南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆謝罪 談話

2015-08-16 22:32:38 | 思うこと

 2403 謝罪、終戦から、十年ごとに、時の日本のトップが、韓国や中国に対して謝罪をするのでしょうか。日本は韓国の朴政権と中国の周恩来時代からはじまった経済援助や技術援助の趣旨についての判断というか表現の仕方を間違えた。それで、両国民共、日本にそれ以上の要求をしてこないと思いこんだのでした。しかし、その時の思いは、完全に意味がなくなった。

 

そして、両国の経済的に余裕が出てきたころから、政権を維持するための手段として、日本批判と日本への要求が顕著になってきてしまった。発展する前には、素直に援助を受けていたが、それほど必要がなくなると、内部の批判をそらすように、過去のことを持ち出してきた。謝らせて、何をどうするつもりなのでしょうか。

なにも、恨み丸出しに批判や要求をしなくても、仲良くやっていれば、でる物は出るし、相互援助も問題なくできるし、行き来も問題なくできる、お互いの良いところを認識しあって、そのようにすればいいと思うのだが、人間の本性でしょうか。気に入らないことがあれば、相手かまわず、時や場所を構わず、大声をだす。情けないですね。お互いに、もっと、冷静に、妥協点を見出したらいいと思うのだが。

 

謝罪というのは、要求されて、気が進まず、本当は、そう思ってないが、要求するから、相手をなだめる意味で謝罪をする例が多い。謝罪した方は、謝罪させた方を、気の毒に思いながら、謝罪をする例がおおい。だから、謝罪した方が、気持に余裕があるのです。だから、第三社から見れば、日本の方が、精神的に余裕があると思うのです。そして、要求し、謝罪させた側は、いつまでたっても気が晴れないし、謝罪した側に、極端なことを言えば、嫉妬を感じ続けるでしょう。精神的に越えられないのです。

 

国際的な問題が、そういうことだから、国内的にも個人的にも、同じようなことが言える。国際的には、謝罪文の類いが出されれば、それに対して、何らかの反応やコメントがなされるのが通例だが、個人的には、それが、ないことが多い。

 

垣根の向こうの細い道からそこを通る小学生から見える私の家。

 

隣の老人介護の施設、わかば、という。車椅子に乗せられ、付添いと一緒に、私の家の周りを散歩?している姿が良くみられる。

謝罪 談話 反応

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(^_-)-☆渋滞比較

2015-08-15 22:36:05 | 状況

 2402 ここ、なん日かは、典型的におじいちゃんをしている。間もなく、又、暫く、いなくなるからだ。勉強の答え合わせをしたり、間違いの解説をしたり、運動靴が破れてしまっているのをはいていたので、新しい、ちょっと大きさに余裕がある靴を買ってあげたり、長靴が小さくなってしまったというので、これも、ちょっと大きめの物をかってやった、近くのホームセンターだった。ついでに、レストランにもよって、サービスもした。

 

ジャボタベックとそこから、東へ西へ南へ足る有料道路の渋滞は、もう、ギラである。全く、時間が読めない、待ち合わせ時間の約束はできない。もう、これ以上、渋滞しようがないと思ったのが数年前、しかし、それよりも、渋滞はどんどん酷くなっている。数年後にはチカンペックからジャカルタまで車が一杯になってしまって、車を全部繋げてしまった方が良くなるかもしれない。 

 

帰省ラッシュの凄まじさは、インドネシアの、ついこの前にレバランと規模は似ているが、その内容というか様子は、全く、異なる。大体、バイクで帰省する姿はほとんど見ない。インドネシアは、バイクの大洪水だ。その、凄まじさは、実際に体験した人でなければ知ることは出来ない。それは、それは、恐ろしいというか、凄まじいものです。車も渋滞も、密度が全然違う、車間距離、横の車との間隔、ほとんど密着状態になる。接触などは、全く、双方、気にしない。サイドミラーの接触は挨拶代わりだ。路肩も同じ状態、交差点前の車線などは、どうでもいい、とにかく、詰めるだけ詰める、競り合いに負けないように、ちょっとでも前にでて、脇から、入られるチャンスを与えないようにする。この緊張は、全部のインドネシア運転手が、しているのだから、そのストレスとエネルギーの大集団は、想像を絶する。

 

日本の渋滞をテレビで見ていると、余裕を感じるが、ストレスは凄いだろうなと思う、前へ前へのストレスではなくて、周りの車との間隔を保つことの気使いは、相当、きついのではないかと思う。それが、何十キロメートルにも渡るのだから、運転手は大変だと思う。その点、何でもありのインドネシアは、周囲の車に気を使う必要なし、自分本位で運転すればいいから、その点は気が楽だ。運転手のストレスは日本の方が大きいと思う。

 

明日辺りから、Uターン渋滞が始まるのでしょう。インドネシアは、月曜日の独立記念日まで三連休になるので、明日の朝から郊外の行楽地に向けて、大渋滞になるでしょう。ボゴール、プンチャック辺りの大渋滞が目に浮かぶ。パンガンダランの西海岸の混雑ぶりも目に浮かぶ。

混雑 渋滞 ストレス

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(^_-)-☆西瓜スマンカ

2015-08-14 23:52:42 | 思うこと

 2401 日本の西瓜は、非常に美味しい、外れがほとんどないと思う。何年ぶりかで、日本の西瓜を味わった。しかし、目が飛び出るほど高い。直径20cmくらいのものでも1500円くらいした。

インドネシアでは年中、売っているし、デザートがでるセット料理なら、食後のデザートには、必ずいといいほど、西瓜やメロンやパパイヤなどを小さく切ったものが出るので、年中食べている。一般的に、そう、甘くない。美味しいと思うことはほとんどない。スーパーで売っている物は、20cmくらいなら300~500円くらい、安いと思うが、買ったことはない。道端で売っている西瓜は非常に安いが、美味しくないというより、まずいという感じで、これも、大分、前に買ったきりで、今は、見向きもしない。

 

日本のスイカの、何という部分でしょうか、表面の内側の白い部分、非常に薄くなっているのには、びっくりした。孫たちが、美味しいといいながら、歯で掻きとるように、赤い部分を食べると、皮は、5mmくらいの厚さしか残っていなかった。私が買った種類がそうだったのか、日本のスイカが全て、昔に比べれば、白い部分が薄くなっているのかは、知らない。

 

孫たちが、食べる前にスイカ割りをしたいというので、家の庭にダンボールを敷いて、その上に乗せてやった。ゴルフのクラブと、何やらの棒で、何回もやってみたが。なかなか、上手くいかない。庭の花火などと共に、大はしゃぎで、いい思い出になったと思う。

スイカ割りと言えば、インドネシアにはそういう習慣や遊びはない。インドネシアで仕事をした一番初めの会社で、社内旅行でアンチョールの海岸に行った時に、スイカ割りをしたことがあったが、スイカわり自体は、楽しかったようだったが、その西瓜を皆さん、食べようとしない。スイカ自体を余り好かない人が多い上に。汚いと思うらしい。不潔や汚いことは山ほどあるのに、何故?という感じだった事を覚えている。パンガンダランでもスイカは、大量に売っているが、海岸で切ったり、割ったりしている風景は全くない。

 

この庭の様子は、厭でも、毎日、目に入る。木々の向こうのサザンカの垣根の向こうの道を人が通る、子供が多い。時には駆け足で通り抜ける。孫は行ってきますと言って外の出ると10秒以内にここを通って、学校やラジオ体操へ行く、帰ってくる時、私が目に入れば、覗きこんで“おじいちゃん”と叫ぶ。網戸になっているので、ちょっと、ぼかしが入っている。

庭 孫 声

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(^_-)-☆過渡期の雰囲気

2015-08-13 23:43:04 | 思うこと

 2400 孫にせがまれて、自転車のパンクを直してもらうために自転車屋へ行ってきた。“まだ、あったのか、自転車屋さん”という思いだ。今時、ホームセンターが自転車屋も兼ねているから、自転車専門店は亡くなっていると思っていたが、ここにはあった。小学校、中学校が近いところにあり、郊外の街のちょっとした商店街がり、スーパーマーケットや、バスターミナルの近くでもある。立地としては条件が揃っている。

 

今回、日本に帰ってきて、家の周りを見ると、当然、すぐ隣に老人介護施設はかなり昔からあるし、300mの半径コンパスで円を書けば、あそこにも、ここにも出来たのと、思うほど、老人の面倒を見る施設ができていた。憩いの場所、近所の介護を必要ではない老人が集う場所もできていた。これらの事は、今の老人社会なら、当然、商売にもなるし、需要もどんどん増える事なので、まだまだ、増えると思う。

ただし、街の活性化にはなっていない。あるというだけ、人も集まっている。しかし、賑やかではないし、ましてや、雰囲気が明るく、活性化するなどとは程遠い。自分も、そう遠くない間に、この仲間には行ってゆくのかと思うと、思いたくないと思う。

 

と、そんな風にだけ、半年前には感じていた。今回、家にいて、孫たちを見ていると、彼女達の友達との行き来が、沢山あって、家の中の賑やかさは増してきていると感じた。また、近所を見ると、私の家と同じような状態の家が多いことも知った。それぞれの家の子供の一人が結婚しても、そのまま、親と一緒に住んで、いわゆる。三世代家族が増えていて、小さい子供の数も増えていた。そして、新たに、どういう、経緯か知らないが、今まで、空き地だったとことに、新築の小じんまりした一軒家も数軒できていて、それぞれに、小学校前の子供たちが二三人、いることを確認した。子供の声が外から聞こえてくるし、又、家の前の道は、狭まく、車の通り抜けはないが、小学校へ行く、近道になっていて、夏休みの今では、学校のプールへの行き帰りだろうか、大声で何か喋りながら通る子供で、賑やかになっている。

家の近くだけかもしれないが、良い分に気になってきているような気がする。

 

国道一号線と旧東海道が交差する、昔の手越の宿の交差点を旧東海道から西を見ている。

減少 増加 雰囲気

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(^_-)-☆予定は未定

2015-08-12 23:52:47 | 思うこと

 2399 日本も二十日経過した。そろそろ、インドネシアへ戻らなければならないが、来週にしようと思う。日本滞在は、一か月以内には、しようと思う。今の会社からは、日本滞在の間、仕事に関して、何も言って来ていないということは、現状維持で問題はなく運営していると思う。現状維持なら、私を必要としないということだ。ただし、9月の中旬に、前にも書いたが、二ライン増える予定になっている。そのラインを使う仕事を増やさなければならない。そのことに関して、多分、私を求められるだろうと思って、今の予定は、アドバイザーでもう半年のビザを取ろうと思っている。今月末にビザが切れるので、インドネシアに戻ったら、すぐにエポ(ビザが切れて、雇用契約を解除する)の手続きをする。そして、海外に出て、次のビザを入手する。今回は段取り良く、無駄な時間や金を使わされないように、順調に行くことを祈るのみ。一番、無駄のない日程は、エポ成立後、二週間以内にシンガポールに行って、ビザの修得をする事だ。来週中ごろインドネシアに戻れば、十分、間に合うし、時間を無駄にしなくて済むだろう。インドネシアの三連休のあとがいい。

 

先ほど、ガソリンを入れに行ってきた。今回は、二週間余りで、3000円ほど使った。リッター135円くらいなので、22リッター余り使ったことになる。リッター15km走るなら、330km走ったことになる。約15年前に買った車、今の車に比較して、燃費がかなり悪いことは、分かっているが、とにかく、走行距離が少ない。まだ、5万kmくらいしか、走っていない。今後も、おそらく、余り使わないともうので、車を換える気はない。

日本の会社でガソリン代支給をしている会社は、リッター何Kmとして、計算しているのでしょうか。20年以上前には10kmくらいにしていた会社が多かったと思うが。

 

今はそのつもりがないが、いつか、買いけえる時が来ると思う。それにしても、日本のガソリン代、高いですね。この原油安が定着している今でも130何円とは。レギュラーガソリンとジーゼルの価格差が10%くらいですか。ジーゼル車の価格はどうでしょうか。あまりにも浦島太郎なので、ここら辺のことに関して、比較しようがない。それぞれのエンジン容量とL走行距離と車の価格などの要素を知ってから検討するでしょう。

燃料電池車や電気自動車はどうなっているのでしょうか。全く知らない。

 

セルフのガソリンスタンドを、未だに使ったことがない。セルフにどんどん変わっていることは、分かっているが、どうも、その気になれない。それに、今迄通りのサービスをするスタンドのガソリン価格が高いかと言えば、そうでもない。私が行くガソリンスタンドは、引っ切り無しに客が入ってきている。場所がいいのだと思う。ガソリンスタンドがないバイパスを10km以上走ってきた後、静岡の市街地に入る前、初めて出会うガソリンスタンドだからだ。

 

川内原発の再稼働ですね。反対する人が多い中、良く、決断したと思う。凄い壁を作った浜岡原発はどうなるのでしょうか、何事もなく順調に稼働していた原発を菅さんが止めてしまった。あれから、3年以上何事も起きない、多分、今後、何年間も何事も起きないでしょう。止めなくても良かったのではないでしょうか。10年以上止めるのを待っても良かったのではないでしょうか。今、直ぐ、再稼働させても、安全のままではないでしょうか。こんなことを書いてはまずいのでしょうか。予定は未定ですね。

日程 予定 未決定

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(^_-)-☆二回目のプール

2015-08-11 22:53:19 | 思い出

 2398 思い出の夏の一コマ。そのつもりで水泳パンツを持っていったので、孫たちと一緒にプールに入った。一周、200mほどある水が流れるプール。初めてではないので、知ってはいるが、浅い。1mほどしかない。顔を上げたままの平泳ぎは足がついてしまう。顔をつけながら泳ぐしかないし、仰向けになって泳げば、周りが見えないから、他人にぶっつかってしまうし、クロールなどやれば、それこそ、一かきで、前の人にぶっつかる。要するに、泳げない。歩くしかない。泳ぎたいなら、流れるプールでなく、普通のプールに行くしかない。という、大浜公園プールでした。

 

このプールは私が子供の頃にも既にあった。友達が偶にいっていったようだが、学区からは、自転車一時間掛かったので、私はいったことがなかった。もっぱら、学校のプールへ行くか、ほとんどは、安倍川へ行っていた。土手の構造が、ところどころに、流れを弱めるためだろうか、流れと直角に土手の出っ張りがあった。その下流側に,深い淀みがあった。そこが、プール代わりになり、子供が集まっていた。土手から飛び込んだ、競争をしたり、鬼ごっこをしたりて遊び、泳げない子は、年上の人につかまえられて、放りこまれたりもしていた。私も小さい頃、上級生に、両氏と両腕をつかまれて、振られて、縁に放りこまれたものでした。そんな遊びをしているうちに、泳ぎが、何も、意識しないで、できるようになった。

 

また、今は、取っていないと思うが、砂利の採集が盛んに行われていた。パワーシャベルで深く掘っていたので,その跡は、絶対、足がたたない深いプールのようになっていた。格好の水泳場になっていた。

 

海水浴に行くなら、三保ノ松原で知られた、三保海岸に行くか、袖師海岸だった。袖師には東海道線の駅が、夏だけ使われていた。清水と興津の間だった。今は、ないでしょう。というより、袖師海岸自体が、埋め立てによって、清水のコンテナ港になってしまっている。駅から海岸までの道の両側に食堂や土産物屋や海で使う道具らなどが並んでいたし、海岸には、多くの海の家があって、大いに賑わっていた。最後に行ったのは、高校の時の遠泳だった。対岸の三保まで泳いだ。真夏の世の夢である。

 

これらのことが、いま、良く行くパンガンダランに夢は繋がっている。

 

ヲータースライダーのチケットの自動販売機。

水泳 思い出 夢

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(^_-)-☆二回目の花火

2015-08-10 22:22:07 | 思うこと

 2397 瀬戸っていう選手、金メダル凄かったですね。

夕立とヒグラシ、この時期に日本にいれば、必ず、子供のころを思い出す。昔々を、懐かしい気分にさせられる。他の時期、季節では、そうは思わない。何故だろうか、目に見える風景よりも耳に入る音を意識するから、その音から、昔を思い出すというか、連想しやすのだろうと思う。懐かしいという感覚は、音からの方が、敏感に感じるからだと思う。子供のころ、夕立の匂い、舗装されていない、土が乾いた地面に、雨だ落ち始める、雨粒が本の少しの土を巻き上げる、それが、ばらばらと、音を立てるように感じる。直ぐに全体が濡れてしまい、地面の色が白っぽさから、濃い土色に変わる。その状態の時に、夕立の匂いを感じる。その前まで聞こえていたセミの声が聞こえなくなり、音と匂いを同時に感じる。そして、又、暫くすると、雨の音だけになり、やがてまた、蝉の鳴き声が復活し、元の夏の音になる。

 

そして、子供の頃の思い出に厭なものは一つもない、楽しかった事だけである。

この匂いは、インドネシアでは乾季にスコールが来た時に感じることがある。

 

日本の会社の多くは、お盆休みに入ったようですね。空港から出国や道路の渋滞のようすが報じされている。観光地は大混雑でしょう。閉じこもりをするしかない。

 

丸子の何とか神社の夏祭りがあるというので、近くまで孫たちの送り迎えをした。その通過道、ととろ汁の丁子屋を正面にする丸子橋(まりこばし)。

 

蚊に刺されないように体中に蚊よけクリームを塗って、花火を庭で楽しむ。この音と匂いも、子供のころを思い出させる。心地いい、雰囲気が好きだ。

 

戦後、70年、70年と盛んに言われたり書かれたりしている。自分の歳を意識させられて、良い気分ではない。

音 匂い 声

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(^_-)-☆こんなリスク

2015-08-09 22:46:13 | 情報

 2396 10年以上前になるが、こんな事件があった。ある会社で、労働条件改定の要求ストライキがあった。当時、何日間か続いた。その会社の第二工場は、私がいた会社の隣だったし、私が、その会社の部品を供給していたので、その様子は良く知っていた。次第に険悪に雰囲気になっていった時。暴力団がストライキ、座り込みをしている従業員を排除しようと、殴りこんだ。結果、一人の犠牲者を出してしまった。確かかどうか知らないが、インドネシア人役員が、マフィアに頼んだということらしかった。

勿論、操業再開は直ぐにはできず、結果として、組合の要求を呑んで、何とか収まった。一か月ほど、客先に迷惑を掛け、多額のペナルティーを払うことになった。また、急遽、応援で呼んだ、日本からの150人ほどのパートの人たち、給料やホテル代、旅費を払うことにあったばかりでなく、慣れない、食事を支給したのでしょうか、かなりの人が、下痢を起こして、急遽帰国する事になり、何の役にも立たなかったという。

 

また、こんなこともあった。廃品回収に関する事件。ある朝、その会社の前を通った時、韓国系の大企業の正門前にバリケードが築かれていて、怖い顔をした連中が、何十人もで、封鎖をしていた。聞くところによると、この会社のインドネシア人ダイレクターが、廃品回収業者を今までの会社の他に、もう一社に頼んでしまったそうで、今までの回収業者がクレームを付け、座り込みなどをして抗議をしたのでした。二日間続いた。その時は、廃品回収業者同士の争いで、怪我人が何人かあったという。その韓国系の会社は、従業員が出勤する事ができなくなり、二日間、生産が止まってしまった。

 

また、三年ほど前の最低賃金上げ、正規社員の率を上げろというスローガンでの工業団地全体のデモとストライクが大規模に行われた時、ある会社に暴力団が殴り込みを掛け、デモ参加の従業員の一人が死亡、多くの人が怪我をした事件もあった。これも、その会社のインドネシア人共同経営者が、その筋の人間を呼びこんだのでした。

 

この類いの話は、頻繁ではないが、よく聞く話だ。インドネシア人が呼びこんだことになっているが、私は、その会社の日本人が、何とかしたいと相談を持ちかけた事は明らかだと思う。全く、知らなかったということはあり得ない。

 

また、これらは、会社の話だが、個人的にも、マフィアやら暴力団が、厭がらせや脅かしを仕掛けることは珍しくない、特に、マフィア系のセキュリティーが絡むか、見て見ないふりをするだろうという事件が多い。プッツンしやすい人は、どこにでもいるようだ。

 

私も、車に嫌がらせをされたことがある、パンク(横の薄い部分にナイフで裂け目を入れられていて、修理できない)させられたり、ガソリンを送るホースに傷を付けられたり(朝、ゴルフに出掛けるためにエンジンを掛けても掛からない、ゴルフはキャンセルした)したことがある。私以外にもそういう経験をしたことがある人は何人か知っている。

 

困難に直面した時は、一時、流れに任せた方がよい。

 

原の茶畑。インドネシアの広大な茶畑との違いを意識する。

 

庭で花の観察をしている。小学校の夏休みの自分を思い出す。

危険 暴力 切れる

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(^_-)-☆三度目のゴルフ

2015-08-08 23:28:45 | 思うこと

 2395 静高負けてしまいました。残念。

 相良カントゥリークラブ、牧ガ原の茶畑の中にある。相良牧ガ原インターを降りて、左折し、信号で右折し、南、静波海岸方面に1kmほど行くと、大きな看板が間に入る。そこを右折すれば、茶畑の中を通り過ぎてゴルフ場に付く、家からは、焼津から高速に乗って、約45分くらいの場所だ。

 

ある会社を退職した人達の集まりだ。毎月、集まっているらしい、皆さん、何もすることがないから、楽しみにしているらしい。私は、その会社のインドネシア工場の押出部門を立ち上げ、本社にある技術センターで、ちょっと、手伝いをした、約2年間だった。太田化工としては、60年以上、手伝いをしているので、皆さんとは、かなり、長い付き合いをしている。日本に長期でいることになれば、そのメンバーの方々と、ゴルフだけでなく、お付き合いをすることになるでしょう。

 

このメンバーの中に、この会社の品管のトップだった人がいある筈だった。お互いに30歳代の時から、私の会社に出入りをしていた。暇があれば、チェックといって、私の会社へきて、ゆっくりしていった。ゴルフも大好き、私が、日本へ帰った時には、会長とは必ずご一緒するが、その人も一緒にやることが多かった。

その人、心不全で亡くなってしまったことは何か月前に触れた。退職してほんの半年後だった。これから、孫たちとゆっくり遊べるし、奥さんと旅をしたいと言っていた。

 

奥さん亡くなって、その後、一人暮らしになってしまった方からは、カートに乗っている時、食事を一緒の時、その情況の話を聞く。食事を自分で準備するとか、スーパーで、親しくなった店員から、いろいろ、はなしかけらるとか、庭の花の世話もしているとか、町内の夏祭りの準備にも出なければならないとか、その他、話の全てが、今まで、自分が知らない事、奥さんがやっていたことを、今、自分がやっているということだけだ。話し相手がいなくなったことが、何より、つまらない。奥さんに先に行かれるより、自分が先の方がいいとも言う。

全て、納得である。日本ではゴルフをしながら、そんな話をする。

 

暑さと疲れで、その後は、エアコンが効いた部屋で良く眠れる。孫の声が煩い。真夏の世の夢である。

 

帰り道、一般道を使う、大井川の橋の上からサンセット、見えるかどうか、1kmくらい上流に蓬莱橋がある。

退職 自由 一人

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(^_-)-☆特待生

2015-08-07 23:32:05 | 思い出

 2394 広島原爆投下の日でしたね。色々な特集番組が組まれていた。高校野球甲子園大会の開会式を、多分、初めてテレビで見た。好ききらいということではなく、ほとんど興味はなく、ほとんど、見たり、応援にいったりすることはなかったが、高校野球に関しての思い出はある。

先ず、今日の始球式で王貞治さんを見た。私が、多分、中学二年だったと思う。選抜で優勝した後だったと思う。草薙球場で、静高と静商が招待の早実と練習試合をした。それを、父親と一緒に見に行ったのでした。その時の王選手を見たくて、観覧席は一杯だった。王選手はピッチャーで四番だった。それだけのことだった。

 

その後、高校二年の時に、我が静高は、あれよ、あれよという間に、甲子園の決勝までいってしまった。決勝相手は、法政二高、その時のピッチャーで四番が後にジャイアンツの九連覇時代の一番バッター赤手袋の柴田選手でした。三対ゼロで負けて、準優勝。誰もが、勝つとは思わなかったので、良く底までやったな、という感じだった。びっくりした。やつら、そんなに、凄かったのかと。何度も、書いたかもしれないが、二番、セカンドの友人がいた。決勝で柴田から二本のヒットを打った。中学三年の時の同級生、私が一学期三学期の学級委員長、彼が副、二学期は、その逆だった。静高の野球部だけではなく、一般入試枠の他に、スポーツで優秀なら入学させていた、私は、当時から知っていた。しかし、彼は、一般入試で受かる学力も持っていた。

高校の一年の時も同じクラスだった。一年六組湯沢コースと言われて、特殊なクラスだった。ホームルームデーといって、クラスで自由に目的地を決め、遠足ではないが、一日一緒に過ごそうという日がった。自分たちで計画を立てて、手配もするのです。バスで富士五湖の方に行こうということになった。面白かったのは、どこか知らないが、バスを止めて、三つ峠に登ろうということになり、ほとんど、駆け足で登り降りした。

中学の時の運動部である程度活躍していた生徒が多く、集められた。野球部が6人始め、硬式テニス、バスケット、これらは当時、インターハイや国体で上位か優勝の実力を持っていた。その中に、私の卓球や柔道や重量挙げや軟式テニスなどの選手もいた。だから、一年の一回目の実力テストの結果は、学年で最高が15番から最下位までとバラツいていたが、学年末テストでは、最高が100番くらいになってしまっていた。

 

入学した時には、十分な学力があっても、運動部に属していると、どうしても、勉強の時間は短くなるし、同じ時間勉強しても、疲れが残っていて、思考力や記憶力が減っているのです。合宿の時などは問題集や参考書を持ってきて、夜は、それぞれ、勉強していたし、試合にいっても、試験が近い時には、合間に教科書を開いていた。それでも、普通に勉強している人とは差がつくのは仕方がない。私の場合は、三年の夏が終わって、部から離れた時から、まともな勉強を始めて、最終実力考査でやっと100番に入った。静高は、当時、100番以内なら、中程度の国立の工学部に入ることができるという評価だった。一部、二部校があって、家庭の事情で、大学は国立、浪人は駄目という条件があったので、滑り止めの二部の梨大工学部に滑り込んだ。

 

私が言いたいのは、今はどうか知らないが、当時は、野球部に限らず、全国区クラスの生徒が多かったが、入学当時は、ほどほどの学力を持っていた。ただ、三年間で、学内順位的には落ちて行った。運動で大学に入る人、普通の試験で大学に入る人、まちまちだった。中学の時に、上位20%くらい以下という生徒はいくらスポーツ能力が優れていても静高で受け入れることはしなかったと思う。

 

全ての生徒が認めていた。運動と勉強の両立とはどういうことか、それぞれが、どの程度以上なら両立できているというのか、自分の能力と合せて、評価はまちまちだと思う。当時の私と私の周囲にいた運動部員は全員、両立させていたと思う。

 

賑やかな子供のころと比べて、今は、人が少ない、国道一号線、静岡駅前から500mほど西です。人も車もほとんど見えない。

 

ショッピング。

両立 睡魔 特待生

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(^_-)-☆斡旋業リスク

2015-08-06 22:59:29 | 情報

 2393 斡旋とは何か、“依頼者に満足が得られるようにしてやる事””だと思う。二者以上なら、全てがある程度満足が得られるようにしてあげる事、だと思う。便宜を図る業者、斡旋業とは、依頼者に満足を与えて、その代償をお金で受け取る人や集団のことです。多くの場合、その業種には、実行するにあたってライセンスが必要だと思う。

そのライセンスを持たずに、というか、そんなライセンスはあり得ないということを斡旋をする人や集団が、いくらでもある。

 

人事担当のインドネシア人責任者のほとんどは、採用権を使って、就職あっせん業をしているのが普通だ。人を採用する時には、公共、私的就職斡旋業者から、リストを受け取り、いくつかのチェック資料(卒業証明書や成績表など)を出してもらい、書類選考の後、筆記テストや面接をして、採用する。この流れの中で、コネや帳簿に載らない金銭が動く。

 

卒業証明書と言えば、発行してくれるエージェントがある。警察関係者に知り合いがいれば、紹介してくれる。インドネシアの日系企業の従業員採用学歴条件は、高卒以上になっている。経済的に高校を卒業できない若者は多い。職を求めてジャボタベックにやってくる若者とって、必須条件だ。そこで、当然、何とかしたいと思う。5ジュタを払えば、高校卒業証書、10ジュタを出せば、専門学校(経理やPC)、15~20ジュタで大卒卒業証明書を作ってくれる。私自身も何人かに高卒証明書を得るための4~5ジュアタを出してやったことがある。警察の担当者にも知り合いがいた。

 

警察が、からんでいる斡旋業種の一つに、ガソリンや軽油の道端販売がある。特に、燃料費値上げの前や不足の前には、需要が多い。事前の買い置きを斡旋するのです。道端でペットボトルに入った、ガソリンや軽油を売っている。合法ではないことは明らか、なのに、売っている。

 

ビザの修得に関しても、便宜を図る人がいるし、エージェントによって、速度に関して、相当の開きがある。

需要と供給の関係です。ちょっとばかり、長い期間、そういう仕事に関係していれば、誘惑はかならずあるし、伝統的にやっている機関もある。そう言った物ですね。世間は。その会社で仕事をしなくても、空きのポジションでビザを取ってやる会社もある。個人的な収入になる。

 

私の家から一番近いゴルフ場への途中、それでも、30分掛かる。

耐え難きを耐えているところです。インドネシアで私の名前が、ちょっと、有名になったかもしれない。

斡旋 仲介 裏金

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(^_-)-☆任せるリスク

2015-08-05 23:28:59 | 情報

 2392 任せざるを得ないリスクでもある。本社が現地社長に任せる。現地社長が従業員に任せる。逆に従業員が社長に任せる。小さい会社の方が、リスクが大きい。チェックが効かないし、代わる人がいないからだ。任せることが長期化してしまうからだ。

任せることは、信頼する事だ。ポジションが与えられるということは、仕事を任せられたということです。任せられたがわは、自分の考えで、仕事ができるのでやりやすい、結果を出すために自分の方法を取りやすい、上手く行けば、評価も上げてもらえる可能性も高い、任せられるということは、信頼されている、仕事の遣り甲斐もできるのです。これが、任せることのメリットです。

 

大学を出て、就職し、たったの一か月後でした。ある人から、「購買部門のあの人は、商社からお金を受け取って高い原料を買っている、だから、車を買ったし、家も改造している」という話を聞かされた。他にもそうしている人がいるともいわれた。それが、社会の現実か、と、思った。

 

それが、私自身、社長を止めて、インドネシアで、一アドバイザーとして仕事をし始めた時に、そういう話が、あちらこちらから聞こえてきた。小規模で、日本人が少ない日系企業に明らかに多い。購買の部門を握っている社長さんは、誘惑が多いのでしょう。様々な方法で取引のメリットを享受している。高い装置、高い原料、優遇採用など、明らかに不自然は、会社にとっては不利益な行動をしている。

裏金を受け取る、ゴルフ、食事、酒、カラオケなど接待を受ける、ゴルフなどの会員権を受け取る、家族旅行の接待を受ける、などなど、やりたい放題の人もいる。どうでしょうか、そういう人を何人も知っている。私は、何社かの手伝いをし、何人かの社長さん、上司の下で仕事をしたが、余りのも露骨な人に関しては、指摘をした。私は完全に邪魔物になった。そして、パワハラにあった。そういう人にとっては、私のように、仕事ができる、言葉も巧み、従業員に優しい、自分より信頼されている、慕われている人間は目の上のタンコブなのです。会社にとって有益な人は、その人にとっては有害なのです。

こういう話は、どこにでもある、なくならない問題ですね。それに便乗する部下や同僚や上司や本社の海外担当者も無くならないからです。

 

血圧チェックを日常的にしようと思って、血圧計を買って来た。昨日いった医院で、勧められたので、早速、その気になっただけでした。どこにでも売っているよ、ということで、近くのマツモトキヨシへ行って、一番安い4800円のものを買った。使い方は簡単、腕にバンドを撒きつけて、景気のボタンを押しだけだ。最低、最高、脈拍数が直ぐに出る。

 

家の庭の木陰から、自分の家を覗いてきた。真夏の樹木はこんなものです。

汚職 袖の下 コルプシ

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(^_-)-☆あるあるリスク

2015-08-04 22:28:30 | 情報

 2391 検索の言葉で、“チカラン夜遊び”とか“連れだし”とか”マッサージ“などが、相変わらず多い。赴任して間もない人は、これらに関する事に興味がゆくらしい。

 

別にインドネシアに限ったことではない。私は、中国でもタイでも同じような話があることを何度も聞いている。女性と金の問題です。私の感覚では、単身赴任の男性の全部とは言わないが80%以上は、関係があると思う。一見、紳士風のおとなしそうな人でも、「あの人はねえ~~~」という話は、頻繁に聞くし、ゴルフをしていても、この人が、あの人が、と思う人でも、キャディーと個人的付き合いをする人がいる。

 

私にように一国だけでなく、何カ国の海外工場の立ち上げや運営をしてきて、今、インドネシアの会社の経営をしている人の全員はいう。赴任してきた人には、必ず、女性と金に関する事は、注意をするそうです。今まで、何度も、部下が問題を起こして、後始末を経験しているからです。小額の金で済むことなら、まだいいが、家族や会社や高利貸しなどに波及する場合は始末が悪い、本人だけではどうにもならなくなれ例も多い。ということで、注意する事は、金銭的に本人が負担できる範囲に収まるように、絶対深入りをしないように、ということだそうだ。

 

しかし、問題を起こす人は後を絶たない。知っている中で、一番多いのは、日本に奥さん、子供が居ながら、結婚をしてしまう人。それだけでも、かなりの問題だと思うが、それだけでは済まない場合が多い。必ず、同じ社内の日本人に知られることになる。その情報は、本社に行く。本社は、無視というわけにいかない。日本の奥さんや子供との事はどうするのか、現地の奥さんとはどうするのか。判断をしなければならない。どちらにしても、只では済まない。自分ひとりで手に負える事ではない。多くの人に余計な望まない手間を掛けることになる。それも、一銭も掛からず、収まることはあり得ない。場合によっては、何百万、一千万円以上のお金が必要になる。

 

私が知っている会社の社長さん自身が、日本の奥さんと子供を無視して、インドネシア人女性と結婚した。それだけではない。また、浮気をし、二人目の奥さんとして結婚してしまい、一番目の奥さんに離婚訴訟をされた結果が一千万円の支払いと、養育費の支払いをさせられることになり、前借退職金の大部分をその支払いに充てた。その後。その社長さん、日本に呼び戻され、日本の会社に入れれなくなり、二番目のインドネシア奥さんを頼って、インドネシアに舞い戻ったが、その奥さんからも離婚されたそうだ。体ががっちりした、恰幅がいい人で、インドネシア人従業員をいつも大声で怒鳴り叱っていた。会社の前を通ると、その人の怒鳴り声が聞こえてきていたという評判だった。その人は、今、どこでどうしているのでしょうか。

 

マッサージでも、フットマッサージ以外は、全て、マッサージ以外のサービスをするシステムになっている。ゴルフ場のマッサージでも例外ではない。イスラム過激組織や警察に現場に踏み込まれた人も知っている。連行され、罰金を支払った人を知っている。運が悪いだけでは済まされない。リスクは大きいですよ。

 

日曜日、日本食せストランで、若い女性と二人で食事をしている光景に何度も出会う。お手伝いさんではない、現地妻か面倒を見ている女性です。一千万円までは行かないにしても、それに近い金額くらいは、注ぎ込んでもいいという、腹積もりが必要です。どうでしょうか、何事もないことを祈るのみです。

 

血液と尿の分析結果を聞きに行ったついでに、スーパーに寄った。今回も百円均一の店で買ったお菓子、インドネシアへ持って行くためだが、行く前に、孫たちがかなり消費してしまう。友達が遊びに来ると、必ず、いくつかの袋がなくなっている。全ての数値が、許容範囲内。

 

今日のテーマにふさわしくないが、私の部屋で私が寝るための布団を占領している。ゴキブリから逃げ回って、大騒ぎをしていた。

きつい 巻き込み 台無し

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(^_-)-☆ジョインのリスク

2015-08-03 22:29:57 | 情報

 2390 “後悔先に立たず“何かメリットを求めて、ジョイン(共同経営)を持ちかけた時、簡単に、話に乗ってくる会社、或いは、メリットがあると、ジョインを売り込む会社、どちらも、ジョインしてはいけません。条件の話もしてはいけません。資金的、人材的、技術的な提供、手伝いだけでも、してはいけません。

 

もう、5年以上前だが、インドネシアで10年以上、日本親会社から派遣されて、仕事をしていた人が、定年で退職した。インドネシアに友達も多いし、環境にも慣れているので、退職金をつぎ込んで、インドネシア人と共同経営の会社を興した。一年もたたないうちに、仕事がうまくいかずにその会社は閉じてしまった。そして、装置は共同経営者が持ち出して、雲隠れをしてしまった。そのインドネシア人、計画的ではなかったかと、本人は悔やんでいる。そんなことがあった後、私がいた会社に訪ねてきて、雇ってもらえないかと頼みに来たことがあった。これに似たような例は、いくつも聞いたいる。

 

現在、事業譲渡や共同経営の相手を物色している会社や人に大注意。日系企業の50%は赤字、小企業や個人企業(日本に本社なく、インドネシアで会社を興した企業)では70%が赤字だという。経営者は、自分ではどうにもならないと思うようになっているのです。そういう会社は、必ず、かなりの借金をしているはずです。藁をもつかみたい気持ちで、身売りを画策している会社も多いと思う。閉じるにも、退職金だけでもその企業にとっては、払いきれない金額が必要になるので、撤退もできない。

 

仕事上の何かのライセンスを持っていたり、装置を持っていたりする会社で、目的に有った会社があったとする。それらを使って、仕事を増やしたいという会社が、その会社を買収なり、ジョインなりすれば、そのライセンスや装置を簡単に手に入れたと同じことになるという理由で、興味を持つ会社もあるので、それが、たった一つの頼よりとするのです。しかし、ろくに調査もせず、飛びついてはいけません。裏に、どんなしがらみが隠れているか分かりません。たとえ、社長からの借金なら、社長が被ればいいという考えも甘い。社長がどこらか借金をしているかも知れない。例えば、税務調査が入った時に、そこまで突っ突かれます。出どころがはっきりしなければ、かなりのペナルティーになります。

 

何より、そのライセンスや装置を、その会社が持っていることが、余り、仕事上、生かせていないということです。それらを生かしていないし、生かす能力がないのです。そう儲かる仕事は、飛び込んでくる分けではないのです。また、そのライセンスを新たに取得しようとすると、なかなか、難しいのは、外国企業にそのライセンスを与えたくないのです。そういう仕事は、今や、ローカル会社でもできるようになっているからです。

 

お分かりでしょうか、車もバイクも、前年同月日で、何カ月か前から、マイナスになっているのです。人件費も、どんどん上がっています。そんな中、赤字の会社と組んではいけません。

 

そして、これが肝心です。赤字の会社に新たな仕事を依頼する事もいけません。赤字で苦しんでいる会社の脚を引っ張るような冷酷なことを書きますが、そういう会社は、将来がないのです。経営者の能力がないのです。創立後二三年は赤字でも仕方がない、助走区間ですから、しかし、5年以降の赤字でいる会社には、関わるのは間違いです。赤字を解消できると思うことは大間違いです。

 

日系とは限らないが、インドネシアにはそんな会社がごろごろしています、安易に飛びついてはいけません。

 

自分の資金を使うなら、自分だけでやりなさい。足りなければ、自分の責任で資金調達をするべきだ。他人が出すから、他人が手伝うから、それを頼ろうとしてはいけません。せっかくの退職金が吹っ飛んでしまうかもしれません。

 

ゴルフの帰り、藤枝バイパスという自動車道を通ってみた。茶畑が多かった。

共同経営 資金提供 不可

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(^_-)-☆二回目のゴルフ

2015-08-02 22:37:51 | 生活

 2389 先日と同じ場所、上り下りが激しい上に左右の上下も大きい、カート道が低い側にある。カートから遠い側に打ってしまうと、降りてから歩く距離が長いばかりでなく、かなりの登りになる。4人の平均年齢は、74歳、私は三番目、一番上は77歳でした。私以外のさん方は、コースを前に進む、登り降りは、歩くことはほとんどない。それぞれの落下地点、打つ場所が当然違うので、いちいちその横に止まる、それから一人降りて、ボールまで行き、打って、カートに戻る。他の二人はカートで待っている。それの繰り返し、キャディーを一方の希望で、一人付けた。キャディーは、ほとんど歩いて、ボールの位置を示している。そして、希望によっては、ボールを拾って、真横のカートに近い方に、持ってきてくれる、それを、その人が打つ、ついには、予備のボールをカートのそばで打つ、キャディーは、遠くに有るボールを本人に、渡す。キャディーは一人一人、どうしますかと、聞く。妙な光景を、私一人、皆さんの動きに合わせていられない。さっさと、歩いて、前に前にと行ってしまう。ボールの傍に寄って待っている、そして、皆さんのボールがどこに落ちたかしさせる。

 

時には、グリーン上で、皆さんの到達を待っている。口には出さないが、終始、いらいらしていた。暑い、暑い、スコアーが良いはずがない。それでも、ハンデキャップなしの握りの結果は、私が少し負け、支払いである。ただし、オリンピックは、私の方が良いので、結局は、頂だったが、面白くない。この前と同じように、落ちているボールやティーを拾いながら、他の人の奇妙なゴルフを眺めながら、待ちながら、お付き合いのゴルフでした。

 

楽しみにしていた家族花火大会、暗くなると同時に、庭で、花火。ローソクに火を付けて、昨日買って来ておいた、花火に次々と点火する。振り回したり、じっとしていたり、それぞれに合せる。真夏に夜の恒例行事になっている。孫たち、大満足。

 

今日も暑かった。どこだったか、39.9℃だったと言っていた。季節を勘違いしている鶯の名小声、日暮らしセミの声?

http://otaenplaext.net/newpage74.html

我慢 付き合い 歩き

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