく、 自分と違う親や周りの人からの問いかけや言葉に対しての反応、返す言葉の中身もはっきりして、笑わすことも出来るし、行動は常に思考に応じて適切に動いている。

2才9ヶ月になると、ここまで出来るものなのか・・・・・と解ってはいても改めて感心する。 

 

リビングはとりあえず走り回れる広さがあるので、 真ん中のテーブルを中心にして、力尽きるまで走ったり、飛んだり。

で、その途中で目に付く物を見つけると立ち止まっていじくり回し、 気がすむと また走る。

小さいけれども 毎日外遊びをしているから日焼けした顔に、 乳児の頃と違って引きしまって腕白な体つきへと変化している。

驚いたのはあっという間にハーモニカが吹ける様になってしまった事で、 僕のブルースハーモニカをいたずらしている間に、だんだんと曲を奏でることが出来るようになってきた。

たぶんテレビで見ている 某かの曲だと思うのだけど、 へぇ~~~~~! と思わず感心する。

ブルースハーモニカは単段で穴も大きく、 フォークソングやPOP、カントリーソングのミュージシャンに好んで使われる物で、その吹きやすさが特徴。

孫だといっそう吹きやすいみたいで、 色々と試行錯誤している姿をみて思わず微笑んでしまう僕。  

そんな自分を 「なんか爺くせ~~~!」(爆笑) と思ってしまう僕だけど、やはり孫は可愛い。

そのうち 娘のギターにも手を出して、 当然弦を メチャクチャにかき回すだけだが、それが音楽を奏でる楽器である事は理解しているようだ。

*親はギターを傷つけはしないかとハラハラ、 娘はだまってニコニコ見ているだけ。

 

そういえば反抗期は完全に終了して(一時はそのすさまじさに息子が途方に暮れていた)、 今はよく親の言葉をよく理解して判断も適切らしく、友達との外遊び以外は ボッシュの組み立てオモチャで何かしら作成して遊んでいるらしい。

たまたま今回、 「まだ早い・・・」と、二階に置きっ放しになっていた ブロックをみつけた孫は大喜び。  早速出して何かを造っては分解を繰り返し、 その小さな想像力をめいっぱい働かす。

象さんを組上げたり(きちんと長い鼻があるのわ面白い、 駐車場?を構成したり(ただ並べただけ 笑))、 造る物を見ていると、この辺は男の子だよな~と思う。 

まあ、何にせよ毎日着実に進歩をしているようです。

そろそろ LEGO か ダイヤブロック(まだ売ってるのかな?)を考えないといかんな~と思っている僕です。 

 

 


ヤモリ(家守) 子供の日に思う

2014年05月05日 | 研究-教育・育児

 

今日は子供の日

子育ては色々なハプニングと、トラブルの連続でしたが、上の子は公務について家庭を持ち、子供も授かって幸せに暮らしています。

下の子は?というなら、来月母校にて教育実習生として約一月間、先生として子供達と過ごす。

 

なんでも、100年以上歴史のある小学校なのに 今まで教育実習で来た”卒業生”はゼロらしくて、家の娘が初めてとのこと。 

でもって、迎える校長先生と市の教育委員会は大喜びだそうで、「なんだそりゃ~?」と  笑

 

この子も何とか普通の社会人には成れそうで、一応はホッとしている。   馬鹿な僕に育てられた割には、一応まともになっているみたいなので。

二人とも幼い頃から塾に行かさず、ひたすら友達と遊ぶことだけを僕は進めた。

故に?中学校入学時は二人とも他の子より勉強が後れまくり、 半端じゃなく出来ない生徒で有った事を鮮明に覚えている・・・・・ 

 

ところが、いつしか分らんけど二人供勝手に勉強を初め、「遊んでいても良いんだぞ!」と僕は言っているのに、高校生活は勉強を中心に過ごし、学校推薦で入学した大学でもカリキュラムびっしり詰めて学んでいた。 一人は現在進行形 

「よくやるよな~?・・・・ と高卒の僕は思ってしまう 爆笑!

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Gekko_japonicus.JPG

まあそんな話はどうでよいのですが、家にはこのところヤモリが出現している。  

まだ体長3cm程の真っ黒い色をした子供だけど、 ぺたりと壁にくっついてとても可愛い。   

この間はリビングの隅に鎮座していて、危うく掃除機で吸い込みそうになった。

 

こうした動物の存在に対して、初めに気づくのはたいてい娘でして、 ところが目にしても特に驚くこともないし、厭がるわけでもない。

「教育は大切だな~・・・・」  とそんな姿を見て思うのだけど、 隣が林である家にはスズメバチ、 トカゲ、 蜘蛛 ムカデ ガマガエル 等々、色々な生き物が「こんにちは!」して楽しませてくれる。

玄関ドアを開けた瞬間に、でかいガマ様が鎮座していたり、 帰宅すると太陽で暖まった階段にシマヘビやアオダイショウが寝ていたりもする。 

マムシは基本的に水辺にしかおらず、特徴のある頭の形をしていなければ無毒であることは簡単に判るので、そうしたときはヒョイと頭をつかんで捕獲する。

まだ息子も娘も小学生だった頃は、すぐに呼んで蛇の特徴や自然界での役割、 どの蛇が危なくてどの蛇が大丈夫なのか?とか、捕まえ方や食べ方にいたるまで???説明 (笑)

捕まえるたびに触らせていたので、二人ともすっかり蛇になれてしまい、見ても特段騒ぐこと等が無い。   

もちろんお触り?した後は林にリリース。

トカゲとヤモリもそうだけど、 ヤモリは家にいることが多く、 この小さな生き物が人間にとってどんな存在なのか?を娘に話しながら、指先でくりくりと撫でて説明。

蛾や蚊、ハエ等含め人にとって有害な昆虫を補食し、 その臆病な性格から人に向かってくることは一切無い。

第一あの弱いあごでは赤ん坊の指をかんでも血すら出ない 100%の益虫?である。 

 

そうしたこともあって、 ヤモリ = 家守 という意味があり そのちいさな生き物が 自分たちを守ってくれているのだと教えていたので、見つけて喜びこそしても、けして追い出そうとはしない。

思えば僕が子供たちに教えたのはそんなことばかりだ。  爆笑!

火のおこし方や、 洋服なくても体の体温を守る方法とか、 野宿だったりとか  ろくでもない知識ばかり授けていたな~! 

 

線路に鹿が飛び出して衝突&電車が止まるような路線エリアに住んでいる我が家には、時々娘の友達が泊まりで遊びに来たりしているけど、 この間は寝るときにその友達がヤモリとご対面して大騒ぎする一幕があった ぎゃははは!

で、平然としているだけでなく、 「守り神だから触らないでね!」 なんて言っている家の娘は、「あんた何者?」等と言われたりもするようだけど、生物の攻撃性はどんなときに引き起こされるのかを理解していれば、普通に暮らしている分には怖くも何ともない。

スズメバチも あくまで人間が巣に近づく事で攻撃対象になるが、草むらでバッタを捕獲してそれを巣に持ち帰るために肉団子に加工しているときなど、指先で背中を触っても刺されもしない。

ただし苛つくような状態に置かれると、攻撃してくることがあるので注意が必要。

 

クマバチは雌は針を持つが雄にはなく、素手で捕まえてオモチャに出来る。

 

人はそうしたあらゆる生き物たちと共生し、特に日本人は八百万の神に囲まれて育まれる文化を持つ国だ。

この国の神話は明るく、ユーモラスであって、同時にとても人間くさい。 

西洋の破壊を好む神とはまったく異質のものであり、 もし日本の神話を読んだことがない方がいらしたら、是非読んでみていただきたい。 

この国の原点がそこにある事が分る。

 

 

親が子供に教えられる事はたかが知れていて、そして教えることが難しいが故に、 学習塾などに放り込んで管理教育するけど、 僕はそうしたものに一切携わらなかった。

やったのは子供達を海や山等の自然界へ連れて行き、自らが子供の頃に得た経験や体験を含ませながら色々と教えてきただけ。

 

こんな物がどう役立つか?を考える事程、野暮な物は無いのかもしれないけど、日常の中に存在するあらゆる小さなものをダイレクトに感じ取れることを目指してきた。

何故なら、それが心を豊かにする事そのものだと思っているから。 

 

小さなテントウ虫一つをとっても、 道ばたの忘れ去れた草花さえも、 幼少期からどう触れてくるかで視点と解釈、そして受け取り方が大きく変わり、 それが大人になってどれだけ、自分を支えてくれているか?を二人のわが子にも知ってもらいたいと、僕は思っていた。

裏を返すとね、人は自然の一部である! それを伝えることが僕にとっての教育なのかもしれない・・・・・  

 

追記:毎年子供達に色々と教えていた夏の木崎湖には、今年から行く事はありません、ちなみにコーチ達とは今も仲がよくて、要因は全く別にあります。