You tubeから借用です。
日本の傀儡国家であった満州国。
傀儡国家にてつくられた《中国人スター》季香蘭として
激動の時代を生きた山口淑子さんが94歳にて亡くなりました。
戦争を知らない編集者は満州国、大連にて出生です。
敗戦にて母国へ、両親、祖母4人の引揚者でした。
三歳までいたのに、大連は何も憶えていない街、栄養が悪かったからかしらん。
戦前の満鉄の旧本社ビル。現在も中国鉄路局の大連支局として使用されている由。
満鉄本社経理部のスタッフだった両親、父は三男坊ということで当時の時代の流れにより
安田銀行を辞め、満州へ・・・とのこと。
母の父は満鉄の副参事としてまあまあの上級職でしたが.48歳にて若死。
新潟大学を出ていて、身長も178センチ、当時ではかなり大柄。
姿勢正しく馬上の人です。しかし大酒のみだったのこと。
生家は新潟の造り酒屋(廃業)
職員の社宅、ネットから借用。
昭和19年生の編集者は3歳頃引き揚げ。満鉄社員達は奥地からの引揚者の
世話をしていたので、引き揚げは遅くなった由。写真も何もかも持ち帰り禁止、
そっと何枚かを偲ばせて本土へ、編集者はピーナッツ売り等が上手かった由。
着のみ着のまま・・。ネットから借用
三女だった母そして編集者は初めての日本です。九州、佐世保に帰国。
それから、広島、大阪や、東京を通り抜けて埼玉の北端羽生へ。
祖母(父の母)の実家に世話になることになり、羽生へ・・・でした。
大きな家、醤油の醸造業です。父方祖母の生家です。
立派なパース(透視図)。
東武線も描かれている醤油醸造元 松屋惣兵衛本家と印字。
羽生は本家。祖父母夫妻は都内浅草に出て販売店を経営.
父はここで三男坊として生誕。
浅草蔵前、厩橋の傍にて羽生の醤油、たばこ、保険販売等。
左から父、祖父、伯母、祖母・・空襲その他にて羽生へ撤退。
中央が祖父、父は右から二番目。
祖母は、裕福な環境で育ち、現在の浦和女子高の
第2回卒業生でした。達筆にて歌もうまい。
隅田川をまたぐ、浅草厩橋の傍の交番、ポリス氏と談笑の父。
交番の隣、お店の跡地にはマンションが。
あい向かいには、駒形どぜう。
これがまたうまい!
戦争が終わり、羽生に引き揚げ市内を今日まで編集者は8ヶ所転々でした。
①が本家醤油醸造元、
下の写真。この建物の2階にいっとき世話になりました。
①
写真に煙突がみえます。この事務所兼住宅の2階にて仮住まいです。
目下は全て除却され、広大な敷地にスーパーマーケットを建設し貸与です。
スーパー・ヤオコー
いつまでもおれず②へ
②
右側にアパートがあり、2階に居住、目下は除却され、10棟くらい住宅ありです。
正面は、床屋さんの建物(黄色と紺色)、店舗併用住居、編集者の設計です。
この界隈で、小学校近くまで遊び、仲間多しでした。
②から③へ ③は利根川近くの農家の納屋・・・、場所不明。
そして④、本家の借家
④
⑤へ引っ越した後に、住んでたボロ借家は新規建物に。
そして⑤は 編集者の初めての設計による住宅です。
⑤
アルミでなく、木枠・・窓も木製、壁は杉南京下見貼、屋根はシングル葺。
当時の田舎としては珍しい風合いの建物、アイビーがよく似合ってました。
そしてこの建物は事務所、両親の住まいとして⑥へ
⑥
両親との同居から 、別居へ
今でも残るアパートで一家三人暮らし。(編集者、妻、子供)
⑦
新築の市営アパートの2階、新規なので通風、採光、断熱・環境良。
(編集者、妻、子供二人)
そして⑧へ・ついの住み家へ
⑧ 南から
1階は事務所、ガレージ、2,3階が住宅。
⑧ 南から
⑧ 東から
東のアパートがなければ、のびのびと、このように緑おおらか。
三歳の時 ①
古稀にて ⑧
この里の秋という唄は
この歌いろんな方が唄和する、いい唄です。
歌詞は1,2番目までしかありませんが、
隠された歌詞があるとのことでした。
3番は戦地から引揚げてくる父を待つ歌詞が・・・。
激動の時代を生きた山口淑子さんの父君は
「里の秋」という歌詞は、昭和16年(1941年)太平洋戦争の最中、東北の田舎を舞 台に戦地の父への慰問文として書かれたもので、曲はついていなかった。 曲名は「星月夜(ほしつきよ)」で、詞の1番と2番は現在と同じだが、3番と4番の歌詞 は次のとおり。
3 きれいな きれいな 椰子の島
しっかり 護って くださいと
ああ 父さんの ご武運を
今夜も ひとりで 祈ります
4 大きく大きく なったなら
兵隊さんだよ うれしいな
ねえ 母さんよ 僕だって
必ず お国を 譲ります
しかし昭和20年(1945年)戦争が終わり、南方で戦っていた引き揚げ第一船が浦賀 に入港することになり、JOAK(現・NHK)では「外地引き揚げ同胞激励の午後」という ラジオ番組の中で「兵士を迎える歌」を流すことになった。 そのとき急遽、斉藤信夫の「星月夜」の歌詞を変え、それに海沼実が作曲し、更に曲 名も「星月夜」から「里の秋」に変更されたものである。 この際に、3番と4番の歌詞は削除され、新たに3番の歌詞が以下のようになった。
3 さよなら さよなら 椰子の島
お船に ゆられて 帰られる
ああ とうさんよ ご無事でと
今夜も かあさんと 祈ります