浪漫飛行への誘(いざな)い

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初めての海外旅行のアルバムを作成

2024年07月09日 18時21分29秒 | 旅行

1970年3月に卒業旅行として、生まれて初めての海外旅行を経験した。行先は、那覇、石垣島、台北、彰化、高雄、香港、マカオであるが、どういうわけか当時の写真が1枚も残っておらず、すべて処分してしまったようである。従って、今までは旅行アルバムを作成していなかったが、第1回の海外旅行であることから、記憶をたどり、旅行先の写真を集め、記録としてアルバムを作成することにした。今から50年以上も前のことなので、記憶も確かではないが、3月5日から4月2日まで1ヵ月近くにわたる長期の卒業旅行となった。当時持っていた記念切手を一部売却し、旅行資金に充てたことも思い出した。

晴海から琉球海運の船で那覇に向かったが、シケで到着まで3日もかかってしまい、下船時は、フラフラの状態であった。中学時代、ボーイスカウトの沖縄ジャンボリーに参加した時に知り合った知人を訪ね、2週間近く、那覇中心に、南部戦跡、コザ、中部、辺戸岬、玉泉洞などをめぐった。本島を後に、那覇から石垣島までは南西航空(YS11)に乗り、これが人生初の飛行機搭乗であった。飛行高度が低く、綺麗なブルーの海を眼下に見ながらの印象に残る飛行であった。スチュワーデスが2名搭乗していたが、まぶしいほど美人に見えたのを鮮明に覚えている。石垣島滞在中、船で竹富島に渡り、民宿で1泊したが、桟橋近くに熱帯魚が泳いでいたことや島内には車は小さなトラックが1台あるだけとか夕食にいろいろな薬草が出てきたのを覚えている。

石垣島からはまた船で台湾の基隆に向かったが、台湾海峡は海が荒れることで有名らしく、荷物が船内で移動するほどの大きな揺れで、全員が船酔いをしていたようである。基隆から台北までバスで移動したが、台北では安いYMCAのホテルに泊まった。龍山寺、故宮博物館、総統府など市内の名所を観光し、新北投温泉やウーライ(烏来)という民俗村や日月譚という景勝地まで足を運んだ。台湾で一番印象的であったことは、中国語による特急列車の女性による車内アナウンスのあまりに流れるような美しい響きに魅了されたことや現地では日本の歌謡曲が中国語でいっぱい歌われていること、特に鄧麗君(テレサ・テン)という若い歌姫が日本の歌謡曲を中国語でいっぱい歌っていることを知ったことであった。彼女の透き通るような中国語の歌声に魅了され、その時からいまだにファンであり続けている。まだ彼女が日本でデビューする4年前のことであった。旅行アルバムには、当時流行っていた懐かしい中国語の歌を3曲入れてみた。曲を聴くだけで一気に当時を思い出すから不思議である。

香港はいまでこそ中国共産党の支配下で自由が奪われ、観光地として魅力がなくなってしまったが、当時は、映画「慕情」の舞台として有名になったこともあって、観光資源にあふれた異国情緒たっぷりの街並みで、100万ドルの夜景に感動したものである。卒業旅行で、国内線、国際線ともに生まれて初めて飛行機に乗ることができたのも収穫であった。卒業が遅れ、入社が遅れたことは悲劇的なことであったが、1か月にもわたる卒業旅行、その後の大阪万博三昧とまさに「人間万事塞翁が馬」を実感した次第である。この初めての海外旅行から54年も経つが、その間に160回も海外旅行に出ることができたのだから、今振り返ると恵まれていたと感謝する次第である。ここ数十年は、旅行に行くたびに旅行アルバムを作成するのが楽しみとなっている。


卒業旅行アルバム(6分半): https://www.youtube.com/watch?v=lWfMjnMTTEs



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