ヘブル書を8章まで読了する。
その中で気づいたことを少し。
ヘブル書は一般的に「新約のレビ記」と言われていて,
ユダヤ教に代わるキリスト教の礼拝形式を語ったものとして解釈されることが多い。
だが,レビ記に則った礼拝的記述が多いからといって,
果たして,それをもってヘブル書著者がレビ記を範としたかというと,
それは安直に過ぎる解釈であると思う。
人は,目の前にある現実に抗議する時に . . . 本文を読む
神の恵みによって,すべての人のために死んでくださったのです。
(ヘブライ書2-9/新共同訳)
「神の恵みによって」と訳されている箇所の原文は,
「カリス テオウ(χαρισ θεου)」である。
ネストレ新版もこの訳を採用しているが,この箇所の異文に,
「コーリス テオウ(χωρισ θεου)」というものがある。
訳すと,「神から離れて」である。
聖書を伝えたキリスト教会は,自身 . . . 本文を読む
人にしてもらいたいと思うことは何でも,
あなた方も人にしなさい。(マタイ伝7-12/新共同訳)
この箇所(黄金律)でマタイが言わんと欲していることは,何なのだろうか?
自分が他人にしてもらいたい,自分が他人に期待するようなことを,
自分が率先して為せ,というような教えなのだろうか?
私は,福音書記者マタイの本心からすれば,
このような解釈は大きな間違いであると思う。
原文を直訳す . . . 本文を読む