The Phantom of the Opera / Gaston Leroux

ガストン・ルルー原作「オペラ座の怪人」

感想らしきもの

2013年02月06日 | Weblog

 

覚書です。いい加減です。

 

 チューリンゲンの宮廷での歌合戦で、「愛の本質について」を歌い合う、という場面があります。ここで「愛」は「泉」とも言い換えられています。チューリンゲンの宮殿代表のようなカッコイィ騎士(?)ヴォルフラム役は「愛」「真理」(「泉」)というのは天高いところにあり、拝跪し、讚美し、血の最後の一滴までかけてお守りするものだ、といささか自己陶酔、マゾヒスティックに歌います。すると会場の一同は大感激します。

しかし主人公のハインリッヒは「奇跡の泉に口づけし、その水を飲む」というような事を歌います。彼にとっては「真理」は神棚に飾って崇めるものでなく、味わうもののようです。

すると別の騎士が激昂し、「汚れた唇で触れるなど」と挑みかかり、結局主人公ハインリッヒは剣を突きつけられ、暴力を受けそうになります。

そこで聖女のようなエリーザベトが仲介に入ります。「どんな罪人でも救いに預かる権利がある」と。

しかし実はハインリッヒの歌にエリーザベトは感動しているらしいのです(解説によれば)。

 

恩赦祭りに行く巡礼者はみな同じ服装で、同じ歌を歌いながらぞろぞろと、神の代理人であるローマ教皇のもとに歩いていきます。

主人公のハインリッヒだけは、その巡礼のマニュアルに沿わず、赦しを得るためには他の人のやらない苦行をせねば、と「自分で考えた」苦行を実践しています。結果、他の全員が恩赦を受け、罪を許されたにも関わらず、ハインリッヒだけには「地獄に落ちろ」的な呪いの言葉が浴びせられます。

個人的な感想ですが、主人公がヴェーヌスベルクに行ったのも、「真理は味わうもの」と考えて、試しに行ったのかも、という事です。

主人公は独自に考えて、行動する人です。教皇は彼に自由とか盲信しない意思を見て、断罪したのでは?とも思ってしまいました。「盲信しない」というのは中世のカトリック世界では悪そのものだったような気もします。

 

物語は進み、エリーザベトはそんなハインリッヒを思い、彼の歌によって自分の中に芽生えた「自由への憧れ」を償うために、チューリンゲンの城とは違う「谷間」でエリーザベトは祈りの日々をおくっています。しかしハインリッヒが帰ってこず、恩赦が与えられなかった事を知り、「全能の聖母」(ちょっとビックリな言葉です)に祈り、死を持って彼の罪を贖おうと死んでしまいます。具体的にどういうふうに死ぬのかはよくわかりません。舞台の暗闇に退き、見えなくなります。大体「自殺」は罪なのではないでしょうか?それとも願いを聞きいれた全能の聖母が命を召し上げてくださったのでしょうか?

結局ハインリッヒもそれに習ったようです。いつの間にか死んでいました。

「自由という禁断の木の実をエリーザベトに与えておきながら、袋小路に迷い込んでしまったタンホイザー(ハインリッヒ)は、彼女の死を通して贖罪と究極の自由の獲得法を示教され追随する。

幕切れで巡礼者たちは教皇の杖に示された神の恩寵を伝え、悔い改めた者の魂の救済を高らかに歌い上げるが、旅立った者たち(タンホイザーとエリーザベト)の本心を知らないそれは、盲目的な世界に留まり続ける者たちの世界観としてアイロニカルに響いてくるのである」(パンフレットの解説)

確かに巡礼者、騎士道の体現者、護教者としてのチューリンゲンの騎士たちは神に感謝して大合唱してるのですが、その足ものとで主人公の骸が転がっているのは不思議です。一緒に大合唱に加わるのならわかるのですが、エリーザベトもタンホイザー(ハインリッヒ)も、ただただ聖母におすがりして旅立っていった。つまり命ある状態で讚美しなかった。既存の信仰が、生きていく拠り所として機能しなかった、とも思えます。

復活と再生の奇跡を表す「杖」は死体の上に置かれます。そんな奇跡(もしかしたら聖職者の大嘘。死んだものから命が芽生える、という事は「神は死人を蘇たせる力がある」という暗示)に対して湧き上がる群衆は、「死後の永遠の命」を得た、と保証をローマ教会からもらって無邪気に喜んでいる人々とも見えます。

しかしそんな奇跡は起こっても、やっぱりエリーザベトとタンホイザーは死んでしまった。残った人たちは「ハインリッヒも許されて、復活し永遠の命を得るはずだ」と思っているのかもしれません。それはあくまで「死後」であって、生きていく拠り所として機能しなかった、と転がった死体は語っているとも感じられます。

 

ローマ・カトリック的な世界(ローマ)とプロテスタント的世界(ヴァルストブルグ、チューリンゲン)、官能的ヴェーヌスベルグ、全てにおいて安住の地を見いだせなかったタンホイザーが、そのどれでもなく、すべてが重なった「場所」で召される。エリーザベトも同じ場所で死にます。

ここが、パンフレットにある「精神と官能、神と自然という分かたれた二つの要素が、聖なる和合のための愛の口づけをして抱き合っている」場所なのかな、とも思いました。(1852年のワーグナーの表題的注釈の中の言葉)

つまり聖母の場所でしょうか。

聖母信仰自体が異教的な事なので、そこにすがっていく事態、厳しい人間を罰するヘブライ的な神(父)の支配する世界には、ある種の人間にとって救いがない、ということなのかもしれません。
(原語ではどうかわかりませんが、物語当時にあって処女マリアに対して「全能」などという神に冠するような言葉を付けていいのかも謎です)

 

または「聖なる結婚」の場所なのかもしれません。

いずれにせよ主人公の死という結末には変わりありません。「素晴らしい!偉大な恩寵だ!!」と大合唱すればするほど、物言わぬ死体と強烈なコントラストだったりします。

 

うーん、よく分からないながらこんな感想を持ちました。

たしかに今回の演出は「護教的です」と演出のハンス=ペーター・レーマンははっきりパンフレットで述べていて、そんな印象を受けるのですが、パンフレットを読む限りでは、実際の「タンホイザー」自体の狙いは少しズレたところにあったようです。

 

 

【追記】

パンフレットによれば、今回のウィーン版でなく最初の「ドレスデン版」では、エリーザベトとヴェーヌスが表裏一体のものとされていたそうです。聖性と官能が表裏一体とは興味深いです。
今回の舞台だと、「聖なるもの」以外はすべて滅ぶべきもの、卑しむべきもの、と鋭い対立関係にあります。

「完全なる聖性」とか「完全なる愛欲世界」というのも観念的で現実的じゃないですよね。不自然なことですから、真剣に追求したら、人格が破綻します。

 

 

 


すごい偶然

2013年02月01日 | Weblog

 

子供が受検でひとりでホテル暮らしなのですが、忙しい仕事も終わったので様子を見に行こうと思い、上京ついでに映画かコンサートでもと「タンホイザー」を見に行きました。たまたま昼間だったので行ったのですが、偶然にも浩宮様もご臨席。同じオペラを見られるとはびっくりしました。

皇太子様は二階席最前列の真ん中で、私は真下だったので、ちらっとしか拝見できませんでした(でも本物の浩宮様ヾ(*´∀`*)ノ)。入場と退場の際には拍手が起こりました。二幕目、三幕目はいつ入場したかは分からないほどでした。

 

線路に大きなゴミが、とか車内で変な音が、とかで電車が遅れまくった上、微妙に乗り間違えたりして、「もう一幕目は捨てた」とがっかりしていましたが、なんとか15分くらい前には会場に到着。しかし全体で4時間30分もかかり、子供と夕食を食べる予定でしたが、待ち合わせの場所に向かう途中で「一体、いつ終わるの?疲れたからもうお風呂に入っちゃたよ」とメールを受け、仕方なく子供に会わず帰宅。

 

新国立劇場って初めてで、結構あっちかな、こっちかなして疲れました。

あ、でも新国立劇場は幕間におしゃれな軽食やスィーツ、飲み物もあって、ゴージャスな雰囲気に浸れますね。お腹が空いてたのでワインと軽食を食べましたが美味しかったです。

「タンホイザー」についての感想はまた後ほど。

 

 


マドレーヌ市長

2013年01月31日 | Weblog

罪人となったジャン・バルジャンは後にマドレーヌ市長と呼ばれるようになる。

マドレーヌといえば「マグダラのマリア」のフランス語読み。Marie Madeleine マリー・マドレーヌ。

たまに行くブログ様でこのことに触れられていたのでご報告。

もしかしたらフランスにはマグダラ信仰があってこうやって文学作品にも顔を覗かせるのかも。

  • ギリシャ語: Μαρια Μαγδαληνη(Maria Magdalene) マリア・マグダレーネー
  • ラテン語: Sancta Maria Magdalena サンクタ・マリア・マグダレーナ
  • イタリア語: Santa Maria Maddalena サンタ・マリア・マッダレーナ
  • スペイン語: Santa Maria Magdalena サンタ・マリア・マグダレーナ
  • フランス語: Sainte Marie Madeleine サント・マリー・マドレーヌ
  • 英語: Saint Mary Magdalene セイント・メリー・マグダレン

 

【ユゴーとノートルダム寺院】ノートル・ダムとは「我らの貴婦人(聖母マリア)」の意味。

 

 

 

高く聳える双塔、空に突き刺すように延びる尖塔、すらりとした曲線を描くフライング・バットレス、バラ窓など見事なステンドグラスは初期ゴシック建築の傑作と言われています。

革命時には、キリスト教を破棄させるために、過激派のエベール、ショーメットらが「理性の祭典」提唱しました。理性を神聖化することで、人々をキリスト教から引き離そうとしたのです。

1793年11月19日、「理性の神殿」と改名されたパリのノートル・ダム寺院で一人の女優によってオペラに具現された「理性の祭典」が行われました。同じような催しが地方でも行われ流行し、それに伴い、たくさんの教会が略奪され、共和主義の神殿に変えられました。キリスト教を破棄させる運動は大きな成果をあげました。

聖堂入り口の彫刻が破壊されるなど多大な損害を受け、聖堂は閉鎖を余儀なくされます。その後、文豪ヴィクトル・ユゴーはノートル・ダム大聖堂を舞台に、ジプシーの美しい踊り子エスメラルダと、醜い鐘つき男カジモドの恋愛を描いた作品「ノートル・ダムのせむし男」を発表しました。

そのため聖堂の重要性が見直され、19世紀半ばには聖堂の大修復が行われ19世紀に再度、一般に公開されました。20世紀に入ってからも修復作業が続けられ、今日ではフランスにおける最も貴重なゴシック建築のひとつとみなされています。

 

「理性の神聖化」といっても、新たなる一神教なんですよね、きっと。「理性」が正義で「信心深さ」が悪という。何というか極端から極端です orz


http://www.weblio.jp/wkpja/content/%E7%84%A1%E7%A5%9E%E8%AB%96%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2_%E5%95%93%E8%92%99%E6%99%82%E4%BB%A3

 

南フランス旅行で行ったトゥールーズの「サン・セルナン寺院」。ここもナポレオンにより、兵舎兼厩舎にされたとかで、貴重な壁画が傷んでしまっていました。思い出してみると大きいはずの主祭壇もなくなっていたような。(でも小さな祭壇があってちゃんと機能していましたよ)

 


永遠の命

2013年01月31日 | Weblog
 
Q,「永遠の命」はどこから?⇒A,ゾロアスター教とギリシャ哲学から(⇒ヘブライの思想ではない)
 
 
 
 
永遠の命の担い手としての「魂 プシュケー」の登場。のちに聖アウグスティヌス(西暦430年没)において初めて,魂は霊的な実体として確立された。霊的な実体
 
 
 
「霊的な魂が神によって創造され,受胎の際に肉体の中に吹き込まれて人が生きた統一体になるというクリスチャンの概念は,長年にわたるキリスト教哲学の発展の結実である。東方のオリゲネス(西暦254年ごろ没)、および西方の聖アウグスティヌス(西暦430年没)において初めて,魂は霊的な実体として確立され,その種の哲学的概念が形成された。…アウグスティヌスの教理は……多くを新プラトン主義に負っている」―新カトリック百科事典(1967年版),第13巻,452,454ページ,英文。
 

「不滅に関する概念はギリシャ思想の産物であり,一方,復活という希望はユダヤ人の思想に属している。……アレクサンドロスによる征服の後,ユダヤ教は徐々にギリシャ人の種々の概念を吸収していった」―「聖書百科事典」(フランス,バランス,1935年版)アレクサンドル・ウェストファル編,第2巻,557ページ。

魂の不滅ということは,ギリシャ人の観念として古代の秘教の中で形成され,哲学者のプラトンによって大成されたものである」―「プレスビテリアン・ライフ」,1970年5月1日号,35ページ,英文。

「魂が体の分解した後にもその存在を続けるという信念は,純然たる信仰の問題というより,哲学的ないしは神学的な思弁であり,それゆえに聖書のどこにもはっきりとは教えられていない」―ユダヤ百科事典(1910年版),第6巻,564ページ,英文。

 
 
もともとの「ヘブライ語נפש(ネフェシュ)」が「ギリシャ語ψυχη(プシュケー)」と翻訳され、新プラトン主義解釈で「不滅の抽象的な精神そのもの、理性、知性」のような具体性を伴わないものとなっていったようです。
 
 
ヘブライ語「ネフェシュ」は「命/魂/自分」の意味。
ヘブライ語「ハーヤー」は「命/生きた」の意味。
ヘブライ語「ルーアハ」息、風、霊、御霊。

 

「あらゆる肉なるものの魂(ネフェシュ)であり、その中に魂(ネフェシュ)がある」レビ記17:14

כִּי־נֶפֶשׁ כָּל־בָּשָׂר דָּמֹו בְנַפְשֹׁו הוּא וָאֹמַר לִבְנֵי

 

 

 

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なかなか難しいですが、「ネフェシュ」という概念は具体性も有り、「血」にも関係してるみたいですね。ヘブライの旧約聖書に「身体とは別に、人間には魂のようなものがあって、身体が滅んだ後にも、どこか別の世界で生き延びていく」といった類の考え方が、聖書の登場人物や聖書を書いた人々にとっては、まったく無縁であるようです。

 

ヘブライ語の「ネフェシュ」から翻訳されたギリシャ語の「プシュケー」が、「血」や身体的な死とともになくなる、といった意味が、新プラトン哲学の影響で、精神そのもののような抽象的て、具体的でないものにとって代わり、それが永遠の命の担い手になったようです。

新約聖書が最初ギリシャ語で書かれたこと、最初はユダヤ人信者が中心だったのが、ギリシャ語を話すユダヤ人、そしてギリシャやローマなどヘレニズム世界に受容されていくうちに、元来のヘブライらしさは失われた部分もあるのかもしれません。

ヘブライ⇒ギリシャ

 

 

また「永遠の命」という発想は、ゾロアスター教の影響かもしれません。

ゾロアスター教では、善神群と悪神たちとの闘争ののち、最後の審判で善の勢力が勝利すると考えられており、その後、新しい理想世界への転生が説かれている。そして、そのなかで人は、生涯において善思、善語、善行の3つの徳(三徳)の実践を求められている。人はその実践に応じて、臨終に裁きを受けて、死後は天国か地獄のいずれかへか旅立つと信じられた。この来世観は、のちの後期ユダヤ教やキリスト教、さらにはイスラームへも引き継がれた。

世界の終末には総審判(「最後の審判」)がなされる。そこでは、死者も生者も改めて選別され、すべての悪が滅したのちの新世界で、最後の救世主によって永遠の生命をあたえられる。こうした、最後の審判や救世主の登場などの教義もまた、数多くの宗教に引き継がれたのである。

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BE%E3%83%AD%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E6%95%99

 

こう考えるとヘブライの伝統から離れ、ギリシャ語を話すユダヤ人達(しかもディアスポラでエルサレムから離散していた人たち)が、「永遠の命」を得るために、イエスの死に様々な宗教を習合させていった部分もあるのかな、と思います。

パウロがインスピレーションを受けて閃いた、永遠の命を得る「メシア教」(重要なのは原罪を贖う「血を流すような死」。死後の肉体を持った「復活」)として誕生した。しかし「旧約の成就(すり合わせ)」傾向が強く、旧約の神とは「愛」というアクロバティックな解釈が必要。個人的にはここいらへんが原因でローカルなヤハウェ神が世界進出を果たすことになったと思ってます。今のところ。

もうひとつの潮流⇒グノーシス派、イエスの言葉(導き)による「覚知」によって、旧約の神を超えた「父なる神」を知り、同時に永遠の命を得る。人間が抱える根本的な問題は、原罪ではなくむしろ無知⇒イエス=人間とか仮現説(実は霊的な3Dだった的な)を説いたため後に異端認定。

 

救世主信仰
広隆寺の弥勒菩薩半跏像

 

弥勒菩薩…五十六億七千万年後に兜率天から下生して釈迦如来の教えに漏れた衆生を救済するという仏。 弥勒菩薩は、今度生まれ変わる時に仏になることが約束されている、未来仏である。仏教で未来を示す仏は、この弥勒菩薩だけだという。大乗仏教もミトラ教やゾロアスター教の影響があるようです。

終末は56億7000万年後と明言。ほぼ全人類が救われます。


 

 


日常「聖婚」

2013年01月31日 | Weblog

 

佐藤賢一「オクシタニア」をポチってみました。アマゾンのレヴューでも好評っぽいですし、異端カタリ派の信仰や生活、粛清にいたる過程など、わかるかもしれません。

ローマ教会は「マグダラのマリア聖日」の1209年7月22日、カタリ派を抹殺すべくアルビジョア十字軍をラングドックのペジェに派遣し、史上類をみない残虐な手段で数万人もの老若男女を虐殺した、そうです。強い「マグダラのマリア」信仰があったのですね。

 

グノーシス風の信仰がどうして突然現れたのか謎です。
10世紀半ばに南フランスで起こった運動ですが、いきなり教祖も経典もなく起こったのか、具体的にwikiだけでは分からないことだらけです。もしかしたら、聖典が確定するに伴い、お家芸である焚書を免れた異端の「福音書」(トマス、マリア、ユダ、真理)が実は受け継がれていた、とかなら楽しいです。

マニ教の影響も指摘されています。マニ教はキリスト教、ユダヤ教、ゾロアスター教、仏教のミックス宗教で、かなりの世界宗教だったようです。それにマニ教は「トマスの福音書」を大事にしていましたから、焚書を免れた写本があったのかも。それが巡り巡って南フランスにたどり着いた。それが南フランスにある「マグダラのマリアが南フランスに逃げてきた」という伝説を生んだ。なんて考えたりしました。ついでにマニ教ふうの輪廻転生という考え方もやってきたのかもしれません。

実際、歴史的に迫害されてマグダラのマリアが南フランスに逃げてきた可能性もあるかもしれません。

 

地下水脈的な信仰が、当時の教会の腐敗などによって力を得た、という感じなのでしょうか?

わかり易い解説を見つけました。
http://sugata.harimaya.gr.jp/_trip/france/Langeudoc/Langeudoc.html

 

 

「トマスの福音書」に出てきた「聖婚」でちょっと思い出したのが、「油を塗るマリア」。
グノーシスフィルターをかけ、下記の事を考えれば、一種の「儀式」という意味にもとれるかのです。

 

「聖婚」と「メシア 油注がれし者」

そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。(ヨハネの福音書12:3

女祭司との結婚を通し、配偶者は王族の身分を授かり、「聖油を注がれた者ーメシア」として知られるようになる。
王の頭に聖油を注ぎ(聖別)、豪華な食事を並べる役、敵の前で王の擁護者となる役は、近東固有の古い秘儀の中では女神が勤めた(ギルガメッシュ抒情詩)。王家の血を引く女祭司と、選ばれた王との神聖なる結合は、共同体全体の再生、活力、調和の源と期待して行われていた。後にこの風習は、近東全域で新年(太陰暦の新年、秋頃)の祝賀行事として催されるようになり、豊穣の儀式にも反映された。

メソポタミア地域の一部の宗教は、土地の豊饒を持続させるために、地元に神殿に仕える女祭司が選んだ配偶者を、儀式的にいけにえとしてささげていた。いけにえになった王の葬式は、作物の順調な生育と人民の反映を保証すると考えられていた。

この儀式はギリシャ語でヒエロ・ガモス(聖婚)と呼ばれた。

頭に塗油する儀式には性的な意味も秘められていて、「聖油を塗布される」男根をこの頭部が象徴している。花婿は、女神の代行の王族の女祭司によって聖別され、人々は町を上げて喜び祝い、豪華な結婚の宴が何日も続く。祝福された王家の結婚は、家畜や穀物の継続的な繁殖と、共同体の反映の象徴となった。

聖婚は、象徴的な意味を持つ古代の儀式であり、一般的に春に行われた。これは冬が生命活動に乏しく死を象徴するため、春はそれからの蘇りと考えられたことによるもので、死と再生の儀式の一環である。 この儀式は、宗教の主権者と神殿娼婦によってしばしば実施されていた。ヘレニズム期の女神の神殿には「聖娼」と呼ばれる女性司祭(神殿娼婦)がいて、男性信者と性的な儀式を行うことによって女神の神性を男性信者に与えてイニシエーションを施した。

この「聖娼」の時、聖娼は男性信者に「塗油」を行っていた。

古代のヒエロス・ガモスの儀式では、女(花嫁)は、自分が選んだ男(花婿)の頭と足-性器-に香油を注ぐ行為によって相手を讃えます。

 

また、聖なる王への塗油として巫女が選んだ男(王となる者)に香油を注いだのち、聖婚(=聖なる婚姻)として知られる性の儀式を通して運命を授けます。
儀式の間、男には神が、巫女には女神が乗り移り、絶大なる力を手に入れる、この巫女の力なしには、選ばれし王とてその地位につくことは出来なかったそうです。

 

「足」が「性器」を表す例。

4:24 さて、途中、一夜を明かす場所でのことだった。主(ヤハウェ、エホバ)はモーセに会われ、彼を殺そうとされた。 4:25 そのとき、チッポラは火打石を取って、自分の息子の包皮を切り、それをモーセの両足につけ、そして言った。「まことにあなたは私にとって血の花婿です。」 4:26 そこで、主(ヤハウェ、エホバ)はモーセを放された。彼女はそのとき割礼のゆえに「血の花婿」と言ったのである。(岩波版、旧約聖書『出エジプト記』4章24)

注釈によれば、二行目の「彼の両に」という語句の、「両」は性器の婉曲表現だそうです。

 

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/mary_magdalene.html#6

 

  

 


日常

2013年01月30日 | Weblog

 

 

こうして色々勉強していると「そういえば、本当にマグダラのマリアとかどこに行っちゃたんだろ?」と思います。

 

 

イエスの死後、ぷっつり影も形もないという。男性社会でしたから、表に出てこなくなったとも言えるかもしれませんが・・・グノーシス系でのマグダラのマリアの扱いは重要っぽい。

 

ペテロとか・・・死後もエルサレムで当時のユダヤ人社会と平和に仲良くやってるって(^^;)

イエスの弟ヤコブは62年、ユダヤ総督の任期が切れ、新しい総督が赴任する空位の時間差を利用され、サドカイ派の大祭司アンナス2 世によって律法違反の罪で処刑されている。もっとも、イエスの弟ヤコブはユダヤ人からも「義人」と尊敬される程律法の遵守に熱心な人であった。

よってファリサイ派とユダヤ民衆からはこの不法な処刑について批判が出ており、問題が文字通りの律法違反ではなく政治・社会的な問題であったと推測される。

原始エルサレム教会は第一次ユダヤ戦争(66-70 年)が勃発する直前に、ヨルダン川の東方の地ペラに脱出している(エウセビオス『教会史』Ⅲ、5:3)。

エルサレムは70年陥落しローマ軍に徹底的に破壊された。その後、原始エルサレム教会は再びエルサレムに戻ってイエスの従兄弟であるシモンがエルサレム教会の指導者となり132-135 年まで存続したようです。

 

こう見ると血縁って重要なのかな?と思います。「クムラン」を読んでても「~~の末裔」「大祭司を務めた~~家」と言った言葉が結構出てきます。

 

そんなこんなで、【マグダラのマリアの伝説】

プロヴァンスにはイエスの磔刑後イエスの死から14年目、ユダヤ人のキリスト教徒迫害によってパレスチナを追放された、ラザロ、マルタ、マグダラのマリアの3人の兄弟、聖母マリアの妹マリア・ヤコベ、使徒大ヤコブとヨハネの母マリア・サロメらが、食糧もなく、帆も櫂もない一艘の小船に乗ってマルセイユに漂着したという伝承がある。漂着の場所についても異なったバージョンがあり、ジプシーたちはマルセイユよりさらに西のローヌ河のデルタ地帯、カマルグ地方、サント・マリー・ドゥ・ラ・メールに漂着したと信じている。

でも、親戚もペトロとかも普通にエルサレムで暮らしてるんですからね(´д`) しかもユダヤ人は迫害してないですしね。

ま、ペトロとかが迫害したというのなら、理解はできますが。(そういえばそんな事が書いてあったような)。14年目というとバル・ミツヴァ(ユダヤの成人式)あたりになるのでしょうか?それを拒否して移住を強いられたとか?

 

それに伝説のある南フランスといえばグノーシスの異端カタリ派のいたところです。マグダラのマリアが子供達と「グノーシスの奥義」を持って南フランスのラングドックに移り住んでいたからこそ、あれほどの数のグノーシス信者が生まれたのかも、と思うとなかなかロマンティックです。

 

テンプル騎士団は本来、西洋のローマ・カトリックを筆頭としたヨーロッパ軍が信仰篤い巡礼たちを聖地にまで護衛するのが本来の目的だったのですが、しかし、聖地はついにはイスラム側に奪回されてしまうのです。

そうなると、「旅の巡礼を異教徒から守る」という本来の目的はなくなり、テンプル騎士団の存在理由は、テンプル騎士団はラングドック地方をこんどは本拠地として居座ることになるのですが、今度はローマ側から「異端」であるという嫌疑をかけられ、ついには滅んでしまうのです。

「ダ・ヴィンチ・コード」的にはマグダラのマリアの子孫を守るため、でしたよね?

 

グノーシスの奥義と血脈とは関係がないと思います。
やっぱり「ダ・ヴィンチ・コード」の原作を読もうかな?

 

 

 

 


日常

2013年01月29日 | Weblog

 

「トマスの福音書」は面白かったのですが、「ユダの福音書」はネットでググった感じ、微妙だったので買わずに置こうと思います。

この福音書には「十字架の贖い」とか全く出てきませんが、最新の研究で最古の「マルコの福音書」の初期の写本には、「処女懐胎」や「肉を持った復活」(身体のよみがえり)が書かれていない事を考えれば、傾聴に値するかな、と。

 

コリント(1)15:4-9
葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました

パウロが感じたのは、座って魚を食べたりする具体的な肉体を持ったイエスではないので、「トマスの福音書」の「イエスに会う」(グノーシスだと一歩進んで、イエスになる。もしくは双子(トマスという名前自体双子を意味するらしい)のような仲間・兄弟になる)に通じるものがあるかな、と思います。実際グノーシス派の人はパウロを高く評価していたようです。

「彼はヘレニズム世界に深入りするにつれて、終末への待望を次第に語らなくなっていく。また、かなり重要な革新がみられる。パウロは、ヘレニズムの宗教的語彙(グノーシス、ミステリオン、ソフィア、キリオス、ソーテール)を使用しただけでなく、ユダヤ教や原始キリスト教に知られていなかった観念を採用している。例えば聖パウロは、グノーシス派に根本的な考え方である、(中略)二元論を取り入れたのである。エリアーデ「世界宗教通史」p. 371-372」

 

仮にイエスが弟子に「トマスの福音書」にある「奥義」を教えていたとしたら、どの弟子たちはどこに行ったのか?と疑問が湧きます。「イエスの語録集を生んだQ宗団から派遣された巡回霊能者」なのかもしれないと言う人もいますが、そうなると教義上、ぶつかり合うわけで、そのあたりをうまく説明してくれる本でもあればなあ、と思います。

第一12人の弟子がいた上に、イエスの兄弟のヤコブはエルサレム教団のリーダーでした。(教会の指導者(ガラテヤ信徒への手紙2章12)エルサレム教会の主幹者(使徒言行録12章1)使徒会議の議長(使徒言行録15章13)教会の柱(ガラテヤ信徒への手紙2章9))

イエスの死後、兄弟のヤコブやペテロはエルサレム神殿で伝道活動を行いますが、神殿を重視し律法を遵守するかぎり、誰も妨げを行わず、ユダヤ教ナザレ派とでもされて比較的平和に過ごしています。そのあとにステファノの殉教という大事件が起き、 ステファノが処刑された同日にエルサレムで原始エルサレム教会に対する迫害があったことが報告されています。


しかし同じナザレ派(原始エルサレム教会)でありながら使徒たち(ペテロたち)は迫害を免れ、その後もエルサレムにおいてユダヤ教主流派と共存することが可能であったのです。この人たちは「トマスの福音書」的な奥義の体得者という感じはしないですね。

 

 

 

一人の人生から、「原罪」「贖罪」」「肉を持った復活」「三位一体」などなど、展開していく過程は壮大なドラマを見ているようです。

 田川 建三、 荒井 献、秦 剛平、バート・D. アーマン、佐藤研あたりを参考にさせていただいています。


イエスの兄弟ヤコブ

男兄弟の他に女兄弟もいるようです。ちなみにカソリックだと「従兄弟」になっているようです。

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どうか、あなたを知らない異邦人と、あなたの名を呼ばない国々の上にあなたの怒りを注いでください。

万軍のヤハウェ(エホバ)はこう仰せられる。見よ。災いが国から国へと移り行き、大暴風が地の果てから起こる。その日、ヤハウェ(エホバ)に殺される者が地の果てから地の果てまでに及び、彼らはいたみ悲しまれることなく、集められることなく、葬られることもなく、地面の肥やしとなる。』」

わたしは自分の矢を血で陶酔させる、わたしの剣が肉を食らう間に。打ち殺された者と捕らわれた者たちの血で、敵の指導者たちの頭をもって。 (旧約聖書より)

 

いっつもこんなだなあ、旧約って。。。。
ただ旧約で面白いのは「死後の世界」「抽象的な精神そのものとしての魂」「永遠の命」といったものがないこと。

実は「霊魂」のような肉体とは相反する「魂」を想定するのは、キリスト教、ヒンズー教、バラモン教、ギリシャ哲学。
逆に肉体と精神を分離しないのは仏教、ユダヤ教。

 


2世紀ごろ,アレクサンドリアで生まれ,ローマで活躍したグノーシス主義の宗教哲学者。
セント・ヴァレンタインデーの人。

ウァレンティヌス派を創立し,初期キリスト教神学に多大の影響を与えた。全宇宙は充実(プレロマplērōma)の流出からなる位階秩序をもっている。地上はその最下層の暗黒世界にすぎず,創造神(ヤハウェ)は悪の力にほかならない。魂の救済とはこの世からのがれて再び充実の中へと帰ることであり,それは霊的認識(グノーシスgnōsis)によってのみ可能であると説く。

 

イエスの死後から、こういうグノーシス・セクトの発生までが、よくわかりません。「トマスの福音書」などを読みながら、ナグ・ハマティの発見されたエジプトなどあちこちで信仰されていたのかもしれません。

 

 

 

 


トマスの福音書、読んでます②

2013年01月28日 | Weblog

  
「私に受肉した神の光は全人類が共有している、何故なら私達はみな「神の似姿」に創られたからである」

「それは、待ち構えているうちは来ないだろう。『見よ、ここにある』あるいは『見よ、あそこにある』などとも言えないだろう。そうではなく、父の国はこの地上に広がっている。そして、人々はそれを見ない」

イエスが言った。『私はすべてのものの上にある光である。私はすべてである。すべては私から出た。そして、すべては私に達した。木片を割りなさい。私はそこにいる。石を持ち上げなさい。そうすれば、あなた方は私をそこに見出すだろう。

 

 

この、77「木を割りなさい。私はそこにいる。石を持ち上げなさい。そうすれば、あなたがたは私をそこに見出すだろう」などは「どこの禅問答?」みたいな感じでユニークです。その他、イエスが娼婦サロメと語らい、寝たのち、禊ぎを経ずに説法することに、弟子達が難色を示す箇所もあって、なかなか微笑ましいです。

「生きとし生けるものに仏性あり」にかなり近く、排他性がなくてよいなあ、と思います。

エッセネ派も「人は神性を宿す」という神学を持っていたようですね。

カソリックやプロテスタントではどうかわかりませんが正教会では「テシオス」という言葉があるようです。

「テオシス」は正教会では「神成(しんせい)」と訳されます(一般では「神化」と言う)。アファナシイという聖師父は、「神が人となったのは、人が神になるためであった」と言いました。「人が神に成る」という言葉は、それだけをとりあげた場合、かなり危険で誤解を招きかねませんが、しかし、「テオシス(神成)」は、正教会の教えの根幹にあるものです。人が神に成るといっても、人でなくなるのではありません。あくまでも人でありつづけながら、神の本性(愛とか自由とか永遠とか喜びとか力)をいただくことを言います。だから「テオシス(神成)」は特別な人にではなく、すべての人にとって関係することです。

http://www.orthodoxjapan.jp/tebiki/sekaikan01.html

 

噂によればダン・ブラウン氏の「ロスト・シンボル」でも、神化(テオシス)を扱っているそうです。

 

正統教会に排斥される以前の、特にグノーシス系のキリスト教ヴァレンティノス派は「正統派教会は『至高者』の存在を知らず、創造神に対する信仰に、しかも信仰に基づく行為を救済の条件としており、しかも地峡の「見ゆる教会」を救済機関とみなしている。・・・さらにはこれらは一切が起因する創造神に対する信仰そのものから、本来的自己の出自たる至高者のグノーシス(認識)によって解放されなくてはならない。」「トマスの福音書」p108(荒井献教授編、講談社)

として、自らの教派を「まことのキリスト教」とし、正統教会を下位においたそうです。


素人目にはどちらが正しいかどうかはわかりません。

 

 

「彼(預言者エリシャ)が道を上って行くと,その都市から出て来た小さい少年たちがいて,彼をやじりだし,彼に向かって,『はげ頭,上って行け! はげ頭,上って行け!』と言い続けた。ついに彼は後ろを振り返り,彼らを見て,神ヤハェ(エホバ)の名によって彼らの上に災いを呼び求めた。すると,森の中から二頭の雌熊が出て来て,彼らのうち,四十二人の子供たちを引き裂いた。」(旧約聖書、列王第二2:23,24)

 

所詮子供の言ってることなので、気にしなくても、とも思います。殺さず、言葉で諭せば済むことなのに、です。相手は子供ですし、全知全能の神なら上手に導けたでしょうに。

 

個人的にはイエスの「父なる神」が熊で子供を引き裂く神でないといいなあ、と思います。

本音では、ヤハウェ(エホバ)神は苦難の民がその統一性を保つために、作り上げた神であって、だから、妬んだり、脅したり、見せしめのために異教徒や悪戯な子供を虐殺するんだと思いますよ。民族の危機感が生んだ、という側面もあるでしょう。民族がバラけていたら多民族には負けてしまいますしね。

民族の危機が一神教を呼ぶというのは、日本でも仏教を排して、国家神道で現人神を崇拝した、というのも似たような現象かと思います。存亡の危機にクリスマスを祝うとか外来の仏教を信仰する呑気さや寛容さは有り得ないのかも。「日本」「国体」に対する反逆になってしまうのかもしれません。

緊張感を維持するために、病的に異教を排斥するんじゃないかと思います。

 

 

 
これは「ユダの福音書」

 

 

 


トマスの福音書読んでます

2013年01月25日 | Weblog

 

 「トマスの福音書」を読んでます。

何というかなかなかスーっとわかる語録集ではなく、聖書学の国際的な権威である荒井献教授のグノーシス用語の解説がなかったら、よくわからない、という感じです。

 

ただ一般にグノーシスっていうのは「光と闇」「天と地」「善と悪」の二元論だと言われていて、グノーシス的福音書であるこの言葉集も創造神であるデミウルゴス(旧約の神)を超越する、「至高神」が定められているのですが、「覚知(グノーシス)」することによって、至高神を知る。御国は、どこか天高くとか、海中深くではなく、偏在し、覚知者の内に実現されている。

終末の後に神の国が来るのではなく、気がつけばそこにある。(一種の「あの世」と「この世」の二元論の否定⇒御国はどこか空の上の方にあるわけでも(空間)、これから来るわけでもない(時間)。)
気づくことが、すなわち「覚知」(グノーシス)であり、生けるイエスを見ることである、ようです。

 

注意点は、この福音書の核にはユダヤ人キリスト教に由来するイエスの言葉伝承ではあるが、トマスがグノーシス主義的に解釈したもの、とも捉えられるようです。

ユダヤ教の神を格下げしていますので、ユダヤ人キリスト教(エルサレム教団)がこういう解釈をしていたかどうかはわからないようです。グノーシス主義者達のイエス解釈とも言えるかもしれませんが、p5「『Q資料』とトマスの福音書の語録はかなり重なっている」らしく、グノーシスフィルターはかかっていても最古層のイエスの言葉と思っても良いようです。

 

「異教徒は殺せ」と繰り返す、排他的で残虐な戦争神ヤハウェ以上の「何か」を想定した点は大いに頷けます。なんでも相いれぬものは「殺す」※という解決手段しか取れないのは、愚かな上に確実に悪です。

※ 「聖絶」⇒ことごとく滅ぼし尽くすこと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E7%B5%B6

 

「トマスの福音書」においては

「救済=覚知」
「本来の自己を取り戻す」
「アンチ選民主義」
「イエスの出現が旧約の預言の成就ではない」
ヤハウェはただの創造神
十字架⇒復活はない
旧約の預言者の否定
「単独者」として血縁から自立し、「覚知」に基づく同胞関係を勧める。
至高者は男でも女でもない(らしい。主に「父」)
敬虔さは「覚知」の条件ではない
覚知者は禁欲であれ

 

「隠された言葉」として、一般大衆には「隠され」ている。それはイエスによって「覚知」を得られる宗教的エリートにのみ保留されている。つまり「秘教」というわけらしいです。

でも誰しもが宗教的エリートではないので、変な例えですが僧伽(出家)主義で、小乗仏教っぽいかな、と。そういう意味では「信仰によって救済」されるパウロ主義というのが、多くの人の胸に打つものがあった、単純で、大衆受けしたかな、と思います。

(だからといってこのトマスやマリア、ピリポの教えを封殺、焚書してしまったのは大きな損失だったでしょう。「至高者」には、具体的な言葉がないので、黒人蔑視や、異教徒殺害奨励、といった旧約に神学的根拠を求めた悪しきことが回避されたかもしれません。

 

 

もともとなかった「十字架上の死による人類の救済」「肉体を持った復活」思想がどこからともなく紛れ込み、変形していった過程は不思議です。最古の福音書にも「十字架⇒贖罪」「肉体による復活」はないので。

wikiより 「マルコ福音書の変遷に関してもっとも大きな問題は、結末部分(16:9-20)の問題である。そこには復活したイエスと弟子たちが出会い、イエスが天に昇る話が描かれるが、古い写本には含まれておらず、3世紀の神学者オリゲネスが福音書の復活物語を論じたときも他の福音書からは引用しているにもかかわらず、マルコからは一切引用していない。このことは結末部分が3世紀以前には存在しなかったことを示している。」

ただ「死をもって罪を贖う」「人身御供」といった考え方はもともといろいろな地域で見られるもので、そう言ったものをユダヤ教と別れていく過程で、取り込んでいったのかも(異教であるミトラ教、ゾロアスター教、エジプトの神話などを盛り込んで教義を固めていった)、と思います。逆にインドに布教に行ったとされるトマスは、東洋思想(バラモン教、ヒンズー教、仏教)に影響をうけていったのかもしれませんし、もともとこういう教えだったのかもしれません。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=-_eLaY-fQgE

Zeitgeist ツァイトガイスト(時代の精神)

 

死者の復活⇒祭司階級を中心とするサドカイ派は死者の復活を信じていませんでし。それは彼らが伝統的なユダヤ教の教えを墨守していたからです。ヘレニズム的な「死者の復活」を信じていたのは、新興勢力だったパリサイ派です。

 

p118、「しかし正統的協会は、パウロ自身の手紙によるより、むしろパウロの名によって書かれた手紙(テモテへの手紙、テトスへの手紙)によって、「キリストの律法」に基づく教会の秩序を擁護し、救済手段としての教会制度、とりわけ聖職者位階制を原理的に否定したグノーシス主義を排斥した。

ますます排他的になり、色々な意味で「救済」を教会が独占し、罪の許しもお金で買える(免罪符など)下地が出来たようです。下の言葉も最古の「Q」にはないので(トマスにも、マルコにもない)、教団が都合により、イエスの口から言わせたと思われます。

 

わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう(マタイによる福音書 16章13~20節)

 

 

 

 

それに、原人アダム(両性具有の原人)の肋骨から分離(死)することによってイブが生まれた。つまりお互い欠損部分がある。それを取り戻すのが、再結合(不死)。「結婚の場所」と呼ばれ、分離した男女が覚知(グノーシス)によって原初的統合を回復する。(聖なる結婚)という考え方もあるみたいです。全体的に小難しいですorz

「イブがアダムの中にあった時、死はなかった。彼女が彼から離れたとき、死が生じた。彼女が再び(アダムに)入り込み、彼が彼女を受け入れれば、死はないであろう」(「ピリポ福音書」71)

 

「聖なる結婚」で思い出したのがこれ。

 

 

ペテロ(正統派教会)が子供(覚知、真実)を殺そうとしている、の意味かと、深読みしちゃいました(^^;)ペテロの手がマグダラのマリアのお腹にナイフを突きつけてるという。(これはダ・ヴィンチ・コードの受け売りなんですが)

 

 


百億の昼と千億の夜

2013年01月24日 | Weblog

 

 

子供とブックオフに行ったら見つけました。

アトランティスとか、最後の審判とか、救世主(弥勒)とか、壮大なスケールの作品です。子供の時に読んだだけなので、歴史上の有名な人がいっぱい出ているし、兜率天や摩尼宝殿、三千大千世界、途方もなく巨大な仏教的宇宙観みたいなものが舞台で面白かった記憶がありました。

懐かしくなってそこにあった一巻だけ買ってみましたら、これがすごく面白い!

 

「神の計画」「神と被造物」をこんなふうに料理するなんて、原作者の光瀬龍さんは凄いし、それを絵にできるなんて、さすが萩尾望都です。

「プロメテウス」がOKな人なら面白く読めると思います。


「神」とは銀河系をコントロールする「高次」の意識体(人格神?)であり、地球人類はただの実験動物にすぎない。それに挑む戦士、釈迦、阿修羅王、プラトンにイスカリオテのユダ(←なにげに大役。ユダはイエスを売り飛ばしたが、刑の執行が「神の予定」の成就だと告げられたとき、必死に止めようとし、マインドコントロールを受け、神の支配下に置かれるが、最終的に再び神の秩序の破壊者となる)

 

この作品では、「転輪王」が神=唯一神であり、造物主であり、それ自体が宇宙であり絶対者です。
ただしそれは転輪王という宇宙の中において、であって、転輪王を「反応炉の内部に発生した高エネルギー粒子の集団」と捉える、さらに大きく高次の宇宙が存在する。宇宙の外側に、それを内包する宇宙が何重にも果てしなく存在する――壮大です。

 

色々ググってたら出会った言葉

釈迦が「人間」として「神」と対峙するのは、仏教の起源を考えればあたりまえの話で、そもそも彼の開いた「悟り」というのは「輪廻の輪=“何ものか”に強制された存在の仕方」を脱して、「もう生まれ変わらない!」「私は私としてこの生を終える!」というものだったんだもの。

この世界を創り、規定し、破壊するものが何であろうと、私は私として存在し、生きて死ぬ、というのがもともとのブッダの悟りだ(と、私は理解している)。

神などいない。

救いは外からは訪れない。

 

http://showhyuga.blog.eonet.jp/blog/2009/01/post-c400.html より。素晴らしいです。読みが深いです。感動いたしました。

確かに歴史上の釈迦は神を語らず、「信仰を捨てよ」「精神そのものである魂(アートマン)はない=無我」と説いていたのです。彼は強く、凄まじく、しかも限りなく慈悲深い。ニーチェが釈迦の説いた「スッタニパータ」を愛したのも頷けます。(そういえばニーチェはパウロをボロクソに批判していましたね。マルコと同じように許せなかったのかもしれません)

 

 

わたしたちはなんなのだ
どうすれば真の道へ行けるのか
この世界の外にさらに大きな世界の変転があり さらにその世界の外に世界が
そしてまたその外にも さらに 永遠の世界がつづくのなら
わたしの戦いは いつ終わるのだ……?

すでに還る道はない
また新たなる
百億と千億の日々が始まる―――

 

 

というのがラストシーン。


時間が循環するんですね。これは西洋の「始まり」があって「終わりがある」という、直線的な時間感覚とは違う、戦慄を覚えるほどの無常の世界。でも立ち向かっていくのですね。

凄いです。

 

この作品のテーマは問い続けること、戦うこと、それが生きていくということなのだ、という事かもしれません

「百億の昼と千億の夜」――タイトルも美しいです。

 

 


「エヴァンゲリオン Q」続き

2013年01月24日 | Weblog

 

先日記事にした新約聖書、福音書の底本の資料ともなった「Q」。

 

 

 

「捏造された聖書」とは穏やかでない。オカルト本、トンデモ本か?と思って、見かけても買わないでいたのですが、大変敬虔な人も読んでいるようなので、と買ってみました。

著者はノースキャロライナ大学宗教部長のバート・D・アーマン。聖書の本文批評学の権威です。

英語のタイトルを日本語に訳すと「イエスの誤引用ー聖書を改変した人々とその理由の背後にある物語」ですが、実は健全かつ学術的な、標準的現代聖書学の成果を書いた本です。

本文批評学とは、オリジナルな新約聖書がなくなった今、入手できるものが写本だけという状況、しかもその写本たるや2世紀初頭から16世紀までおよび、ギリシャ語の写本は5700以上、ラテン語ウルガタ写本は万を超える数があり、これらの写本には30万を超える異文(写本により新約聖書の文章が、単語単位あるいは文節単位、あるいは章単位に異なるので、それらを数えるとそれ以上ある)を含む写本を、学問的に比較検討しオリジナルの聖書を見つけ出すという学問分野を言います。

 



個人的にはそんな学問(聖書の本文批評学)があった自体「目からウロコ」(  Д )    ゜   ゜
なんですが、読みやすいですし「ダ・ヴィンチ・コード」を見て、もやーとした部分、つまり・・・

「今に伝えられる聖書って、怪しいの?誰かの都合で取捨選択されたの?」


に答えてくれます。すごく読みやすいです(^^)



この本に関して他の人の声、反論たまたま拾いました。φ(゜Д゜ )フムフム…

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1455236994

 

中でも印象的なのが

 

ええええ工エエェェ(´д`)ェェエエ工。

 

福音主義というのは聖書の無謬性(聖書は一言一句間違いのない神の言葉)を固く信じてる人たちだと思うのですが、最後の最後に文献学や科学に裏付けられた研究成果に対して「サタン」を持ち出すとはw(*TーT)
正直、驚愕しました。

 

 

この福音主義派(聖書は逐一無謬で、神の言葉である派)は多数派だったら、魔女狩り一歩手前かも((((;゜Д゜))))
すくなくとも焚書は免れなさそうです゜(゜´Д`゜)゜

 http://japan.techinsight.jp/2013/01/sweden_abuse_1301210045.html



しかし、この科学の発展した時代になっても、悪魔の実在を信じてるんですね~。今でもエクソシスト(悪魔祓いの神父)がいるくらいですしね。正直「どんな中世だよ?もう悪夢は終わったんじゃないの?」と思ってしまいました。
個人的には、悪魔という実在が空想や寓話でなく具体的に存在し、弱い人の心を悪に誘惑している、という、という発想も凄いなー(@_@;)と、思います。神や天使が、抽象的でなく、寓話でなく具体的な実在なら、悪魔も具体的な存在なのかもしれません。

  

現在はマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書に絞られていますが、選択されなかった福音書で最近話題の「トマスの福音書」。買ってみました。荒井献先生によるQ資料との関係や、グノーシスとの関連も入ってるようなので。
「マリアの福音書」は買って読んだのですが、やっぱり「トマス」も読んでおくかと。

で、こういった正統とされなかった福音書の特徴は

「原罪」「贖罪」はない。
「十字架上の死の後の、肉体を持ったイエス復活」はない。

 

調べていくと四つの福音書の中で最古とも言われる「マルコの福音書」の最古の写本には「復活」は書かれていないようです。墓が空っぽ、で終わってます。その後の事は、後の世の「加筆」だそうです。主流だった教義に沿って、原本に一筆書き加えたのでしょう。

原罪や贖罪という神学はもともとパウロという人が思いついたものですが、パウロは福音書を読んだことがないんですよね。語録集的な伝承はあったかもしれませんが、もともと彼が伝導を始めた頃には、福音書自体が存在していなかったのです。彼にとってはイエスの言葉や行動などよりも、「人類の贖いのために十字架で死んでくれた」事の方が重要だったみたいです。

ちょっと聞くと、「なんだか酷いなあ。例え、十字架場で死んでも死ななくても、復活してもしなくても、言葉や行いは貴かったんじゃないの?」と、異教徒は思うのですが。

一説によれば、パウロと一緒に行動していたマルコはパウロのそういう態度にだんだん我慢できす、彼の元を離れ、イエスの主な活動地ガリラヤなどで取材し、「マルコの福音書」(復活なし)を書いたんじゃ、とも言われています。

新約聖書も各部分を成立年代順に並べ替えると面白いかもしれません。

 

そんなこんなで正統から捨てられ、常套手段である「焚書」にされたその他の福音書、文書なのですが、運良く難を逃れた物の一部が1945年に発見されました。それを「ナグ・ハマティ写本」といいます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%9E%E3%83%87%E3%82%A3%E5%86%99%E6%9C%AC

 

 

【目次】
Ⅰ トマス福音書の背景
 第一章 ナグ・ハマディ文書の発見とその内容
 第二章 教会教父たちの証言
 第三章 オクシリンコス・パピルスとの関係
 第四章 外典との関係
 第五章 福音書正典との関係
   1 トマス福音書とQ
   2 トマス福音書とマルコ資料
   3 トマス福音書とマタイ特殊資料
   4 トマス福音書とルカ特殊資料
   5 トマス福音書の伝承史上の位置
 第六章 「正典」と「外典」成立史上におけるグノ-シス主義の位置
   1 「正統」と「異端」
   2 グノーシス主義「外典」
   3 グノーシス派の「聖書」解釈原理
   4 グノーシス主義の「聖書」解釈

Ⅱ トマス福音書のイエス語録―翻訳と注解

Ⅲ トマス福音書のイエス
 第一章 「無知」から「覚知」へ
 第二章 光―生けるイエス
 第三章 「単独者」―「統合」を目指して

 

 

グノーシスとはなに?
これをうまく説明できないのですが、

善と悪、光と闇の二元論。「聖書」における「旧約の神」と「新約の神」を区別するのが特徴。
 

実際、恐ろしい「旧約の神」とイエスの説く愛に満ちた「新約の神」は、あまりに違いすぎ、聖書を読む者を悩ませて来たゆですが、グノーシスはそれに単純明快な答えを出しました。「旧約の神」と「新約の神」は別人である、と。

「物質は堕落の結果」で「肉体は霊魂の牢獄」と考える彼らにとって、物質の塊りの世界を7日もかけて創造し、土くれからアダムとイブを作った「旧約の神」は、実は「神」ではなく、堕落した強大な天使の一人と考える。彼らは、これをデミウルゴスと呼び、アイオーンの善の光をさえぎる「悪」であるとさえ言う。新約の神は「至高神」。

また、イエスも肉体をまとった存在としてではなく、霊的な存在としてとらえた。(仮現説)
 

確かに、このような教義を正統派教会が認めるわけがなく、彼らはグノーシス派を、敵視し激しく攻撃しました。

その結果、ともあれ、グノーシスは、見かけの上では原始キリスト教の段階で消滅したように見えた。グノーシス系の福音書なども燃やしましたし。ただグノーシス的な信者のために若干グノーシス的な「ヨハネの福音書」は残さざるを得なかったようです。

しかし、その思想は陰花植物のように生き残り、時には激しく爆発さえしました。そして、今もなおオカルティズム思想の中に様々な形で影響を残しているようです。

 

 その弾圧の最も苛烈な例は「アルビジョワ十字軍」。

去年、南フランスに旅行しました。トゥールーズの街にも行ったのですが、そこって「アルビジョワ十字軍」で、カタリ派と言われるグノーシス的な異端者が粛清された土地でした。約100万の死者と言われています。
今でも弾圧の際に傷ついた壁や、壊れかけたカタリ派の教会、弾圧する側のドミニコ会の教会など見ることができます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%A2%E5%8D%81%E5%AD%97%E8%BB%8D

 

 

乱雑に言えば、このグノーシスって原始キリスト教正解でも弾圧され(マルキオン派もグノーシスらしい)、13世紀にアルビジョワ十字軍で粛清され、亡霊のごとくキリスト教の歴史に蘇ってくる思想です。
これだけしつこく蘇ってくるって、何がしかの真実なりを含んでいるのかな~、(個人的に神秘的な事は苦手だけど)と思ってしまいます。

聖母信仰に姿を変えた、消された女神、太母信仰だって、何か人間に必要なものなのでしょうし。 個人的にはグノーシス派には同情的です。でも同情的だったカソリック教徒も殺されたんですよねorz

 

 

 

 

ええっと、ちょっとぱっぱっと本からグノーシスの言葉を書きます。

まあ、普通のこと言ってるんじゃ?と、思いますが、「教会」軽視とか、神と直接つながり合う、みたいな所が正統派教会の逆鱗をかったのでしょう。こんな教えがはびこらないように、信者さんを皆殺しって・・・。
やりすぎなんじゃ?と思いますよ(;・∀・)

 

「どんな人にも、無限の力・・・宇宙の源が宿っている。真理に到達するには、教会の教えを受け入れるだけでなく、真理の理解をもとめ自己探求に励まなくてはならない。・・・理性的な魂は探し疲れ・・・ようやく神を知った」(一世紀、グノーシス派のシモン・マグス)

 「あなた自身を出発点にして、神を求めなさい。・・・悲しみ、喜び、愛、憎しみの原因を知りなさい。・・・とことん追求すれば、あなた自身の中に神を見出すでしょう」(グノーシス派、モノイモス)

 

 

 

 

とにかく聖書成立にしても、神学にしても、排斥された異教やグノーシスにしても、もうもう膨大で訳がわかりません。ただ、まあ色々あったんだなあ、世の中単純じゃなかったんだなあ~、と思いました。
グノーシスにしても、精神と肉体、善と悪といった二元論的ですので、それが絶対的に素晴らしいとは個人的に思えません。まあ、もしかしたら二元論を 止揚し、至高神へ到達せよ、イエスがその導き手である(≠神)、というのかもしれません。

「ダ・ヴィンチ・コード」にしても、マグダラのマリアがイエスの子を産み、その子がメロヴィング家に繋がって・・・みたいなのも、面白いですが、それ以上に、その時々の正統派教会に排斥された福音書やらイエス伝やらがあり、その取捨選択に何かもっともらしいが胡散臭い理由、本人は正しいと思っているが、実は人間的な思いが絡んでいた、というのが分かった事の方が大きいかと思います。

 

 現代においては、各宗教間の話し合いも進んでいるようですし、このままお互いを認め合っていける世の中になっていけるといいなあ、と思います✩

 

 


「エヴァンゲリオン Q」

2013年01月20日 | Weblog

 

 

こんな情報をキャッチ

 

アメリカカトリック教会の神父がエノラゲイに乗機していたそうです。機長や乗組員が原爆投下を恐れずに実行できるようにという配慮だったようです。

アメリカのような民主国家で育った軍人は、恐らく、宗教の後ろだてがなければ、良心で、大量殺戮はできないということ、らしいです。

http://www.tomabechi.jp/archives/50868404.html

 

人間が本来持っている自分に近い生物(魚よりは猿、猿よりは人間を殺すのが心理的に困難)を殺傷するのに伴う「痛み」(一種の同情、共感、相手の痛みを我が事のように思ってしまう心)「苦悩」を、「異教徒だからOK。神のみ心にかなってます」と踏み越えさせる宗教の力って凄いなあ、と驚きました。(ちなみにドイツはキリスト教国)

人間が人間である限り、大量殺戮というのは「人としてこんな事をやっていいのか?」「地獄に落ちてしまうじゃないか?」とか凄まじい葛藤、言い知れぬ恐怖があると思うのですが、(なかったようです⇒http://omoroid.blog103.fc2.com/blog-entry-496.html

 

まあ、なんにしても聖職者がその身分のまま大量殺戮を目的とした核兵器を搭載した戦闘機に乗るなんてねえ。あんまり褒められたこととは思えません。

 

 

 

主(ヤハウェ=神)はヨシュアに言われた。「おそれてはならない。おののいてはならない。全軍隊を引き連れてアイに攻め上りなさい。アイの王も民も周辺の土地もあなたの手に渡す。(中略)その日の敵の死者は男女合わせて一万二千人、アイの全住民であった。ヨシュアはアイの住民ことごと滅ぼし尽くすまで投げ槍を差し伸べた手を引っ込めなかった。

(旧約聖書、ヨシュア記8章1~26節)

 

ヨシュアは命じた。「洞穴の入り口を開け、あの五人の王たちを洞穴からわたしたちの前に引き出せ。」彼らはそのとおりにし、エルサレム、ヘブロン、ヤルムト、ラキシュ、エグロンの五人の王を洞穴から引き出した。五人の王がヨシュアの前に引き出されると、ヨシュアはイスラエルのすべての人々を呼び寄せ、彼らと共に戦った兵士の指揮官たちに、「ここに来て彼らの首を踏みつけよ」と命じた。
彼らは来て、王たちの首を踏みつけた
ヨシュアは言った。「恐れてはならない。おののいてはならない。強く雄々しくあれ。あなたたちが戦う敵に対しては主(ヤハウェ=神)はこのようになさるのである。」ヨシュアはその後、彼らを打ち殺し、五本の木にかけ、夕方までさらしておいた。(旧約聖書、ヨシュア記10章22~26節)

 

「直ちに、子供たちのうち、男の子は皆、殺せ。男と寝て男を知っている女も皆、殺せ。女のうち、まだ男と寝ず、男を知らない娘は、あなたたちのために生かしておくがよい。」(民数記 31章14~18節)

小さい男の子は殺して、処女だけ残す所がなかなか生々しいです。

「民の長たちをことごとく捕らえ、主(ヤハウェ=神)の御前で彼らを処刑にし、白日の下にさらしなさい」(民数記25章)

世界の悪は、 我々が、それに全力で反対するよう、聖書と主イエスに命じられている。(ロナルド・レーガン、米国大統領)

 

個人的にはユダヤ人のフロイトによれば悪魔、マックス・ウェーバーによれば戦争神と言われるヤハウェ神(旧約聖書の神、ユダヤ人の守護神)の存在というのが大きいのでは~、と思うのです。

せっかくイエスが愛を説いたのですから、昔の神様は捨ててしまえばよかったのに、と思うのですが、そうもいかなかったようですね。本質的にイエスとヤハウェは一体、同質(三位一体=神ヤハウェ(エホバとも)とイエスと聖霊は同質)であり、同時にヤハウェ神はお父さんですし。
キリストの出現は旧約聖書の預言者の言葉の成就、という事になっていますので(特にマタイの福音書)。

 

歴史上、旧約聖書、旧約での預言の成就を強調した福音書を採用しなかったキリスト教教団もあったようです。

「マルキオン」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%82%AA%E3%83%B3

マルキオンの思想は次のようなものである。まず、イエスはユダヤ教の待ち望んだメシアではなく、まことの神によって派遣されたものである。ユダヤ教の期待するメシア像は政治的リーダーで異邦人を打ち破るという要素が組み込まれていたことがマルキオンには誤りと思えたのだ。また、神が人間のように苦しむはずがないとして、イエスの人間性を否定した。このようにイエスの人間性を単にそのように見えただけだとする考え方を仮現説(ドケティスム)という。

同時に彼は旧約の神(世界を創造した神・律法神)は、怒りの神、嫉妬する神、不完全な神であり、旧約の神がつくった世界は苦しみにみちた世界であると考えた。一方、イエスの示した神は、旧約の神とは異なるまことの神、いつくしみの神であると唱えている。

 

このことから、マルキオンはキリスト教徒にとって旧約聖書は必要ないと考え、自分たちのグループのために本当に必要な文書のみを選択しようとした。これがキリスト教の歴史における最初の正典編纂作業である。マルキオンは福音書の中でルカによる福音書のみを選択し、新約聖書の諸文書の中から特にパウロの手紙を重視している。マルキオン正典は以下のような文書を含んでいた。ちなみにどちらもオリジナルをそのまま採用したのではなく、マルキオンが手を加えて改変したものであった。

  1.  ルカによる福音書
  2.  パウロの手紙(テモテへの二つの手紙とテトスへの手紙を除く。但し、これらをマルキオンが知らなかった可能性がある)

 

 (・ω・`)マルキオンは自分の信仰に合致した福音書、手紙を選択した上、「手を加えた」のですね。要するにイエスの言葉などに、自分の言葉、考え、解釈を上乗せした、という事でしょうか?ちなみにトルストイは、マルキオン派だったという説があるそうです。

 

 

現代の『新約聖書』の文書と一致する文書表がはじめて現れるのはアレクサンドリアのアタナシオスの367年の書簡で、この手紙の中に書かれた文書群が新約聖書正典として一応の確定を見たのは397年の第3回カルタゴ教会会議。

イエスの死後350年以上後のことで、その間信者さんは色々な伝承や福音書を信仰の支えとしていましたが、その聖典になれなかった福音書などが結構な量の上、どれが正しく、間違っているかは長年の話し合いや排斥を経なくてはならなかったうようです。

 

そこで「ダビンチ・コード」です!イエスがマグダラのマリアと結婚してた?ペテロがマグダラのマリアを嫌ってた?という情報は、この聖典になれなかった福音書の中に書いてあるようです。「トマスの福音書」「マリアの福音書」「ユダの福音書」とかいっぱいあるようです(@_@;)
それだけ色々な伝承や解釈などが入り乱れて、各教団がそれぞれの聖典を持っていたのですね。

 ちなみにもっとも古い福音書は「マルコの福音書」。福音書の事をギリシャ語で「(Evangelion エヴァンゲリオン)」と言います。(このエヴァンゲリオンの成立も複雑です。)この最古の「マルコの福音書」に先立つ伝承を「Q資料」と言います。

http://ja.wikipedia.org/wiki/Q%E8%B3%87%E6%96%99

この文献学によって抽出された最古層のイエスの言葉は結構あちこちの関連本に載っています。

つまり最古層の言葉、最古の福音書である「マルコの福音書」に、各教団の立場や解釈が上塗りされ、新たなる福音書(マタイ、ルカ、ヨハネの福音書)が作られていった。しかも最古の福音書成立前に、十字架上の死に対して「原罪・贖罪」と言った解釈をしたパウロの手紙などが採択され、現在の聖典になった、という事らしいです。

 

「エヴァンゲリオンの『Q』かあ、凄いなああ。こんな事は北関東の田舎では知る人もいまい!」と、心の中でちょっと傲慢かましていたら、ちょうどテレビで「エヴァンゲリオン Q」の宣伝してました~w 日本中にこの言葉が流れてました。
意味まで知ってるかはともかく、言葉自体は子供からお年寄りまで聞いたようですね(・ω・`)

口を塞がれているモナ・リザが意味深です。

 

誰でも知ってることですが、キリスト教の父なる神(ヤハウェ、エホバとも)=ユダヤ教の神(ヤハウェ、エホバとも)=イスラムのアッラーは全て同じ神です。

 

 

 


悪魔バアル神

2013年01月17日 | Weblog

マックス・ヴェーバーの「古代ユダヤ教」読んでます。

覚書です。

 

 

ヤハウェと競争するもっとも重要な神、地域共同体の土着のバアルは、パレスチナの諸都市が平和的にせよ暴力的にせよイスラエルに編入された時でも、これらの都市のバアルはそのままそれぞれその都市とその聖所との所有者としてとどまった。

そのことは偉大な連合戦争神ヤハウェになんら損害を与えはしなかった。ヤハウェが日常の需要のための永続的礼拝所をもたなかったばあいにはいつでも、バアルたちは、依然として活気づいた礼拝の主人公であった。他方、ヤハウェは、単純にバアルの神々と同一視されたか、礼拝するときになんらかの仕方でバアルと結合された。

 捕囚後の時代にいたるまでヤハウェは、まったく異質的な神々とさえ一緒に、非常に無邪気にユダヤ人によって同一の神殿のなかで拝まれていたのである。ヤハウェは地域神バアルとなんらかの結合をとげていたので、当然のことながら平和的繁栄のときにはむしろバアルが、大きな戦争の危急の時にはむしろヤハウェが、この混合神格のなかで(あるいは結合された崇拝のなかで)前面に押し出されてこないわけにはいかなかった。(中巻389~390p)

具体的には紀元前1200年ごろ、だそうです。ウエーバーは、この時代の信仰形態をヤハウェ・バアル混合礼拝と規定し(402p)、この時代にはまだバアル信仰に対するヤハウェの側からの排斥は始まっておらず、むしろ逆に、積極的な一体化が進んでいたと見ています。

ウエーバーの史観によれば、一神教のヤハウェ信仰は捕囚期(紀元前6世紀)以後に成立した極めて新しい現象であって、それ以前のイスラエルは、ヤハウェをも包摂するような多神教の土壌を生きていた、らしいです。

 

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熾烈な一神教かと覆われるユダヤ教のヤハウェ神も、比較的平穏な時には恐ろしい「妬みの神」な側面は和らいでいたのですね。

しかしヤハウェ神至上主義が確立すると、他の神々は物凄く唾棄され、卑しめられ、悪魔扱いされていったようです。例えば預言者エリヤは450人のバアル神の預言者達の皆殺しにしたりと、豊穣のバアル神への憎しみは溢れんばかりです。昔は仲良い子だったのに。
「まことの神に戻る」「神の正義の実現」「絶対神への忠誠」の前には人の命など軽いもののようですね✩

 


バアル神と神官たち

バアル神は牛にも関連するらしく、悪魔が山羊みたいな草食獣の形なのも何か関係があるのかもしれません。

 


先日読んだ旧約聖書成立に関する本(「旧約聖書を推理する」フリードマン、海青社)の記述とも一致するようです。

 

紀元前587年に南王国ユダが新バビロニア帝国に敗れ、エルサレム神殿が徹底的に破壊され、その当時の指導者層の人々がバビロニアに連行された(これをバビロニア捕囚という)。規模は、数千人 - 数万人と言われている。圧倒的なバビロニアの神々の宗教(主神マルドゥク)に囲まれ、今までの神ヤハウェ信仰が危機の状態に陥り、民族が自信を失っていた。この様な状況の下で祭司職人(現在祭司記者と呼んでいる)の中から、バビロニアの神話に対抗する形で、自分たちの信仰書(≒いわいる旧約聖書を作り出し)(創造信仰)、この危機状況から再び生きる力を生み出していった。

バビロニアの創造物語は紀元前1500年頃に作られたと言われており、この祭司記者たちはその内容を知っていて、それを否定し乗り越えるかたちで神ヤハウェを受け止め直して信仰を記述している。

例えば、その神話では、新バビロニアでは極端な階層社会であり、その頂点に立つ王だけが神・神の子であり政治支配の正当化を強めているが、『創世記』では人間は全て神から神の似姿として作り出され平等(みな神の子である)であることが主張され信仰告白されている。

このように『創世記』は、素朴な伝承・神話などではなく、当時の知識階層が執筆した宗教書(表現形態は物語ではあるが神学書)である点が世界の他の天地創造物語とは異なる。

 

もともと信仰していたヤハウェ神への神学を体系化していく過程で、バビロニアの創造神話を取り入れたりといった編集作業が神官達によって行われ、我々の知る一神教的なユダヤ教になっていった、ということでしょうか?

参考サイト(先日も書きましたが、とても優れたサイトで、私も勉強させていただいています)
http://www.geocities.jp/todo_1091/bible/jesus/old-testament.htm

 

 


今度はユダヤの終末論だそうです✩

2013年01月15日 | Weblog

 

マヤの終末論も何事もなく終わりそうで、本当の意味で無事に2012年が終わりを告げようとしております。思い返せば1999年ノストラダムスの大予言の際には、世界中がパニックとなりましたが無事にハッピーニューイヤーを迎えることが出来、ひと安心でした。まさか12年後に終末論が存在するとは思いもよらなかったわけですが、安心するのもつかの間。次のユダヤの終末論は2014年。後1年しかないのです!!!!!!!!!!!!!!!!

http://www.yukawanet.com/archives/4361425.html

 

ノストラダムスだ、マヤだのって人間はこういった終末論が好きですね。日本人は冷静ですが、今回のマヤの終末論ではアメリカを始め、色々な国の人たちが結構パニックになっていたらしいです(ニュースでやってました)。その中に中国もあったようですが、特にキリスト教徒が多いわけでもないのに不思議です。キリスト教原理主義者の多い、アメリカならわからないでもないんですが。

 

 

「終末思想」とか「千年王国」とかって一体何なの~?と思って、高いのですがポチってみました。2599円+送料です(´;ω;`)

http://1000ya.isis.ne.jp/0897.html

 

ちょっと調べたら「終末論」の最初はゾロアスター教らしいです。ゾロアスター教といえばペルシャの宗教です。一件ユダヤ人と関係なさそうな感じですが、実は、紀元500年代に下がって中東領域は「アケメネス朝ペルシャ」と呼ばれる「ペルシャ人」の支配地となっていました。このペルシャが、バビロニアに滅ぼされてその地にとらわれていたユダヤの民を救いだし解放者となる一方で、国家的には支配したわけで、ペルシャのユダヤに対する影響は限りなく大きかった、らしいです。

例えば、ゾロアスター教でもっとも重要な思想の一つが、この「最後の審判」「天国と地獄」という思想で、これらは一般にキリスト教の思想だと思われてしまっていますが、そのキリスト教の母胎であるヘブライ神話にはこうした考えは全くなく、それ故このキリスト教の思想は遠くこのゾロアスター教の影響下にあるのではないかと推測されるという事です。

http://www.ozawa-katsuhiko.com/5egypt/egypt_text/egypt06.html

この岐阜大学の教授のHPもわかりやすくてお勧めです。

 

終末というからには「スタート」があって「終わり」があるわけで、直線的な時間感覚なのですね。これもちょっとググッてみました。

古代オリエントの民族の多くは円環的時間観を有していた。
古代エジプトでは時間は再帰する状態の継起とみなされ、過去と未来の区別をもたなかった。早くから天変占星術に関心をもっていた古代メソポタミアの諸民族は、その天体の地上への影響への信仰を考えると、歴史的進歩の思想を持っていたとは考え難く、天体の運動に象徴される円環的な時間観を有していた。前5世紀の古代ギリシアにおいては、その思想の<過去回顧的>性格からして、主要な哲学学派が未来を軽視して過去を重視する円環的な時間観を有していたことは驚くにあたらない。

古代社会で例外的なのはペルシアのゾロアスター教である。
前6世紀から前331年のバビロニア征服のころにかけてペルシアではゾロアスター教が最盛期を迎えた。その始祖ツァラツストラは北ペルシアの牧羊族の出で、多神教を排してマツダ神への信仰を説き、真理に組するものは不朽の栄光を獲得し、虚偽に組するものは「永遠の暗闇」に罰せられると説いたが、この「最終の事態」の教義こそ、終末論の最初の体系的主張で、ユダヤ教とキリスト教に深刻な影響を与えた。

キリスト教は救世主キリストの出現にはじまる世界の出来事の一回性と最後の審判に終る歴史的終末論を主張し、この直線的な時間観は古代世界を支配していた循環的で再現可能な時間観と基本的に対立していた。そして、それを明瞭に主張し、特に、ギリシア人の時間観を弾劾したのはアウグスティヌスで、『神の国』でキリスト教教義を支える終末論的な直線的時間観を明確に述べて、それに反するギリシア人を痛烈に非難している。

 

 

色々面白いですね。目を開かされるというか(*´∀`*)

 

 


パムッカレ

2013年01月14日 | Weblog

 

 本を読んでいたら

2世紀後半に活躍したエフェソスの司祭ポリュクラテスの手紙によれば、「偉大な星たちはアジアの地に安息の地を見出した・・・12使徒のフィリポはヒエラポリス眠りに付いた。そして、主の御胸に寄りかかったヨハネは祭司の前当てをつける祭司であり、証人であり教師でもあったが、彼はエフェソスの地で安息に入った」

という一文を発見。

このヒエラポリスというのは今で言うトルコのパムッカレで、日本人も多く訪れる観光地。私はこの写真の墓自体は見なかったのですが、朝靄にかすむネクロポリスを見たことがあります。添乗員さんにそんな説明を受けたのですが、誰だったかなかなか名前が思い出せなかったのですが、ようやく判明しました。その時は、漠然と「大昔のキリスト教徒が住んだり、教会を建てたんだなあ」くらいに思っていたのですが、ここまで古い時代の人たちだったとは!びっくりです。

 
12使徒フィリポの墓

パムッカレはこの温泉石灰華段丘で有名✩温かくって、オタマジャクシがいっぱいでした。