超高齢者ではないが、私の仕事以外でお付き合いをしていただいている方々は、当然ながら、私の年齢の前後で近い人が多い。自然にそうなるのでしょう。60~72歳くらい。皆さんの同年代の多くは、もう、仕事をしていない、しかし、私たちは、まだ、仕事をしている。お金を稼がなければならないという人は一人もいないが。日本へ帰れば、仕事をしなくても年金で十分生活できる。隠居しようと思えばいつでもできる。
日本へ帰れない事情や家族のもとに帰れない事情があるわけでもない。帰ろうと思えばいつでも帰ることができる。
しかし、なぜ、皆さん、外国、インドネシアで仕事をしているのでしょうか。共通点は、本人がまだ、隠居をしたくない、仕事をしていたいという気持ちが大きいことです。のんびりとした生活をするとボケが早くなって、悪くすれば、早死にしてしまうと思っている。のんびりする方が、ストレスが増すと思っている。
条件としては、何らかの技術を持っていてその技術を必要とされる場所があることです。もう一つは、元気で生活出来ていることです。皆さん、見かけは、当然、その年齢の人たちよりも若い。そして、動きも若い。明るく、溌剌としている。
様々な、経験をしているので、話のタネが尽きない。また、新しい情報を得る手段も知っているし、付き合いが広いので、ネタが増える。話題が無くなることはないし、年寄り特有の、同じ話を何度も繰り返すこともない。
そういう方々といると、基本的な考え方、価値観が近いからここら辺でうろうろしているわけで、その生き方、生活ぶりを見ていると、自分も負けていられないと思わされる。明らかに、わたしから影響を受けて、行動している人もいる。刺激し合っているのは、お互い様だと思う。
ところが、一つ残念なことは、皆さん元気といっても、カラ元気の処も多いにあるので、メンテナンスが必要、突然、インドネシアにいなくなってしまう人もいる。人間関係はお互いに期限がある。人の世の常である。“人生是離別“である。
ついこの間まで元気にしていた方が現在、2人日本へ帰ってしまって、病院で色々な検査をしているようです。何かあったから検査に帰っているのでしょうが、軽い、重大ではない症状で、早く、回復し、再び、インドネシアで会えることを楽しみにしている。日本へ帰っても、私のグログを時々チェックしていただいているようです。帰ってこいよ~~~!!!!
ソトクドゥス ブロックMを良く食べる。インドネシアからいなくなった時、インドネシアの食事でまた食べてみたくなるのはソトクドゥスと書いたことがある。それに必ず出される皿物がある。私は一度も食べたことが無い。というのは、得体に知れない肉やテンプラのようなものが半乾燥した状態になっている。何度も何度もだされ、食べの残されるわけだが、捨てて新しいものと交換している様子は全くない。食べられてしまうまで出し続けていると思う。食べただけ払うと言う皿である。ハエがそのうえで遊んでいる風景は良く見る。
安い おいしい 友人
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