福田ちえのときどき日記

日々の活動や雑感を掲載いたします。

チチハル市への友好親善訪問 ~ 中国大陸から(2)

2007年10月21日 | 活動報告
                 冬の到来を待つ扎龍(ザーロン)自然保護区にて   
                   凍てついた湖沼では 丹頂鶴も間近に・・・


チチハルで、現地市議会、国営車両工場、二馬路(ニマロ)小学校、扎龍(ザーロン)自然保護区、甘南県興十四村、明月島など、行政、産業、教育、農業・観光、自然保護の代表拠点を順次視察しています。
夜は時間が空くので、宿泊先の部屋からモバイルで少々こちらの状況をお伝えしたいと思います。

視察先のひとつ「甘南県興十四村」は、黒龍江省の施策で「農業観光モデル地区」として選定され、農村の楽しみを観光資源として利用して観光村おこしを行っているエリアです。
朝鮮民俗遊びや耕作見物・体験、民家宿泊や郷愁あふれる田舎料理によって人を集め、寒村を活性化させ同時に農業も振興させようといった面白い取り組みであり、成果も順調に上げているとのことでした。

また、前から楽しみにしていた「扎龍(ザーロン)自然保護区」は、多くの種類の野鳥が飛来する鳥類の楽園「鶴の故郷」とも言われる21万ヘクタールに及ぶ大湿地帯。
自然湿地保護の国際条約ラムサール条約にも登録され、世界15種のツルのうち6種が生息し、どこまでも続く静けさの中で自由に羽を広げていました。
宇都宮市の八幡山公園とロマンチック村の丹頂鶴は、チチハル市との友好の証にと贈られたもの。上手に繁殖し、現在は19羽に増えています。


ところで、ここ中国北方三省は満州開拓団など、先の大戦の遺構や記録・名残が各地に残っているところでもあります。
旧日本軍が中国人民を強制的に労働にかり出し完成させたダムや運河・橋梁・道路などの土木事業の数々。悲惨な時代の証言者でもあるそれらの建造物が、今の中国の市民生活や産業を支えていること、そして、戦争の傷跡が残る旧跡が、中国の若者の歴史教育の重要な拠点施設になっていることと併せて、複雑な気持ちを覚えます。

もうひとつ考えざるを得ないことが、戦争の敗走で多くの子どもや女性が大陸に置き去りにされ、50年もの間辛酸を舐め不遇な生活を余儀なくされた「残留孤児・婦人問題」。
一部では過去の風化した話とされがちですが、名作「大地の子」の舞台でもある吉林省、黒竜江省などの中国東北地方は、日本政府が重い腰をあげるかなり前から、残留孤児・婦人の帰国対策に取り組んでいたそうで、当時の対応は親身・真剣さ積極さで祖国の日本よりもその評価が高いところです。

万の単位でいるといわれる孤児・婦人のうち帰国にこぎつけたのが約3500名。
ただし夢かなって帰国しても、言葉や生活習慣の壁で職も得られず生活保護を受ける人が7割を超えるとも言われています。
現在、国家賠償を政府に求めて訴訟中の方々約2000名。審理はほとんど孤児等に不利に進められているのが日本の国内事情です。北朝鮮の拉致帰国者は超優遇なのに残留孤児は冷遇お荷物扱いと表現する方もいます。
私も、もっと残留孤児・婦人に十分な社会保障を、と活動する方々を理解し支持しております。

かつての日本軍国主義は、中国侵略により中日人民と満州開拓邦人に多大な災難を与えたことは紛れも無い事実。現在の日中関係は安定しているように見えますが、中国人民はこのことを永久に忘れることは出来ないでしょう。
わずか6年前に、旧日本軍の遺棄した毒ガス化学兵器弾が、ここチチハルの工事現場で噴出し、40人以上の死傷者を出したことも記憶に新しいところです。

こちらの方々と話しをしていても、「歴史認識」の問題では非常に敏感なことが肌で伺えます。
今回の訪中は歴史の教訓を学ぶよい機会でもあります。
日本と中国は、頼りになる隣国同士として良い関係になるように将来に向けて双方で努力し続けなければならない。
戦後問題や歴史認識を共有する意味からも、まず事実を客観的に捉え、そして双方の考え、心情、立ち位置に大きな隔たりが生じない努力をこうした機会に行うことに意義があると改めて感じています。


 「福田ちえ」ホームページ http://www.f-chie.jp