Box of Days

~日々の雑念をつらつらと綴るもの也~ by MIYAI

いいことありますように

2006年01月17日 | diary
 日付けが変わって、今年も誕生日がやってきた。おめでとう、俺。

 最初になにかけるかなんとなく考えてて、やっぱり“Like a Rolling Stone”かなぁとも思ったんだけど、ここ2年つづけてそうだったから、ちょっと変えたくもなり、ジョージにした。“Give Me Love”。で、今はそのまま『Living in the Material World』のアルバムが部屋に流れている。

 36歳だってよ。どうなんだろね。でも、いいよね。きっと。

Jazz

2006年01月16日 | diary
 2005年11月3日に書いた日記の内容を踏まえた上で、僕はここで皆さんにあるひとつの事実をご報告したいと思います。

 クイーンの『Jazz』は名盤である。

 はい、ようやく聴きました。えっと、買ってから2ヶ月くらいたってる気がするな。随分と時間がかかったもんだ。でも、それだけの価値は十分あったと思う…って言うのも変だけど。

 貫禄です。もはやひとつの完成形と言っていいかと思います。勢いがあって、スリリングなのに、まったくブレたところがありません。あるのはクイーンというバンドがもつ底知れない「深み」でしょうか。オープニングの“Mustapha”からラストの“More of That Jazz”までの間、僕は、ここに詰め込まれた多彩なアイディアの数々に終始驚かされっぱなしでした。各曲の実に見事な構成とアレンジ・ワークに、「ほぉー」と感心しっぱなしでした。

 これまで聴いてきたクイーンの作品も確かにどれも興味深いものでした。しかし、それらと『Jazz』との間には、なにか決定的な差異があるように僕には思えます。どちらがいいとか、そういうのではないのですが、それは年齢でいったら、10代と20代くらいの差であり、20代と30代くらいの差みたいなものです。自意識が強く、なにかにつけ過剰になりがちだった頃から、次第に自分の資質を理解し、コントロールできるようになっていくみたいな。かつての様々な試行錯誤が完全に消化され、ひとつひとつが表現の手段として、無理なく成立しているような印象を僕は受けました。

 クイーンは、ファースト・アルバムの頃から、非常に自信に満ちた演奏をしていると僕は思います。しかし、その自信にどれだけの根拠があったのかは、正直なところ、よくわかりません。実際、彼らの音楽は、ときに大袈裟であったり、不安定なところが見受けられました。そういうクイーンの「のるかそるか?」的な危うさは、彼らの大きな魅力だったわけですが、自己の美意識を追求するあまり、どこか曲の解釈を聴く側に押しつけるような面もあったような気がします。

 ところが、『Jazz』はそうした密室感が非常に希薄でした。すっきりしているというか、ひと皮むけているというか、詰め込まれた最良のエッセンスが聴くほどにじわっと滲んでくるような、まさに脂ののった大人の音楽でした。このアルバムを僕にすすめた先輩が言っていた「30代は『Jazz』だ」という言葉が、なんとなくわかるような、そんな気がしました。

 これが僕にとってのベスト・クイーン・アルバムになるかはまだわかりませんけど、見事な仕上がりの傑作であることは間違いないと、そう言い切ってしまいたいと思います。

*

 えっと、なぜか「ですます」調で書いてしまったな。きっと、えらそーにクイーンを語るのに、まだ抵抗があるからだと思うのだけど、やっぱりちょっと堅いよね。さて、本日、丸の内ではデニー・レインの最終公演があり、新宿では新春ジョージ・ハリスンまつりがあるそうな。都内はなかなか楽しいことになってるみたい。

立ち読みしてみた

2006年01月15日 | diary
 本屋で音楽雑誌をぱらぱらと立ち読み。何誌かが「2005年ベスト・アルバム」なんて企画をやっていた。各誌それぞれの性格が出たランキングを見比べてみたりする。で、思ったんだけど、ひとつの傾向として、僕の持ってるアルバムがたくさんランク・インしてる雑誌ほど、時代から取り残されているような気が…。例えば『The Dig』。1位ストーンズ、2位ライ・クーダー、3位ポール…とつづくのは、まぁ素晴らしいんだけど、でもなんかねー。しかも驚いたことに、僕の会社から出したアルバムが、数あるメジャーな話題作を押さえて、なんと2枚もベスト20に入ってたりする。スプリングスティーンの『Devils and Dust』が39位だというのに。もうほんとに、ごめんなさいごめんなさい。

 スプリングスティーンの方が上に決まってんだろ!と僕は声を大にして言いたい。

 いや、もちろんその2枚のランク・インも嬉しいですよ。頑張ったことがちょっとでも認められたみたいで、なんだかほっとするし(そういうわけじゃないんだけどね)。

 知り合いのライターさんがたくさん記事を書いているという理由で、久しぶりに『レココレ』を買う。ディランの特集だったけど、僕はまずロジャー・ダルトリーのインタビューから読んだ。いつもながらThe Whoへの深い愛情には思わず笑みがこぼれてしまう。また、ロジャーはピートの立場や意見をとても尊重しているみたいで、今の2人の関係がとてもうまくいっていることが伝わってきた。そしてなにより、今年日本に来る話は既に出ているという言葉を本人の口から聞けたのが嬉しかった。The Whoの単独公演。夢だぜ。

 あとは、ポールが来てくれるといいのだけど。2002年11月の想い出。あのときポールは平日の東京ドームを何日もフルハウスにしている。初日が終わった後のネット上での絶賛の嵐、翌日からの当日券を求める長蛇の列。一生忘れられない光景かもしれない。ポールはたった1回のライヴで、口うるさい輩を黙らせ、ドームを満杯にしてみせた。これこそがポール・マッカートニーなんだと思う。ポールの人生そのものだと思う。どーだ!と言ってやりたかったよ。まぁ、僕が言ってもしょうがないんだけどね。

1F

2006年01月14日 | diary
 12月30日の日記にも書いたように、渋谷シアター・イメージフォーラムの場合、ボブ・ディランの映画『No Direction Home』は、地下での上映となっている。で、1階では別の映画が上映されている。けっしてわかりにくいわけではないが、「ぼぶでぃらんぼぶでぃらん…」と頭がいっぱいだったりすると、つい間違えてしまう人も中にはいるらしい(僕です)。だから、同じくそこでこの映画を観るという同僚に、気のいい僕はアドバイスをすることにした。

 MIYAI:「1階では他の映画がやってるから、気をつけてください」
 同僚:「わかりました!ディランは地下ですね」
 MIYAI:「そう、ディランは地下ね。ん?地下?」

 そーだよ!『地下室』じゃんか!ディランは地下に決まってるじゃないか。あー俺はなんでこんな簡単なことに気がつかなかったんだ。

 MIYAI:「うーくそーなんてことだ…。もうディランのファンだなんて名のれないよ」
 同僚:「そこまで思わなくても。まぁ、確かに映画にはザ・バンドも出てますけどね」
 MIYAI:「グサッ(駄目押し)。もう駄目だ。おしまいだ。最低の間違いをしちまったぜ」
 同僚:「…あの、落ち込む方向がなんかズレてる気がするんだけど」

 …まぁね。でも、同僚と渋谷で別れた後、僕は帰りの電車の中で、ディランの歌にファースト・フロアとか1Fとか、そんなフレーズが入ったものはないかと、ずーっと考えてしまったよ。結局、見つからなかったけど。

 結論:自分を正当化するのはもうやめようと思う。

ぼけた頭にディランが優しい

2006年01月12日 | diary
 夜にこしかけてた
 中途半端な夢は
 電話のベルで覚まされた

 僕はこの日記を仕事に行く前に書くことが多い。つまり(言い換えるなら)、この日記をつけなければ、あと40分くらいは寝てられることになる。まぁ、家を出るのが8時50分という、僕にとってはものすごく早い感じなんだけど、普通に考えればけっこう遅めの出勤なので、特に無理することなくどうにかつづけられている。

 でも、たまには「あー眠いなぁ。もうちょっと寝てたいなぁ」と思う朝もあるわけで、そんなときは躊躇なく睡眠をとることにしている。そこまで頑張って、朝にこの日記をつける理由も義務も呪縛も、僕にはないから。で、今朝なんて思いっきりそんな気分だったんだけど、大変不幸なことに、間違い電話のけたたましい音で、僕はベッドから引きずりだされてしまった。だって、こんな朝っぱらから電話が鳴れば、出ないわけにはいかないでしょ。なんかあったのかもしれないし。親とか親戚も高齢になってきてるし、世の中だってけっこう物騒だし。

 そんなわけで、今朝はひどくぼけぼけな頭でこれを書いてたりする。部屋にはディランの歌うフォーク・ソングが流れている。これがやたらぴったりくるんで、ちょっと救われてみたりする。さんきゅーでぃらん。

 僕の働いてるとこも、ちっこいとはいえ、一応会社ということになっている。だからか、今年1年の方針についての話し合いなんてものも、割と普通の顔してあったりした。それぞれの役割分担が決められ、僕は昨年以上に外回りをすることになった(実際はどうなるかわからないけど)。これはいい傾向だね。幅広くいろんな人に会えるのも楽しいし、なにより直行直帰が増えて、生活の自由度が高くなるのがいい。

 というわけで、今年は都内をぶらぶらする時間が増えると思う。中古レコ屋をまわろう。おー。

オリジナリティ

2006年01月11日 | diary
 ちょいと面白かったこと。

 僕がブルース・スプリングスティーンのファンであることは、この日記を読んでくれている人ならある程度は知っていると思うけど、僕がピート・タウンゼントのこともけっこうしっかり好きなことも、やっぱり知ってる人はそれなりにいるんじゃないかと思う。

 で、僕は、スプリングスティーンとピートって、けっこう似てるなぁと思うことがよくあったりする(僕がそんな風に思っていることを知ってる人も、ひょっとしたら何人かいるかもしれない)。でも、この辺のことを言葉にするのはとても難しい。それは僕のボキャブラリーのなさだけでなく、どちらも日本でさほど人気がないという現実も、それなりに影響しているような気はする。

 でも、スプリングスティーン曰く「いつも新しいものをさがしている」ピート・タウンゼントに連れられて初めてU2を観に行ったそうだし、そんなスプリングスティーンのステージにピートが飛び入りしたこともあったりと、2人はまったく交流がないわけじゃない。ちなみに、ピートは『Born to Run』が発売されたとき、こんなことを言ってたりする。

 When Bruce Springsteen sings on his new album,
 that's not "fun", that's "fucking triumph”, man.

 こういう言葉もピート・タウンゼントが言うとなんかいいんだよね。で、そんなピートが最近、自身の日記でこんな音源を公開している。「おそらく妻のKarenの為に書いた唯一の曲。だから私はこの曲を彼女が愛するアーティストBruce Springsteenのスタイルで歌っているのだと思う」なんてコメント付きで(詳しくはこちらを参照)。

 How Did You Love Me Then その1

 確かにそんな気持ちが伝わってくるヴァージョンだよね。最初のヴァースなんて特にそんな感じ。でも、途中からそうでもなくなってくる(歌い方は最後までどっか意識してる感じがするけど)。そして曲はこんな風に変化していくことになる。

 How Did You Love Me Then その2

 はい、すっかりピート・タウンゼントになりました。めでたしめでたし。まだデモ段階ではあるけど、ピート独特のドライヴ感がきちんと出てきてると思う。で、言うまでもなく、こちらの方が魅力的なヴァージョンに仕上がっている(と思う)。

 音楽って面白いよな。最初はスプリングスティーンだったはずなのに、途中からそうでもなくなってきて、あれこれやってるうちに、気がついたらちゃんとピート・タウンゼントになっているという。きっとスプリングスティーンも、ピートみたいに曲を書いたことがある思う。でも、最後にはちゃんとスプリングスティーンの曲になったんだろうな。ただ、僕らがそんな創作過程に気づいてないだけで。まぁ、想像だけど。

 オリジナリティって、きっとそういうものなんだと思う。

simple life

2006年01月10日 | diary
 お正月、クリスマス、誕生日、その他諸々…。それこそ個人的な記念日なども含めれば、1年のそこかしこに節目があり、イベントがあるけれど、あんまり数が多いと、それは節目でもなんでもなくなるし、イベントの価値もさがるような気がする。中には、どう考えても自分とは関わりのないものもあるわけだし、あまり振り回されるのもどうかと思う。

 でも、それとは裏腹に、そうした日なりなんなりをしっかりと覚えておいて、ちゃんと声をかけることができるのも、それはそれで大切なことなのかもなぁと思わないでもない。僕の義姉はそういう人で、言うべきときにきちんと言葉を伝えることができる。僕はそこに誠実なものを感じるし、温かさを感じる。だから、僕もできれば恥ずかしがらずに、声をかけるくらいのことはしようと思ったりにするのだけど、ちゃんとできているかというとそうでもない。

 なんでだろうなぁ。なにも特別なことじゃないのに。ただ声をかけるだけなのに。そうしたいと思っているのに。こんなことにさえ小さな勇気を必要としてしまう。

 それには小さな理由がいくつもあったりする。きっと僕らはそれほどシンプルな世界には生きていないのだろう。でも、できるなら僕はシンプルに生きたい。言うべきときに素直に言葉を伝えられるくらいには。その言葉をそのままの意味で受け取ってもらえるくらいには。結局、僕があなたに伝えたいことの多くは、とてもシンプルなものだと思う。

Holiday

2006年01月09日 | diary
 ばたばたと過ぎ去る3連休。初日はレコ屋めぐりをしたわけだが、残り2日はなにをしてたかと言うと…。

 新しく住む部屋を決めてきた。地元の不動産屋さんへ行く→希望の条件を言う→物件をひとつ紹介される→実際に見に行く→即決。いやー簡単なもんだったなぁ。場所は同じ町内。今の部屋から歩いて5分くらいのとこだから、引越しも楽そうだぜ。

 友達とお茶を飲む。旅行のお土産にTシャツをくれた。なんでもそれは、その子の彼氏のお見立てだそうな。ちなみに、彼女がその彼氏にあげた今年のクリスマス・プレゼント(パンツです)は、半分くらい僕の見立てである。僕はまだその彼氏さんには会ったことないんだけど、もし会う機会があればいただいたTシャツを着ていこう。そして、できることならそのとき、彼には僕の選んだパンツをはいていてほしい。話がはずみそうな気がしませんか?

 お袋と妹の誕生日を祝う(エルヴィスの誕生日でもある)。実家の近くの焼肉屋へ。ほんと年末から食ってばっか&飲んでばっか…。甥っ子とはすっかり仲良しになれて嬉しいんだけど、けっこう疲れたりもする。その甥っ子だが、同い年のアヤちゃんという女の子のことが大好きなんだそうな。なんでも、アヤちゃんに会えなくて泣くらしい。正月に僕が「アヤちゃんコール」を教えたところ、それは嬉しそうに手を叩いて喜び、今ではすすんでやるようになった。まぁ詳しいことは僕にはわからないので、なんとも言えないんだけど、こんなに愛されてアヤちゃんは幸せだと思う。どうか一緒の幼稚園に行けますように…って、まだまだ先だけど(2人はまだ2歳)。

 で、この日はそのまま実家に泊。理由は、ただ帰るのがかったるくなったから。

 翌日は、(引越しに向け)家電を見にヤマダ電機へ。洗濯機やテレビを物色した後、妹夫婦にすすめられ、買いもしない48万円もするマッサージ・チェアーを試してみた。僕は肩がこったりする方じゃないんで、これまでこういう健康機器にはあまり興味なかったんだけど、いやいや、最近のマッサージ・チェアーってすごいんだねー。ここまで進歩してるとは思わなかったよ。「いいねー」、「気持ちいいよねー」と、3人(妹の旦那、妹、僕)並んでしばしのなごみタイム。すると「こうした方がもっと気持ちいいですよ」」と店員さんがいろいろ教えてくれたりする。いい店だ。また座りに行こう(迷惑だ)。

 昼飯に親父の作ったタコ・チャーハンを食す。薫製にしたタコとホタテが入って、とても美味しかった。また作ってもらおう。

 とまぁ、そんなこんなでようやく帰ってきたのが夕方前。さてと、これからレコードを聴いて、本をだらしなさそうに読んで、テレビを興味なさげに眺めて、今夜ははやく寝るとしよう。

Add Some Music to Your Day

2006年01月08日 | diary
 昨日はいつも仲良くさせていただいてる諸先輩方と、下北沢界隈のレコ屋をまわった。7軒ほどに足を運び、7枚の良さげなレコードをゲットした。また聴くものが増えちゃったなぁ。困ったなぁ。

 買ったのは、いわゆるロックというジャンルに分けられるものがほとんど(1枚だけソウルものも)。「たまにはジャズやクラシックも1枚づつくらい買おうかな」と思って行ったんだけど、どういうわけか、たいていはこういう結果になってしまう。うーん、なぜだ。ジャズのレコード、随分と買ってないな。クラシックにいたっては…(以下省略)。

 ジャズとクラシック。この2つの音楽は、その共通点として、ひとつの曲に対して実に多くの演奏家が存在するというのがある。それはロックの世界におけるカヴァー・ソングの概念を軽く超えたものだ。言い換えれば、ジャズとクラシックの世界では、曲そのものよりも「その曲をどのように演奏するのか?」というところに、重点が置かれている(ような気がする)。この辺がロックやソウルを長く聴いてきた僕には新鮮であり、また退屈でもあるところだ。

 でも、先日読んだ本の中で、こんな記述を見つけた。とても素敵な文章なので、ちょっと長いけど引用を。

 「クラシック音楽を聴く喜びのひとつは、自分なりのいくつかの名曲をもち、自分なりの何人かの名演奏家を持つことにあるのではなかろうか。それは場合によっては、世間の評価とは合致しないかもしれない。でもそのような「自分だけの引き出し」を持つことによって、その人の音楽世界は独自の広がりを持ち、深みを持つようになっていくはずだ。(中略)そしてそのような個人的体験は、それなりに貴重な温かい記憶となって、僕の心の中に残っている。あなたの心の中にも、それに類したものは少なからずあるはずだ。僕らは結局のところ、血肉ある個人的記憶を燃料として、世界を生きている。もし記憶のぬくもりというものがなかったとしたら、太陽系第三惑星上における我々の人生はおそらく、耐え難いまでに寒々しいものになっているはずだ。だからこそおそらく僕らは恋をするのだし、ときとして、まるで恋をするように音楽を聴くのだ」。

 確かにひとつの音楽を愛することは、恋をするのによく似ている。そこには説明のつかない強い力が作用する。そうなったら僕らは抗えないし、落ちていくしかない。そういう意味では、非常に個人的な行為と言えるかもしれない。僕らは歌や演奏に、そのときそのときの自分の心を重ね合わせることができる。こちらの気持ちひとつで、音楽は明るく光輝きもするし、悲しみに沈むこともある。その点では、ロックもジャズもクラシックも、なんら変わりはない。

 ビーチ・ポーイズの名作『Sunflower』を聴きながら、そんなことを思ってみた。

 Add some music to your day...

クイーン再び

2006年01月07日 | diary
 昨年の10月にさいたまスーパーアリーナで観たクイーンのライヴ。なんでも年末に、僕の部屋では映らない番組で(つまり地上波じゃないところで)放映されたそうで、えっと、僕が観た日の公演ではないのだけど(その翌日の公演なんだけど)、いいなーと思っていたら、親切な(ところのある)友人がDVD-Rに録画しておいてくれた。さんきゅーまいふれんど。で、昨日はそれを観たんだけど…

 いやーすごかった!ほんとに気持ちがいっぱいに詰まったライヴだったんだなぁと、改めて感動してしまったよ。

 実を言うとこのDVD-Rは、大変中途半端なとこ(“Teo Torriatte”の大ラス)から始まる。なぜか?これを貸してくれた友人は大の格闘技ファン。そして、年末のテレビと言えばやっぱり格闘技。つまり、クイーンのライヴと同じ時間帯に、どうやら彼の観たい格闘技番組が放映されていたらしく、(当然のことながら)彼はそちらを録画した。すると必然的に、(そして僕にしたら残念なことに)クイーンの最初の1時間を諦めざると得なくなったと。そういうわけ。もっとも感動的だった“Love of My Life”は、確か“Teo Torriatte”のひとつ前だったはず(だよね?)。あとちょっとだったんだけどなぁ。まぁ、しょうがないよね。後半観れただけでもよしとしよう。

 でも、途中からであれ、そして感動的な“Love of My Life”を観れなかったとはいえ、なんら問題もない。ほんとに素敵なライヴだったから。ブライアンのギターは彼だけの音を奏で、ロジャーのドラムもエネルギッシュだった。2人の細かい表情や動きなど、当日さほど近くはなかった僕の席ではよく見えなかった部分も、今回の映像でいろいろわかった気がする。そして、ポール・ロジャース。やっぱりイギリスが生んだロック・ヴォーカリストの最高峰のひとりだと思った(とにかく上手い!)。

 しかし、なんだかんだ言っても、このライヴを特別なものにしたのは数万人の観客の温かさだと思う。一緒に観に行った友達が終演後「幸せそうなクイーン・ファンを観れたのが嬉しかった」と言ってたけど、ほんとにそんな感じだった。みんなが声を合わせて歌っている。手を上げて応えている。ドラム・ソロ・タイムやギター・インスト・タイムでも、だれたりしない。生で観てたとき、例えば“Radio Ga Ga”とかは、ポール・ロジャースが歌った方がいいと僕は思ったんだけど、それは間違いだったのかもしれない。ポール・ロジャースが歌えば、確かにもっと締まったとは思うけど、それでもやっぱりロジャーが歌って正解なのだと思い直した。みんなのためにも、そしてロジャーのためにも。なんていうか、音楽にはそういうところがあると思う。

 そして、どう考えても奥の手を使った“Bohemian Rhapsody”。まぁ、やるからにはここまでやるっきゃないってとこまでやってて、で、これが大変な泣かせどころになっている。スクリーンに映し出される生前のフレディの姿。会場に響くフレディの歌声。これをあざといと言う人も確かにいるだろう。でも、残されたメンバーやファンが、ずっと抱えてきた悲しみを埋めるのに、ライヴという特別な場で、他にどんな方法があるというのか?そして、ここでの大合唱が純粋なものでないとどうして言えるのか?僕が問いたいのはそういうことだ。

 ポールがツアーで歌った“Here Today”と“Something”。ポールは言った。「会場にはジョンやジョージに特別な想いをもった人達がたくさんいる。そういう人と悲しい気持ちを共有するのは悪いことじゃない」。『Concert for George』を開催したクラプトンは言った。「ジョージのためになにかがしたかった。でも、これは自分のためでもある。こういう形で悲しみを表現する必要が僕にはあった」。

 長く同じ人を愛し、同じ音楽を愛してきた人達が、あの日、さいたまアリーナに集まっていたと思う。ステージの上にも、観客席にも。クイーンの音楽を人生の一部にした人達。到底言葉にし得ぬ感情が溢れ出し、会場を満たした夜。全員がそうだったとは言わない。それでもそういう人達がいたことは、このDVD-Rを観ればわかると思う。「幸せそうなクイーン・ファン」と彼女は言った。その通りだ。そして、そんなファンをもてたクイーンもまた幸せなバンドだと、僕は昨日改めて思った。

 僕は、あの夜、クイーンのライヴを観に行ったことが不思議でならない。それまで1枚もレコードを持っていなかったバンドなのに。でも、心のどこかではわかっている。いろんな偶然と(非常に個人的な)思惑が重なって、あの日、さいたままで足を運んだことに、そして僕をそんな気持ちにさせてくれたすべてのことに感謝したい。