帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

卑しい人

2016年09月09日 | Weblog

たまたまネットサーフィンしていて見つけた、コラム欄というか 記事なのですけど、読んでいて、あまりにも僕の考え方とシンクロするので驚いた。

書いているのは 吉田典史(よしだふみのり)さんというライター

http://www.nikkeibp.co.jp/atcl/column/15/92290/090600043/?P=1

 

記事の中で特に感銘を受けたのが、「自分を受け入れる範囲でしか他人を受け入れられない」という言葉で、まさにそのとおりだと思う。

 

確かに、人は"今ある自分をそのままの自分"として受け入れる事が出来ないかぎり、人を素直な視線で見るという事が決して出来ない。

良い面、悪い面合わせて、己という物をそのまま受け止められる人間は、それそのものが"勇気"でもある。

 

弱虫、意気地無しな人ほど、有りもしない拡張人物像を自分の中に創りだして、それをもって保身する。

不安になると、他人と比較する事(なんだかんだと相手の批判とケチつけ)で安心して、これ又有るはずのない物を得ようとする。

 

”自分はこうなんだ”と包み隠さず受け止める事は「それなら自分はどうあるべきか?」という事を考える先駆となる、大切な思考であり、出発点そのものでも有る。

何故なら、自分に問題点、弱い点があれば、それを受け止める事が出来た時点が一番底部分だから。

後はそれを改善して行けばいいだけのことで、それは自分にとっても自分を取り囲む、自分に繋がるすべての人達にとっても、プラスにしかならない。

全てにおいての利益ということ

 

勇気がなく、ボトムまで降りられずに、底辺から自らを眺められないという事は、常に有るはずのない自分を問題点、弱い自分の上に創りだして、それが自分であると思い込ませる無駄な努力をしているわけだから。

見下ろしている限りは、それに直に触れる事はなく、したがって学べるはずの物を一切得られないことになる。 

チャンスしら発生しない。

 

故に、何時までたっても成長する事能わず、幻影であることを決して認めず、他人には悟られないようにする努力だけを延々と続ける。

 

この記事を読んでいて、まさにそうだよな~と思うことしきり。

久しぶりに何かを得た感じで、他の記事も幾つか読み通して、

最後に、「はて?」自分はこの人が伝えんとしている事、それを素直に受け止めて、また自分自身に当てはめてみたら、「まだまだ未熟だなあ~~~!」なんて思うしか無いわけです。 

いろいろな意味で・・・・

 

面白い記事でしたので、このブログにて照会させて頂きました。