2463 HALIM 2 何年ぶりでしょうか、10年以上ぶりだと思う。ハリム2のゴルフ場へ行ってきた。このゴルフ場には思い出がある。1998年5月の大暴動の後、会社が休業してしまった。社会機能が一時ストップしてしまい、従業員の送迎もできなくなってしまったからでした。ゴルフに関して、私は、そんな暇がなく、全く、やっていなかった。1996年にインドネシアへ赴任してからも、仕事と旅を優先で、ゴルフをやってみよとは思わなかった。日本人との付き合いは、必要ないと思っていた。赴任して半年後には運転手を使わないで自分で運転していたし、自分ひとりの方が、自由に色々なことができるからでした。
ところが、日本人と会うと、他にないのかと思うが、必ずといっていいほど、ゴルフを話題にしたがる。話を合せることができない。55歳になって、ぼちぼち、老後の趣味としてゴルフでもやってみようかなと思い、ドライビングレンジにちょくちょく行くようになった。そして、大暴動でした。当時、ルマーアバンのグラハチカランというコンドミニアムに住んでいて、暴動の次に日は流石に、家に閉じこもっていたが、二日目には、我慢できなくなって、無料になったジャヤントールでジャカルタに向かい、結局、スマンギからプルウィットまで往復し、ポンドックインダーの、明日、日本に逃げるという、同僚の日本人若者のアパートへ行って、撮影したばかりのネガを渡して、本社の人達に見せるように頼んだ。その帰途、チャワンを通りかかった、ハリムにゴルフ場があり、空軍の所有だということは知っていた。アメリカやオーストラリア人は、いち早く、ここに本国からのチャーター機が迎えに来て、昨日の内に、インドネシアから脱出したことも知っていた。そこで、もし、オープンしていたら、ここでゴルフをしてみようと思い、くねくねした、分かりにくい道をゴルフ場まで行ってみた。プレーできるという。ここなら100%安全である。5万FRpだった。その札、スハルト大統領の顔が入っていた。(このお札、約、2か月後に通用しなくなってしまった、スカルノの顔に変わった札しか受け取ってくれなくなった)その数ヶ月前に20Rpga1円だったのが、この時には120Rpが1円になっていた。
ということで、私がゴルフコースを始めて回ったのは、このハリムドゥアでした。一人で飛び込みでした。今でも予約なしで、プレーができ、キャディーは、その当時からずっといたでしょう、かなり高齢の男性。若い女性も少しいた。カートを使う人が多くなっているようだ、当時は、カートは無かった。プレー費は、60万Rpくらいだ。カートが12万Rpくらいだと思う。平坦で広いと思う、椰子の木がほとんど見当たらない。砲台の山なりで早いグリーンが多いと思う。バンカーは土である。時々、ドメスティックでしょうか上空を通過する。
ローカルの人が50%以上、コリアが30%、日本人が20%弱か、6時ちょっと前についたが、受付に並んだ時に私たちの後ろに、直ぐに、20人以上の行列ができた。多分、一番後ろの人達は1時間以上待つのではないかと思った。私達はほとんど待たずに6時ちょっとすぎにスタートしたが、後半スターの前、1時間半待たされた。結局、終わったのは、12時を過ぎていた。カート組が1番スタートで、歩き組は10番スタートのようだった。
初めて 大暴動 空軍