3103 涙もなければ、抱擁もなし、またいつか会いましょうねと、握手だけでした。あっさりした別れの最終日でした。
昨日、すっぽかした社長さん(EJIPのゴムロール屋さん)と、18時に、久しぶりの、リッポチカランのシンガラジャの日本食レストランで食事を始めた。まず、昨日のお詫びからの会話だった。
シンガラジャ、何か月ぶりだったでしょうか、日本と韓国文字だらけになっていた。レストランが増えていた。日曜の夕方だが、駐車している車も一杯だった。数か月前も、こんなにレストランが増えてやって行けるのかなと思ったが、多分、今は、半年前の二倍、こんな狭い場所に、日本食レストランだけで、10軒はありそうだ。
キンタマニと武士道しかなかった20年前と比べて、ブロックMより、はるかに日本食レストランが多くなったリッポチカランだ。
その方、ゴルフのカートでよく一緒になる人で、良くしゃべる。左目が曇って見えるという症状で、いろいろな病院へ行った、日本に帰って、日本の病院でもチェックした。病名を聞いたが忘れた。その辺りの毛細血管が切れて、血がにじみ出て、それが邪魔をして、霞がかかったようになってしまったという。その治療方法についても、話をしてくれて、結局、一種間程前に、注射をインドネシアの目の専門病院Klinik Mata Nusantara(KMN)でしてもらったという。その後は、改善されてきているような気がするが、はっきり、効果が出ているとは言いけれない。症状が悪くなってはいないという。もう、二回、打つそうだ。それで、改善されなければ、レーザー治療をする、その効果もなければ、zty術をするそうだ。どうも、最初から手術をしてしまえばいいじゃないかという、気にはなないらしい。恐いらしい。奥さんには、もう、歳なんだから、片目が見えなくなったって、生活に問題はないでしょ、早く手術してしまいなさいよと、言われたという。
海外生活、16年だそうだ。50歳でフィリッピンに行ったのが最初で、中国、そして、インドネシアだそうだ。フィリッピンが良かったという、何が良かったのか、ダイビングが手軽にできる場所だったからだそうで、毎週末、潜りに行っていたそうだ。見かけによらない趣味を持っていたのにはちょっとびっくりした。道具を一そろいン、インドネシアにも持ってきてあるが、インドネシアでは、ダイビングスポットが遠いので、一度も使っていないという。ウエットスーツは、もう、使えなくなっているかもしれないという。
よく話を聞いた。2時間半、また、お会いましょう、私は、まだ、2年ほどはインドネシアですから、戻ったら声をかけてくださいということで、お別れをした。従業員1000人ほどの会社の、今年、5億円投資をした会社の社長さん、頭を抱えることも多いでしょうが、息抜きをしながら、気軽に経営をしてください。4月末の火事で、この会社も大きな影響があった。今は、その反動で、メチャクチャ忙しいそうだ。
負担 目の病 リッポチカラン
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