こんな記事を発見。
ニューヨーク=黒沢潤】米軍が宗教問題に揺れている。陸軍士官学校「ウエストポイント」で最近、キリスト教重視の校風に反発する無宗教の学生が学校側と対立し、今春の卒業を待たずに退学した。また、陸・空軍の実戦部隊もここ数年、キリスト教との“近すぎる距離”が批判されている。米憲法は国家と教会の分離を明確に規定しており、軍は対応に苦慮している。
「学生の多くは異論を唱えようとしない。堂々と意見を述べれば、卒業後の陸軍内でのキャリアに支障となるからだ」。5月の卒業式を間近に控え、2カ月前にウエストポイントを退学したブレーク・ペイジ氏(22)はこう語った。
無宗教のペイジ氏によれば、学生はキャンパスの教会での礼拝を事実上強制され、礼拝を拒んだ場合、トイレの清掃や机ふき、芝刈りなどを命じられる。ペイジ氏は同校幹部から、「神のいない『穴』の開いた心を埋められなければ、いい士官にはなれない」とも言われたという。
米軍は士官教育に社会道徳を説くキリスト教を重視し、ウエストポイントでも宗教行事に積極的に出席したり、教会の合唱団に参加したりすれば、休暇を優先的に取れるといった特権が与えられる。キリスト教と距離を置くペイジ氏の立場を理解する教師も一部いたが、同氏は「無宗教の学生が軽んじられ、校内で白眼視されることに耐えられなかった」と振り返る。
米空軍士官学校(西部コロラド州コロラドスプリングス)でも2005年、聖書の教えに忠実な福音派の学生を優遇したり、非キリスト教徒の学生に改宗を勧めたりしたことが発覚し、批判が起きた。
10年に実施した学生対象の調査によれば、同校は05年以降、宗教的に寛容な雰囲気にはなった。ただ、宗教行事に参加すべきとの圧力にさらされていると感じる学生は少なくなく、「無宗教の学生への寛容さに欠ける」と答えた非キリスト教徒の学生は08年比20%増の約半数に達した。
アフガニスタンに展開する陸軍内でも10年、聖書の一節を刻んだ銃の照準器が使われていたことが問題となり、「米軍が(イスラム教徒と敵対したキリスト教徒の)『十字軍』のようにみられかねない」との懸念が軍内外から噴出した。
国防総省の幹部は「米通貨のコインにも『われわれは神を信ずる』との一節がある」と強調し、事態の沈静化に努めたが、部隊幹部は、イスラム教徒が大半のアフガン人の感情に配慮して、同照準器の使用は望ましくないと提言した。
米紙クリスチャン・サイエンス・モニターによれば、空軍のミサイル部隊でも長らく、
核ミサイルを担当する将校向けにキリスト教の倫理教育を施してきた。発射ボタンを押すことへの戸惑いをぬぐい去るためで、「秩序維持を目的とした敵への攻撃は正当化される」という聖職者の教えなどが紹介されたという。
空軍兵の間で冗談交じりに、「ジーザス・ラブズ・ニュークス(イエス・キリストは核兵器を愛する)」との名称で呼ばれたこの倫理教育には疑義が示され、11年に中止となった。
ペイジ氏は、キリスト教と米軍との密接な結び付きについて「神は軍の文化の一部になっている」と指摘。今後は政教分離を推し進めるため、ウエストポイントでの自身の体験や軍と宗教の関わりをまとめた書籍を執筆する予定だ。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130224/amr13022420580006-n1.htm
以前、広島と長崎の原爆投下の任務を確実に遂行させるため戦闘機にカトリック司祭が搭乗していたという記事を書きました。「昔のことだから、今はもうそんな事はしていないだろう」とも考えていましたが、最近まで「秩序維持を目的とした敵への攻撃は正当化される」という教育が続いていたのですね。攻撃の先に罪のない子供や一般人もいると思うのですが、目的のためには犠牲になるのですね。
(神のお墨付きがなかったら、繊細な人は狂うかもしれませんしね。殺人に対する嫌悪や攻撃に対する自分の内心の批判をかき消し、マインドコントロールされる事で狂気や精神病を回避できるかもしれないです。ベトナム戦争後も精神を病む米兵が多かったと言いますし)
イラク爆撃の頃、週刊誌で色々生々しい写真を見ました。実際はそれをはるかに凌駕する凄惨さで、現地に行くと死臭やら筆舌に付くしがたく、失神しかけるレベルだとかも聞きました。これも聖絶の一種だったのかもしれません。
個人的には宗教的熱狂を政治や戦争に利用するのはあまり良いこととも思えません。
この 【十把一絡げ】戦法は、今読みかけの「オクシタニア」というアルビジョワ十字軍に関する本でも登場します。異端であるカタリ派をジェノサイトするために、同じ街に住んでいた普通のカトリック教徒も、裁判にもかけず有無を言わさず、まとめて殺しまくってます。こういう大雑把な攻撃方法というのは旧約聖書のソドムとモゴラ※のように「街ごと殲滅」あたりに倣っているのでしょうか?
※、ソドムとモごラは預言者ルート(ロト)に従わず、甚だしい性の乱れが最大の原因で神に滅ぼされた。残ったロトは、他に誰もいなくなってしまったので自分の娘と近親相姦して子供を作った。(ソドムとモゴラの罪って大抵男色って言われますが、近親相姦はいいのか?と、物凄く疑問です。神に罰されなかったところを見ると父と実の娘のセックスはOKなのでしょう。。。)
飲んだり食べたりセックスしたりする血の繋がった父娘三人。。。。正直言葉もないですなああ(実際にはロトが眠ってる時にHしたらしいですが)。。。。。それでも、こっちの方に「性の乱れ」を感じてしまうのは、正しい読み方ができていないってことかもしれません✩
そういえば今度おやめになる教皇はベネディクト16世は、反ユダヤ主義的でナチスによるホロコーストを否定した「聖ピウス10世・同胞団」のリチャード・ウィリアムソン司教らの破門撤回したそうですね。(他、アイルランド、ドイツ、アメリカ等におけるカトリック聖職者による児童性的虐待事件。アイルランドでは数百人の聖職者が2500人の少年少女に性的虐待を加え、組織的な隠ぺいもあったとか。。。)
http://www.newsdigest.de/newsde/column/dokudan/1798-752.html
このリチャード・ウィリアムソン司教は89年の4月にカナダで、「ホロコーストはユダヤ人の作り話。アウシュビッツではユダヤ人は1人もガスで殺されていない。すべては嘘だ」と発言。また今年1月末にはスウエーデンのテレビ局に対するインタビューの中で、「アウシュビッツにはガス室はなかった。ナチスの強制収容所で殺されたユダヤ人の数は20万~30万人」と語っている。
ドイツでは、ナチスの犯罪を矮小化する発言を行うことは「国民扇動罪」に当たるが、ベネディクト16世は、極右的な思想傾向を持つ人物をカトリック教会に迎え入れたということらしい。
イスラエル人たちは「第2次世界大戦中にローマ教皇庁はナチスのユダヤ人迫害を強く批判しなかった」といっているようですね。ググってみました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1012785170
1933年、ヒトラーが政権を取ったとき、意外にも国際的に高い評価が下されていた。
「ドイツ政府元首ヒトラーが共産主義ならびに虚無主義とあくまで戦う決意の人であることを認め、喜びにたえない」
(ローマ教皇ピオ11世)
バチカンとヒトラーが結びついた要因は複数ある。
まず1つは、ともにキリスト教世界が抱き続けた反ユダヤ主義を共有していたという点が挙げられる。ヒトラーが唱えた反ユダヤ主義というものは、ナチスの専売特許ではないし、突然ヨーロッパに吹き荒れたものでもない。反ユダヤ主義はキリスト教界が作り出した2000年来の西欧文明のシンボルであった。
一般にキリスト教会はユダヤ人に対し、「キリストを裏切り、永遠に国家を持てずにさまようように罰せられた民族の運命に、宗教的理由からいっても同情するのは筋違いだ」とし、バチカンもプロテスタントも反ユダヤ的であった。
キリスト教という宗教的な厚い土壌があったからこそ、ヒトラーの反ユダヤ主義は、枯れ野に火を放ったように爆発的に広がり、根づいていったのである。
しかし、カトリック教会(バチカン)は最初からナチスを支持していたわけではなかった。当時、両者はお互い一定の距離を保ちながら牽制しあっていたのも事実である。
1918年から1932年までの間、ヒトラーが政権を取るまで、カトリック政党の「ドイツ中央党」は、全ての内閣で重きをなしていた。当時のドイツのカトリック教徒は人口の約3分の1を占めており、ドイツの司教たちは、信者たちに「ドイツ中央党」を選ぶようにすすめ、ドイツ・カトリック司教団の司教たちは党の役職についていた。
まだこの頃は、弱小であった「ナチ党」ではあるが、「ドイツ中央党」のライバルにあたるので、この時のドイツ・カトリック司教団は、ナチ党員にはカトリック教会の秘蹟を授けてはならないと決定するなど、反ナチス的であったのだ。
しかし、1931年にローマで出された回勅『クワドラジェシモ・アンノ』で説かれた職能団体の有機体国家思想がドイツに大きな影響を与えていた。このナチスばりの国家論に感銘を受けたのはカトリック教徒で、1932年6月に首相になったフランツ・フォン・パーペンだった。
これを機にカトリックとナチズムは接近し始め、1933年1月にヒトラーが首相になった背景には、このパーペンの助けがあったとされる。そして2ヶ月後の3月に、バチカンの教皇ピオ11世は枢機卿会議で、ヒトラー政権を認める見解を表明。同じ日に、ドイツのカトック政党「ドイツ中央党」は、悪名高い「授権法法案」に賛成し、ワイマール憲法は無力化。そして数日後、ドイツ・カトリック司教団は、それまでナチスのメンバーになることをカトリック教徒に禁じていた指示を撤回したのであった。
こうして、カトリック教徒という最大の支持層を獲得したナチスは、労働組合禁止(5月)、社会民主党の活動禁止(6月)、ナチスを除く全政党の解散(6月)、新政党禁止令(7月)と驚くべきスピードで独裁を完成させる。
更にこの年の7月20日、ナチスとバチカンの間に歴史的な「政教条約(コンコルダート)」が結ばれた。これにより、ナチスは国内のカトリック教徒を弾圧しないことを保証し、カトリック教会側は、聖職者と宗教を政治と分離することに同意。そしてバチカンは、ナチス政権をドイツのために祝福するとともに、聖職者たちにナチス政権に忠誠を誓うことを命じたのである。
ヒトラーにとってバチカンとの間で「政教条約」を結ぶことは、国際的にもナチスの評価を高める政治的な大成功となったのである。
プロテスタントと反ユダヤ主義というので思い出したのがこれ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA%E3%81%A8%E5%BD%BC%E3%82%89%E3%81%AE%E5%98%98%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%
色々残念な事が書いてありますが、「ユダヤ人は神の子ではない」とか言っちゃってますね。しかしキリスト教の「ユダヤ人はキリストを殺したために、神からのろわれる存在となった」、「神はユダヤ人を捨てられ、代わりに教会をその選びの中に入れられた」という神学(置換神学)からすると、そうなんでしょう。
勝手に自分たちの聖典(旧約聖書)をハイジャックされた挙句、この2000年の差別。ユダヤ人って本当に気の毒です。
しかも、キリスト殺しの責任も、本来なら刑を下したローマ側にもあるはずなのに、ユダヤ人が熱狂的に死を望んだ、というふうにすり替えられ、捏造されていき、最終的にはユダヤ人という民族全体が呪いの対象と拡大されていったのは、残念なことです。(共観福音書では『一部の律法主義者』だけが避難の対象なのに、もっとも成立年代が新しいヨハネ福音書になると、イエスの敵対者がしばしば『ユダヤ人』そのものという描写に変化し、イエスは彼を信じないユダヤ人を悪の化身であると断言し、あなた方は自分の父、すなわち悪魔から出てきた者であって、その父の欲望のままに行おうとしている。さらに、ユダヤ人は真の信仰を拒否することによって、神との契約を破ったのだと語っている)
「この人の血について、私には責任がない。お前たちの問題だ」と、手を洗うローマ人総督ピラト。キリスト処刑にローマ人は関わっていない事を表現している。つまりはすべてユダヤ人の責任だと。
- 総督(ローマ人ピラト)は彼ら(ユダヤ人)にむかって言った、「ふたりのうち、どちらをゆるしてほしいのか」。彼ら(ユダヤ人)は「バラバの方を」と言った。
- ピラトは言った、「それではキリストといわれるイエスは、どうしたらよいか」。彼らはいっせいに「十字架につけよ」と言った。
- しかし、ピラトは言った、「あの人は、いったい、どんな悪事をしたのか」。すると彼らはいっそう激しく叫んで、「十字架につけよ」と言った。
- ピラトは手のつけようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、水を取り、群衆の前で手を洗って言った、「この人の血について、わたしには責任がない。おまえたちが自分で始末をするがよい」。
- すると、民衆全体(ユダヤ人)が答えて言った、「その血の責任は、われわれ(ユダヤ人)とわれわれの子孫の上にかかってもよい」。
- そこで、ピラトはバラバをゆるしてやり、イエスをむち打ったのち、十字架につけるために引きわたした。
マタイによる福音書27章15~26節
福音書を見る限り、ピラトはイエスに同情的で、何とか処刑を回避したい気持があったような描写。しかし、これは史実よりも初期教会や福音書作者の親ローマ・反ユダヤ感情の反映と考える学者もいるようですね。ローマ帝国内での福音活動を成功させたければローマ人の事を悪人にできません。
逆に当時のユダヤ人達はキリスト教徒たちを盛大に呪っていたんでしょう。
パウロも「ユダヤ人は、主であられるイエスをも、預言者たちをも殺し、また私たちをも追い出し、神に喜ばれず、すべての人の敵となっています。」(テサロニケ、二章15節)と言っています。
こういう風に勝利した教団の立場や教義を反映した文章が聖典化し、絶対視され、力を持つと悲劇を生みますね。
ちなみに、マタイとヨハネの福音書で、あたかもイエスが発したというように書かれている言葉は、マタイ教団、ヨハネ教団の作り話で、イエスの言葉ではないと現代の聖書学者は否定しています。(捏造で無数のユダヤ人が殺されたというのは個人的には許しがたいです)
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なんだかまとまらなくなりましたが、過去の亡霊かと思っていたものが、完全に葬り去られたものでないというのはちょっとビックリですね。