悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

小さき者

2012-01-10 23:50:28 | 言葉

「小さきもの」は劇場版ポケモンに流れる主題歌だそうだ。
多くの子どもが好きらしいので、耳にするだけで、何も知らない。
「小さき者へ」は、有島武郎の小説。読んだことはないと思う。
新潮文庫では「小さき者へ・生れ出づる悩み」として発行されている。

ここに書く「小さき者」とは、山や宇宙と比較して自分の小ささを言おうとしたもの。
ただ、この言葉を自分に都合の良いように受け止めているので、あまり威張れない。
自分の能力に自信が持てなくなったり、失敗をしたり、
その他何らかの悩みが出来したときに、山や宇宙と比較して、
「あぁ 自分はなんて小さな人間なんだろう」と思う。そのことで、
自分の責任が軽くなるような気がする。そのために、大きなものと比較している。
今夜のテレビに、山田洋次監督が出ており、「15歳 学校Ⅳ」が紹介されていた。
この15歳の少年も、樹齢6,000年の屋久杉を見て、
これまで自分を圧してきたものたちが小さく見えてきたと言わせていた。
私も、近所にある樹齢600年の「小蓋宮の大欅」を良く眺める。

世間で良くいう言葉に「あの不幸な人と比べれば、自分はましだ」というのがある。
人は、よくそういう見方をして自分の安心を得ようとする。
自分も、ときとして、そのような考え方に引き寄せられてしまう。

そんな方法で、自分を引き上げてみても、
ダメな自分のレベルアップにはならないことを知っているのだが。
精神安定剤のようなものか。

そんな自分が、母の介護の一部分を受け持っている。
半身不随になり、移動、排便などに介助を要する母は、
自分の存在をどう感じているだろうかと、考える。
食事、整容くらいしか自分ではできない。その他は、ほぼ全面介助。
排便はポータブルトイレ。
汚物の始末は、バケツにかぶせたビニール袋の交換で済ませている。

こうすると便器をきれいな状態で使えると、介護施設に勤めている長男から教わった。
父が入院していた日赤病院では、排泄の度に便器(バケツ)を洗っていたので、
家でもそうしようとしたが、先の方法がよいと言われ、ビニール袋を利用している。
1日に数回バケツを洗うのは負担になるだろう。

ビニール袋は、1日に1~2回交換する。便をしたときはすぐに交換。
先ほどは、最後の便だったので、すぐに交換した。汚物を捨てるとき、
排便直後だったので、便の暖かさが残っており、妙に生々しさを感じた。
長男のおしめは、外の水道(井戸)で便を手洗いで落としていたので、
こんなことも、あまり抵抗を感じない。
赤ん坊の便と、母の便はずいぶん違う。ほぼ同じものを食べているので、
自分の便の匂いと同じだ。
赤ん坊は、乳や離乳食だったためか、割とさっぱりした感触だった。

最近は、めったに「(亡くなった夫に)迎えにきて」と、言わなくなったが、
それほど辛い状況であることは間違いがないと思う。
ほぼ全面介助される人の身にはなってみなければわからない。
それでも、優しい対応を続けることは難しい。
つい、自分のペースと合わないことに苛ついてしまう。

こんな小さな人間の繰り言は、何の役にもたたないだろうけれど、
反省のひとときを与えてくれるので、自分にとっては、問題解決ではないが、
鬱積したものの解消に役立っている。

<本日の歩行:10㎞>~50日目
自宅~十軒道路5㎞地点往復10㎞(21:40~23:26)