The Phantom of the Opera / Gaston Leroux

ガストン・ルルー原作「オペラ座の怪人」

「エヴァンゲリオン Q」

2013年01月20日 | Weblog

 

 

こんな情報をキャッチ

 

アメリカカトリック教会の神父がエノラゲイに乗機していたそうです。機長や乗組員が原爆投下を恐れずに実行できるようにという配慮だったようです。

アメリカのような民主国家で育った軍人は、恐らく、宗教の後ろだてがなければ、良心で、大量殺戮はできないということ、らしいです。

http://www.tomabechi.jp/archives/50868404.html

 

人間が本来持っている自分に近い生物(魚よりは猿、猿よりは人間を殺すのが心理的に困難)を殺傷するのに伴う「痛み」(一種の同情、共感、相手の痛みを我が事のように思ってしまう心)「苦悩」を、「異教徒だからOK。神のみ心にかなってます」と踏み越えさせる宗教の力って凄いなあ、と驚きました。(ちなみにドイツはキリスト教国)

人間が人間である限り、大量殺戮というのは「人としてこんな事をやっていいのか?」「地獄に落ちてしまうじゃないか?」とか凄まじい葛藤、言い知れぬ恐怖があると思うのですが、(なかったようです⇒http://omoroid.blog103.fc2.com/blog-entry-496.html

 

まあ、なんにしても聖職者がその身分のまま大量殺戮を目的とした核兵器を搭載した戦闘機に乗るなんてねえ。あんまり褒められたこととは思えません。

 

 

 

主(ヤハウェ=神)はヨシュアに言われた。「おそれてはならない。おののいてはならない。全軍隊を引き連れてアイに攻め上りなさい。アイの王も民も周辺の土地もあなたの手に渡す。(中略)その日の敵の死者は男女合わせて一万二千人、アイの全住民であった。ヨシュアはアイの住民ことごと滅ぼし尽くすまで投げ槍を差し伸べた手を引っ込めなかった。

(旧約聖書、ヨシュア記8章1~26節)

 

ヨシュアは命じた。「洞穴の入り口を開け、あの五人の王たちを洞穴からわたしたちの前に引き出せ。」彼らはそのとおりにし、エルサレム、ヘブロン、ヤルムト、ラキシュ、エグロンの五人の王を洞穴から引き出した。五人の王がヨシュアの前に引き出されると、ヨシュアはイスラエルのすべての人々を呼び寄せ、彼らと共に戦った兵士の指揮官たちに、「ここに来て彼らの首を踏みつけよ」と命じた。
彼らは来て、王たちの首を踏みつけた
ヨシュアは言った。「恐れてはならない。おののいてはならない。強く雄々しくあれ。あなたたちが戦う敵に対しては主(ヤハウェ=神)はこのようになさるのである。」ヨシュアはその後、彼らを打ち殺し、五本の木にかけ、夕方までさらしておいた。(旧約聖書、ヨシュア記10章22~26節)

 

「直ちに、子供たちのうち、男の子は皆、殺せ。男と寝て男を知っている女も皆、殺せ。女のうち、まだ男と寝ず、男を知らない娘は、あなたたちのために生かしておくがよい。」(民数記 31章14~18節)

小さい男の子は殺して、処女だけ残す所がなかなか生々しいです。

「民の長たちをことごとく捕らえ、主(ヤハウェ=神)の御前で彼らを処刑にし、白日の下にさらしなさい」(民数記25章)

世界の悪は、 我々が、それに全力で反対するよう、聖書と主イエスに命じられている。(ロナルド・レーガン、米国大統領)

 

個人的にはユダヤ人のフロイトによれば悪魔、マックス・ウェーバーによれば戦争神と言われるヤハウェ神(旧約聖書の神、ユダヤ人の守護神)の存在というのが大きいのでは~、と思うのです。

せっかくイエスが愛を説いたのですから、昔の神様は捨ててしまえばよかったのに、と思うのですが、そうもいかなかったようですね。本質的にイエスとヤハウェは一体、同質(三位一体=神ヤハウェ(エホバとも)とイエスと聖霊は同質)であり、同時にヤハウェ神はお父さんですし。
キリストの出現は旧約聖書の預言者の言葉の成就、という事になっていますので(特にマタイの福音書)。

 

歴史上、旧約聖書、旧約での預言の成就を強調した福音書を採用しなかったキリスト教教団もあったようです。

「マルキオン」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%82%AA%E3%83%B3

マルキオンの思想は次のようなものである。まず、イエスはユダヤ教の待ち望んだメシアではなく、まことの神によって派遣されたものである。ユダヤ教の期待するメシア像は政治的リーダーで異邦人を打ち破るという要素が組み込まれていたことがマルキオンには誤りと思えたのだ。また、神が人間のように苦しむはずがないとして、イエスの人間性を否定した。このようにイエスの人間性を単にそのように見えただけだとする考え方を仮現説(ドケティスム)という。

同時に彼は旧約の神(世界を創造した神・律法神)は、怒りの神、嫉妬する神、不完全な神であり、旧約の神がつくった世界は苦しみにみちた世界であると考えた。一方、イエスの示した神は、旧約の神とは異なるまことの神、いつくしみの神であると唱えている。

 

このことから、マルキオンはキリスト教徒にとって旧約聖書は必要ないと考え、自分たちのグループのために本当に必要な文書のみを選択しようとした。これがキリスト教の歴史における最初の正典編纂作業である。マルキオンは福音書の中でルカによる福音書のみを選択し、新約聖書の諸文書の中から特にパウロの手紙を重視している。マルキオン正典は以下のような文書を含んでいた。ちなみにどちらもオリジナルをそのまま採用したのではなく、マルキオンが手を加えて改変したものであった。

  1.  ルカによる福音書
  2.  パウロの手紙(テモテへの二つの手紙とテトスへの手紙を除く。但し、これらをマルキオンが知らなかった可能性がある)

 

 (・ω・`)マルキオンは自分の信仰に合致した福音書、手紙を選択した上、「手を加えた」のですね。要するにイエスの言葉などに、自分の言葉、考え、解釈を上乗せした、という事でしょうか?ちなみにトルストイは、マルキオン派だったという説があるそうです。

 

 

現代の『新約聖書』の文書と一致する文書表がはじめて現れるのはアレクサンドリアのアタナシオスの367年の書簡で、この手紙の中に書かれた文書群が新約聖書正典として一応の確定を見たのは397年の第3回カルタゴ教会会議。

イエスの死後350年以上後のことで、その間信者さんは色々な伝承や福音書を信仰の支えとしていましたが、その聖典になれなかった福音書などが結構な量の上、どれが正しく、間違っているかは長年の話し合いや排斥を経なくてはならなかったうようです。

 

そこで「ダビンチ・コード」です!イエスがマグダラのマリアと結婚してた?ペテロがマグダラのマリアを嫌ってた?という情報は、この聖典になれなかった福音書の中に書いてあるようです。「トマスの福音書」「マリアの福音書」「ユダの福音書」とかいっぱいあるようです(@_@;)
それだけ色々な伝承や解釈などが入り乱れて、各教団がそれぞれの聖典を持っていたのですね。

 ちなみにもっとも古い福音書は「マルコの福音書」。福音書の事をギリシャ語で「(Evangelion エヴァンゲリオン)」と言います。(このエヴァンゲリオンの成立も複雑です。)この最古の「マルコの福音書」に先立つ伝承を「Q資料」と言います。

http://ja.wikipedia.org/wiki/Q%E8%B3%87%E6%96%99

この文献学によって抽出された最古層のイエスの言葉は結構あちこちの関連本に載っています。

つまり最古層の言葉、最古の福音書である「マルコの福音書」に、各教団の立場や解釈が上塗りされ、新たなる福音書(マタイ、ルカ、ヨハネの福音書)が作られていった。しかも最古の福音書成立前に、十字架上の死に対して「原罪・贖罪」と言った解釈をしたパウロの手紙などが採択され、現在の聖典になった、という事らしいです。

 

「エヴァンゲリオンの『Q』かあ、凄いなああ。こんな事は北関東の田舎では知る人もいまい!」と、心の中でちょっと傲慢かましていたら、ちょうどテレビで「エヴァンゲリオン Q」の宣伝してました~w 日本中にこの言葉が流れてました。
意味まで知ってるかはともかく、言葉自体は子供からお年寄りまで聞いたようですね(・ω・`)

口を塞がれているモナ・リザが意味深です。

 

誰でも知ってることですが、キリスト教の父なる神(ヤハウェ、エホバとも)=ユダヤ教の神(ヤハウェ、エホバとも)=イスラムのアッラーは全て同じ神です。

 

 

 


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