1145 初の休日、曇天で超寒い、こんな日にゴルフをやったりしたら、我慢大会になってしまいそうだ。インドネシアにいれば確実にゴルフをしているのに、日本はつまらない。若い時なら、日帰りでも、富士山の麓辺りにでもスキーをしに行っているかもしれないが、仲間はいないし、この歳ではそんな気も起きない。孫も家の中で大騒ぎしていてうるさいが、自分の部屋を暖かくしてじっとしているしかない。
若い坊さんが私たち家族の焼香の仕方というか作法というか、それが気になったのでしょうか。若しかしたら、たまりかねたのでしょうか。一通りの御教供養が終わった後、御焼香の仕方についての講話を始めた。どうでもいいことだと思っているが僧侶にしてみれば作法通りにやってほしいのでしょう。私は最初に合掌して例をしてから、香をつまんでおでこに持って行き、火に掛ける、それを三回して、再び合掌して礼をしてお終い。その前後に親族に礼をする場合もある。今までこれが正式な方法だと信じていた。他人の方法を注意深く観察したことはないし、坊さんに聞いたことも、葬儀屋に聞いたこともなかったが、なんとなく、こういう方法をしていた。
曹洞宗では私の方法で正解ですが、僧侶の多くは御焼香の回数は一回半だとか、二回目はおでこに持っていかないで、只、横に移して落すだけだとか、それが正式だとか、ただし、人数が多い場合はアナウスで一回にしてほしいなどがある、それはそれでいいとか。
たかが焼香されど焼香、それぞれの宗派でも違うだろうし、仏教徒ではない人も来るだろうし、基本的には気持ちであり、感謝だと思う。話しは、それるが、そのために合掌をして礼拝が一つの自然な流れになるのが人の本能的動作だと思う。インドネシアのヒンドゥーもイスラムもその動作は自然です。これ等の宗教に共通する習慣が在る。それは日の出を拝むことです。それも合掌してである。宗教が現れる前に人間は拝んだのでしょう。神秘的なこと、神々しいもの、美しいものは人を感動させ、思わず祈りたくなるように出来ている。私も、日の出の写真を大切にしている。
拝礼 焼香 自由
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