浪漫飛行への誘(いざな)い

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聖火輸送と最終聖火ランナー「坂井義則」さん 

2019年12月09日 06時58分03秒 | スポーツ

 

12月8日のNHK大河ドラマ「いだてん」は、「炎のランナー」というタイトルで、聖火リレーの準備が大詰めを迎えた頃の様子を取り上げていた。聖火は、ギリシャから飛行機で運ばれ、最初に沖縄に到着した時の顛末を初めて知った。1964年8月21日にギリシャのオリンピアで採火された聖火は、アテネから日航特別機「シティ・オブ・トウキョウ」号(DC6B)に運び込まれ、イスタンブール、ベイルート、テヘラン、ラホール(パキスタン)、ニューデリー、ラングーン、バンコク、クアラルンプール、マニラ、香港、台北を経由して、9月7日に那覇空港に到着した。特別機は中央の15席を取り外しそこに聖火台を設置し、約50人の関係者が付き添ったという。火が消えないように聖火を納める特別なトーチ装置を作ったが、その実物を見たことがある。


ギリシャから2週間以上かけて返還前の沖縄に到着した時は、数千人が日の丸の小旗で歓迎したというが、当時のアメリカの寛大さに敬意を表する。最初の聖火ランナーとなった「宮城勇」さんは、テレビにも登場して、当時の様子を語ってくれていた。那覇から全日空のYS11機で鹿児島と宮崎と千歳に運ばれ、4つのルート別れて、東京に運ばれたという。2020年の聖火輸送は、JALとANA 共同で行うことが発表されているが、実際は、機体(B787)と乗員はJAL が担当し、機体には、JAL色を消して、JALとANA のロゴが描かれる特別仕様となるようである。


10月10日に開会式が行われたが、聖火の最終ランナーは、1945年8月6日に広島県三次市で生まれた当時早稲田大学競走部のランナーであった「坂井義則」さんであった。原爆投下の日に生まれたというエピソードでぎりぎりで坂井さんに決まったようであるが、その若者が、青空の下、聖火台への階段を駆け上がる姿はまさに日本復興の象徴であった。


坂井さんは、卒業後、フジテレビに就職され、陸上競技等のスポーツ関連の仕事を担当されていたようで、自分も仕事上でのお付き合いがあった。彼は、よく我が職場にも来ていたので、よく存じ上げていたが、晩年は体調を崩していたようで、2014年に残念ながら逝去している。来年のオリンピックをその目で見たかっただろうと無念さが伝わってくる。この大河ドラマも、次回が最終回だという。10月10日に晴れてオリンピックを迎えた当時の感動が味わえるのではないかと最終回に期待している。


画像は、最終聖火ランナー「坂井義則」さんと聖火輸送の機内の様子と

開会式の様子: 




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