2453 私達四人の平均年齢が、73歳を超えていた。最年長者は1833年生まれの82歳、私より10歳先輩である。失礼ながら、ちょっと、私より、忘れっぽいと思うが、元気そのもの、スコアーは100前後、大したものだ。奥さんと一緒にリッポチカランに住んでいる。私は、平均より下だった。で、インドネシアで現役で、会社の経営や技術指導をしている高齢者は目立つ。元気で頑張っている方が多いと思う。私も負けてはいないと思うが、参考や目標にする方も多い。
ところで、年々、若い日本人の姿を多く見かけるようになってきている。一目で、30代だろうと思われるグループを見かける機会が増えている。それに、比例して、プレーの速度が遅くなっているような気がするのは、私だけではないと思う。この年寄りグループのゴルフのプレーの早さは、平均より、早いと思う。待たせるより、待つ時間の方がはるかに長いと思う。そして、カートに戻るより、歩いて前進する人も平均より多いと思う。それはそれとして、
1946年から数年に団塊の御世代、60歳はとっくに過ぎて、65歳も過ぎようとしている。定年を過ぎた人がほとんど、退職してほとんどになっている。海外へ出て行った企業の経営や技術指導をしていた彼等も、今やほとんどいなくなった。そして、未だに、海外に拠点を置くことを生き残りの手段とする会社も多い。いわば、戦線が伸びきってしまっている状態なのです。数年前から、それは感じていたが、はっきりして来ている。若者の外国志向は、衰えていると聞いてはいるが、各企業は、中堅より、若い人を派遣するしか、選択肢がなくなってきているのでしょう。とにかく、リッポチカランの街を中途半端な長さのズボンで、サンダル履きで、中途半端な長髪で、ティシャツ姿で、うろうろしている、どこから見ても、コリアやローカルとは違う様相の日本人の若者が、そこら辺のアパートから、暇つぶしや食事場所をさがして、うろついているという風景が目に入る。
韓国人は、日本より、早く、若者が多いし、家族連れも多い、そして、家族連れもリッポチカランに多く目についていた。ここにきて、日本人の若者家族連れにも、スーパーで合う機会が多くなった。日本語の家族の会話を聞くようになった。
ホール毎に、待つ時間が長くなっていて、二打目を打つのも途中で待つ時間が長かった。写真を撮ったり、マンガをクラブで叩いて落としたりしていた。
前線 戦線 若者