南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆あれから14年4

2012-05-18 22:59:00 | 変!

  1219  その年98年の11月にもジャカルタのキリスト教会が数か所同時に焼き討ちされたという事件がった。UNAS(ユニフェスタス ナショナル、パサールミング)日本文学科の学生数人と連れだって、大暴動の二日後に行った時には安全だったメガモール プルウィットでボーリングを楽しんでいた。
ボーリングを夢中になってやっていて、周囲の雰囲気が分からなかった。ふと気がつくと、今まで。ボーリングをしていた人たちが、妙に少なくなっている。変だと思った瞬間、入口のシャッターがガラガラと落とされた。同時に逃げろ!!という声が聞こえた。何が起きたか分からないが、靴を好感している余裕はない、直ぐに、シャッターと反対側にある非常口から非常階段を下りて。建物の一番東側に駐車場へ逃げた。建物の北西側から、投石が始まって、暴徒がなだれ込んでいるという。私たちが逃げて立っていたところからは。その様子は、まったくわからなかった。車は建物の反対側、西の駐車場に置いてあったので、車のことが、心配だった。百台以上はあったので、私の車は壊される確率は少ないとも思っていた。一時間ほど過ぎて鎮圧されたということになったらしい。皆さん、北側の出口へ向かっていった。私たちは南側を通って西の駐車場へ行ったら、なんと、百台い所あった車が全部なくなっていて、私の車一台がぽつんと取り残されていた。ミステリーである。無傷である。私がいの人たちは、いち早く、車で、逃げてしまっていたのです。とにかく、何事まなくてよかったが、靴はボーリングシューズのままだった。

ジャカルタ中心を通って帰ろうとして、南進した、しばらく行くと、前方に黒煙が上がっているのが見えた。そのまま、黒煙方面に向かってゆくと。警官が何人か道を塞いでいた。この先は行けないからUターンしなさいと言っている。この先にキリスト教会が纏まって三つあることを知っていた。教会が襲われているなと直感した。北方面戻り高速へ乗ってグロゴール経由でパサールミング(クニンガン)で高速を降りUNASへ向かって、学生を送った。無事でよかったと思う。その日の夕方のニュースで大きく取り上げられていた。まったくとんでもない場所にいたもんだと思った。

今でも、集団パニックや放火やリンチが無くなってはいない。アンボンのイスラム集団がキリスト集団への攻撃、タンゲランの山の中ではイスラム異教徒への攻撃、ボゴールでもグレジャ(キリスト教会)への攻撃、この間は、理由が何だったのだろうか、タンクバン プラフの入口料金ゲートがぶち壊された。パプアでは犠牲者が多く出ている、独立戦線の仕業か?ちょっとしたことで、投石が始まるし、鎌を振りかざして飛びかかる。
一つ不思議で面白いことがある。そういう事件のときに、必ず、TVカメラマンがいて、撮影していることです。
今回、レディガガ、(アジズガガではない)の講演を警察と観光省が、セクシー過ぎるという理由で、キャンセルさせたのも、イスラム急進派の行動を抑えられないとの判断だったと思う。一般市民は、残念がっている。払い戻しが始まった。
  
新しいWeb Siteです。まだ、完成していませんが、公開を始めます。旧ウェブサイトに手を加えることが、できなくなってしまいました。だから、旧ウェブサイトに新サイトをリンクできません。新サイトからは旧サイトにアクセスできます。大部分のデータは旧サイトにそのまま残されています。新サイトには、今後、書き込みを増やしてゆきます。お気に入りに、新旧両サイトを入れておいていただければ最良だと思います。
http://otaenplaext.net/newpage0.html
 右側が新しく追加した部分です。左側は今までのものです。Videoは本家では消えてしまっていますが、こちらにはあります。
Jalan Sudirman Jakartaを北上しながらのドライビング レンジとその反対側、スマンギ交差点の下に差し掛かったところ。
集団心理 パニック 連鎖

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