Box of Days

~日々の雑念をつらつらと綴るもの也~ by MIYAI

Add Some Music to Your Day

2006年01月08日 | diary
 昨日はいつも仲良くさせていただいてる諸先輩方と、下北沢界隈のレコ屋をまわった。7軒ほどに足を運び、7枚の良さげなレコードをゲットした。また聴くものが増えちゃったなぁ。困ったなぁ。

 買ったのは、いわゆるロックというジャンルに分けられるものがほとんど(1枚だけソウルものも)。「たまにはジャズやクラシックも1枚づつくらい買おうかな」と思って行ったんだけど、どういうわけか、たいていはこういう結果になってしまう。うーん、なぜだ。ジャズのレコード、随分と買ってないな。クラシックにいたっては…(以下省略)。

 ジャズとクラシック。この2つの音楽は、その共通点として、ひとつの曲に対して実に多くの演奏家が存在するというのがある。それはロックの世界におけるカヴァー・ソングの概念を軽く超えたものだ。言い換えれば、ジャズとクラシックの世界では、曲そのものよりも「その曲をどのように演奏するのか?」というところに、重点が置かれている(ような気がする)。この辺がロックやソウルを長く聴いてきた僕には新鮮であり、また退屈でもあるところだ。

 でも、先日読んだ本の中で、こんな記述を見つけた。とても素敵な文章なので、ちょっと長いけど引用を。

 「クラシック音楽を聴く喜びのひとつは、自分なりのいくつかの名曲をもち、自分なりの何人かの名演奏家を持つことにあるのではなかろうか。それは場合によっては、世間の評価とは合致しないかもしれない。でもそのような「自分だけの引き出し」を持つことによって、その人の音楽世界は独自の広がりを持ち、深みを持つようになっていくはずだ。(中略)そしてそのような個人的体験は、それなりに貴重な温かい記憶となって、僕の心の中に残っている。あなたの心の中にも、それに類したものは少なからずあるはずだ。僕らは結局のところ、血肉ある個人的記憶を燃料として、世界を生きている。もし記憶のぬくもりというものがなかったとしたら、太陽系第三惑星上における我々の人生はおそらく、耐え難いまでに寒々しいものになっているはずだ。だからこそおそらく僕らは恋をするのだし、ときとして、まるで恋をするように音楽を聴くのだ」。

 確かにひとつの音楽を愛することは、恋をするのによく似ている。そこには説明のつかない強い力が作用する。そうなったら僕らは抗えないし、落ちていくしかない。そういう意味では、非常に個人的な行為と言えるかもしれない。僕らは歌や演奏に、そのときそのときの自分の心を重ね合わせることができる。こちらの気持ちひとつで、音楽は明るく光輝きもするし、悲しみに沈むこともある。その点では、ロックもジャズもクラシックも、なんら変わりはない。

 ビーチ・ポーイズの名作『Sunflower』を聴きながら、そんなことを思ってみた。

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