昨夜は数年ぶりに兄ィと再会し、盃を交わしました。
日本拳法会の重鎮、平田六段です。
兄ィは現役当時赤いグローブがトレードマークで、私の知る限り日本拳法界唯一のバックブロー(回転しての裏拳)の使い手で、東日本チャンピオンを二度も戴冠した超一流の拳法家です。
昨年私が体調を崩して死にかけたことを噂で聞き及び、心配してくれて今回の再会と相成りました。
立教の学生だった19歳の頃、地元の道場に出稽古に行ってそこで兄ィと出会いました。
兄ィは当時まさに東日本の現役のチャンピオンで、私は何度も防具稽古(組手)を挑みましたが顔に触ることすらできなかったことを今でも覚えています。
憧れの立教大学になんとか合格した私は、成り行きで体育界の日本拳法部に入部しました。
極真空手出身で新入生の頃から周囲の誰もが認める逸材と言われ続けた当時の私は、その後持ち前のメンタルの弱さから試合に勝てなくなり、そこから逃げだすように(大学生なのに)酒と女に溺れるような生活を送り、結局鳴かず飛ばずで現役生活を終えました。
こんなはずじゃなかったと、悔いが残る現役生活でした。
卒業後、不完全燃焼の燃えカスを抱えたまま横浜道場に舞い戻り、兄ィの元で拳法を一からやり直しました。
真似をしまくり、技を盗んでやろうと頑張りました。
しばらくするとカスリもしなかった私の拳が、ある日突然兄ィの面を捉えるようになりました。
その時の驚きと感動を忘れません。
毎週毎週、東日本トップクラスの拳法家とガチで殴り合う、そんな日々を送りました。
兄ィに良いパンチを入れる、それだけを生き甲斐に次の一週間を生きていける、そんな時代がありました。
そして私達は東日本社会人選手権大会で3位、準優勝、そして優勝と横浜道場の全盛期を共に創り上げました。
学生時代にやり残したこと、味わいたかった勝利の味、倒せなかった人を克服する経験、いろんな修羅場を兄ィと潜りました。
常勝軍団だった我々に、陸上自衛隊習志野空挺団も合同稽古を申し入れて来るほどでした。
兄ィとなら、化け物みたいな彼らにも恐れずに立ち向かっていけました。
私を引き上げてくれた兄ィ。
私は間違いなくこの人の弟子で、今でもこの偉大な武術家は私の精神的支柱です。
四半世紀以上の付き合いで思い出があり過ぎる我々は、ほんの数時間の飲み会で語り尽くせるはずもなく、時間切れとなってしまいました。
別れ際、兄ィは私に再会しよう、そして日本拳法界に戻ってこいと言ってくれました。
少し心が揺れました。
もう10年以上も日本拳法からは離れてますが、いろいろ経験してきた今の力を存分に奮って試してみたい気もしました。
人は出会いによって化学反応のように影響され、変化していきます。
平田兄ィとの邂逅が私を良い方へ導いてくれ、今があります。
出会いこそ人生。
最高の夜でした。
『後ろ拳(右の直突き)、ありがとう。』