悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

生きるの死ぬの

2006-01-24 21:47:57 | Weblog
 職場の旅行などで海・山どちらの方面が良い言われれば、海は選ばない。夏以外は反対しないでもない。それというのも泳げないからである。学生時代は、山が好きった。海で騒ぎを起こす若者の話や、湘南ボーイという現象に反感を抱いたりもしていた。今は車でいけるので、必ずしも当てはまらないが、昔は山で馬鹿騒ぎをする若者はいなかった。
 以前、20台後半の頃、家族と茨城の海に行った。阿字ヶ浦か大洗だったろうか。平泳ぎなら少しは前に進むので、足のつくところで砂浜に平行に遊んでいた。ふと気がつくと、家族が待つ砂浜との距離が遠くなっている。足もつかない。あわてて戻ろうとしたが、浜辺は一向に近づいてこない。しばらくやってみて気がついた。戻す波のあるところでは、ほとんど前進しないことに。もう、助けを求めたほうが良いだろうかと思ったが、「助けてくれ~」というのは恥ずかしい。後になって思えば、恥ずかしさを気にしていたということは、余裕があったのかとも思えるが、その時は大パニックで、死にそう、恥ずかしい、の思いが交錯していた。それでも、クロールのほうが前に進むかもしれないと気がつき、泳法を変えたところ少しずつ前進し始めた。砂浜に戻ったときは、ぐったりとして「死にそうだった」としか言えなかった。もちろん、あわてていた時の心の動きは言えるものではなかった。
 今も、「湘南」という言葉に軽薄さを感じてしまう「後遺症」があるが、鎌倉方面のウォーキングコースは大好きだ。今年の例会にも鎌倉アルプスから、湘南の海岸を歩くコースを提案している。