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12月14日は赤穂義士の討ち入りの日

2017年12月14日 22時44分27秒 | イベント
ここ数日、テレビで赤穂浪士討ち入りの真相なるテーマの特別番組をやっていたが、気が付いたのは12月14日がまさに討ち入りの日であった。赤穂藩の家老であった大石内蔵助を中心に、浅野内匠頭の仇討ちに立ち上がり、浅野が切腹してから約1年半後の1702年12月14日(旧暦)、元赤穂藩の浪士47人で吉良上野介義央の邸宅に討ち入りをし、吉良の首を持ち、浅野の墓がある泉岳寺まで歩き、その墓前に供えたという。47人の浪士達は幕府から切腹を言い渡され、その後、泉岳寺にある浅野の墓の周りを囲むように埋葬されたという。忠臣蔵としても有名な話であるが、その聖地ともいえる泉岳寺は自分の最寄駅から電車で5分のところにある。今までにも2回ほど行ったことがあるが、テレビで好奇心をそそられ、討ち入りの日にはイベントもあるとのことで、出かけてみることにした。

まず、両国にある「吉良邸跡」に初めて足を運んだ。吉良上野介の当時の屋敷は広大であったが、今は、そのほんの一部が吉良邸跡として貴重な旧跡が維持されている。見るべきものはあまりないが、「なまこ壁」と黒塗りの門が当時の模様を偲ばせている。この辺りで47人の赤穂浪士による討ち入りが実行されたのかと想像すると感慨深いものがあった。

あたりの地図を見ていたら、すぐ近くに勝海舟生誕の地があると紹介されていたので、立ち寄ってみた。吉良邸から歩いて5分ほどのところにあり、今は両国公園となっているとのことである。こんなところで生まれていたのかと感慨深いものがあった。

12月14日は、泉岳寺で赤穂義士祭が行われ、その一つとして中央区役所から泉岳寺までの義士行列パレードがあるとの情報を得ていたので、両国の後は、途中に立ち寄るとあった芝の増上寺に向かった。ここは休憩で立ち寄るだけのようであったが、人もそれほど多くなく、47人の赤穂義士によるパレードをじっくり見ることができた。当時の服装に仮装して、本人の名前も書いてあるので、なかなか興味深い。パレードでは吉良の首が入った白い袋も高く掲げており、目を引く。

増上寺からは泉岳寺に移動し、赤穂義士のお墓参りをした。予想はしていたが、ものすごい人の数で、参拝者の入場制限が行われ、赤穂義士のお墓に行きつくまでに、1時間近くかかった。泉岳寺には、浅野内匠頭のお墓とその横に47人の義士のお墓がある。墓石には先頭に「刃」の文字があり、自害したことを表している。お墓は、リーダーである大石内蔵助のお墓が一番立派であった。

テレビでも紹介していたが、47人のうち、1人だけは、切腹しておらず、一時は逃げたという説もあったが、討ち入りの情報を赤穂藩に伝えに行ったようである。お墓には自害した年令も記されているが、その人だけは、83才とあり、「刃」の文字もないのですぐわかる。
お墓参りを終えた頃、義士パレードの面々が泉岳寺に到着し、イベントはクライマックスを迎えた。とにかくすごい人だかりなので、写真を撮るのも大変であった。初めて赤穂義士祭に行ってみたが、歴史ロマンを駆り立てるものがあり、充実した1日であった。


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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2017-12-15 12:11:27
WEB小説「北円堂の秘密」をご存知ですか。
グーグルやスマホでヒットし、小一時間で読めます。
その1からラストまで無料です。
少し難解ですが歴史ミステリーとして面白いです。
北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。
読めば歴史探偵の気分を味わえます。
これまでの固定化された歴史観が払拭されるでしょう。どこまでがフィクションなのか知恵較べをお楽しみ下さい。
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