シーザーサラダ【Caesar salad】
これまで目にし、耳にしはしているのでしょうが、
編集者はピンと頭にインプットされてませんでした。
あるきっかけから、作ってみました。
宮本輝氏のある小説を読んでましたら、
ある登場者が・・趣味に毛が生えたような、
好きな曲を聞きながら、ショット・バーを経営しているのです。
ある時から、客がたくさん来るようなビストロ・バーに変身・・。
シェフでなく、料理好きのおばさんが助っ人に・・。
料理が程々にうまく、連日満席・・・。
しかし、サラダに不満ありの客の声もあり。
そして、本格的なシーザーサラダの登場。
経営者の友人の娘が厨房にはいったのです。
下記はレシピをA4にまとめたものです。

まだまだ力不足の拙見習いシェフ・・上のようにレシピをまとめ、GO・・です。
シーザーサラダ【Caesar salad】
レタスなどの生野菜を、半熟の卵、オリーブオイル、
アンチョビーまたはウスターソース、レモン汁、塩、こしょうなどで和え、
パルメザンチーズとクルトンを散らして作るサラダ。
◇1924年にメキシコ・ティファナにあったホテルのオーナー、シーザー・カルディーニが考案したとされる。
なるほど・・そして追記
「アメリカで作られた最も偉大なレシピ」シーザーサラダの誕生には、なかなか面白いドラマありです。1924年7月14日の暑い夜、メキシコ・ティファナのホテル「シーザーズ・パレス」のデキゴト、ハリウッドからの客が、大挙してシーザーズ・パレスに押し寄せてきました。時は禁酒法真っ盛り、パーティーのためにハリウッドから国境を越えて人がやってくることは珍しいことではありません。ただ、その日のシーザーズパレスは、大問題に直面しました。レストランのほとんどの材料が底をついてしまい、この大勢の、突然の客をもてなすには全く足りなかったのです。このレストラン・ホテルのオーナーである、シーザー・カーディーニは、悩んだ末に、カートにレタス、ガーリックオイル、レモン、卵、パルメザンチーズ、ウスターソース、クルトンとコショウを載せて、客のいるダイニングの中央に進みました。
そして、鮮やかな手つきで材料を混ぜ合わせ、一つのサラダを作り上げたのです。そしてこのサラダは、一夜にして伝説となり、西海岸に、全米に、そしてヨーロッパにまで広がっていきました。
1938年、シーザー・カーディーニはホテルを売り払ってロサンゼルスに移り住み、グルメストアをオープンしたそうです。そこは、古いワインボトルに入れられた彼のドレッシングを求める客で繁盛しました。10年後、彼と娘のローザは、会社を作り、瓶詰め、ラベル付きのオリジナル・シーザー・ドレッシングの販売をはじめました。このドレッシングは、いまでもアメリカ中のスーパーで手に入れることができます。シーザー・カーディーニは1956年に亡。もちろん、彼のサラダは、いまでも全米で愛されています。
なるほどなるほど・・です。

↑ ネットの画像です。
ネットで借用したレシピをA4にiまとめてスーパーへ。

↑ 揃いました。しかしいちばん下のロメインレタスはありません。
売り場になかったのです。

ローマ時代に多く利用され、ロメイン(ローマの)と呼ばれている。
また、エーゲ海のコス島で栽培されていたので、コスレタスとも。
イタリヤ料理に広く用いられ、レタスに比べて、ビタミンC、
β-カロチン、ポリフォネール等も多く、栄養価面でも評価が高い。
株は縦に長く、半結球です。外見は白菜にも近く、
白菜とレタスを足して割ったような野菜です。
葉は比較的濃いグリーンでは食感はシャキシャキとのこと。
なるほどなるほど・・・です。

トッピングにカツです。あげものは電子レンジで・・が殆どなので、
小麦粉にパン粉に、溶き卵にあげるのは久しぶりなので、
カミサンが心配そうに時々キッチンにやってきます。火の心配
油加減その他、まだまだシェフ見習いなのでさりげなく管理の目
仕上がってパチリ、まだソースがかかってません。
このサラダは、チーズ次第で、味が各段でに違うとのこと。
パルメザンチーズ、これ次第
サラダの王様とのこと、何回も何回もつくって極めた由。



































9月になりました。9月になれば・とかいう洋画がありました。
初恋・・はつこい、この名前の歌多々ありです。
しかししかし・・・・聴きたいのはこの曲。歌詞は石川啄木です。
ラジオから流れてきましたこの曲、
オペラ界期待の超新星・山本耕平さん
オペラの本場イタリアにて学ぶ、実力派のテノール歌手。

You Tubeで探してもまだでてきません。
しかたなく他の歌手で・・・・いい歌です。
これは、女性でなく男性がいいっ
【Prima l'amore】【First Love】『初恋』 越谷達之助作曲 石川啄木作詞