浪漫飛行への誘(いざな)い

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歌で綴る札幌・千歳の思い出

2018年10月22日 21時18分23秒 | 音楽

社会人になってすぐ1970年7月から1974年6月まで4年間北海道の千歳に勤務した。羽田発「ジェット最終便(朱里エイ子)」で千歳に赴任したが、機内では物悲しい「シバの女王」のBGM音楽が流れていたのを鮮明に覚えている。不安とともに生まれて初めて北海道に足を踏み入れたが、おかげさまで大過なく4年間を過ごすことができた。

独身寮生活、通勤は車で約5分、シフト勤務なので、平日にも休みが取れ、また、札幌も車で1時間位なので、よく出かけた。有給休暇を取って、車で北海道中を旅することもできた。道内の観光地と名の付くところはほとんどすべて旅行し、離島も天売・焼尻、利尻・礼文、奥尻すべてに足を踏み入れた。後に、北海道の思い出をたどり、北海道を歌った音楽を500曲集めるまでに至った。

1972年には札幌冬季オリンピックがあり、大変貴重な経験をすることができた。当時、千歳空港は国内線のみであったが、外国から国際チャーター便が直接乗り入れる等、慣れない国際線業務も加わり、大変といえば大変であった。選手村に手荷物を預かりに行ったこともあった。日の丸飛行隊やジャネット・リンの活躍も懐かしい思い出として残っている。

寮にテニスコートがあったので、テニスを始めることになったが、テニス関係の交友も広がり、合宿をやったり、社内大会に出たり、スポーツはほとんどテニス一色であった。北海道といえば、冬はスキー、夏はゴルフのメッカであるが、当時は両方ともやっていなかったことと学生時代やっていた卓球をやる機会があまりなかったことが残念であった。

22才から26才までの花の独身時代であるから、楽しいこともいろいろあった。女子寮が近くにあったこともその要因である。歌謡曲も好きなので、よく聴いていたが、オリンピックに合わせて流行った「虹と雪のバラード(トワ・エ・モア)」や石原裕次郎の「恋の町札幌」や札幌グランドホテルのCMソングにもなった「ポプラと私」は今でも思い出の曲となっている。チェリッシュの「若草の髪飾り」「避暑地の恋」「てんとう虫のサンバ」、あべ静江の「みずいろの手紙」「突然の愛」、高木麻早の「想い出が多すぎて」「一人ぼっちの部屋」等の音楽も当時ドライブをしながら、よく聴いたものである。宴会になると、必ず誰かが歌ったのが、「知床旅情」と「千歳ブルース」であった。

テレビドラマもよく見ていたが、印象的だったのが、函館を舞台にしたNHKの朝ドラ「北の家族」(1973-1974)と日テレ系の「冬物語」(浅丘ルリ子主演 1972-1973)であった。ドラマ以上に音楽も印象的であった。4年はアッという間であったが、岡崎友紀の「私は忘れない」(北国の青空にさよならを告げるのはつらい、北国の青空を私は忘れない。。。)、ビリーバンバンの「さよならをするために」(胸に残る想い出とさよならをするために。。。)、森山良子の「今日の日はさようなら」という思いで北海道に別れを告げた。札幌・千歳の4年間の思い出を歌で綴り、今でも時々聴いて当時を懐かしんでいる。

歌で綴る札幌・千歳の思い出:
 
 http://romanflight.web.fc2.com/SapporoChitosenoOmoide.html

北海道を歌った楽曲500曲:

   http://romanflight.web.fc2.com/Hokkaido-song-series-rvsd.html

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