南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆インドネシアにした理由

2019-04-05 21:58:29 | 思うこと

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 3730 私が、一番最初に出会ったインドネシアの歌は、小学四年の時、10歳の時、“ブンガワンソロ“と”かわいいなの子は誰の物、ノナマニシャパヤンプーニャン“音楽の時間に習った。そして、同じころ、植物図鑑で、”ラフレシア“と”オオオニバス“をみた。私がインドネシアでの技術指導をする事にきめた理由の一つに、そのころの記憶が潜在していたこともあった。ラフレシアは将来、見てみたいと思ったし、ブンガワンソロという川にも憧れを持った。オオノニバスは実際、高校の時、テントを担いで、友人と一緒に伊豆半島を一周したときに、東大の熱帯植物園によって、見させてもらった。

 

インドネシアに来て、最初のファミリーギャザリング(社員旅行)は、プンチャックの向こう側のチパナスだった。その集まりで、ブンガワンソロとノナマシアパヤンプニヤを歌って、大喝采を受けた思い出がある。

 

また、現地へ行った時の日本語歌詞と現状は、まったく違っていて、来るんじゃなかったと思った。また、現地の人達から、日本人のオラントゥアOrang tua高齢者が大勢ここへ来るが、何故でしょうかと聞かれた。

 

もう一つの大きな理由は、太平洋戦争の話を父親からよく聞かされていて、パレンバンの落下傘降下奇襲作戦やら、マラッカ海峡で、イギリス艦隊を空母からの航空機で殲滅させたと、その後、戦艦同士の大砲の打ち合いではなく、航空機による、戦艦攻撃が主流になったとか。そういった勇ましい話を聞く中で、植民地を日本軍が解放した、東南アジアの国々の独立に日本が貢献したということも、言っていた。

だが、子供心に、そうじゃなくて、主にヨーロッパの国々の植民地を日本が変わって植民地にしようとしたんじゃないかと思った。いろいろな島へ行ってみて、社会科で習ってはいたが、天然資源、鉱物資源の豊富さには、日本が進出したがった理由に納得。結果は、その後、多くの国々が独立自治ができるようになったが、日本軍は、かなり、現地の人達に迷惑を掛けたんじゃないか、現地人をこき使ったんじゃないかと思うようになった。そして、将来、東南アジアの国のどこかで、何かの役に立つような仕事をしたいなと思うようになった。

 

西カリマンタンの赤道直下の町 ポンティアナックの郊外にあった、太平洋戦争当時のこの辺りの状況をあらわしたモニュメントと言うのでしょうか。日本人として恥ずかしかった。日本人がこの場に来ることは全くないといっていた。何となく、頭を垂れた。日本人が独立を手伝ったことも確かだが、こんな状況があったことも確かだった。インドネシア各地に、陣地と似たような痕跡がある。

 

きっかけ、50で社長を辞め、東南アジアへ行って仕事をしたいということを、原料商社や原料メーカー、そして、客先に触れ回っていた。そこへ、北川工業の北川弘二社長からインドネシアに工場を出すが、押出部門も作りたいので手伝ってほしいという話が持ち掛けられた。直ぐにでも、行きたいと返事をした。当時、私の会社から購入していただいていた製品の他に、他社に注文を出していた押出製品があったので、それを、インドネシアで作れば、直ぐにでも、三分の二の価格で作れるし、三分の二の価格になっても、インドネシアの押出部門は利益を出すことができるので、直ぐに自立できるし、インドネシア人に直ぐに技術伝授ができると確信した。その通りになったどころか、インドネシアのプラスチック押出成形の先駆者にいきなりなった。

 

沼津や静岡の片隅でやっていた仕事を他人に任せて、包丁一本晒しに巻いて、ではないが、押出成形技術一本、引っ提げて、インドネシアに乗り込み、私は、子供のころからの目標というか夢をかなえる行動に出た。そして、今は、多くの目標は達成した。

 

7日、急に帰国することにした。15日にインドネシアに戻る予定だがどうなるか。18日から21日、コタキナバルへも行く予定にもなっている。

花 歌 手伝い

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