イエス・キリストの御心を知りたければ、
やはり緻密に聖書を研究せねばならない。
そうして、他の誰でもない、キリスト御自身から教えて頂く必要がある。
聖書原典を読む価値は、実にここにある。
翻訳の過程において侵入した翻訳者の誤解を取り除けるのだから。
しかしながら、難しいのは、
古代ギリシャ語を辞書によって右から左に翻訳するだけでは、
辞書製作者を聖書理解の権威と頼むことになる。
だから、一端辞書を用いて翻訳しつつも、それは取りあえずの翻訳として、
パウロ書簡ならパウロ書簡の用語法を確認し、パウロ当時の流行思想に鑑み、
パウロの重んじた学問・思想を考慮して、メッセージの意味を知る必要がある。
その大切さを痛切に実感したのが、ガラテヤ書1章・2章の内容である。
辞書を用いて右から左に翻訳するだけであれば、
ガラテヤ書1章・2章に記されるパウロの経験談は下記のようになる。
「キリスト教を迫害していたパウロは、ある日突然キリストによって回心した。
そしてパウロは、自分の福音を十二使徒に認めてもらうためにペテロに会いに行った。
その福音とは、儀式を一切否定する福音だった。
しかしペテロたちは、割礼をパウロの周囲に広めようとしたから、
パウロは自分の信念を守るために独立し、異邦伝道をするようになった」
すなわち、パウロの福音、パウロの信仰とは、
何か断固とした信念のようなもののように思える。
しかしこの箇所は誤訳・邪訳のオンパレードであって、意味は全然違う。
まず「ペテロに会いに行った(知り合いになった)」と訳されている
「iστρεiν(ヒストレイン)」とは、本来「調査する、取り調べる」の意味である。
「調査する→調査したものを書く→物語」と転化してきて、ヒストリー(歴史)の語源となった。
パウロ当時の意味はそうであって、プラトンの「ソクラテスの弁明」では、そのように用いられている。
パウロは、自分の福音が正しいかどうかを確認するために会いに行ったのではなく、
ペテロたちの福音が正しいものかどうかを調べに行ったのである。
この語がなぜ「知り合いになる」と誤訳されているかというと、
聖書をラテン語に訳した四世紀のヒエロニムスに由来するそうだ。
(田川建三「新約聖書」)
多分、カトリックの重要人物である聖ペテロに対して、
あの聖パウロがまさか「取り調べる」はずはあるまい。
そのような思いから、ヒエロニムスはわざと訳を変えたのではないか?
パウロは自分の福音が正しいかどうかを確認するため、
もしくは使徒と仲良しになるために会いに行ったのではなく、
ペテロたち使徒の福音が正しいものであるかどうかを、調査しに行ったのである。
またガラテヤ書2-5によれば、パウロは割礼の要求を断固として退けた、と記されている。
しかしこの箇所には挿入された部分があって、
新約聖書を始めて作った二世紀のマルキオンが「oυδε(ウーデ)」という語を書き入れている。
この語の意味は、英語のnotにあたり、「~ではない」という否定を表す語である。
マルキオンはパウロの主張する「信仰のみ」に、強烈に惹かれた人物である。
故に「私たちは一時、割礼を受け入れた」という文章に我慢ならず、
パウロたるもの、儀式的要求を受け入れる筈がないとして、否定の語を挿入したのである。
マルキオンがoυδεを挿入したことは、当時の神学者の著作によって確証されているが、
如何せん、重要な写本にすべて挿入されているから、
今の学問的態度(?)としては本文として採用できないのだろう。
パウロのローマ書の内容から判断すれば、儀式も信仰(信念?)も何もかも、
キリストの救いには必要ない。それだけ、神の愛は圧倒的だった。
故に、パウロは言う。「救われたあなた方は弱い者を受け入れよ」と。
(弱い者=神の恩恵に完全に浴すことができず、人間的可能性を付加して安心せんとする者)
パウロがローマ書で言いたいのは、キリストが神の位置から絶下に降って、
身を捧げてあなた方を救ったのだから、あなた方もすべての主義を捨てて、
神の栄光のために弱い者を受け入れよ、ということである。
そういうパウロであるから、割礼を要求する弱い信徒を憐れに思い、
一時それを受け入れたのである。
まだまだ多くあるが、上記のような誤訳を加味してパウロの経験談をまとめれば、
下記のようになろう。
「パウロの福音とは人をして、自分の主義を捨てて弱い者を受け入れさせるような福音である。
パウロは使徒たちがそういう福音を保持しているか調査しに行った。
そして割礼を要求されたので、パウロは使徒たちが自分より弱い者だと思い、その割礼を受け入れた。
しかし、彼らがさらに弱い者に対して圧迫しようとしたので、パウロは躊躇しつつも、
そのさらに弱い者を守るために独立し、異邦伝道に向かった」
すべての主義を捨てよ!
これが、神の絶大の恩恵を受けた者の態度なのである。
やはり緻密に聖書を研究せねばならない。
そうして、他の誰でもない、キリスト御自身から教えて頂く必要がある。
聖書原典を読む価値は、実にここにある。
翻訳の過程において侵入した翻訳者の誤解を取り除けるのだから。
しかしながら、難しいのは、
古代ギリシャ語を辞書によって右から左に翻訳するだけでは、
辞書製作者を聖書理解の権威と頼むことになる。
だから、一端辞書を用いて翻訳しつつも、それは取りあえずの翻訳として、
パウロ書簡ならパウロ書簡の用語法を確認し、パウロ当時の流行思想に鑑み、
パウロの重んじた学問・思想を考慮して、メッセージの意味を知る必要がある。
その大切さを痛切に実感したのが、ガラテヤ書1章・2章の内容である。
辞書を用いて右から左に翻訳するだけであれば、
ガラテヤ書1章・2章に記されるパウロの経験談は下記のようになる。
「キリスト教を迫害していたパウロは、ある日突然キリストによって回心した。
そしてパウロは、自分の福音を十二使徒に認めてもらうためにペテロに会いに行った。
その福音とは、儀式を一切否定する福音だった。
しかしペテロたちは、割礼をパウロの周囲に広めようとしたから、
パウロは自分の信念を守るために独立し、異邦伝道をするようになった」
すなわち、パウロの福音、パウロの信仰とは、
何か断固とした信念のようなもののように思える。
しかしこの箇所は誤訳・邪訳のオンパレードであって、意味は全然違う。
まず「ペテロに会いに行った(知り合いになった)」と訳されている
「iστρεiν(ヒストレイン)」とは、本来「調査する、取り調べる」の意味である。
「調査する→調査したものを書く→物語」と転化してきて、ヒストリー(歴史)の語源となった。
パウロ当時の意味はそうであって、プラトンの「ソクラテスの弁明」では、そのように用いられている。
パウロは、自分の福音が正しいかどうかを確認するために会いに行ったのではなく、
ペテロたちの福音が正しいものかどうかを調べに行ったのである。
この語がなぜ「知り合いになる」と誤訳されているかというと、
聖書をラテン語に訳した四世紀のヒエロニムスに由来するそうだ。
(田川建三「新約聖書」)
多分、カトリックの重要人物である聖ペテロに対して、
あの聖パウロがまさか「取り調べる」はずはあるまい。
そのような思いから、ヒエロニムスはわざと訳を変えたのではないか?
パウロは自分の福音が正しいかどうかを確認するため、
もしくは使徒と仲良しになるために会いに行ったのではなく、
ペテロたち使徒の福音が正しいものであるかどうかを、調査しに行ったのである。
またガラテヤ書2-5によれば、パウロは割礼の要求を断固として退けた、と記されている。
しかしこの箇所には挿入された部分があって、
新約聖書を始めて作った二世紀のマルキオンが「oυδε(ウーデ)」という語を書き入れている。
この語の意味は、英語のnotにあたり、「~ではない」という否定を表す語である。
マルキオンはパウロの主張する「信仰のみ」に、強烈に惹かれた人物である。
故に「私たちは一時、割礼を受け入れた」という文章に我慢ならず、
パウロたるもの、儀式的要求を受け入れる筈がないとして、否定の語を挿入したのである。
マルキオンがoυδεを挿入したことは、当時の神学者の著作によって確証されているが、
如何せん、重要な写本にすべて挿入されているから、
今の学問的態度(?)としては本文として採用できないのだろう。
パウロのローマ書の内容から判断すれば、儀式も信仰(信念?)も何もかも、
キリストの救いには必要ない。それだけ、神の愛は圧倒的だった。
故に、パウロは言う。「救われたあなた方は弱い者を受け入れよ」と。
(弱い者=神の恩恵に完全に浴すことができず、人間的可能性を付加して安心せんとする者)
パウロがローマ書で言いたいのは、キリストが神の位置から絶下に降って、
身を捧げてあなた方を救ったのだから、あなた方もすべての主義を捨てて、
神の栄光のために弱い者を受け入れよ、ということである。
そういうパウロであるから、割礼を要求する弱い信徒を憐れに思い、
一時それを受け入れたのである。
まだまだ多くあるが、上記のような誤訳を加味してパウロの経験談をまとめれば、
下記のようになろう。
「パウロの福音とは人をして、自分の主義を捨てて弱い者を受け入れさせるような福音である。
パウロは使徒たちがそういう福音を保持しているか調査しに行った。
そして割礼を要求されたので、パウロは使徒たちが自分より弱い者だと思い、その割礼を受け入れた。
しかし、彼らがさらに弱い者に対して圧迫しようとしたので、パウロは躊躇しつつも、
そのさらに弱い者を守るために独立し、異邦伝道に向かった」
すべての主義を捨てよ!
これが、神の絶大の恩恵を受けた者の態度なのである。
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