とうとう鳴き始めてしまった、夏の終わりを告げる声。
帰宅して玄関から家の中に入ろうとした瞬間、耳に入ってきたのですけど、ツクツクボウシが鳴き始めると、すでにそれは夏の終盤な訳でして、
夏の到来を告げるアブラゼミがどんどんと姿を消して、やがてミンミンゼミになり・・・・
こうして一つの季節が移り変わる。
今日はね、朝の雨が弱くなってきたのを見計らって、ウインドの道具を洗いました。
まさか午後から夏空になるとは思っても居なかったのですけど、まだ残り雨の中でサーフパンツとラッシュガードに着替えてセイル3枚、マスト3本、ブーム2本、ジョイントやらハーネスやらも。
ボードは海で車積載前にシャワーで洗うので、洗わずにそのまま積みっぱなし。
それなりに動くので、一通り洗い終わると汗をかきます。
職場のシャワー室で簡単に流して、そのあとは昼ご飯を食べて、しばし休憩。
早々に帰宅しようか?とおもって建物外に出たら太陽が燦々でね~の! およよよ!
「おっ!!」なんて思って青空見上げて、一瞬にして朝の陰鬱な気分も吹っ飛んでしまい、ついでなので道具のメンテナンスもする事にしました。
一番痛むのがセイルですけど、どうしても折りじわが出来てしまうのは材質と構造上どうにもならない。
それが破れの原因となるので、専用リペアテープでペタペタと補強しますが、まずは6.0、次に昨日朝使っていたご老体?のGTX8.5。
最後に11.0の CODEREDですけど、破れが広がる寸前の破損を見つけて少し青ざめ
真新しいセイルに変えられる経済的な余裕が有ればそれが一番なのですけど、僕は何時も5~8年くらいの型落ちセイルを大切に使っています。
そうそう、こうしたウインドの道具の扱い方に、その人の”人間性現れる”と、どこかで聞いたことが有ります。
ウインドはプレーニング時にアドレナリンが爆発して一種のナチュラルトランス状態?になって、いわゆるまあ、それ?いやそれ以上?
の感覚(快楽??)になるのは、自分自身もよく理解しているわけですけど、
故に、本能剥き出しみたいな状態になってしまう訳でして、実際にそれが有るから全身の筋肉と骨がガタガタになるまでやってしまうのですけど、
問題はそのあと。
道具の扱い方に、その人なりが現れる。
使って、砂ついたまま、洗いもせずに乱暴に車に積みっぱなしにする人、デザインに飽きるとすぐ新しいセイルに乗り換える人、反対に何時も大切に慈しんで、使用後には必ず水洗いしてマメにケアする人。
経済的な物を全く顧みずに道具をひたすら追い求める人(レースメインの人とかは悪いという訳では有りませんのでご注意)、こうした人は案外多くて、現実にそれで家庭を壊してしまったりするわけですけど・・・・
単に快楽だけを追求するのか? それだけに留まらずに、その快楽を与えてくれる大切な存在をどうケアして扱うのか?
そうした視点で現れる人間性というのがある、らしいんですね・・・
果たして自分はどうだろうか?と思いますが、自分で自分の姿というのは決して見えないわけでして・・・・
そんな事を考えっつつ、折りじわを見つけてはリペアテープで保護する。
さっきまでまだ涼しい感じがしていた路面ですが、3枚のセイルをやっているうちにひたすら糞熱いだけとなり、着替えたシャツが瞬く間に汗だらけ(笑)
どんなに大切にしても、必ず最後は壊れてしまうのがウインドサーフィンの道具なのですけど、
セイルがドカンと破れたりすると、なんとも言えない気持ちになるのは、いつぞや(青春時代)の、片思いばかりでフラれ続けていた時の
あのなんとも言えない甘酸っぱい気持ちに重なる。
不安定なボードを、更に不安定にさせる 波とうねり。
自在に動くセイルは、そのままでは決して体重を支えてくれる物では無く、これまた不安定な風とシンクロさせる事で有るはずの無い軸をボード上に造りだして、それを推進力に変化させる事で”体を支えてくれる物”へ変化する。
ただ苦しいだけの乗り物が、地味で長い練習をひたすら繰り返すことで、やがてプレーニングを体験することが出来、それがそれまで体験した事の無い素晴らしい世界に連れて行ってくれる。
ストラップにつま先を入れるという小さな事だけで、それまで自分を翻弄していた相手(自然)から主導権がこちら側に移り、後はそれをどう楽しむか?へと変化する。
風使いになれるんです。
ウインドサーフィンはそういった自然からとてつもない量の色々をもらえるダイナミックスポーツなのですけど、それって有る面では
人の感情変化とやりとりを、言葉の往復という脳反応で感じる物では無く、そのまま”全身の感覚として体現化して”感じ取れる。
というのが説明としては正しいというか?
言葉で伝えるのはどうしても無理なんだよな~・・・と、こうして書いていながらも、何時も思う翔でした。
しかし・・・・・暑い・・・・・・
帰ってビールを飲もっと!!