1936 この前の話し合いの中で、経営と技術は、別の話で、技術は出来るもの全てを、無償ででも、提供するが、利益が上がるか上がらないかは、私としては、責任を取れない。技術提供と経営は別の問題。資金の流れや管理部門の事は、技術とは違う。ということを話した。技術以外の事で、どうしますかと尋ねられれば、こうした方がいいと答えるが、そのようにして後の結果については、無関係だと思う。私が実施するのではないから、タイミングや微妙に方法の違いや人の能力など、私の意見の他に、他の要素の方が大きいかもしれない。私の管理下にない人にお願いする事柄なので、その人たちにすれば、余計な仕事をしなければならいので、積極的に優先的にやろうなどとは、全く思わない。権利がない場所に責任もない。そして、権利も義務も経営者の立場としては欲しいと思わないし、私には向いていないと思う。
リッポチカランのシティヲークの駐車場で、サクラ祭り、以来、テントの設置が続いていて、何かの催しが続いていた。私にとって、都合が悪いことに、駐車場に車を止められない。周辺も路上駐車をしている車で一杯だし、駐車場に止めるなら、離れた場所しかない。毎日、その前を通るから、買い物に寄りたいが、なかなか、出来ないでいた。今日になって、駐車場を占領していたテントがやっと、除かれたので、会社の帰り、ファーマーズマートに寄ってみた。生野菜類を主に仕入れた。
警察官がパワハラを受けたことが理由で拳銃自殺を図った。可哀そうに思う。その人は犠牲者であって、何も、その場の事では、誰にも迷惑を掛けていないし、周囲の人も、彼の恩恵は受けていたと思う。ただただ、上司という立場にいた人から、パワハラを受けてしまっていた。パワハラをしていた人に私は、怒りを覚える。
私は、多分、この自殺した人より、酷い、パワハラを受けていたと思う。気がくるっているとしか思えないような仕打ちを受けた。言っていることが、ことごとく、自分たちの無知をさらけ出しているようなものだった。それでも、私は耐えた。インドネシアの会社の中の日本人二人(本社から派遣されていた、現地社長とマネージャー)からでした。相当な、思い込みと誤解を根拠に私をアドバイザーというポジションから外し、私が作り上げて量産になっている仕事にもイチャモンをつけて、その仕事を止めさせた。二十人以上の部下がいたが、押出部門ごと、そのマネージャーが、管理することにしてしまった。私はインドネシアにいて、相当な仕事やってきたと思っていたし、これからも、かなり期待される存在だと思っていて、彼等の能力は、全ての点で、私より、劣っていると思っていた。押出しの仕事など手も足も出ない。実際そうだった。勿論、そういうことは、外には、全く出していなかった。しかし、徹底的に、苛めにあった。
事務所で社長の前で、大声で、怒鳴られもした。インドネシア人スタッフがびっくりしていた。全く、身に覚えのない事だったので、別室に移ってもらって、心当たりは無い事を説明したが、通訳兼秘書の女性の告げ口を信じてしまっていて、どうにも、ならなかった。私にしてみれば、その秘書の日本語が、間違いが多く、よくこんな秘書を使って、間違った情報をうのみにしている、変じゃないのと、思ってはいたが、まさか、自分に被害が及ぶとは思っていなかった。また、在庫をドルとルピアを間違えて、半年も、こんな多額の不良在庫を抱えてしまって、どうするつもりだ、と、怒鳴られた。常識で考えれば分かりそうなものを、5万Rpを5万ドルと、思い込んでしまって、私の失敗を発見したと、小躍りしたのでしょう。私を呼びつけて、帳簿を指でさしながら、どうしてくれるんだ、というわけだ。500円と500万円の違いだ。呆れてしまい、よく見てくださいよ、単位が違いますよ、と言ってやったが、どうも、自分の失敗に気がつかないらしい。そして、その500円の品物が何かも見てりない。しばらくして、もう一度、よく調べてみる、ということだった。その事は、それっきりで、謝りもしない。とんでもない人に会ってしまったと思った。
営業の専門家という触れ込みで来たらしいが、全く営業らしい行動は無し、舞い込んだ新規の話も樹脂すらできない。その人が、私に、いきなり、私と一緒に仕事をしましょうと、のたまった。この人は私と一緒になど仕事は出来ないはずなのに、上から目線で、発する言葉ばかりだった。
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0063.html
そんなことが、主な原因だったと思うが、ついにパニック障害(当時は、この病気についての知識が無かったので、何か、とんでもない奇妙な病気に掛かってしまったと思っていた)になってしまった。
ただし、自殺などしようとは全く思わなかった。まだまだ、やることは一杯あったし、多くの人から期待されていると思っていた。この、滅茶苦茶な環境から離れれば、また、皆さんの役に立つような仕事が出来ると思っていた。また、この人達が私にした事が、誤りだったと、思ってもらう時期が来ると思っていた。どうでしょうか、あれから8年近く過ぎている。その人たちは今どこでどうしているでしょうか。インドネシアの工場は見込みなしにしてしまって、閉鎖したが、その閉鎖の時間が掛かった事、相当、長期に渡って、会社に損失を与えたと思う。それも、私が、後始末の受け入れ先を紹介し、工場の売り先まで世話をした。1年半前に亡くなった、本社の当時の創業社長からは、感謝されたというのに、ご本人、それも、気に入らなかったと聞いている。どこまでも気の毒な人達だと思う。
パワハラに遭っている人に告ぐ、しばらく後で、徹底的に、攻撃を仕返しましょう。それまで、我慢をしましょう。逃げたり、自殺などしたりしては、やられっぱなしです。あなたの身内の人が気の毒です。必ず、やり返す時は来ます。立場から離れた時どうするか、どうやり返すかの準備をしましょう。負けないでほしい。苛めた人は、必ず、将来、惨めな気持ちになるでしょう。必ず、です。勝ち誇った気持ちが続くはずがない。反動は、必ず来ると思いなさい。子供の頃のいじめっ子が、将来、大成したという話はないと言っていい。同級会にも出にくい存在になってしまう。それと同じだ。
赤い実のドリアン、初めて知った。ジャワ島の東の端、バニュワンギ(バリ島との間のフェーリーはここから)パイなどのお菓子を作っているそうだ。行く機会があったら、探してみようと思う。
先行き 決めどき クスンパタン バイク
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