南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆寄付贈与援助

2017-04-22 22:58:39 | 思うこと

 3016 韓国系の会社と付き合いがある。S―PVCチューブを納品している。ボゴールにあるワイヤーハーネスを作っている会社だ。その会社、経営者の韓国人、知っていたのかどうか、インドネシア人スタッフになかに、いわゆるフィーを要求するやつがいて、利益が30%くらいなのに20%を要求していて、私の前のダイレクターが、それを、プロモーション費として、支払っていた。見返りの本人も何パーセントか受け取っていた。私に代わってから、それは、きっぱり、やめにした。それで、仕事がなくなってもいいと思っていた。払っていれば、どうせ、やっていても、利益がないからだ。ところが、その後、ほかの会社に、一時 一部、生産を回していたが、品質的に無理があったようで、元に戻ったばかりではなく、冷蔵庫の関係の仕事が増え、こちらにも注文が増えている。

 

ところが、そのフィーを要求していた連中が、一年ほど前に、韓国人の社長に、私がお酒を渡したのを覚えていて、同じものを欲しいと言ってきた。それなら、安いし、会社からの出費ではないし、品物だし。OKした。今日、納品のついでに渡したようだ。私に感謝と言っていたという。イスラムもこんなものです。

 

ところで、アホックさんに対して、1年の禁錮が検察から求刑されたそうですね。

 

あの世へ財産を持って行けにという話、私は、40歳(会社を作って10年後)くらいの時に、そう確認している。土日も含めて一日平均16時間は仕事をしていた。税金は、当時の私にしてみれば、相当多額を納めていた。その使い方、配分は気にいらなかった。そこで、とにかく、利益を少なくするように手を打った。従業員への配分をできるだけ多くした。会社負担で何かと皆さんに補助も出した。それでも、高額納税を続けた。それが、たまらなく、嫌だった。

仕事をしている時間16時間のうち、10時間分の利益を納税していた。ばかばかしいと思った。そして、そのころ、従業員に10年後に会社を辞めると宣言した。そして、その通り、社長を50歳で辞めた。そして、3年後にインドネシアに来た。当時、毎月100万円の使い道を任せられた(当時も今も、日本人一人に平均、月100万円かかるといわれていたし、言われている)。それを、私は、機械を買ったり、原料を買ったりして、技術指導の資金にした。当時から、家はルマーアバンの田舎に住み、車は自分で買い、運転手は使わず、できるだけ、技術指導、従業員の生活援助や日本語学校費用、また、皆さんと食事やボーリングやアイススケートなど体験、卓球台を寄付したり、工場の裏にバドミントンコートを作ったり、社内のバレーた卓球、チャトルなどの競技会も主催していた。お金を貯めるどころか、自分は節約し、皆さんのために使った。

 

当時の一緒にいた日本人は、社長を含めて、それが、私に対してPHをする理由になった。その後も、会社が変わっても、やはり、その会社の経営を任せられている人からは、追い出された。それでも、お金を持っていても仕方がないし、余分なお金を受けとっても仕方がないから、日本への留学生の保証人になり、資金を提供し、数人の日本での授業料や生活資金の援助もした。20年で、受け取らなかったお金と、使ったお金を合われれば、数億円になっていると思う。今でも、給料は8万円くらい、電気代や電話代は自己負担、車(納品にも使う)は貸してもらっているが運転手はいない、お手伝いさんもいない。お金を貯める必要はない、旅は自己資金、ゴルフは会員費用もプレー費も自己負担、これで、十分の生活をしているし、お客さんへの手伝いもできているし、若い従業員への技術指導もやっている。

 

どうですか、貯めようと思えば、おそらく、10億円以上貯めることができたと思う。しかし、貯めてしまってから、あの世に持っていけないからと言って、配分を始める、与えることを始める、では、ニュースになるかもしれないが、気が付くのが遅い。そんなに、貯めないで、何十年も前から、寄付や贈与や提供をしたら、もっと、よかったと思う。金額の多少ではない、気持ちだ。

 

ブリトゥン、天国でしょ。

明日は、別の天国パンガンダランだ。

寄付 贈与 援助


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