橿原考古学研究所の駐車場手前に建っています 撮影日;2007.11.6
今から約300年前、名柄村(御所市)の高橋佐助が農業用水として吉野川分水を最初に考えたといわれています
昭和27年(1952)吉野川分水の工事が始まり、佐助の夢は昭和62年(1987)に実現しました
3年後、大淀町下渕からトンネルを通して吉野川の水が初めて奈良盆地に送られました
疏水の所在:奈良市化19市町村
★所在地;橿原市畝傍町1
★交通;近鉄畝傍御陵前駅より 徒歩2分
★駐車場;有ります
★問合せ;0742-27-7453(奈良県農林部耕地課総務事業管理G企画担当)
奈良盆地は、一般に大和平野と呼ばれ、標高40~80mの平坦な地形が東西16km、南北30km、面積約2万haの耕地が広がり、農業及び政治・経済・文化の中心です
年間降雨量は約1,300~1,400mmと全国的にも最も雨量の少ない地域です
大和平野に周囲から流れ込む河川は、中心部で合流し大和川となって大阪湾に注いでいます
吉野川分水は、大和平野地区7,269haの農地を潤しています
大和平野地域は、全国的にも寡雨地帯の一つで、用水確保の方法として、数千個のため池が平野一円に存在します
昔から「大和豊年米食わず」と言われ、大和が豊作の年は、他の地域は雨が多すぎ洪水等に見舞われ、米の需要が多くなり、大和の米も供給されて食べられないと伝えられてきました
この様なことから、大和平野の用水不足がうかがわれます
それを解消したのが吉野川分水です
今から約300年前、名柄村(御所市)の高橋佐助が農業用水として吉野川分水を最初に考えたといわれています
昭和27年(1952)吉野川分水の工事が始まり、佐助の夢は昭和62年(1987)に実現しました
3年後、大淀町下渕からトンネルを通して吉野川の水が初めて奈良盆地に送られました
疏水の所在:奈良市化19市町村
★所在地;橿原市畝傍町1
★交通;近鉄畝傍御陵前駅より 徒歩2分
★駐車場;有ります
★問合せ;0742-27-7453(奈良県農林部耕地課総務事業管理G企画担当)
奈良盆地は、一般に大和平野と呼ばれ、標高40~80mの平坦な地形が東西16km、南北30km、面積約2万haの耕地が広がり、農業及び政治・経済・文化の中心です
年間降雨量は約1,300~1,400mmと全国的にも最も雨量の少ない地域です
大和平野に周囲から流れ込む河川は、中心部で合流し大和川となって大阪湾に注いでいます
吉野川分水は、大和平野地区7,269haの農地を潤しています
大和平野地域は、全国的にも寡雨地帯の一つで、用水確保の方法として、数千個のため池が平野一円に存在します
昔から「大和豊年米食わず」と言われ、大和が豊作の年は、他の地域は雨が多すぎ洪水等に見舞われ、米の需要が多くなり、大和の米も供給されて食べられないと伝えられてきました
この様なことから、大和平野の用水不足がうかがわれます
それを解消したのが吉野川分水です