大空を見上げて

日頃感じていること

富士山の想い出

2013-06-30 | Weblog

 日本国の歴史又日本人の心に密着し、人々に愛された富士山が「世界文化遺産に登録」された。
私は若い頃空挺隊員だった時期、輸送機の上空から眼下に美しき富士山を見ながら、裾野へ何回も落下傘降下した事を思い出す。
真青な空に何百もの落下傘の花を咲かせた秋季大演習の模様が今でも頭の中をよぎる。




 

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ドライバー手袋 | トップ | パソコンの活用 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
霊峰富士 (成田街道)
2018-02-12 20:26:33
fight-m様、
富士には様々な思い出があります。
東富士・北富士両演習場は汗と涙の鍛錬場でした。120キロ行軍で恨めしく仰ぎ見た富士、演習の合間にハッとするような美しい表情を見せてくれた富士、山地機動訓練で何度か頂上に登り、その過酷な自然を見せてくれた富士、空自入間基地を発進して大島経由でケガに怯えながら夜間降下した富士、真冬のみぞれ降る中、頭の先から爪先までずぶ濡れになり震えながら長い夜を明かした富士、遠い昔が昨日のことのようによみがえります。

天候が悪くて輸送機が飛ばない時は、エアボーンならぬ車両移動のトラボーンで習志野から東名高速で演習場に行きました。

空挺団に勤務したおかげで、富士演習場に限らず北海道から九州まで全国各地の演習場や駐屯地・基地に行く機会にも恵まれました。

いまでもたまに新幹線の車窓から見る機会がありますが、やはり見とれてしまいます。やはりある意味日本の象徴ですね。了
富士山 (fight-m)
2018-02-13 21:52:29
 空挺団上げての足柄山越えの雪中走行軍、完全武装で一週間昼夜靴下や手袋何枚重ねても氷つき腰まで雪に浸かり、真夜中黙々と一時間500m。
体力の限界、意識が朦朧、不明者など各中隊で落伍者を出すと恥だ!と、同隊員装備を持ったりおぶったり目的地到着した時は遠く富士山を眺め感無量になった事を思い出します。
又秋季大演習で谷川岳越えの250Kも幾人も倒れながらも助け合い完走し、なぜ平和な日本でこんな訓練をと、日本一精鋭空挺部隊を自ら志願したんだから仕方がないと覚悟した事を懐かしく思い出します。
退官され30年間の内アメリカ生活等12年間の経験もぜひご自分のブログを始められて掲載されることをお勧めします。期待して待っています。

コメントを投稿