かつての弟子と再会しました。
私が亀仙人に弟子入りする前、自ら十代二十代の若者達に教えていた旧KFC(蒲田ファイトクラブ)時代からの一番弟子、ユージロー。
敬愛する平田兄ぃの元で日本拳法をやりながら、我々は多摩川の河川敷で独自の練習をしていました。
私は理想の格闘技と理想の格闘集団を目指していました。
みんなで練習した後、夜は揃いのKFCジャージに身を包んで蒲田の街に繰り出して良く飲みあげたものでした。
今思えば恥ずかしいくらいのバカ三昧。
でも、私達にとってはかけがえのない思い出です。
格闘技に真面目に取り組むという柱があったればこそ、格闘技しか楽しみがないような、そんな真面目で不器用な男達が集まったからこそ、そこに大きなパワーが生まれ、みんなでハジければいろいろ楽しいことがあったのです。
閑話休題。
ユージローは4年前に師匠の私を差し置いて結婚し(笑)、今では可愛い2歳の女の子のパパです。
おそらく3年前、私が顔面を骨折した試合を嫁さんと観に来てくれたのが最後だったと思います。
久々に会ったユージローは全く変わらず元気そうでした。
我々は横浜の横丁の渋い飲み屋で語りました。
変わってないなと思った彼も、その実大きく変わっていました。
愛する嫁さんと可愛い子供が彼を大きく変えたのだと思います。
まずはそんな彼の家庭話から始まりました。
序盤では、「結婚してから本当に自由がない、今日はやっと代表と久々に会うからと言って(外出の)許可を取れた。でも早く帰って来いって。」等々彼は少し愚痴っていましたが(笑)、それはほとんど誰もが通る道。
それより、あのユージローがいっぱしの家庭持ちになってそんな愚痴をこぼすようになったことに少し驚きを感じ、弟子の成長ぶりと幸せぶりを心から嬉しく感じたのでした。
「おい、ユージロー、俺が結婚したら家族ぐるみで付き合おうぜ。お互いの嫁さんから信頼を得て、何かあったら互いのアリバイに使おうぜ。(笑)」と固く誓い合いました。(笑)
それから、日本拳法時代の話、旧KFC時代の話、互いの近況・・・。
尽きることなく話は続きました。
そりゃ当たり前です。私達には思い出が多すぎですから。
そんなこんなであっという間に彼の門限が近づきました。
帰り道、私はヤツにこう言いました。
「でもさ、ユージロー。お前、幸せだろ?」
「はい!幸せです!」
少し赤みのかかった笑顔で、しっかり答えたかつての弟子と横浜駅で別れました。
一人歩いた帰り道、どうしても考えました。
“あの頃のメンバーは皆どうしているのだろう?”
連絡を取っているメンバーももちろんいますが、たぶんもう一生会うことはないだろうメンバーもいます。
みんな幸せにやっているとは思います。
ほんの短い期間だったけど、同じ釜の飯を食い、ともに汗を流し、拳を交わし、盃を傾け語り合った仲間達・・・。
ユージローはまた私と一緒にやりたそうでした。
平日の夜、わずかな時間しか動けないことを付け加えていましたけど。
あの頃私は理想の格闘技、理想の格闘集団を目指していました。
あらゆる場面に対応できる全方位型格闘術。
誰でも歓迎、和気藹々と集まれる出入り自由なオープンスペース。
そして、誰にとっても“ここに来れば誰かがいる”みたいな居心地の良い場所。
現代の新撰組を本気で目指していました。
(実際の新撰組は苛烈を極めた戦闘集団でしたけど。)
私の人生にとっても、KFCを立ち上げたことは本当に大きな転機でした。
小さくとも集団のトップに立ったことで、どれだけ多くの今につながる経験と出会いがあったか計り知れません。
まさに“KFC事件”と言っても良いくらいの衝撃と変化でした。
リーダーであった私の器量が及ばず、また私も含めたメンバー個々の事情から、今は散り散りになってしまったKFC。
大島相談役、中島顧問、高橋師範代、青木軍曹、岩崎、ユージロー、五十六、シュンスケ、トシ、ヒロキ、ラジュ、・・・。
でも、私はまだ看板を下ろしていません。
みんなの代表者は勝手に辞めることはできませんから。
もっともっと強くならないとみんなを引っ張っていけませんから。
私が元気で頑張っていさえすれば、またいつかきっとみんなで集まれる日が来るかもですから。
いつかきっと・・・。
ここに書いてないだけで、普段は仕事最優先で頑張っておりますよ。(笑)
さて、波動拳の話ですよね。
波動拳は誤りで、正確には波頭拳です。
おそらく波動拳で検索するとストリートファイターという格闘ゲームが出てくると思いますよ。
波頭拳は、掌を下にして手首を起こして腰に置き(空手の正拳突きの構え)、そこからスナップを使って手を握り込みながら波のような軌道で相手の面を打つ日本拳法独特の技です。
基本では、両手を腰に置いた状態から左右同時に打つ練習をします。
私の個人的な見解としては、あまり実戦で使っている人は少なく、手首の強化のための練習技というような位置付けだと思います。
ただし、何度か関西の選手が試合で使っているのを実際に見ました。
その時は、相手が突いてきたのを払いながら近い間合いでカウンターのように繰り出していました。
いずれにしても、中国拳法における寸勁や浸透勁のような勁を発するものではありません。
(そもそも日本拳法には発勁という技術がありません。)
あくまでも打ち方の一種ととらえております。
以上になります。
あくまで私個人の見解ということで参考にしてください。
(本当はより深い奥義があるかもです。)
>大塚さん