1873 久しぶりの晴天で、朝、思い切って、ベッドのシーツや枕、掛け布団などを庭に広げて置いた。帰るまでに、雨が降ってしまえば、どうしようもなくなるが、一種の賭けだ。あまりに湿っているので気持ちが悪い状態だった。結果、十分乾燥することができた。やれやれ!!
ふと、思いだした事を書いてみる。48歳の4月末近くのこと。頼まれ仲人を二口引き受けていて、結納の儀式も済ませた一週間後、お腹が痛いのが三日ほど続いた。腹痛は一日二日で直ってしまっていたのが、その時は、ちょっと、変だぞと思って、病院へ行った。直ぐに胃カメラを呑んで、モニターを眺めながら、何かありましね、胃潰瘍ですね。1cmくらいの直径の白い部分を確認した。周りから五つサンプリングをした。「一週間後に来てください、悪性腫瘍か良性かをチェックします」五月の連休になった。妻と休みが合わなくて、一人旅が普通だった。
車で静岡インターへ向かい、西か東か、東にした。ずっと走って、青森は下北半島について、六ヶ所村を通って恐山についた。変な所へ来てしまったなと思う。大間町を通って、薬研温泉に泊まった。それまでは、眠くなった場所のサービスエリアか道端で寝ていた。この旅は、四国お遍路のように弘法さんの様な人と一緒だった。もしかしたら、悪性で転移してしまっているかもしれない、そうでなくても、胃を切ってしまわなければならないかもしれない、美味しいものをお腹いっぱい食べられるのは、最後になるかもしれないと思って、大間のマグロオオトロやマツタケをたらふく食べて、温泉に浸かった。仏が浦近くの道路で、速度違反で捕まった。東北弁の警察官、良い旅を、と、言って、見逃してくれた。ついでに、津軽半島の先端、竜飛岬、青函トンネルまで行ってきた。階段国道も歩いた。
5日に戻って、6日の病院へ行った。結果は一つが悪性だった。「切りますか、様子を見ますか」と問われた。即座に「切ります」と答えた。「では、今晩から入院してください、体調をチェックして、直ぐに切りましょう」という、直ぐ、入院し、翌日、体調良好、手術の問題なしで、二日後8日の朝、麻酔の注射をして、もうろうとなって,担架に移され、手術室へ入った。手術台に移され、「深呼吸をしてください」と言われ、深呼吸をしようとした途端に、マスクをあてがわれ、無の世界に入った。
気が付いたのは、集中治療、麻酔が切れて、痛くて目が覚めたようだ、時間は分からないが、看護婦の会話から夕方5時ごろだった。隣に私の後に手術をしたというおばあちゃんが寝ていた、鼾が、強烈だった。「痛いから、なんとかして」と、頼んだら、座薬を入れてくれた。続く。
http://www.wakuwakujapan.tv/ja/time/page/201403.html 168チャンベルテレビ番組表です。
Stasiun Tawang Semarangスマランの列車の駅の名前はタワンです。トイレはあんなでしたが、駅の外観と正面ホールはオランダ時代そのままの洒落たスタイルをしている。この近くにタンジュンマス、トゥルボヨ、チャンディなど工業団地があり、日系企業も多くある。
胃癌 手術 潰瘍
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