とんねるず主義+

クラシック喜劇研究家/バディ映画愛好家/ライターの いいをじゅんこのブログ 

キートンの大列車追跡

2009年04月02日 01時46分38秒 | バスター・キートンと仲間
『大列車追跡』
(aka「将軍」 The General バスター・キートン/クライド・ブラックマン監督 1926 アメリカ)


ザ・ドリフターズの「8時だヨ!全員集合」といえば、客席を埋めたチビっ子たちの「志村、うしろー!!」の歓声でおなじみですが、1920年代、世界中の映画館では、子供たちの「キートン、うしろー!!」の歓声が響いていた・・・んじゃないかな~?

<あらすじ>
南北戦争まっさいちゅうのアメリカ。ジョニー・グレイ(バスター・キートン)には人生で愛するものがふたつあった。彼が機関士をつとめる列車「将軍号」と、美しき南部の花アナベル・リーだ。ジョニー・グレイは愛するアナベルに気に入られようと戦争に志願するも、あえなく却下。憶病者と勘違いしたアナベルは口もきいてくれない。1年がたったある日、「将軍号」が北部のスパイによって強奪される!愛する機関車をとりかえすため、ジョニー・グレイの孤軍奮闘がはじまる・・・


映画が公開された1926年は、アメリカの人々の心にまだ南北戦争の痛みがなまなましく残っていたためか、はたまたこの映画が新しすぎて理解されなかったためなのか、作品は観客にも批評家にもそっぽをむかれるという憂き目にあいました。

全力をかたむけて撮った渾身の一本が評価されず、キートンはがっくり。もんのすごい制作費をかけたにもかかわらずヒットしなかったことが、その後のキートンの監督人生にも暗い影をおとすことになります。

が、しかし。

いまでは、この映画はバスター・キートンの最高傑作といわれています。

チャップリンの『黄金狂時代』とならんで、歴史大作コメディの傑作とされている。
オーソン・ウェルズは「南北戦争をここまで忠実に再現した映画は他にない」と絶賛しています。

鉄道大好きのキートンは、本物の機関車を何台も使って、大ロケーションを敢行しました。
南軍と北軍の兵士に扮するエキストラも大量に雇って(本物の州兵をつかった)、リアルで大規模な戦争シーンを撮影。

きわめつきは、鉄橋を渡る機関車をほんとうに川に落として破壊してしまうという、サイレント映画史上もっとも金のかかったワンカットを撮ったこと。80年以上たったいま観ても、これらのシーンの迫力には圧倒されます。

んが、しかし。

この映画は、なかなかトリッキーでして。

現代の若い観客には、批評家たちの手放しの絶賛がちょっとおおげさに思えたりもする。
シュールレアリズムや前衛芸術、コンテンポラリーアートの時代に生まれ育った若者にとっては、『探偵学入門』のような超現実的な作品のほうが魅力があったりする。

わたし自身、初めて『大列車追跡』を観たとき、それほどの感銘をうけなかったことを告白せねばなりません。

その理由のひとつは、キートンのスタントアクションがほとんど見られないためです。
『蒸気船』『セブンチャンス』を観ればわかるとおり、類いまれな身体能力や、決死のアクションが、キートンのトレードマーク。

観客はどうしてもそれを期待してキートンの映画を観てしまう。
だから『大列車追跡』に「期待はずれ」感をいだいてしまうのだと思う。



んがが、しかし。

何度もくりかえし観ているうちに・・・すこおしずつ、わたしは理解するようになりました。
『大列車追跡』が、やっぱり超超傑作なのかもしれない、ということが・・・

驚くべきことに、この映画の構成は、映画の中盤を境にしてきれいに左右対称になっているのです。

前半で、将軍号をおっかけていく道中に起きるいろいろな出来事(敵の通信を絶つ、給水塔でずぶぬれになる、線路に障害物をおいて敵のじゃまをする、など)が、今度は後半で、将軍号をとりかえして逃げる道中にも、そっくりそのまま起きるのです。
つまり、前半と同じことを後半にもそのまんまくりかえしているのです。

そんな構成の長編映画が、ふつうありますか!?

『大列車追跡』は、表面的には歴史娯楽大作の体裁をとりながら、実はものすごく野心的な実験映画だったのです。しかも、それを観客に意識させないおもしろさに満ちあふれている!

キートンの芸術家としての繊細さと知性は、作品の前衛性を用心深く奥にかくして、容易に観客にさとられないように細心の注意をはらったことでしょう。

なぜなら、この映画は、まず何をおいても、「コメディ」だから。

慎ましい天才であるキートンは、映画の主役の座をあっさりと "機関車" にゆずって、アクションを封じ、自分自身は喜んで脇役にまわりました。そして、世にも稀な優雅さをそなえた一本の映画を創造したのです。

著名な映画批評家だったポーリーン・ケイル氏の、「完璧すぎる映画」という評が、もっとも的確に『大列車追跡』をあらわしています。

完璧すぎるがゆえに、わたしたちはまだこの映画に追いつけない。これからもさまざまな解釈をゆるし、さまざまな批評を受け、観客の笑いも批判も感動もすべてのみこみながら、この映画は生き残ってゆくのでしょう。

バスター・キートンは、過去の人ではありません。
彼は80年前も、21世紀のいまも、これからも、わたしたちのはるか先を疾走しているのです。


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