The Phantom of the Opera / Gaston Leroux

ガストン・ルルー原作「オペラ座の怪人」

MAGDARENE

2008年05月10日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」
もしかしたら「マーガリン」は「マグダレン」という名前なのかもしれません。


「マグダラのマリア」は


フランス語では「マリー・マドレーヌ」(エリックがクリスと結婚したいと指名された教会はマグダラのマリアの教会)

英語では「メアリー・マグダレン」」


あの映画はロンドンが舞台なので英語ですから、もしかしたら「マグダレン」(マグダラ、マドレーヌ)と呼んでいるのかもしれません。


色々楽しいお話をありがとうございました。
「ムーラン・ルージュ」もぜひ見たいです。

そのかなえさんのお話も完成したら読んでみたいです(^^)

ではでは


マーガリン

2008年05月10日 | オペラ座二次
眠るマーガリンの枕元に硬貨を置いて去るエリック・・・

良いですねえ。泣けますねぇ。

哀れな娼婦のマーガリンを例えクリスの身代わりであっても「満足」させるなんて・・・。相手の女の子が嫌な気持ちにならなかったのが素晴らしいです。
優しいお客だったのですね(^^)


見世物小屋にいた経験のあるエリックが最も卑しめられながら頑張って生きている娼婦に親近感を持っていても良いと思うのですよ。

本当にもしかしたらエリックの苦悩を理解するのは娼婦とかストリッパーみたいな人なんじゃないかな・・・と思うんです。

ただ親に見捨てられただけじゃなくて「晒し者」になって卑しめられる、笑われると言うのは想像を超えた苦しみです。

描かせていただきますよ!もちろん。頑張って美しい絵にしたいです。



感想6

2008年05月10日 | 「オペラ座の怪人」
「これであなたの血に飢えた欲望はついに満たされるの?
私は肉体の餌食になるの?」


「流血の喜びに震えるように運命づけられた私には
肉体の歓喜は  手の届かないもの

この顔は  我々の愛を毒する伝染病のようなもの(と、あくまでも自分の残酷さ、身勝手さには考えが及ばず「顔のせい」「この顔で差別されたせい」と責任転嫁)」

ファントムはクリス手を伸ばします。当然、顔を背けます。

原作の「彼の手からは腐敗した匂いがした!」と言う言葉を思い出します。
身体は生きながら心は死に掛けている、魂が腐敗している。というイメージかと・・・。身体は生きていても心は「亡霊」(ファントム)だと・・・。


その手がクリスは嫌なんですよね。当たり前です。殺人者の手ですから。


「仮面は母がくれた最初の衣服・・・」とファントムが切々と歌うと、クリスは非常にファントムに同情的で、手を差し伸べ体がファントムの方を向いています。
さすがに何度聴いても泣ける歌です。


「同情しても手遅れだ。(ファントムは手を払いのけています)
振り返り 自分の運命と向き合うのだ
目前に広がる闇は  永遠に続くだろう」

と、ブーケを頭に載せたり、花束を持たせたりしています。
クリスは「この苦しみが刻まれた顔 今の私には恐ろしくはないわ
本当に歪んでいるのは あなたの魂よ」と訴えています。

ここで映画のようにアップにならないのでよくわからないのですがバトラー・ファントムのように反省というか、一瞬でもクリスの言葉を受け入れているのかは分りません。
あまり受け入れているようにも見えません。

すぐラウルの気配がします。慇懃無礼に出迎えます。

クリス人形は「もういらない!」とばかりにごみのように投げられます。本物が来るからもういらないのでしょう。

抱き合う二人を見て切れています。


「あなたの暗い運命を思って流した涙も
冷たく冷えて憎しみに変わる」


クリス怒っています。当然です。人間を物扱いして・・・。でもこの言葉にファントムは動揺しています。

「さようなら  私の落ちた偶像  偽りの友(友達だったのか!)
かつては希望があったわ
でも  それは砕け散ったわ」

耳を塞いで最後通牒を聴くまいともがいています。クリスにも嫌われています。


「あなたは私を騙した
わたしは盲目的に心を捧げたのに」


次⇒ファントムは暴力的です。手を振り上げてなにか怒鳴っています。なんと言っているのでしょう?


「もう辛抱できない  選ぶのだ!」というものの自分の恐ろしい言葉に慄いて、後ろを向いて少々罪悪感を感じているようにも思えます。


バトラーファントムのふてぶてしい感じとは違います。

個人的にはバトラーファントムの方が好みです。大胆不敵と言いますか、ゾクゾクします。



暗闇に住む哀れな生き物よ(まさしく他人やクリスの人生、自分自身の人生までも自己憐憫でだめにしようとする地獄の状態。愛のない暗闇。客観的な事実)

貴方はどんな人生を送ってきたの・・・

――でキス。


この動画のクリスは一度か二度ファントムにキスしようとして、結局ずっとする事はなかったのを思い出しました。

かつては愛していた。キスしたかった。

にじり寄る姿は心底「恐怖」だった。
でも仮面の有無に関わらずいつもの音楽の天使に戻るのならやっぱり素顔を知ったにも関わらず愛していた。
泣く姿には「哀れみ」があった。

「素顔を知ったからには嫌うだろう」と疑心暗鬼のファントムはプリマドンナの地位を与えてクリスの歓心を買おうと暗躍。そこで思わず持ち前の残忍さが出てしまう。カルロッタのヒキガエル事件、ブケーの殺人。

クリスの中には「やっぱり悪魔なんだわ」と恐怖がいっぱいに。でも、素晴らしい音楽と可哀相な目は忘れられない。

苦しんでいるところにラウルの温かさが沁みて愛してしまう。(ファントムの与える恐怖が後押ししている)


以下略

だからアンマスクの時の最後の最後ではクリスはファントムのすべてを受け入れていたのですね。少なくとも醜さは構わなかった。


ここのファントムがそれを信じたかはともかく。(私はカリスマに支配されてるんだと思ってしまいましたが・・・。

ファントムにしても、醜さに「恐怖」を浮べ後ずさる姿と、仮面姿に「うっとり」する二つのクリスしか見ていないので、このファントム視点での突然の変化を「操られている」とファントムが解釈するのも有り得るかな・・・と。


(泣いている時は後ろを向いています。クリスの顔を見ながら泣いてはいないでしょう)


その根底には、まさか泣いている姿に同情して心打たれる女が「いるはずもない。有り得ない」と言う骨身に沁みた経験に基づく根深い人間不信・猜疑心が・・・。


(「醜さは二人の愛の伝染病なのだ」とあるので最後の最後まで「醜い自分を受け入れてくれた」と認識してはいないと思います。

やはりこの心情のコペルニクス的転回(古い価値観の瓦解)はラストに持っていきたいところです)


だから「まだまだ威厳に満ちた仮の姿なら操れるんだな(自暴自棄)」と人間の美しさに一度として触れた事もないような行動に)

※ 舞台ではマダム・ジリーはファントムの配下にあるのですよね?






「あなたは私を騙した
わたしは盲目的に心を捧げたのに!!!!」


次⇒ファントムは暴力的です。手を振り上げてなにか怒鳴っています。なんと言っているのでしょう?


ここのアドリブのセリフはどんな意味か知りたかったですね。


「愚かな、それは仮の姿だったのだ!」とかかな?
かなえさんには何を言っているのか分りますか?


もしこのブログを読んでいて教えてくれる方がいれば嬉しいです(^^)


そしてファントムは後ろを向いて、いささか力なく「選ぶのだ」と・・・。


そして「暗闇に住む哀れな生き物よ・・・・」に繋がっていきます。





感想のすべてがグチャグチャに混乱していて申し訳ないです(><)
すべてが明確に理解出来てはいないのですね。

クロフォードファントムの動画の「ファントムが両手を差し出すのにサラティーヌは固まって微動だにしない。ファントムはショックを受けて乱暴に腕を掴んで立ち上がらせる」の方が分りやすかったです。



ベスティーヌの方が失ったものが大きくて悲しいというのは言えるかもしれませんね。考えさせられるファンクリでした。



どうも・・・

2008年05月10日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」
原作の拷問部屋の場面での「酔っ払った悪魔」のように嬉々としてように悪事を行うエピソード・エリックが好きなもので「オペラ座の怪人」「サイコ・ホラー」という捉え方をしてしまいます。

多分私の薄っぺらい感性で感じるに、原作は醜く生まれた人間の苦悩が際立っているような気がします。

「顔を見られるのはあってならぬ事」と狂った、凍てついた頭で決心しています。不退転です。そこが好きで泣けるのです。

だから原作エリックは女も随分殺していますね。
そう匂わせています。(「私の顔を見た女はみんな私のものになる」「死んだ女は美しい」といっているので)殺す事で見られた事実も殺しているのかもしれません。

顔を見たクリスの事はあっさり殺せない代わりに金の指輪をしてオペラ座内に軟禁状態します。金の指輪は服従の証です。貞節を捧げさせる間接的な支配に隠微さを感じます。


ラウルの事は殺しに行って(多分)失敗しているようです。


どうしてクリスだけはすぐさま殺せないのか、色々考えると萌えますね。


個人的に「ゲッペルス」みたいな人物だと思っていたりもします。
ヒトラーの右腕ですね。


(オペラ座に行った時は平土間の中央のいい席だったのですが、第二次世界大戦の時にはここにナチスが座ったのだ・・・!!と思うと感激しました)




「オペラ座の怪人」≒「サイコ・ホラー」なんですが、イングランド版のように救いがないとエリックがただの化け物のようでイマイチ。

そのホラーなエリックの根底の「天国を夢見てる」「美を夢見てる」と言う、生きながらにして狂いかけ、地獄・無明に落ちている者の救済劇のほうが作品に深みもあるし・・。

「天国を夢見てる」「美を夢見てる」もなるべくどうしようもない闇からそうあがいている方が好み。

漠然と・・・でなく「そういうものを見るまで死ぬに死ねない」と言う「妄執」「暗い情熱」を感じさせる方が良いです。

純粋なクリスを生贄にして、母と人類が彼に犯した罪を贖わせようとする邪悪なエリック、と言うのが良いです。


原作の方がエリックの救済がはっきり克明に描かれているのも心引かれる部分なのかも・・・。解釈による誤差はなく確実に救済されています。

ただ逆に普通の人から見ると、非常に謙虚で純粋なエリックとも思えてくるのかもしれません。



ERIK≒KYRIE(主よ、哀れみたまえ)というのも素晴らしいネーミングです。