2252 二つほっとする事があった。先ず、車の免許証、昨年の7月に期限切れになっていた。そのドラーバーズライセンスで、堂々と運転をしていた。過去にも二年間ほど無免許運転をしていたことがった。今回は、それほど長くない。ここで、新たに、ワーキングビザを修得したので、久しぶりに、ジャバベカ1側のジャラン カリマラン沿いにある、運転免許証発行所に行ってきた。
ジャバベカ1に入って、直ぐ左のガソリンスタンドの向こう側に、何やら、色々な施設が入っている新しい、建物がオープンしていた。この中に、日本食レストランもある。こんど、ゴルフの後、リッポチカランまで行かないで、ここで、食事をしてみようかという話もある。この前を通り過ぎて、SIM(運転免許証)の発行所へ行った。私のような、手伝いをしてもらいたい人のために、エージェントが屯していて、声を掛けてくるのが普通だが、今日は、そんな人がいなかった。そこで、書類提出する窓口へ行って、手伝ってほしいとと言ったら、外ではなく、中へ入ってこいという。そのロケットの後ろ側に小さい事務室があり署長らしき人が、何やら、沢山の申請書類にサインをしていた。
その人、私を見るなり、ここに座ってくださいという。期限切れの免許証とパスポートとKITASと地元の警察が発行する住民票のようなものを出した。それだけで、いい事は、分かっていた。手際良く、パスポートとKITASのコピーを部下に命じた。先ほどの窓口の係員が、社長が用意した書類に必要事項を書き込んでいた。直ぐに、コピーが届く、申請書類も署長の元に戻された。
その間、例によって署長と世間話、前回のSIMも私のサインが入っているという。その中で、交際免許について質問した。ここでもできるという、日本で有効かどうかは知らないが、東南アジアでは有効だという。日本から国際再免許を持ってきたら、インドネシアで有効かと聞いたら、ジャボタベックやバリでは有効だ、しかし、地方では、通用するかどうかは、チェックした人の主観だそうだ。
また、KITAS(住民票のようなもの)を持っていなければ、SIMは取れないのか、短期滞在ビザでは、取れないという。そして、一般的にはKITASの期限まで、有効だが、KITASホルダーには、取りあえず、21年間有効のSIMを作るという。半年のKITASの人にも1年間のSIMを発行するそうだ。
KTPカーテーペー(インドネシア人の住民票、戸籍票)を持っていれば5年だ。それは知っている。外国人も、長期で滞在予定人にはKTPを発行するシステムがあるという、あなたのような人は、イムグレに申請すればKTPを受け取れると言われた。そうすれば、あなたでも、5年の免許証を受け取れると。
10分ほど話をしていたら、隣室から呼ばれ、写真、サイン、指紋(右の親指だけ)をとられ、先ほどの場所に戻った、1分もしないうちの免許証が出来あがってきた。幾らかと聞いたら、50万Rpだという。ちょっと高いと思うが、また、便宜を図ってもらうかもしれないので、素直に支払った。到着してから、30分も掛からなかった。握手をして、出てきた。
期限切れのSIMを持って、自分で運転して行って、新たなSIMを買いに行く、何となく、おもしろい。
もう一つ、ついに使えなくなってしまったHP,諦めきれずに駄目もとで、サービスに出した。それを受け取りに行った。見事に再生していた。それも、以前よりモニターが鮮明になっていた。幾らかと聞いたら4万Rpだという、5万Rp払った。セーブしておいた電話番号は消えていない。今度、メモリーカードにコピーをしておこうと思う、今のところ、方法を知らないので、聞く必要がある。愛用のHPが蘇った。うれしい。
SIM、 KITAS、 KTP
♪一人ぼっちが寂しくて、お使い帰りに故郷の赤いリンゴを買いました。上野の駅でかじったら、雪の匂いに泣けました。
赤い手袋ほほ寄せりゃ、小指の継にも故郷の母の温もり感じます、夜学の帰り、星空に、青い五月を呼ぶのです。
遠い故郷、雪解けに、ハコベの花が咲くように、強く明るく生きること、しっかり、今は根を張って、花の盛りは美しく。♪
いつぞや、書きましたね。大学へ行くため、家から初めて出て、三畳一間の下宿部屋、氷点下10℃という、静岡では考えられなかった、室内温度の中、同年代の伊東ゆかりのこの歌を大声で歌っていた。東北地方から中卒集団就職で東京に来た少女をうたった歌ですね。はっきり、覚えていて、インドネシアのカラオケにははいっていないが、今でも、歌えます。
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