南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

ハーフタイム

2010-04-15 21:16:04 | 環境
 パニック障害という病気があることを知っていたなら、どんなに軽く済んでいたでしょうか。完全にひどくなる前に、これがパニック障害の兆候だとして知っていたら、パニック障害にならなくて済んだかもしれない。鬱病は多いと知っていたし、鬱病のことは病院の掲示にも、症状が書いてあって、心当たりのある人は、一人で鬱になっていないで、早く、医者に相談した方が良いとい事が書かれているので、だれでも、症状については知っている。
 処が、パニック障害などという病気があることを全く知る機会がなかった。インターネットで検索しようにも、知らないのだから、出来ない。
 警告と思われる症状は、目まいがして坐ってもいられなくなったこと、足が頻繁に釣るようになったこと、そして、もう一つ、これが不過ぎでした。体中、どこという特定な場所はない、時々、ちくっと、針を刺されたような感じがした。痛いほど、長時間ではない、一瞬です。一秒の何分の一という瞬間です。指先だったり、お腹だったり、頭のてっぺんだったり、目の中だったり、おちんちんの先っほだったり、肛門近くだったり、脇の下だったり、手の甲、足の甲だったりした。
 そのうちに、其の、ちくっときた、一秒後くらいに、くらっと、目まいをするようになった。脈を取ると、その瞬間、二三回分の脈が無くなっているのです。これは、インドネシアでも、日本でも、多くの医者が確認しています。脈が無くなったとき、くらっとくるのです。しかし、それが、不整脈ではではないし、心配するようなものではないと、どの医者もいう。まったく、無責任としか思い様がなかった。脈が飛んで、立っても坐ってもいられなくなっているのに、心配しなくていいという。何もできないし、このまま、脈が止まったままになってしまうかもしれないという、パニックの様な不安はどうしろというのでしょうか。
 人によって程度は違うでしょうが、体のあちこちでちくっとするようなら、パニック障害を疑った方がいい。一度でも、今までになかった、目が回るとか、気が遠くなりそうになったら、また、いつになく体のあちこちが釣るようになって、その頻度が増してきたら、パニック障害の兆候と疑ってみてください。ほっておくと、私のように、とんでもない症状が一挙に噴き出して、パニック障害の究極を経験する羽目になるかもしれませんよ。

全ての数値は正常です。平衡感覚も心臓の状態も脳の働きも血液、尿の検査全て健康数値です。ただ、あなたは、しばらく休みなさい。今まで、走りまくってきたのでしょうから、一年や二年はのんびりしなさい。その間に、今後、30年以上ある人生をどう過ごすか考えたらどうですかと、さとされた。
ところが、まだ、今、会社で仕事をしている。

パンガンダランの浜昼顔の向こうに半島と観光客が、見える。インドネシアの田舎どこでもある田園風景。休憩所が必ずある。
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パニック障害の予兆

2010-04-14 18:28:11 | 体験
 まだ、雨季が終わっていないようで、うっとうしい日が続いている。着々と良い方向に向かっているが、まだ、完全とは言えないので、毎日、遅くまで、トライをしているし、頻繁に金型屋へ行ったり来たりしている。ワンセットとして、組み立てて見ることができる状態になったが、色合わせがまだである。今日から、順番に色合わせをしてゆく。
 この製品については、今さら、後戻りはできない背水の陣である。これは、この会社もそうだが、客先も完全にインドネシアで何とかしなければなら状態に自分を追いこんでいるので、とことん付き合う。
  自分は頑張っているとか、無理をしているという意識が無いが、多くの他人から見て、頑張りすぎとか、無理しすぎと思われるくらいに、仕事や運動で体力を使ったり神経、頭脳を使ったりする人は、私のようにパニック障害になりやすい。

 ここで、パニック障害の完全発病の前の、予兆ではなかっただろうかということを書く。2006年6月に脈が、抜けて、目まいを繰り返し、立っても坐ってもいられなかった。これが、決定的な症状で、それ以後、パニック障害という病気と宣告されるまでの約、2ヶ月半普通の生活ができなかったし、仕事などをすることなど考えないほど、深刻な色々な症状が出た。
 このことは、ブログのパニック障害を検索してもらえば詳しく書いてあります。
その、顕著化する前に、思い当たる症状が、二点あった。2004年 目まいがして、それを二三回繰り返し、立っていられなくなったので、近くの病院へ行ったら、風邪だと言われた。点滴を打って、それきり、その症状は出なかった。その、二三年ほど前から、ゴルフが終わった後、ふくらはぎやモモが釣るようになった。じっと、痛みが収まるまで待つという、やつである。その頻度が次第に多くなり、一回の症状の長く続くようになっていた。2006年前半には、足、お腹の筋肉が、ゴルフなど運動をしなくても、釣るようになっていた。2005年に一回、目まいで立っていられなくなったことがあった。2006年、完全発病する前の一週間前に目まいがして立っていられなくなったが、これも一分間ほどで、治まった。

  私が気に入っているインドネシアお勧めの風景。ヌサカンバンガン島の西海岸、http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00087.html
http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage00086.html
泣く子も黙る、島流し島、凶悪犯のほとんどがこの島の監獄に送りこまれる。インドネシア人に、ネサカンバンガンは景色がいいし、ロブスターは、安くてうまいし、観光客がいないのでそれを独占できる、と、話をしても、信じる人はいない。それだけ、監獄島として知らないインドネシア人はいないのです。たびたび、ニュースでこの島のことは伝えられるが、すべて、監獄からみです。もう一枚は、インド洋の大うねりに現れている岩場です。うねりの高低差が少なくみても、3mほどあるので、岩場が消えたり、1m以上の高さになったりする。私たちが使う船はうねりの中で、見えなくなってしまうことが多い。

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一生懸命でもない

2010-04-13 21:27:18 | 環境

 インドネシアでも、自分で会社を興してからも、サラリーマンの時も、学生や子供の時も、頑張ったことはないし、自分で努力した意識したことはない。また、他人の見る目も、私が、一生懸命やっているようには移っていなかったように思う。事実、お前は不思議な奴だと言われたことは何度もある。個人経営を始めた時も、お前のようにいい加減な仕事をしていて、もうかる仕事なら、押出という仕事はよっぽど、いい仕事だな、と、言われたことは何度もある。しかし、その当時、一日、16時間以上の仕事をしていた。朝6時や夜10時に沼津から御殿場や厚木へ納品に行っていた。自分の全能力で限界までやるとは、当然のことであって、それを頑張ったとは、自分では思っていなし、他人から、頑張ったねと言われても、何とも思わない。当然のこととしてやっているだけだから、むしろ、そう言ってくれる人は、ご本人、余り頑張っていないのではないの、と、思うことがある。
頑張らない、努力をしない、自分ではそう思っていて、他人にも、頑張りなさい、努力しなさいとは言わない。自分のペースでやるし、他人にも自分のペースでやりなさいという。若い人にも、無理をしないで自分のペースでやりなさいという。努力と頑張るという言葉は、非常に曖昧で、主観的な言葉です。自分が頑張ったと思っても、他人が頑張ったと思わないこともあるし、自分は決して頑張ったつもりはなくても、他人は頑張ったと思うこともある。
 努力も頑張るも天性だと思っている。できない人に、頑張りが足りないと言っても仕方が無い。本人は本人なりに既に頑張っているのだから、それ以上頑張りようが無い。私の考えは、さらりと、人があまり感じないところで、実力を蓄え、見えている部分では、普通に力を発揮し、早く、正確な結果を出す人が好きだ、私はいかにも頑張っていますと、他人が見ている時だけ、行動している人は評価が低い。結果がすべてである、なかなか、普通の人ではそうはいかない。
 今回も、頑張っていないし、努力もしていない、必要と思うから、やっているだけです。
 私の不運は、自分は努力していると思っている人の支配下に入った時で、私から見れば、努力とか、一生懸命とか努力と言う前に能力が欠落しているので他人に対する優しさを持つ余裕のない人です。
やっと、結果が真近になった、客先へ形状のサンプルを出すことにした。しかし、外観、つやについては日光の手前である。なお、原料の検討が必要である。水曜日の夕方までに艶とそりを改善した製品を持ち込まなければならない。

どちらもソトクドゥスです。牛や鳥の腸や肝を笹切りにして煮込んだスープです。大きい形の黄色っぽい方が、本場のソトクドゥスです。クドゥスという町は、スラバヤの西にあります。茶色のスープはソトクドゥスブロックMといって、ジャカルタのブロックMに本店があるチェーン店です。MM2100のルコの一角にあるのですが、インドネシア人の上級社員の人気が高く、昼食時には超満員の人気レストランです。私も、会社の従業員弁当を食べることが多いのですが、昼時にルコに用事で行ったときはついでにここで食事をします。日本人に会うことはほとんどありません。こんなにおいしいのに、と思うのですが。本場よりブロックMの方がおいしい。
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頑張らない

2010-04-12 18:36:19 | 試練
   トライ結果の製品を出したいが、まだ、公表しない。量産になったら出そうと思う。
新居にカーテンを着けたり、ランプを着けたりして、来週、引っ越して直ぐ生活ができるよう準備もしている。ここの住所は公開しない。
今日のところは一休み、メンバーが三人になってしまったので、今日のゴルフはやらないわけにはいかなかった。しかし、仲間の二人には失礼だったが、全然ゴルフにしゅうちゅうしていなかった。インドネシア語のムラムンで、ゴルフをしながらゴルフ以外のことをずっと考えていた。仕事、会社、技術、従業員のこと。

 風邪をひいて四日目になります。豚でも鳥でもありません。並みの風邪です。鼻の奥が乾いたなと意識した時、もう、風を引いてしまったと認めるしかありません。原因は、冷房と外との寒暖の差だということは分かっている。しかし、このインドネシアの状況からは避けられない。室内では防寒対策をとって、防護するしかないこともわかっている。
 かかってしまってから、用心しても仕方が無い、薬を飲んでもしかたがない。ただ、経過を通りすぎるまで、耐えるしかない。状況が進んでというか、経過して、今日は、鼻水が止まらない。ゴルフもティッシュペーパーを欠かせなかった。鼻の頭と下が赤くなってピリピリしている。明日中には、鼻水が止まって、鼻くそが緑色に塊だし、三日後くらいに、痰が塊だす。それで、終わりです。鼻の奥が、乾いてから、約、10日で、風邪にかかったことを意識しなくなります。

 今回は、毎日、長時間、立った状態で、試作の仕事をしていた。試作の経過が思わしくなく、熱も38℃で、厳しい状態だった。熱は平熱に戻っているので、月曜日の夕方前には客先へ行ける状態になるでしょう。
 
 間もなく、この状態から、解放されるように、行動する。頑張りはしない、努力もしないのが、主義だ。その必要はないからだ。
 写真は昨日の夢の一部。
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清潔?、不潔

2010-04-11 21:14:26 | 生活
 日本食レストランはどうか、割箸は製造もとで、パッキングするので、まず、衛生的には問題が無いと思うが、ナイフやフォーク、スプーンは道端のテントレストランや会社の食堂のように飲めない水道水で洗っているし、食器類も同じこと、ただ、ティッシュや布でふいてあるので、乾いているだけ、ばさばさに濡れているのを使う人が、自分でチィッシュでふいても同じ不潔さである。日本食レストランの食器類は熱湯消毒をしているところは殆どないので、これも、道端のテントレストランと何も変わらない。ですから、当然ながら、日本にない、免疫が無い、雑菌にやられる。どんなに、気を使っても、こんなに用心をしているのにと、思っていても、やられる。会社のコーヒーを飲むとき、コーヒーは熱いから、熱湯消毒と同じでカップの雑菌は死んでしまうと思うのも、間違いで、取っ手や、カップの縁の雑菌は元気のままです。必ず、どこかに、雑菌が体内に入り込む可能性はあります。
 インドネシアにいて、100%安心はありません。AQUAといって、飲料水の最大で、一番信用されている水のメーカーがあります。値段も、ここの水が一番高い、しかし、圧倒的なシェアーを持っている。ボトルの大小、カップ、ガロンボトルなど、どこへ行って、あります。AQUAのガロンボトルは空のボトルも高い、そのボトルを持っていかなければ、ボトル代を払わなければならない。そのボトルを持って行けば、AQUAの水の入ったアクアのボトルごと、買うことができる。他社のボトルを持っていってもAQUAをボトルの水はボトルの価格を足さないと買えません。そんな、信用がある飲み水です。
 偽物があります。AQUAのボトルにどこかの水道水を入れて、ラベルをまいて、巧みにシールをするのです。シールがしてあれば、疑う人はいません。巷で、売り出されている150Lや100Lの約半数は偽物という説もある。インドネシアですから、当然でしょう。

http://blogs.yahoo.co.jp/yanto20012001/folder/1174987.htmlヤント君のヤフーブログです。
せっかく、私たちを信頼していただいて、試作依頼をしてくれた、客先の若い担当者に迷惑をかけたくないという意識があって、この製品の試作品納期が一週間遅れていることに多きい責任を感じる。

http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage109.html  パランカラヤ カリマンタン 中南部の旅行記
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage110.html  パランカラヤ カリマンタン 中南部の写真集
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage108.html シンガポールへビザを取りに行った時の旅行記
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage111.html  シンガポールへビザを取りに行った時の写真集です。
 母親の七五三の時のドレスを着た。姉妹仲好くね。

 今日は、早く帰って、ゆっくりバスタブに浸かる。といっても、23:00ごろか。明日は、朝から、ゴルフで、昼過ぎから、新しく買った住処への一部引っ越し、全面引っ越しは、18日を予定している。こちらは、大安や友引や仏滅が無いので、いつでも、都合のいい日が大吉日です。
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頑張らない

2010-04-11 20:41:09 | 試練
トライ結果の製品を出したいが、まだ、公表しない。量産になったら出そうと思う。今日のところは一休み、メンバーが三人になってしまったので、今日のゴルフはやらないわけにはいかなかった。しかし、仲間の二人には失礼だったが、全然ゴルフにしゅうちゅうしていなかった。インドネシア語のムラムンで、ゴルフをしながらゴルフ以外のことをずっと考えていた。仕事、会社、技術、従業員のこと。

 風邪をひいて四日目になります。豚でも鳥でもありません。並みの風邪です。鼻の奥が乾いたなと意識した時、もう、風を引いてしまったと認めるしかありません。原因は、冷房と外との寒暖の差だということは分かっている。しかし、このインドネシアの状況からは避けられない。室内では防寒対策をとって、防護するしかないこともわかっている。
 かかってしまってから、用心しても仕方が無い、薬を飲んでもしかたがない。ただ、経過を通りすぎるまで、耐えるしかない。状況が進んでというか、経過して、今日は、鼻水が止まらない。ゴルフもティッシュペーパーを欠かせなかった。鼻の頭と下が赤くなってピリピリしている。明日中には、鼻水が止まって、鼻くそが緑色に塊だし、三日後くらいに、痰が塊だす。それで、終わりです。鼻の奥が、乾いてから、約、10日で、風邪にかかったことを意識しなくなります。

 今回は、毎日、長時間、立った状態で、試作の仕事をしていた。試作の経過が思わしくなく、熱も38℃で、厳しい状態だった。熱は平熱に戻っているので、月曜日の夕方前には客先へ行ける状態になるでしょう。
 
 間もなく、この状態から、解放されるように、行動する。頑張りはしない、努力もしないのが、主義だ。その必要はないからだ。
 写真は昨日の夢の一部。
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頭がパニくり

2010-04-10 18:49:06 | 行きすぎ
 朝08:00金型屋へ金型を持ち込み、金型の修正をし、17:00に受け取りに行って、18:30再トライ開始、今も、トライ中、明日も出勤になりそう。なんとか、明日中には完成させないと、客先に申し訳ない。インドネシアでこの歳になって、こんな難しいことに直面するとは予測していなかった。私の頭はパニックになりそう。疲れているが、緊張しているので、動きには影響していない。パニック障害とは無関係なので、薬を飲んではいない。これから、後、二三時間はトライを続ける。
 客先や金型屋に自分で運転して一日三回以上外出している。朝の通勤時間や夕方の退社時間にバイクと勝負しながらの運転だが、運転に対しては何の緊張もないと思っている。事実、ぼんやり考え事をしながら運転している時の方が多い。
 
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
援助する会社、始まる会社PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの仮ウェブサイトです。
otak-otak@nanbu.co.idが、新しい私のメールアドレスです。
otak-otak@makuta.co.idは使えなくしました。

会社の従業員の食事について、観察する。何社かのキャンティーン(食堂)の様子をしているが、大体の会社は、丸い弁当箱食事である。不思議に四角い弁当箱は稀である。その中身は、鳥のから揚げや豆腐のフライや野菜のてんぷら、スープも付いている。味は私にしてみると、ただ、ひたすら、辛い。私も、従業員と一緒に食事をします。日本人こういう人は他にいないと思う。それだけ、味が日本人になじまないし、何よりも、食べ物や食器類やさじやフォークが汚い、不潔と感じているからだと思う。それを皆さんと一緒に食べ続ける勇気のある人はいないのだと思う。
今の会社の、昼食は、業者が会社の食堂へ料理済みの食べ物をまとめて持ってきて、金属の薄っぺらな皿に盛ってくれてある。その皿を各自取って、スープ、果物、クルプックを好みで追加し、大きなプラスチックの深い容器に入っているご飯を中に入っている杓文字で、好きなだけ、掬い取って、自分の皿に盛る。その中は上から手を入れて、杓文字を取るので、上から、各自の汚れや埃が入る。杓文字を取るときに、人の手がご飯に触れる。スプーンやフォークはプラスチックの箱に濡れたまま置いてある。そこから摘まみ取って使うのだが、一応、ティッシュが置かれているので、それで拭いてから使う。洗う水は、飲んではいけない水道の水である。それでも、みなさん、構わないと思っているようで、文句が無い。私も、それに付きあっているのだが、私は、この状況を改善して上げたいと望んでいるが、他の日本人は、絶対に付き合えないでしょう。そして、それを見ないし、改善して上げたいとも思わないでしょう。

 お口直しの娘と孫、日本での短期留学入園の保育園で、と今年大学院進学した息子。

http://blogs.yahoo.co.jp/yanto20012001/folder/1174987.html自慢の息子ヤント君のヤフーブログです。
昨日、真夜中、12時ころ、帰宅途中の高速道路が自然渋滞に練っていたので、眠気さましで、ドイツへ電話をした。5才の孫が電話を話さず、日本語で自分の名前が書けるとか、妹の名前も書けるとか、挙句に、日本語の歌を覚えたから聞いてと言って電話の向こうで、歌いだした。雛祭りとか富士山である。私も、一緒に歌った。電話で、孫と合唱して、かなり気分を良くした。
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消費税?還付

2010-04-09 22:09:28 | インドネシア
 私には関係ない話。
付加価値税(VAT)還付制度がジャカルタとバリでスタート。対象者は滞在期間が二カ月以内で、外国のパスポートを持つ個人。還付には、対象店一店で一回の買い物の合計額が、税抜きで五百万ルピア(約5万円)以上であることが条件となる。商品購入の際、店舗でパスポートを提示し、『税支払い証明書(ファクトル・パジャック)』を受け取る。10%還付される。免税品や飲食品、たばこ、機内持ち込み禁止されている銃や爆発物などは税還付の適応外となる。出国前の一カ月間の買い物に有効で、船便や輸送サービスなど機内持ち込み以外の輸送手段を用いる場合も対象外となる。

申請は国際空港で申請者はスカルノハッタ空港かングラライ空港から出国する際に、空港内に設置されたVAT還付カウンターで、原則的にはチェックイン前に申請を行う。店から受け取った税支払い証明書とパスポート、また機内に預ける対象商品を提示する。還付は現金で行われるが、還付額が五百万ルピア以上になった場合、申請者は申請用紙に振り込み先の銀行や希望する通貨などの必要事項を記載し、一カ月以内に還付されるとしている。ングラライ空港では出国検査後にもカウンターが設置されている。
払い戻しを請求できる人
・インドネシア人以外の観光客
・滞在が2カ月以内の人
・ジャカルタ、バリの国際空港から空路で出国する人
・航空会社乗務員でない人
・申請を1カ月以内に行うこと

買い物の仕方
・「VAT REFUND FOR TOURISTS」のロゴがある店で買い物
・1日1店舗での支払いが、税抜きで500万ルピア以上になった場合、税支払い証明書(ファクトゥル・パジャック)が発行される

 試作の結果がおもわしくなく、頭を抱えている。打つ手が少なくなってきた。今夜は、徹夜になりそう。だから、
今日のブログは手抜きである。ジャカルタ新聞から、写した。ごめんなさい。

何という食物でしょうか、スイトンのようですが具沢山、ぱさぱさのお米を餅のように練って、ちぎったようなものがたくさん入っている。おいしい。六千Rp(60円)。
高速道路の拡幅工事?のための橋賭けの準備、まったく、無防備の状態で、高速道路の脇で工事をしている。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
援助する会社、始まる会社PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの仮ウェブサイトです。
otak-otak@nanbu.co.idが、新しい私のメールアドレスです。
otak-otak@makuta.co.idは使えなくしました。
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納期切迫

2010-04-07 18:20:13 | 喜び
盛んに遅くまでトライをしている。私がカリマンタンへ行っている間も、彼らはトライをしていた。休日出勤で試作を続けていたのです。彼らの熱心さには脱帽である。私が、25~40歳くらいの時に近い。朝までやってそのまま、次の日も仕事を続けている、私が、強制しているわけではない。ただ、最初に試作品の納期を言ってあるだけである。
この新製品の難しさは、分かっていた。というより、私もまだ経験が無い形状だった。原料はPPランダムである。四アイテム、一遍にそろえなければならない、四アイテムを組み合わせて、一つの製品に組立てるのです。いずれの形も、難しい。
その上、Goがかかるのが遅かった。二か月しか納期を貰えなかった。もっと早く、ゴーを出してもらえれば、余裕があったのに、ぎりぎり二か月、通常は一アイテム二ヶ月である。その納期なら、インドネシア人技術者も残業をしなくても対応できたでしょうが、その四倍の仕事をしなければならなかった。
一型、トライし、修正に出したり、自分たちで修正をする。その間に次の製品のトライをする。また修正をする。四アイテムを次々とトライと修正を繰り返す。
納期は4月7日である。昨日、二アイテム目が形になった。現在、三アイテム目とトライをしている。間もなむ、出来るはずである。その後、四アイテム目の最終トライに入る。おそらく、12時を回るでしょう。明日の10時ころに、客先の担当者が、製品の確認に来る予定になっている。7日の夕方から8日の朝までに組み立てて恰好をつけ、8日にエアーで日本にサンプルを出荷する。ぎりぎりの日程である。だから、どうしても、明日の朝までに全てを完成させなければならない。私の教え子たちはやってくれると確信している。私も、何時頃までになるか分からないが、付き合うことになりそうである。
 しばらく飲んでいなかったパニック障害の薬を飲んだ.
otak-otak@nanbu.co.idが、新しいメールアドレスです。
猿の空中ジャンプと焼きトーモロコシを売っている少女。
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インドネシアの押出

2010-04-06 19:11:48 | インドネシア
 カリマンタンに行っているうちに入ったニュースでした。4月1日に公表されていることです。エイプリルフールではありませんでした。ちょっと興味深いニュースが舞い込んだ。神奈川のF電工が会社更生法を申請した。もともと、F社長と銀行側との意見が合わず、銀行に乗っ取られた形になった元社長が、権限を行使した形で、会社更生の申請をしたのでしょう。現社長は多分、知らなかったことだと思う。
  何年も前から経営状態は下降線をたどっていたところへ銀行が経営改善に乗り出し、創始者家族は阻害されて、名ばかりの社長をしていたが、それも、解任された。それ以前にも或る会社に資本の譲渡を打診していた。
 私は、その中の、インドネシアの子会社に入ったのでしたが、内状を見て、これは、直ぐだめになる会社だと直感した。それ以後、私は、新しい客先開拓はやめた。責任を持てないと感じたからです。ある人に、PT,Aについて、買収を含めて、相談したことがあった。F電工の専務さんたちにも、買収の仲介をする旨、持ちかけたことがあった。本社は間違いなく立ち行かなくなることは予想していたし、何も、足を引っ張らなくても、自分からこけることも分かっていた。ある人も、「太田君、そんなに急がなくてもいいでしょう、それほど、持たないよ」と言っていた。考えは、同じだった。
 
インドネシアの押出はここへきて、様子が変わるでしょう。PT.Kから、私が作った装置をそっくり持って行って、仕事をしている会社の社長さんは、まもなく、其の会社にいられなくなるでしょう。本人が、それを察知して、会社の資産を自分の持ち物として、どこかへ移してしまって、隠してしまわないように願いたいものです。車も何台か、家も、家の調度品も全て、会社の資産です。電話もコンピュターも自分で払ったものはありません。

買収しようという会社はいち早く、手を打って、会社の資産の保全をしなければなりません。従業員から、かなり、恨みをかっている人ですから、また、自分の懐に入れ込むだけ入れて、給料の支払いもできない可能性があるので、従業員から、使えるものも、使えなくされるとか、会社を占拠されるとか、険悪な状態になりかねないことも予測しなければなりません。
 もしそんなことになれば、たちまち困るのが、客先です。私のところでも、今すぐ、全部、引き受けるということはできませんから。そうなれば、従業員を説得できるのは私しかいないことを付け加えておきます。

 もし、どこかの会社は買ったとしても、その会社から次々と、仕事をはぎ取ることになるでしょう。これは、私の意志ではなく、お客さんの意志に寄ります。

 中部カリマンタンの水の色、赤い。ベベックゴレン(アヒルの唐揚げ)です。
otak-otak@nanbu.co.idが、新しいメールアドレスです。
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カリマンタン

2010-04-05 20:11:27 | 旅行
昨日の私の夕食は旅先でいつものように食べている、道端テントのpecer rereから戻って家にいる。午前中は、まだ、カリマンタンにいた。空港へ入る前、午前中は、二か所の自然動物公園に連れて行ってもらった。どちらも、今一今二でワニを見たりオランウタンを見たりしたが、環境の保存が全く、継続していなくて、荒れ放題、ゴミの捨て放題、いかにも、インドネシアの田舎の自然公園である。その中にひときわ目立つ環境省の建物があるが、そこに人がいて、自然環境について、ないか、手を打っている様子が感じられない。こんなところにいる動物たちは可哀そうである。オランウタンの保護状態もなっていないと思う。大きな檻に集団で閉じ込められている。自然の中で放し飼いというには程遠い。そこの、係り員の数は、はるかにオランウタンの数より多い。彼らは、手持無沙汰で、なにもしていない。
 ジャカルタ近郊のタマンサファリやラグナンの動物たちの方が、数段恵まれている。カリカンタン(Kaliとは川、Mantanはマウンテンからきている)というくらいだから、水と山の土地である。未開のジャングルに覆われたそこかしこはオランウタン等の動物にとっては、天国である。捕まえて、保護しようとするのは、人間のエゴである。自然保護地区があるのだから、それを拡張し、放したらいいと思う。悪いやつはいるものだから、それら人間からをショッタウトする人間を増やせばいい。インドネシアだから、その、レンジャーみたいな人が、手引きをして、動物を捕まえさせる可能性があるので、二重三重の警戒は必要だと思う。
 とにかく、自然保護の精神というか、必要性をインドネシアの多くの人たちは、感じていないように思う。

 出来れば、乾季また、行ってみたいとおもう。
 ナマズの唐揚げ(ペチェルレレ)とバクソと言って、色々な肉をすりつぶして団子にしたもの。サンバルを着けて食べるのが、一般的。
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ジャングルクルーズ

2010-04-04 21:42:39 | 旅行

 まだ、雨季は終わっていない、朝からカミナリがなる大雨、いかにも、熱帯雨林湿地帯という雰囲気。ジャングルをうねって流れる川のクルーズを楽しんだ。しかし、国立自然公園に指定されている。地元の大学が管理していて、その許可を取らないとジャングルへは入れないことを船の持ち主から知られた。雨が降る中、大学まで行って許可を取ろうとしたが、そこの責任者がいない、研究者もいない。どうしようもないので、一旦、町中のホテルへ戻った。昼過ぎに雨がやんだので、再び、大学まで行ってみた。今度は、研究員がいて、私が行けば上陸できるから、私についてくるような形にしましょうと、案内を名乗り出てくれた。早速、朝行った船着き場まで行って、朝、許可が必要だと言った、船の持ち主と小さなボートで国立公園まで行った。途中は、湖の様で、そうでもない、川の水かさが増して、一帯が水の下になっているという、水の下にトロッコの線路があって、乾季には其のトロッコを使って、荷物や人をジャングルの入り口まで運ぶという。なるほど、上陸できる場所へ到着すると道ではなく、桟橋でもなく、線路が水からあげってきた処に船を着けるのです。そこから、線路の真ん中に板を敷いてあり、其の板の上を歩いて奥へ入る。800m位歩くと線路も終わっていた。その向こうは水に中に道らしいものがあり、木は払われていた。水の中を進めばもっと奥へ行けるが、そこまでで、引き返した。結局、何もなかった、何にも出会わなかった。
 時期が、間違っていたのです。雨季にはほとんどが水の下、歩く処もない。もっと奥地へ行けば水の上になるが、線路が無くなったあたりから見ても、水から出た道はない。入口のノッティンガム大学の研究所付近にあるこのあたりの地図を見ると、今、船で渡ってきた湖の底に大部分の道があった。遊歩道は乾季の川に沿ってある。それが、今は湖の底ということらしい。3月4月はこんな状態で、8月9月が一番水が少ない、というより、水不足になるのだそうで、その時期に、ジャングルの動物たちが、人里というか水辺にやってくるそうです。鳥も食虫植物もその水辺で見ることができるし、オランウタンや各種蛇、豹にも頻繁に会えるとか、案内してくれた研究員から、今年の9月に待ってますと言われてしまった。
 水が、赤い。真っ赤かである。乾季は水が無くなり、地べたは真っ黒になるそうです。不思議というか、不気味な色です。血の様なコカコーラの様な色です。味が塩辛いそうです。
ここから、海までは250km位ある。しかし、パランカラヤの地面は珊瑚の砂で出来上がっている。インドネシア語でパシールプティである。そして、道を歩けば其の砂が足の裏に着く、家に入る時に、どうしても、其の砂を持ち込んでしまう。

土曜の夜(マラームミングー)は、いつまでも賑やか、中心地の広い歩道にオープンテラスのカフェが突然現れる。大容量のスピーカーでガンガン、ディスコミュージックを流す。うるさくて仕方が無い、其の歩道のオープンテラスは真っ暗、目が慣れてくると、カップルが車道の方に向いて、並んで座って、何かをしている。食事をしているような、飲み物を飲んでいるような、話をしているような、肩を抱き合っているような、もっと、ギュッと抱き合っているような様子が、暗い中に浮かび上がってくる。皆でやれば怖くないという、そういう場所のようでした。イスラムでしょと、言いたい。
其の直ぐそばのキリスト教会(グレジャ)では、昇天祭から復活祭にかけての土曜の夜のお祈りをしているのでしょう。教会の外まで椅子を敷き詰めて、多くの人が集まっていた。これほど極端な情景をここではじめて見た。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
援助する会社、始まる会社PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの仮ウェブサイトです。
パスポートにマルチリエントリーパーミットを貰った。有効が一年になっていた。以前は半年だった。どちらが、延長を忘れる確率が高いのでしょうか。ヴィザと同じで一年というのは助かる。料金は二回分架かっていると思う。ブクビルも届いた。初めての報酬も入ったようです。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%204.html
インドネシアで知っていて、お得な情報です。予期せぬトラブルに巻き込まれないように、こんな知識が必要です。
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再び旅先から

2010-04-03 18:40:09 | インドネシア
ジャカルタタイムと同じ時間です。Palangkaraya(パランカラヤ)という町、KalimantanのBanjarmasinの西、200kmに位置する。この町の名前を聞いたことがある人は非常に少ないと思うし、場所を知っている人は日本人では殆どゼロだと思う。インドネシア人にクイズで島の名前を問題にしても、殆ど正解する人はいないともう。それはど、紹介されていない。何故行ってみたくなったかというと、なんとなくと言うしかない。いつも、航空券をお願いしている旅行社へ行って、三連休に行く先を決める。旅行社の人より私の方が、インドネシアの各地のことは良く知っているので、地図を見ながら、ここにしようと決めて、その場で、直行便がある航空会社を探してもらい、時間と値段で一番気に入った飛行機を選ぶことにしている。
こちらのメディアで紹介されている観光地やリゾート地には行ってしまったので、分けのからない、中小都市で一応ジャカルタカから飛行機で行けるところへ行ってみるしかない。行ってから、空港で、その土地の人に聞いて、どんなところがいいか確認し、行く手段や泊る場所を決める。それが、今回は、パランカラヤになっただけのことです。
 ないかは予想がつかないが、必ず、なにかがある。そして、そのことを書くことができる。全く何もないということはない。
 この町は海から250kmほど離れているが、水の町である。Kahayan川が蛇行しているし、その支流が縦横無尽に流れている。その両岸に家が並んでいる。川岸生活者というのでしょうか、家が川に浮いている。その家の前(川に向かった方向)に筏を組んで、その下で、魚を養殖している。どうも、女の子や奥さんが魚にえさを与える係りになっているようで、坐りこんで、筏の中へ餌をばら撒いている風景が多くみられた。男は、どうしているかというと、其の近所で、魚釣りをしている。
 今日のところは、この町は何があって人が大勢住んでいるのか、まだ、分かっていないが、第一印象は、人々が穏健だということでした。まず、空港の雰囲気が客取り争うが全くなく、珍しいと感じた。今までのどこの空港も、タクシーの運転手がしつこく、付きまとってくるし、中には、無理やり、荷物をとり上げようとすることも、珍しくない、彼らが喧嘩を始めてしまう事もあった。しかし、ここはタクシーの申込所の指示に従って順番に客を貰うことになっている。料金は、その申込所に払うだけで、本人は全く、チップを要求しなかった。また、明日の予約をしたが、料金がどこからどこまではいくらと決まっているらしく、決して、意外な高さを要求されない。
 Kahayan川の川上り川下りを、小さなボートを借りて、カハヤン橋を中央に二時間ほど、した。料金は最初30分ほどで、6万Rpと言われた、安い。2時間ほどでは幾らかと聞いたら、10万Rpだという。両岸の写真を十分撮ることができたので、15万Rp渡した。

 私が泊ったホテルの名前はAquarius Boutique Hotelで55万Rp、街の中心地で、一番高い、新しい四つ星ホテルです。ここで、夕食、ソプブントゥットゥゴレンを食べた。オックステールスープだが、オックステールを揚げてある。
 カハヤン橋と夕焼け
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エイプリルフール

2010-04-02 20:36:03 | 情報
エイプリルフールに歯医者へ行って差し歯を入れた。前の上の歯三本でした。二か月余り一週間に一度通って、一応、完全に偽の歯の取り付けが終わった。当分、歯医者へは行く必要がなくなった。
 海外健傷害保険の加入証書も受け取った。また、車の保険加入書も確認した。これらも、かなり前から条件としてお願いしてあって、なかなか、すすまなく、自分で見積もりを取って、催促したやっと、加入してもらった。これらも、自分でやるなら、インドネシアの海外健傷害保険に加入し、車の保険もさっさと入っていたはずです。実に、遅い、日本人が対象のことでも、なかなか、やらないのだから、インドネシア人対象のことはもっと遅れている。
 歯医者は保険が効かないから、どうでもよかったが。

PT.NANBUの人間として一か月経過した。メールアドレスを
otak-otak@nanbu.co.id  に変更しました。makutaは使えなくしました。しかし、kota02@y6.dion.ne.jp は使えます。
 昨日は、EJIPの某プリンターメーカーの向かいの某車の部品メーカーを訪問した。私が手伝えそうな仕事がありそうでした。先方は、私のような仕事をしている会社を探していたようでした。まだ、輸入して使っている部品があるそうです。私の方の準備が整い次第、会社を見てもらうつもりです。また、JABABEKA1の奥の方の某ケーブルシステムメーカーや某ゴムの射出成形をしている会社からも、PT.NANBUの準備状況をチェックしたいという申しでがあった。明日から、三連休になるが、その間に、少しでも、現場の見栄えを良くするために、線引きや機械の塗装などをするつもりでいる。品質は勿論第一だが、人によって、見栄えを非常に重視し、見栄えが良ければ安心する人種が多いことも確かなので、形だけでも早く、着けたいと思う。そのために、生産もそうだが、ペンキ塗りもオーバータイムで行う。
P社向けの新アイテムの試作も続行する。もう期限は過ぎている。インドネシアの技術者に任せているが、彼らに、とにかく頑張ってもらいたい。
私のゴルフのように一回で遠くまでとはいかないが、一応、前には進んでいる。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
援助する会社、始まる会社PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの仮ウェブサイトです。
パスポートにマルチリエントリーパーミットを貰った。有効が一年になっていた。以前は半年だった。どちらが、延長を忘れる確率が高いのでしょうか。ヴィザと同じで一年というのは助かる。料金は二回分架かっていると思う。ブクビルも届いた。初めての報酬も入ったようです。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%204.html
インドネシアで知っていて、お得な情報です。予期せぬトラブルに巻き込まれないように、こんな知識が必要です。

ジャバベカゴルフのドライビングレンジとパットの練習場、
チチャックどこから落ちてきたのでしょうか、運転の目の前に一瞬つかまって、また、どこかへ行ってしまった。作り物ではありません、本物です。高速道路でを80kmで走行中でした。一瞬の写真です。
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遅いが急がない

2010-04-01 21:36:17 | 体験
 リッポチカランの日本食レストランで、また、送別会。この三月から四月にかけて、送別会、歓迎会が多いのは当然である。そして、付き合いが、比較的深くて、送別したくない方の送別会に出席するので、やかり、寂しい。今日の送別会も、旅を一緒にしたこともあるし、定期的に食事会をしていたし、仕事上でも、私の無理を聞いてくれた方だったので、かなり、寂しい。何かの折にまた会えると思うが、それでも、今後会う確率はゼロ近い。まだまだ、若いし、活動的なところは衰えていないようなので、今後の活躍を期待します。
 会社の方は一カ月過ぎた。何が軌道に乗ったかというと、何も乗っていないような気がする。ユニフォームがない、会社規則がない、時間を知らせる手段がない。何より、会社の看板が替えられていない。未だに、オリエンタル キョウーワである。一事が万事、全てが遅い、相手がいるのだから、なにもかも急がなければならないに、急いでいるどころか、普通より遅い。客先への挨拶回りもできない。インドネシア人スタッフもユニフォームがなければ挨拶に行けない。

 客先にはまだ準備ができていないので、挨拶は、もっと遅らせていただきたいとお願いしている。いつになったら、お客さんの要望をきくことができる状態になるのでしょうか。
 
新たな家の契約を終えた。いつでも、新しい家へ引っ越しができる状態になった。引っ越しは今月中旬の土日で済まそうと思っているが、どうなることか。マリアさんに、ほとんど、任せることになる。新しく必要とする、家具や道具は何もないので、新居にはお金がかからない予定である。
下の子は条件反射で、カメラを向けると、指をだす。こちらを見ていないが、横の方からカメラが向けられているのを感じているのです。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
援助する会社、始まる会社PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの仮ウェブサイトです。
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インドネシアで知っていて、お得な情報です。予期せぬトラブルに巻き込まれないように、こんな知識が必要です。
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