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帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

春の香り

2024年01月08日 | ど下手な 詩集やエッセイ等

毎年ね~ 春が近くなると、 独特の香りが鼻を擽る。

でも、今年は例年より少し早いかも。

 

普通に目が覚め、 普通に朝ご飯を食べ、 普通に歯を磨いて、施錠をはずしたドアを開けた瞬間に届く”春”。

 

冷たい死の世界から、生の世界へと切り変る、

ほんの少し前の、そしてほんのわずかな期間だけ感じ取れる春の息吹。

 

水分を含んだ大気(低気圧)が近づいて来て、乾いた土に命の元を届け始めると、

眠りから覚めた虫たちが羽を伸ばし始める。

 

すこしだけ深呼吸して、肺に春を届けてみるなら、 冷たいそれは血の中に溶け込み、躯を駆け巡りながら、

暖かで静かな幸福感へと変化する。

 

それが香りであるからこそ・・・

 

”生きる”という事は、 こうした何気ない季節の変化と、供に人生を歩むことだ。

 

by 翔

 


あめ

2019年03月01日 | ど下手な 詩集やエッセイ等

雨・・・人は皆、俯いて歩く

冷たいから

あえて、上を向いて歩む

灰色の空、瞳に雨粒が弾け飛び、

やはり冷たくて、でも清涼でいて・・・


受けてみる、

ぷつぷつと、掌で転がる小さなリズム達

それに合わせて耳に届くは、春の旋律

乾ききった大地に注ぐ自然の愛は、やがては海に注がれ、

北風の思い出は、海流に乗って南の国へと旅をする

太陽が悪戯っ子の積乱雲を呼び、そしてそれは又、

風に乗って僕の元へ届く

 

 

By 翔


肥と水

2019年02月09日 | ど下手な 詩集やエッセイ等

 

https://www.youtube.com/watch?v=M2hHdCVBh74

 

肥えと水

 

 

人の思い(心)は、時が理解させてくれる物。

僕は、いつもそう思いながら生きてた。

例えば、その瞬間は腹が立って、悔しくて、ただ反発するだけだったりするけど、


結局は 自分の心の成長が感情に追いついて無いんだよね。

常に・・・・

生きる事は、 ”人の心(思い)を理解できる心を、自ら育てる事”なのだと、そう思うのは、

昔も今も変わることが無い。

でもね、いつまで経っても、追いつけない自分も確かにいる。

もし、これを失うと、 人として枯れていくんだろうなと思う。

花に注がれる肥しを成長の為の物とするには水を差す事が何より大事。

それは清らかであるほどよくて、濁りが有るほど、腐敗する。

清らかであるかどうか?は自分の受け取り方と同じで、 濁るかどうか?は自分次第。

であるなら、 常に太陽を見ている自分でありたい。

 


秋と冬と

2018年12月17日 | ど下手な 詩集やエッセイ等

 

午前5時半 冷たいけど暖かい 雨のリズム 

午前10時 煌めく太陽に 揺らぐアスファルト

午後一時、眩いばかりの青空

行ったり戻ったり

季節の溶けあいは、混沌とした冬を創り上げる

外に出てみる

瞳に入った古木の枯れ葉を見ながら、深呼吸をしてみると

ほんの少しだけ、鼻をくすぐる北風の香り

目眩がするように感じたのは

「霜柱の季節も楽しいんだよ」と囁きながら去っていく

秋の悪戯だろうか・・・

 

By 翔


暖かい

2018年12月04日 | ど下手な 詩集やエッセイ等
今日はとても暖かい一日だった・・・・

出来るなら、このまま一冬続いてほしいものだと思うけど、

人生と同じで、そんなに都合良く行くことは無い。

必ず、凍てつく寒さは来るのだけど、それが有るからこそ春が素晴らしく感じられる・・・・・ 生きることも、全く同じ。


「暖かい」
 
今、目の前に落ちたばかりの木の葉を両手で包み、暖めながら、そっと問うてみる。

「太陽は好きかい?」と・・・・

答えを聞きたくて少しずつ指を開いていくけど、答えなんて決してもらえはしない。

ただ、間違いないのは、彼らの美しき姿に、その年の夏の燃える太陽がそのまま焼き付けられているという事。


突然の北風。

思わず北を向く僕



そして、それは連れ去られてしまったけど、

手のひらが、何時までも暖かかったのは、きっとそのせいなのだと。


詩 By 翔

2018年10月17日 | ど下手な 詩集やエッセイ等

になるとね、ガサツな僕でも、少しだけセンチな気持ちになる。

大雑把なのが僕なんだけど、少し気温が上がれば虫たちの囁き、

風冷たければ、空に現れる季節の変化。

少しだけ秋風にかさつく木の葉のお喋りは、やがて紅葉と風のメロディに乗って消えていき。

秋の一時を語り尽くした一夏の思い出は、虫たちが春まで過ごす暖かき寝床となり。

弱き陽光は彼らにとって幸せな微睡みとなる。

落ち葉の上を歩むその不思議な感触は、過ぎ去った夏がくれるもの。

ふと、足をとめ、その次に深呼吸をする。

清らかでいて、清々しくて・・・・

掴めるはずのない、秋を右と左の手の手のひらで包んでみる。




いいや、特に理由なんて無い、なにかを感じられるような、




そんな気がしたから。


By 翔


雨音

2018年06月16日 | ど下手な 詩集やエッセイ等

パチャパチャ! カンカン! ボソボソ! 枕元に届く雨音。

僕が住んでいるのは築25年を超えるボロ屋。

 

でも、嫌いじゃ無い。

 

耳に届く様々な雨音はメロディ

時として耳障りなのは、夏の幸せな太陽が来る前の小さな修行??   あはははは!

生きる事の意味は、物質の豊かさでは無く、今目の前にある、ごく普通の存在をどれだけ幸せとして受け止められるか。

じゃないかな・・・



人は、心の持ちかた一つで、全てが変わる生き物だから。

 

By 翔


H-O-H

2018年05月30日 | ど下手な 詩集やエッセイ等

帰り道、

初めポツポツ、やがてそれなりになって、最後はザーサー

水素と酸素の安定化合物、H-O-H

気体として存在したり固体としても存在し、柔らかでいて、光り輝く物でもある。

余りにも普通だから、普段は全く意識しないけど、ワイパーで拭き取られていくのを見て、

自分の躯のほとんどが、これで構成されているんだよな~と・・・・ (・、・)

すこし違うのは、

生きているという事で、それは暖かいことであり、笑顔をであり、優しさでもある。

いや、+命を得ることで、違う姿としてそれぞれあるのかも知れない。

 

by 翔


僕が嫌いな物

2018年05月18日 | ど下手な 詩集やエッセイ等

”心のトレーニング”

 

嫌いなのは、他人を妬む事、羨む事

そんな気持ちをいくら持っても、

 

そこに進歩は無い

己を磨く事は、少なからず、痛みや、苦しみが伴い、でもそれは

心がトレーニングされているから・・・(^、^)b

楽したいから、認めたくないから等々、人は常に言訳を探す生き物。

それに支配されるは、人として敗北以外の何物でも無く、

 

恥を常に知る事は、   

 

男には大切だ

 

 

By 翔


マーガレット

2018年04月26日 | ど下手な 詩集やエッセイ等

朝、

車を駐めて歩いていたら、瞳に入って来たマーガレット。

その輝く姿に、「何時も突然に咲くな~ ・・・」と、思わず苦笑する僕
(^、^)

一昨日の激しい雨に促されたのか? 無機質な芝生に星をちりばめた様に、7つほど・・・・

膝をついて、手の指で挟みながら包んでみる。

瞬間、見つめ合うかのようでいて、そしてそれが、恥ずかしげにうつむく少女に思えてしまうのは、

僕だけだろうか。


2018年04月17日 | ど下手な 詩集やエッセイ等

 

雨か・・・と 空を見上げる

神様が注ぐそれは、すべてに平等

花びらのホコリを優しく洗い流し、命を育む

やがて、焼けたアスファルトをなだめる激しさと情熱を持ち、それでいながら静かに蛍を誘う

実りを黄金へ磨きあげると、虫たちを慰め

仕上げに白き妖精へと姿を変えて、暖の意味を教えてくれる

天へと帰っていく彼らが積乱雲となり、海風を呼ぶと、僕はずっこける、ボードから落ちる、

水を飲まされる。

見上げた空には、太陽が有る 

 

 

BY  翔

 

 

 


 


ロック

2017年12月28日 | ど下手な 詩集やエッセイ等

レイル(*1)が水を咬む瞬間の、複雑なGを感じつつカービング。

 

そしてセイルを返す。

 

たった3秒間の間に、20以上の確実な動作を要求するジャイビング。

”最も難しいスポーツ”と言われているけど、慣れきった躯は無意識に動く。

 

あれだけ蒸し暑かった南の風は少し乾いてね、一つの季節が終わろうとしている。

 

戻ってきたブームを摑み、新しい風が入ることで孕み始めたセイルを、力一杯煽りこむ。

全体重を生かし、盛り上がる腕の筋肉と腹筋で、さらに繰り返しながら、”同時”にボード上の体重を抜いていく。

 

セイルの生み出す推進力と浮力の中和点がそこに生まれ、

ここから加速力を創り上げていく。

 

戦闘機の翼と同じ形状のそれは、加速するボードとシンクロしながら、次々と風を切りつつ爆発的なパワーを生み出し、

超硬ステンレス製のハーネスにラインを掛け、ストラップにつま先を入れると、視線はブルーとブルーが織りなす水平線に・・・

 

アプローチ速度に達すると、もう煽りこむ必要は無い    

 

けど・・・・

 

ここから先の一時は、ある意味とても緊張する一瞬。

揚力と会話しつつ、少しづつマストを前に送る。 慎重に、慎重に、ほんの数センチに出し過ぎただけで、そのパワーはあっという間に体を吹っ飛ばすから。

 

自分の力で押さえられる限界ぎりぎりをキープしつつ、自然の力との駆け引きは続く。

 

 

やがてボードがリフトして海面を飛び始め、セイルに入る風がすっかり軽くなる頃。

 僕は 季節をシフトさせるストリームに溶け込む。

 

ウインドサーフィンは孤独だ、 誰かと一緒に乗れる物ではなく、

受け取る感覚を共有できる物でもなく、

ただ、一人だからこそ受け取る多くは、言葉に表し切れない。

 

ダイナミックな感動と、無言で交わされる地球との会話は、生きていることの素晴らしさを何時も教えてくれる。

 

ただそれだけの、とても不思議なスポーツだけど、相手がデッカいからこそ ”大きくて優しい人間”になれる。

 

 

 

 

 

僕はそう思う・・・

 

ストーリー By 翔 

 

 

 *1  レイルは、スキーやスノーボードのエッジ全体の流れと同じ感じの物です。

   相手が水ですから、有るようでいて無いし、でも確実にカービングするとても不思議なものです。

 

 君はロックを聴かない

 


雪崩込む様に

2017年12月11日 | ど下手な 詩集やエッセイ等

小さな話し声がする

耳を立てて、やっと気づくほどの小さいな声。

 

季節を全身で受け、台風に耐え、

いつの間にか空を覆いつくし、

いつの間にか消えていく、

 

時が来ると、彼らは最後の演出をして、メッセージを語り、

最後は虫達の暖かな寝床になる為に、そして次のシーズンの為に大地へ帰っていく。

 

左手に載せ、右手でそっと覆ってみる。

一つのシーズンを生きた様々を感じ取れるだろうか

 

赤く染まったそれは、

少しだけ冷たいようでも有り、暖かい様でもある。

 

目をつぶり、温もりにつつまれながら語りだす物語に耳を澄ましてみる。

怒りのとき

苦しいとき

楽しいとき、

そして悲しいとき

去りゆく記憶の一つ一つは それぞれが舞を見せつつ、

秋の空になっていく。

枝先に瞳を向けると、北風に揺れながらも名残惜しそうに残る姿に、

太陽が暖かい微笑み(光)で送る無言のメッセージ。

「凍える時を越えたら、次のストーリーの始まりだからね・・・」

 

 

 

詩 By 翔

 


南の風

2017年09月27日 | ど下手な 詩集やエッセイ等

10時ころかな、仕事が一区切りついて、 建物の外に出てみた。

ドアを開けてすぐ感じたのが 南風(シーブリーズ)。

まだ、確かに夏はそこに有って、少し蒸し暑さを孕んだまま自分の横を静かに通り過ぎていく。

すぐに南の空を視て、雲の切れ間のブルーに吸い込まれつつ「今日海に出たら最高だろうな・・・」なんて思いを巡らせる。

「来週には秋の空気がやってきて、北のほうにある初冬もすでに控えている」と、お天気姉さんが言っていたけど、そんな事より、自分を包んでいる夏の名残、それを今そのまま感じられるのが、何より嬉しいし、心が弾む。

自分がウインドサーフィンを始めたのは、もう15年程前になる。

プレーニングしながら沖を飛ぶように走る姿に、それまで感じたことのなかった衝撃を受け、それが始まりだ。

そして、初めてのボードに小さなセイル。

初心者用の大きなボードなのに翻弄されまくり、塩辛い水をどれだけ沢山飲まされたであろうか・・・

「自然は努力する人間に必ず報いてくれる」と、あるウインドサーファーがそう話してくれたけど、その通りにストラップへ足を入れて、ハーネスにラインをかけられるようになって、

やがてはその瞬間を迎えた。

それは、それまで自然が人間を翻弄している状態から、 人間が自然の力を操る技術を得る事で、それにより ”風使い” の一人になることができた。

同時に、一種の悟りみたいな、とてつもなく大きなものをもらったのだけど、以降、セイルに風を受けて沖を飛ぶ度に、なんて表現すればいいのか解らないけれど、体で受けとる感覚だけを通じてのやりとりをさせてもらっている。

言葉に表すことが決して出来ない多くの教えや、考え方、自分の有り方、いやそれ以上の多くを地球からもらい、

それがどれだけ幸せな物であるか?というのは、たぶんウインドサーフィンをやっている者でなければ得る事のできないものだと思う。

もらった物の中に、謙虚、柔軟性(人間的)が有る。

この二つは、普段の生活で接する多くの人たちとの間で少なからず発生する摩擦を、不思議と消し去ってくれる物として自然に備わって、

なので仕事上で何の軋轢も起きないし、ガシャガシャ揉めている人達を見ると、なぜそうなるのだ?と不思議でならない。

いや、単にまわりの環境に恵まれているだけなのかもしれないが・・・

 

人は自然の一部であり、地球の一部であって構成要素でもある。

海水と同じ成分の羊水の中で命が始まり、「おぎゃあ!」と、肺に目一杯空気を取り入れる事で、思考する人間、すなわち一人の人としての歩みが始まる。

そして最後にはその呼吸が停止し、人としての活動が停止し、乾いた灰になって地球に戻る。

人は、水と空気という、このどこにでもある物に対して、一生の間にこれを強く意識する事は余りない無い。

せいぜい台風や大雨の時くらいだろうか?

彼らと、力くらべしたり、戯れたり、調子に乗って締められたりと、ダイレクトに接することは、正直言って殆どない。

ウインドサーフィンは、それがダイレクトにできるスポーツ。

だからこそ、長い時間接して、苦しい思いを乗り超える努力をした者だけに、会話方法を教えてくれるのだろうと思う。

 

エッセイ BY Falcon (翔)

 

 

 

 


Somewhere Over the Rainbow/What a Wonderful World

2017年06月23日 | ど下手な 詩集やエッセイ等

人は生まれた瞬間から、

どういった死を迎えるか? と、向かい合いつつ人生を生きていく。

 

ある人は生まれて数時間で、

ある人は青春のまっただ中で事故に遭い、

ある人は繰り返す記憶の世界を漂いつつ、

 

静かな最後を迎える。

 

”時”は、貧乏だろうが、お金持ちだろうが、静かな人も、賑やかな人も、苦しい人も、あらゆる人に完全に平等で、

人はその時の刻みの中を歩んでいく。

 

 

心臓の鼓動が止まると、魂は虹の向こうに羽ばたいて行き、いずこへ向かのだろうか・・・

 

息をして、

食べて、

泣いて、

笑って、

頰を撫でて、

 

髪を靡かせてくれた風ひとつとっても、

 

 

それは美しい世界に生きていた輝く記憶の一つであり、輝きでも有り、