70年史の作業を始めて、小学高学年~中学時代のボーイスカウトの活動が急に思い出されてきた。たった5年ちょっとの経験であるが、今振り返るといろいろな貴重な経験をすることができた。物の考え方として身に付いているのが、「そなえよつねに」、英語では “Be prepared”である。これは自分のモットーとして今でも心がけているが、すべての点でつい準備しすぎる感もある。
毎日曜日に集会があったが、楽しみだったのはハイキングや野外キャンプであった。長野県とかのキャンプ場に行って、自分たちでテントを張り、トイレを作り、かまどを作り、薪を集め、飯盒でご飯を炊き、料理も作る。食後は皆でキャンプファイヤーを囲み、歌を歌ったり、寸劇をやったりする。手旗信号もすべて覚えたし、縄を使って、結び方を覚えたり、縄回しをやったりしたのをよく覚えている。今の若い人はそういう経験をする場がほとんどないのが可哀そうである。
キャンプ経験がいっぱいあるので、今でも料理は好きだし、レパートリーもそこそこある。キャベツの千切りなども得意だし、包丁さばきは人並以上かも。鶏の頭を切断したこともあるし、川の水を使ってご飯を炊いたり、零下15度位の厳しい環境でテント生活したり、夜間ハイキングで迷い、民家に泊めてもらったり、いろいろな貴重な経験をすることができた。ジャンボリーという全国的なキャンプ大会も毎年あって、天皇陛下も訪れていたと記憶する。
中学2年の時には、沖縄で特別なジャンボリーがあり、参加する機会を得たことはラッキーであった。復帰前だったので、身分証明書を取って、晴海から那覇までの2日間の船旅を経験した。那覇では、沖縄のスカウトメンバーの家にホームステイする機会も得た。その家族とは今でもおつきあいが続いている。当時、沖縄の通貨はドルで、車も右側通行、まさにアメリカの占領地といった印象であった。外国ではないが、日本を離れた初めての経験であったので、インパクトも強かった。今でも米軍の敷地で立ち入れないホワイトビーチというところがキャンプ地で、そこでは生まれて初めてコーラやセブンアップを口にして、感激したことを覚えている。当時は、まだ、日本には出回っていなかったのではないかと思う。とにかく、自分の人生の中で、ボーイスカウトでのいろいろな経験も忘れらないものとなっている。