ナレーター・アナウンサー養成塾

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アナウンサーを目指して・・・

2005年08月30日 | Weblog

アナウンサーになりたい、と思ったのは高校の二年生の終わりでした。もともと八百屋とか魚屋になりたかった私は、大学進学の為には普通高校に行け、という先生の勧めに逆らい商業高校に進学していました。そこで一年生の後半から、自分の希望で放送委員会に入ったのです。今から思うと、その委員会で知り合った仲間に恵まれた気がしています。まずは、顧問の先生です。派手なパフォーマンスがある訳ではありませんが、私たち生徒にとって何が良いのかを考えて、一緒に行動してくれる先生でした。そして、同学年の他のクラスの委員たち。放送機材の修理を難なくこなす技術系に強いS君、学校の応援歌を作ってしまった音楽系に強いY君、ルックス抜群でも謙虚なH君、彼らとは個性が全く違っていたためにとても面白いことが出来たのです。委員長になっていた私は、その頃大阪の毎日放送で大人気だった「ヤングタウン」というラジオ番組を聞いて、同じような事を学校でやりたいと思っていました。その番組は、まだ20代の桂三枝が局アナと一緒になって、関西芸人たちと作り上げるもの、今の“笑っていいとも”のような雰囲気でした。それを月に一回、土曜日の午後に音楽室を借りて「ヤングフェスティバル」と銘打って実施、校内放送で生徒に参加を呼びかけたのです。顧問の先生は、何も言わずに見守ってくれました。私が司会、ステージに上がるのは応援団長や各クラブの部長などのリーダーたち。日頃は団員や部員に厳しいことを言っている人に、ラーメン早食い競争とか、クイズに挑戦して貰うのです。音楽室は、毎回超満員の大盛況でした。風紀係の先生が見回りには来ましたが、何も悪いことはしていないためお構いなし。とても楽しい企画でした。自分はアナウンサー、という意識を持ってイベントに関わっていた気がします。

ナレーター・アナウンサー養成塾 塾長 ナレーター・伊藤英敏
http://www.mars.dti.ne.jp/~expert/


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