10時ころかな、仕事が一区切りついて、 建物の外に出てみた。
ドアを開けてすぐ感じたのが 南風(シーブリーズ)。
まだ、確かに夏はそこに有って、少し蒸し暑さを孕んだまま自分の横を静かに通り過ぎていく。
すぐに南の空を視て、雲の切れ間のブルーに吸い込まれつつ「今日海に出たら最高だろうな・・・」なんて思いを巡らせる。
「来週には秋の空気がやってきて、北のほうにある初冬もすでに控えている」と、お天気姉さんが言っていたけど、そんな事より、自分を包んでいる夏の名残、それを今そのまま感じられるのが、何より嬉しいし、心が弾む。
自分がウインドサーフィンを始めたのは、もう15年程前になる。
プレーニングしながら沖を飛ぶように走る姿に、それまで感じたことのなかった衝撃を受け、それが始まりだ。
そして、初めてのボードに小さなセイル。
初心者用の大きなボードなのに翻弄されまくり、塩辛い水をどれだけ沢山飲まされたであろうか・・・
「自然は努力する人間に必ず報いてくれる」と、あるウインドサーファーがそう話してくれたけど、その通りにストラップへ足を入れて、ハーネスにラインをかけられるようになって、
やがてはその瞬間を迎えた。
それは、それまで自然が人間を翻弄している状態から、 人間が自然の力を操る技術を得る事で、それにより ”風使い” の一人になることができた。
同時に、一種の悟りみたいな、とてつもなく大きなものをもらったのだけど、以降、セイルに風を受けて沖を飛ぶ度に、なんて表現すればいいのか解らないけれど、体で受けとる感覚だけを通じてのやりとりをさせてもらっている。
言葉に表すことが決して出来ない多くの教えや、考え方、自分の有り方、いやそれ以上の多くを地球からもらい、
それがどれだけ幸せな物であるか?というのは、たぶんウインドサーフィンをやっている者でなければ得る事のできないものだと思う。
もらった物の中に、謙虚、柔軟性(人間的)が有る。
この二つは、普段の生活で接する多くの人たちとの間で少なからず発生する摩擦を、不思議と消し去ってくれる物として自然に備わって、
なので仕事上で何の軋轢も起きないし、ガシャガシャ揉めている人達を見ると、なぜそうなるのだ?と不思議でならない。
いや、単にまわりの環境に恵まれているだけなのかもしれないが・・・
人は自然の一部であり、地球の一部であって構成要素でもある。
海水と同じ成分の羊水の中で命が始まり、「おぎゃあ!」と、肺に目一杯空気を取り入れる事で、思考する人間、すなわち一人の人としての歩みが始まる。
そして最後にはその呼吸が停止し、人としての活動が停止し、乾いた灰になって地球に戻る。
人は、水と空気という、このどこにでもある物に対して、一生の間にこれを強く意識する事は余りない無い。
せいぜい台風や大雨の時くらいだろうか?
彼らと、力くらべしたり、戯れたり、調子に乗って締められたりと、ダイレクトに接することは、正直言って殆どない。
ウインドサーフィンは、それがダイレクトにできるスポーツ。
だからこそ、長い時間接して、苦しい思いを乗り超える努力をした者だけに、会話方法を教えてくれるのだろうと思う。
エッセイ BY Falcon (翔)