浪漫飛行への誘(いざな)い

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平昌五輪で札幌オリンピックを思い出す

2018年02月10日 19時03分30秒 | スポーツ
ついに、平昌オリンピックが開会したが、テレビを見ていて、急に1972年に札幌で行われたオリンピックのことが思い出されてきた。1970年に入社し、最初の勤務地が千歳で、まさに1972年のオリンピックは自分にとってもビッグイベントであった。北海道に足を踏み入れたのも初めてであったが、入社して約1年半経っていたので、ちょうど慣れてきた頃でもあった。

当時、オリンピックに参加する選手や役員を乗せたチャーター便が何機も直接千歳に乗り入れた。当時、千歳空港は、国内線のみの運航であったので、臨時に国際線のハンドリングをするのは大変といえば大変な業務であった。東ドイツから、Interflug(インテルフルーク)の航空機が直接乗り入れ、雪の降る中、ハンドリングしたことを今でも鮮明に覚えている。国際線を取り扱うことで業務知識が増え、大変勉強になったともいえる。

オリンピック期間中は、大変忙しく、競技自体を見に行く機会はなかったが、スキー70m級ジャンプ(今のノーマルヒル)で日の丸飛行隊が、金、銀、銅のメダルを独占した瞬間は、ちょうど会社でテレビを見ていてものすごく感激したことを覚えている。フィギュアスケートでジャネット・リンという若くて可愛いアメリカ娘が大活躍して、銅メダルを獲得したことも話題になった。

大会の最終日には、札幌の真駒内にあった選手村に選手・役員の方々の手荷物を取りに行ったこともよく覚えている。帰路の空港では、皆が集中して混雑が必至であったので、荷物だけ先に事前チェックインし、混乱を回避しようというものであった。今となっては、懐かしい思い出となっている。

当時、オリンピック開催に合わせ、テーマソングのような音楽が流行っていた。一番印象深いのは、トワ・エ・モアが歌う「虹と雪のバラード」である。まさに、ピタリの楽曲で、今でも、その曲を聴くだけで、当時に青春プレイバックする。石原裕次郎の「恋の町札幌」もオリンピックに合わせて作られたヒット曲であった。そのB面の「ポプラと私」という曲は、札幌グランドホテルのコマーシャルソングに使われたもので、ともに、浜口庫之助の作品であるが、大好きな曲の一つである。

調べてみたら、札幌オリンピックの参加国は、35ヵ国で参加人数も約1000人だったそうである。今回の、平昌は、92ヵ国、約3000人であることを思うと隔世の感がある。今ではレジェンドと呼ばれるあのスキージャンプの葛西紀明選手ですら、まだ生まれていなかった時である。それを考えると我々は化石と言われるかもしれないが、46年の歳月の重みを感じる今日この頃である。

写真は、当時のインテルフルークのチャーター機

音楽は、「虹と雪のバラード」 

映像は、ジャネット・リンの演技

https://www.youtube.com/watch?v=tW1uV_a3ShI

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